本日、快晴。

映画中心雑記。後ろ向きなポジティブが売りです。

ONE ON ONE【映画】

2014年12月02日 | 【映画】


@有楽町朝日ホール
東京フィルメックス2014にて)

近日公開される「メビウス」の観賞を日々悩んでいます。
あの刺激に1人で(相方は断固拒否。)耐えられるのか、私・・・。

そんな中、来年秋公開のキム・ギドク監督の最新作が、
東京フィルメックスのラインナップに入っており、
『観ない理由がないって!!!』と息巻いて行って参りました。
いち早くチケットを取ったため、何と最前列のど真ん中。
監督のQ&Aもあり、結果的には最高の席で観賞することが出来て、大満足です。

(それにしても、キム・ギドク作品を
朝10時でスケジュールした運営側の勇気・・・。満員だったけどね。)


映画を観賞後、監督のQ&Aが結構長い時間ありました。

キム・ギドク監督は饒舌で、この時間も、非常に楽しかったです。
相当近距離(何たって最前列ど真ん中。)で見たのですが、
フリースにスウェットパンツの、人の良さげなオジサンという感じで、
作品に投影される狂気をどこに宿しているのやら不思議。

でもお話を聞いていると何だか色々と腑に落ちました。
(ギドク初心者の私には、初めて知ることも多く興味深かったのですが、
分かっている人は分かって観てるんでしょうね。)


キム・ギドク監督は、
"生きる"ことは、"痛み"と切り離して考えることは出来ないという考えの下、
映画を撮っているのだそうです。
身体的だったり、心理的だったり、
いずれにせよ"痛み"を無視して人生を描写することはできないと。
が故に、痛みの描写には力を入れている、ということを仰ってました。

私は、キム・ギドク監督の映画を多くは見ていませんが、
作中の"血液の量"と比較して"痛さ"の描写が、はるかに強いです。

日本の映画はね、逆のことが多い気がするんですよ。
切って、刺して、血がブシャー、とか。コメディ的な作品も含めてね。

どっちの方が優れている、という話ではなく、
血が大量に出ていても自分に投影して"痛み"を感じない映画は沢山あり、
そっちの方が見ていて楽です。正直。
コメディ要素としての出血はまさにそれですよね。

ただ、キム・ギドク作品では、血の量じゃなく、その"質"が生々しくて、
目を背けているのに、脳にダイレクトに訴えかけてくる"痛み"によって、
観賞後の体力を根こそぎ持っていかれることが多いんですね。

(「メビウス」なんて、予告編だけ見たって気絶してしまいそうですから。)

帰宅後、この映画について考え出したら、あれもこれもと疑問が浮かんできたので、
私も現地で挙手して質問すれば良かった・・・と今更ながらに後悔してます。

作品については、かなり突っ込んだところまで話してくれていたので、
あれはこういう意味だ、とか、これはこういう意図だ、とか、
観賞後に監督の解説を、自身の言葉で聞けるなんて(通訳はあれど)、
何て贅沢なんだろうと心底思いました。

チケット取って、本当に良かったです。


本作「ONE ON ONE」でも、前述した"痛み"描写は余すところなく描かれていまして、
そこが見所でもあり、また、観客を遠ざける要因にもなるのかなとは思います。
苦手な人には耐えられない種類の映画ですからね。

日本公開は来年の秋だそうなので、出来るだけ核心のネタバレは避けますが、
1年後には記事も埋もれているでしょうから、
長くなりますが覚書として、あまり気にせず書きます、ゴメンナサイ。
読みたい方だけどうぞ。



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ある夜、女子高生が男たちに無残にも殺害される。
しばらくの後、その事件に関わった一人の男が
武装した謎の集団に誘拐される。
集団は男を拷問し、自分が起こした事の告白を強要する。
やがて7人組のその集団は事件に関わった
7人の容疑者たちを次々と誘拐し、拷問してゆく......。
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1年前に起きた女子高生惨殺事件の犯人達が、次々と拉致され拷問を受ける話です。
あらすじ一読すると復讐物語ですが、
この映画の興味深いところは、復讐殺人の話では無い、というところでしょうか。
詰問に対し最初は啖呵・シラを切る犯人達は、やがて暴力によって追い詰められ、
最終的には自白状を書き、手形を押されるわけですが、何とその後は開放されます。

何故なのか。というのは一旦さておき。

ここで注目すべきは、拉致された犯人達の態度。
全員口を揃えて言うんですよ。
『責任者を出せ!』
『こんなことしてタダじゃすまないぞ!』
『俺を誰だと思っている!』
固有名詞出さずに語られていますが、
恐らく彼らは、国家官僚か、有力大企業の社員です。

上からの指示の元、あくまでも"業務"として殺人事件を遂行したわけです。
この事実は、最初の1人目で判明するのですが、
その後、次から次へと拉致され拷問される犯人達の階層が
順番に上にあがります。要は、下っ端から順番に拷問しているわけ。
そして彼らはみんながみんな『上からの指示で。』と言い訳をする。

1年前の殺人事件の犯人として、
彼らは逮捕されていない、即ち事件は揉み消されています。

ここまでくると分かりやすくなりますが、
本作は、国家をはじめとする大きい権力に対する問題提起の映画です。
加えて言うなら、舞台は韓国ではありますが、
恐らく日本のほか、世界中の国で、それぞれ置き換え可能な問題だと思います。

映画の話に戻ります。

拷問される犯人達は全員口を揃えて、
『お前達は誰なんだ!?』と言います。

ある時は軍服、ある時は政府諜報機関など、
様々な衣装のいわばコスプレをし、
犯人達を拉致しているのは、謎の7人組。
徐々に明かされますが、彼らは、世間で言うところの"負け組"。
被害者感情ではなく、ただひたすら、勝ち組犯人達への正義感を振りかざし、
私的制裁に近いかたちで罰を与え続けているんです。

それは何故か?というのは、
核心に触れるネタバレにも繋がるので伏せますね。

どんどんエスカレートしていく拷問と、
次第に真相が明らかになり、
また、心情的にも変化していく武装集団。
最後に明かされる真実と、それをもってしても、解決しない社会的問題。
誰も救われないし、誰も得をしない話です。

ただ、本作のラストで投げかけられる『Who Am I?』という言葉。

そこまでに仕掛けられた、映画上の演出は、
全てこの言葉に向かっていたんだ、というのが最後に分かります。
脚本も演出も伏線も、
全編通して見事なまでに張り巡らされた傑作だと、個人的には思いました。


演出についてですが、本作では、
キム・ヨンミンという俳優さんが1人で8役を演じています。

正直、最初は気が散るし、誰が誰だかわからなくなるのですが、
それも監督の狙いの1つで。
第三者の観客が見て、"善人"と"悪人"が混じったこの8役は、
誰でもが、この社会の中で、善にも悪にもなり得ること、
自分1人が特別な存在なわけではない、という暗喩になっています。

ネタバレを恐れずに言ってしまうと、
ラストカットの軍服を着た人。
物語をなぞれば、それが誰かは明白ですが、
キム・ヨンミンさんがやることで、それは社会の中の誰にでも置き換えられ、
そして、本当は誰かは分からない、という風にも取れるんですよ。
そういう意味でも『Who Am I?』。
しっかりと計算されたラストシーンだと、思います。

(ちなみに監督のお話では、最初の構想ではラストは違っていたそうで、
カタルシス的な観点から見ると、ボツラストの方がスッキリはしますが、
映画としては、コチラの方が断然良かったと個人的には思いました。)



本作が素晴らしいのは、
単なる政治的な問題提起映画に留まっていない点だと思います。

弱者が強者に対するフラストレーションを爆発させる過程において、
強者の横暴を浮き彫りにするだけではなく、
弱者側にも、自身の在り方を問うています。

監督がQ&Aでも仰っていましたが、
汚れた社会に対して批判をする人達自身は、
果たして100%善人であるのか、と。
誰だって、卑怯者の要素は持っているし、
自分だけが可愛いという部分があるんじゃないか、と、
それも含めての問題提起をしているそうです。

この映画では残念ながら答えは出ませんが、受け取り方は自分次第。
良くも悪くも、考えさせられる映画でした。
許されるのであれば、監督自身の解説をもっと聞ききたかったです。


監督の言葉を直接聞けたが故の贔屓目は間違いなくありますが、
「嘆きのピエタ」がイマイチだった私にとって、
本作は、キム・ギドクの才能に圧倒される作品であることに間違いはないです。
この監督の作品に抵抗がない方には、非常にオススメです。


邦題が何と付けられるかは分かりませんが、
(最近の邦題はセンスが無さ過ぎて辟易することが非常に多い。嘆かわしい。)
タイトルは「ONE ON ONE」のままで、
劇場公開される日を楽しみに待ちたいと思います。

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