弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

サンプル・エラー

2016-11-23 21:16:41 | 思考
社会心理学の勉強しているのに、その知見にそっているかは謎です。

自分が精神「障碍者」という括りに入れられるかは置いといて、基本的に多分同族嫌悪している。
自分の中で精神障碍者というカテゴリーを作って、そのバイアスでみる場合、そのバイアスの元となっているのは今まで接した人たちである。
つまり、今まで接した人達からある典型的な属性を抽出して代表させている。

女性のBPD=面倒くさい
(男性のBPDに会ったことない→サンプルが得られない→不明)
とか
(実際、典型的なBPDの症状がある人に関わると大変だとは思う)
※BPD=境界性人格障害
とか
女性の精神疾患者は何だかんだで交際相手がいる。
とかである。

そうじゃない人たちは「例外」として切り捨てられる。
そして、そのサンプルは実生活よりネットワークで得たものの方が数が多い・・・。
だから、それが母集団(心療内科に通っている人)を代表しているかはかなり怪しい。

まあ、ともかく、結局自分の標本(サンプル)から得られた情報だからそこには偏りが宿る。
そもそも、サンプルを取得しはじめてすぐならともかく、一定の段階になるとその偏見(バイアス)を強める方向に情報を収集する。[仮説確証バイアス]
しかも、SNSで得られる対象人物の情報など、向こうも情報・印象を操作しているので、サンプルとして適切なのかも分からない。

女性を例に挙げたのは、人生で女性に接した回数が少ないから。
(内面のことを語る時には文章にするのが好きなので、メル友から交際に進展しそうになった例はかなりある)
だから、例えば、
一般的な統合失調症の男性
というのも、もはや、リアルで接したことはないので、その典型像はSNSから作られる。

そうなると、やはり、自分が仮説確証の方向がある限り、SNSは毒にしかならない。
いや、SNSに限らず、特定の状況下で得られたサンプルなど意味を持たない。(デイケアや自助会なども)

ただ、典型像を設定するということはエネルギーの節約になるので、そこから意識的に脱するのは難しい。
しかも、偏見があるということを意識すると、逆に偏見を強める方向に行ってしまうこともあるらしいのだから尚更だ。

・・・友人が言っていたな。
個別の状況で具体的に判断しろ。
と。

この件に限らず、一般論に振り回されないで、結論を先回りすることなく、個別的に判断する。
そうしないと、いつまでも不安と嫌悪に悩まされてしまうだろう。

End Syndrome

2016-11-23 03:18:09 | 思考
独我論的に、
世界は私の世界である。
と述べるならば、私の死後、いや、認識が終わった途端に(客観的実在として措定される)世界など存在しない。いや、それを考えることに意味を持たない。
だから、現世でいくら成功を収めようと、達成したものがあろうと関係が無い。
自分が残した子孫がいようとも関係ない。

だが、頭の片隅に、素朴な考えとして、私の死後に客観的・物理的・第三者俯瞰的存在として世界はあり続けるだろう、という推測は残ってしまっている。それだからこそ、死を、消滅を不条理なものとして捉えているのだろう。
他人が死ぬことも、(推測される)他我の終わりも、観察されたものでしかなく、何故「この」「私」が終わらなければならないのか・・
(言うまでも無く、生物学的説明はナンセンスだ。)

そして、そういう考えが残っているからこそ、私の消滅の前に(私に知覚される)世界の消滅を願う。
人類が滅亡すればいいとか地球が無くなればいいとか浅いものではない。
ビッグクランチという仮説的現象のように、ある一点を以て、いきなり世界が宇宙そのものが終わって-ビッグバンの前のような状態に戻ってー欲しい。
その際に、その時が予め明示されていればベストだ。そうなれば、残りの余韻を楽しむだけで、もろ手を挙げて、祝福-ありったけの呪詛を込めて-をしよう。

・・・と書いてるうちに気付いたのが、いきなり一瞬で全ての時空間が閉じ終わっても、その終焉の確実性をどうやって予測し、どうやって確認すればいいのか。
私=世界=(客観的実在としての)世界、この三項が同時に終焉するとして、同時終了したと何を以て確信したらいいのだろう。確「認」する術は持たない。それが終焉という定義自体に反するから。
無論、(特に人格的な)神など、死後の世界など、魂(輪廻)など信じていない。
だが、こう考えていくと、やはり、始まりが何だったのか、それを知る必要性がある。
哲学でよく言われているように、
何故、一切がないのではなく一切があるのか。
それに答えなくてはいけない。
或いは、世界そのものが無限回循環しているとしても・・・こう考えていることすら世界と同じく繰り返されているとしても。