弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

自殺したら・・負け??

2018-10-19 22:21:45 | メンタル
農業アイドルといい過労死といい、
自殺したら負け
だとかいう言葉が反響を呼んでいるが、半生、波はあれども自殺を考えてきた私には引っ掛かるものがある。

一体、誰に、何に負け、いや、そもそも勝敗などあるのか。

社会、他者、集団、これらは時として、人間を圧殺する。それは事実だろう。
外界の過酷さが視野狭窄を引き起こし、衝動として自殺を図って既遂してしまう。
それはとても悲しいこと。
であるが、繰り返すと誰に何に負け、その基準はどこにあるのだろう。

自殺衝動に負けた、というのはおかしな話。そもそも、自殺とは自殺衝動と生存本能とのせめぎあいの結果、自殺衝動が「勝って」しまうことだが、そこには主体の統制が及ばない。
つまり、「死んだのは誰か」という問題。

では、彼らは他者や社会、集団に負けたのか。
それも違う。そもそも、生きる死ぬで彼らと生存競争をしている訳ではないのだから。
それらー彼らがいかに個人の内面を圧殺しようと、それに負けたのではない。

強いて言うなれば、彼らが設定したルールに負けたのだ。
だが、これも完璧な答えではない。
ルール自体が歪んでおり、正当性がないから。そんなものに負けるというのは不適切だ。

自殺は負けではない。というのが私の結論。勝敗ではなく、勝敗の土俵ー価値観ルールから根本的に「降りる」ことが自殺だ。そして、降りた先のことは誰にも分からない・・

宗教がそこを偽造して、
自殺したら地獄に行く
などの価値観を植え付けても同じこと。それを含めて土俵から降りること。
勝敗の彼岸。善悪の彼岸。それが自殺。

仮に自殺しなかったら、現世的な利益ー快感情をもたらすものの獲得が見込まれていたとしても、それが勝ちだとは思わない。

いずれにしてもいつかは死ぬのだから。

という訳で、私は他者の自殺にも私の自殺念慮からも距離を置くようにしているし、もはや、対人援助職の就こうとも思わない。
ただ、個々人の人間性を圧殺する諸々のもの、そしてそれによってもたらされる視野狭窄、それには抵抗していきたい。他者のそれにも。
本質的に抵抗というものも勝敗はない。それは姿勢であり矜持であり・・何より人間性の最後の寄る辺だろう。それすら放棄する時が私が自殺する時だ。


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