弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

生かされているのではなく殺されていないだけ

2019-08-26 23:20:07 | 思考
一応、誕生日とあって母と友人二人からお祝いの連絡をもらった。
嬉しくはあったが、年齢的には老いていくだけ。
とはいっても、一応、新天地でそれなりに頑張っているのだからそれなりに自分を褒めてあげてもいいだろう。

ただ、母との会話の中で、
生かされているうちは生きていなさい。
と言われた。
これは勿論、母が自分を生かしているという意味ではなく、過去の諸々や母が自分自身を顧みて言ったものだ。父も伯父もろくな死に方をしなかったし、私が昔から自殺念慮に悩まされてきたから。

しかし、個人的には生かされているというよりは殺されていないだけ。
誰に?何に?
と問えば、一番は自分自身に。次は社会や環境に。

自分よりもっと悲惨な状況にある人が多いのは分かりきっている。
それでも、脆い自分は自分に何度も殺されかけた。今は影を潜めているが、いつまたその呼び声が甦るか分からない。

それでも、とりあえず今は生きていようとも思うし、今の道で自分なりに頑張ってみようとも思っている。
今の道しか懸けるものもないのだが、少し生き急いでいる感はある。
その辺は変わった。
殺されないから生きている
という前提はあるが、自分なりに突き詰めたいものー研究テーマが生まれて積極的になった。
其故に少し視野が狭くなっている気もする。
大学院という特殊な環境とはいえ、そこしか見えていない。

まあ、今はそれでいいのだろう。
死なない、とか、生きる、とかそんなのは要らない。でも今死ぬのは不本意過ぎる。
意識だとか死だとか、精神疾患だとか訳の分からないものに屈する前にそれらに一子報いたい。果てし無い道であるが納得したら死ぬだろう。

納得できる欠片もないのがある意味救いであるのだろう。
疑問が疑問を呼び、答えの片鱗すら掴めない。
それでいいのだろう。苦しい時と楽しい時も半々くらいだし。
しかも、その苦しみはあの精神を焼き尽くすような苦しみでもないのだから。

ともかく、あの自分を殺そうとする声にはしばらく黙っていてもらおうか。


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