弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

お墓参りー何を憎めばいいのか

2017-08-14 00:05:06 | 思考
夭逝した父のお墓参りに行ってきた。
半分観光地の霊園のためもあってか何故か手を繋いだカップルを複数見かけたのもあり、最近調子の悪い自分は純粋に父をーいや、そもそも神仏も彼岸も信じていないのだがー祈る気持ちになれなかった。

何故、自分がこんなにも苦しまねばならないのか。

そういった恨みつらみばかりが頭を掠めた。

否定的なライフイベントが短期間に集中したこと。それが自分の病状をこじらせた原因であり、父の死が全ての原因ではない。
いや、自分もそうだが、父こそは時代の犠牲者なのだ。
注射器の使い回しによるC型肝炎の発症、バブル崩壊によるストレス・・

遺伝という意味では、社会不安障害はある。
物心ついた時から、人前で何かをするのにストレスを感じていたからだ。
だが、父は不安障害ではないし、自分がそうなのはそれこそ運命のいたずらだろう。

しかし、父が存命だったならば、精神的に安定して東大に落ちることもなく、落ちたとしても滑り止めの早慶で我慢し、何とか社会に適合していたはずだ。(父は自分に東大に行って欲しかったらしいが、亡くなった後に受かった早稲田の法学部でも妥協してくれただろう。)
それでも、存命中の高2で敏感関係念慮は発生していたし、男子校から予備校でいきなり女性のいる環境に投げ込まれてストレスは確実にあった。

だが、
敏感関係念慮→父の死にまつわる自責→予備校不適応→東大受験失敗→神経症の本格発症→大学不適応と部活動でのストレス
これによって完全に壊れてしまった。
そして、精神科医療は余計に病状をややこしくした。

もはや、どの時点でどのようなリカバリーが可能だったのかすらも分からないが、父が死ぬまでは神経症と不安症状を押しのけるパワーはあったのだから、やはり主原因は父の死だろう。

そう考えていくと、複雑だ。
バブル崩壊による投資の失敗で生じた借金も、父がかけていた保険で消えた。
もっと大事な何かが自分の中で消えたが・・一体何を恨めばいいのか。
彼岸など信じていたら、とっくのとうに自殺しているだろうが、早く自分も楽になりたい。

そんなこと、病気で痩せ細りー腹水でお腹だけ盛り上がっていた父には口が裂けても言えなかっただろうが。