弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

示唆と究極的説明

2017-03-26 00:37:34 | 思考
統計学が最強の学問である。
という本が売れているらしいが、バカげたことだと思う。
統計は究極的説明「因果」を提供できないからである。
特に個体が関心の中心になる時、統計でどう有意であろうと、そこに当てはまらなかったら終わりだ。
大体、9割で予測出来たり相関があったりもしないので、確率論的に個人の試行はただの賭けになる。
分の良い賭けかそうでないかの違い。

だと思っていて、臨床心理学の量的研究における相関関係や説明率というのも、個人-特に自己の心理の把握に関して何ら確定的根拠を与えない。
そうは分かりつつも論文を漁っていたら、それでも示唆をもたらすもの-参照枠として持っていて損はないように感じた。

結局、説明を提供するものが数えきれないほどあり、複雑すぎて個体の行動や精神状態を説明できるものはない-実験心理学でも確定できない、のだとも思う。
(よく実験系の心理学と臨床系の心理学でも生態的妥当性というので対立する)

結局内的なものを捉えれないのなら、様々な知見に開放的であることを条件に自分のことを自分で「決める」しかない。

冒頭に戻って肉体的な話をするならば、個体を粒子によるマクロな振る舞いの場であると仮定したときには、確率分布に従うという意味で粒子の挙動の確率には統計学の意味がある。
(今やっているのが、量子力学のゲームらしいので補足)


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