弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

断絶

2016-11-06 20:01:15 | 思考
精神疾患、それが慢性化したり重症だったりするものの患者は良好な家族関係を築いていないケースが多いだろう。
経済的な問題もあるし、その他生活上の問題も多い。

自分も二浪の頃発症し、当時は親が心配してくれ、大学で一人暮らししていた時もそれなりに気にかけてくれていた。
だが、卒業後の進路が何も決まらず、卒業して実家に戻ってからは安定した家庭環境とはいえなくなった。
父は亡くなっているし、姉との仲は極めて悪い(お互いにメアドを知らないくらい)
ディスコミュニケーション、お互いの言い分が通じない。
そして、父からの相続分でまかなう部分が多かった時期はまだマシだったが、それが無くなってからは母の扶養によることが多くなった。
生活費、医療費、交通費など・・・

いわば、生活保護や障害年金に頼らなければ、自分の生存を母親が握り続けることになる。
今の状況では、公的扶助は頼れないからだ。
それは、自分の自尊心を大いに傷つけるものであり、それ故に、自殺願望も酷くなっていった。
母への申し訳なさ以上に、自責感・無力感・絶望感が常にあった。
それでも、自分が家事の一定部分を受け持つことにより、少しはマシになった。
僅かな家事労働といえども、生活費を受け取る建前にはほんの少しだがなった。

そんななか、今年、これまでそこまで家族関係が悪くなかったのは、自分の入院・手術があったからだ。
それは重症度の証明にもなったし、何より、退院後しばらくは建設的な活動を出来なくても「しょうがない」という理由づけになった。
ところが、それは僅かな期間の安寧だったようだ。
少しのことで喧嘩はするし、それが酷かった場合、結局、昔のように自己憎悪・家族への憎悪に簡単に転化する。
遺伝・養育環境、、、自分の発症に自分が全て責任を持つのは道理的におかしいと思うが、それでも生存が他者に委ねられているという情けなさ。
そして、自分の生存の手綱は自分で持つ、そうなるようになるには、結局、他者の手を借りなければならない。

詰みだ。そう考えると、退院後顕れなかったはずの、消滅願望が再び鎌首をもたげる。


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