うつの時には大きな決断はしない方がいいというのは一般論としてある。
無論、躁の時もだろう。
だが、人間、完全にフラットな気分で冷静に意思決定ができる。そんな時の方が少ない。
去年、mECTを受け終わっても気分や感情の辛さが残っている旨を看護師さんに話したら、
もうずっとそのままなのかもしれないですね。
と、冷淡なことを言われた。だが、おそらくその看護師さんも施術を受け終わった人を何人も見てきたから言えたのかもしれない。
そうなると、今、いや、これからも基本的に低い気分で-意欲も希望もないままに、何にも価値を見出せないままに決断を下さねばならないのかもしれない。多少の気分の上下はあっても、それがデフォルトだということだからだ。
しかし、何にも展望が持てないままに、この状態で決断を下すというのが難しい。
せめて、不安障害の方が和らがないと、不安で重要事項は先延ばしにしてしまうだろう。
レキソタンとデパスは出ているが、近頃短時間しか効果を感じないので、効果がある時に下す決断もデフォルトの状態で下したものではないことになる。
いつ・何を・どのように決めたらいいかも霧の中だ。カウンセラーもそんなに当てにならない。
いったいどうしたらいいのか。
無論、躁の時もだろう。
だが、人間、完全にフラットな気分で冷静に意思決定ができる。そんな時の方が少ない。
去年、mECTを受け終わっても気分や感情の辛さが残っている旨を看護師さんに話したら、
もうずっとそのままなのかもしれないですね。
と、冷淡なことを言われた。だが、おそらくその看護師さんも施術を受け終わった人を何人も見てきたから言えたのかもしれない。
そうなると、今、いや、これからも基本的に低い気分で-意欲も希望もないままに、何にも価値を見出せないままに決断を下さねばならないのかもしれない。多少の気分の上下はあっても、それがデフォルトだということだからだ。
しかし、何にも展望が持てないままに、この状態で決断を下すというのが難しい。
せめて、不安障害の方が和らがないと、不安で重要事項は先延ばしにしてしまうだろう。
レキソタンとデパスは出ているが、近頃短時間しか効果を感じないので、効果がある時に下す決断もデフォルトの状態で下したものではないことになる。
いつ・何を・どのように決めたらいいかも霧の中だ。カウンセラーもそんなに当てにならない。
いったいどうしたらいいのか。