弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

理想か現実か中道か

2017-03-01 20:48:24 | 思考
スーザン・ブラックモアという著者の「「意識」を語る」という本を読んでいる。

意識というのは、非常に難問で、具体的には何故脳の特定の機能構造が主観的体験をもたらすのか、という命題がほとんどだ。
学際的な分野で、認知心理学・工学(人工知能分野)・脳神経科学・哲学などの学者が百家争鳴の状態で自説を主張している。(学者自身が学際的分野に所属している場合が多い)

父の意識を失った状態で亡くなった時に、人間は生死はもとより意識の有無だという想いを持った。
日本で認知科学を学部で学べるレベルの高い大学は東京大学だけだったから、東大に入りたがった。
だが、結果的に東大に落ちた時に、東大に落ちたら学究の道ではなく公務員を目指そうと思って、早稲田上智の法学部を受けて受かったが、寸前で二浪しかも理系に切り替えた。(理系からの方が東大のその学部を目指しやすかった)
だが、二浪で本格的に発症し、秋には文系に戻り再び地方国公立に行って地方公務員を、という考えに変わった。

色々経て現在、去年の全身麻酔の経験から、やはり、この主観的感覚・主観的世界とはなんなのかについて、答えが知りたくなった。
だが、去年受けた大学院は臨床心理で、その試験の中に認知心理学の知識が必要になっただけで、認知心理は本格的に勉強していない。

これからどうしようが迷っているが、
結局、
・大志と理想を追う。-認知心理・認知科学
・現実-障害者採用でも働くのは難しいが、頑張るしかない。
・中道-資格の取れる大学院にまず入る
というのが拮抗している。

だが、ふと思うのだ。
一体何が分からないのかが分からなくなる。そして、
これだけの天才たちにこれだけ議論させて決着のつかない問題を追う覚悟はあるのか。
そのために費やす費用はなく、そこまでの才覚は明らかにない。
そして、付随的な問題では、脳科学やコンピューターリテラシ―に自信もない。

確実に間違いだったのが、一浪時の滑り止めで文学部心理学科や心理学部を何故受けなかったのか。
東大に受からなければ研究者としてやっていけない、という変な世間知らずな思い込みはなんだったのか。

・・・やってから諦めるというのは若いうちにしか出来なかった。
今は、三者の中からの選択をしなければならない。
葛藤だけが募ってゆく。


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