弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

仲間を求めて/揺らぎ

2016-11-11 22:55:12 | 思考
退院してからやたらと既視感がすることが多い。多い時は2~3日に一回はする。
先ほどは、既視感を感じていること自体に既視感を感じていた。
既視感が起こる原因としては色々あり、同じような日々を過ごしていることも原因の一つだとは思うが、それにしても参ったものだ。
既視感を感じる時、決まって現実感覚と自己感覚が揺らぐからだ。不思議な気分というよりは混乱・困惑という感情が強く出る。
まるで全てが繰り返しているような・・・

退院後の症状として既視感以外にも、やはり、現実感喪失・他人が遠い、という離人症にも似たものに襲われる。

そして、こういうのもあって、同年代のmECT経験者についての情報ー願わくはネットでコンタクト取りたかったのだが、なかなか上手くいかない。
珍しい経験である以上、周りの健康な、全身麻酔すら経験が無いような30前後の人に話しても、何ら共有すべきものが無いし、まさかそういう集まり利が催されている訳はないので、SNSで探してみたのだが・・・。
そもそも稀で、過去に一人いてももうアカウントがなかった。
まさか、facebookにいるとも思えない。

そもそも、平均施術年齢が高い手術なので、高齢の人に偏り、そういう人はSNSをやらないのだろう。
また、偏見もある手術なので、若年齢で受けていても自分からそれをSNS上に書いたりもしないのだろう。
(以前、気分障害の自助会の参加者が「電パチ」とか表現していて、精神疾患の人ですら偏見があるのだ。リアルでは尚更表に出さないだろう。)
そういうことで、徒労に終わった。

gooに限らず、ブログを検索すれば、どこかに記事はあるかもしれないのだが。。。
そのブログが現在も進行中で、そのブログの人が同年齢で、コンタクトを取って応じてくれる、という条件まで考えていると探すのすら億劫だ。

更に言うと、mECTを受けた人が自分のような離人症的な症状に悩まされているとも限らない。
いや、そもそも、離人症的症状があったとして、それを分かち合って何になるのか。

・・・このブログはそもそも精神状態の記述に用いるものではなく、哲学的課題に取り組むものであったはずで、その中の
独我論(的感覚)
をどう乗り越えるかで、この離人症的症状が邪魔になってくるのだった。

自分の知覚している世界は、自分だけのもので、他の誰とも共有するものも無く、認識を司る脳の死によって終わる。
客観的な実在としての世界など、その存在/不存在に関わらず、語ることの意味を持たない。

こういう思考命題をクリアする前に同種の経験(をしたと「思われる」「他者」に向けて話す言葉など持たないのだ。


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