山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ふるさとはあの山なみの雪のかがやく

2005-01-07 17:03:06 | 文化・芸術
炭焼小屋から

美谷克己の「スミヤキスト通信」より

 賀状代わりに「スミヤキスト通信-№20」が届いた。
編集・発行人の美谷克己は高校同期の友人である。
東京大学の哲学だったか美学だったかを出ている俊英だが、40歳にして忽然と田舎暮らしをはじめた。
彼が富山県の久利須という奥深い山里に移住して、もう20年近くになるのだろうか。
表題のスミヤキストのとおり、炭焼きをし農を営んで日々暮している。
生涯を通じて地域に根ざす活動家でもある彼には二冊の著書「農=行を生きる-新しい宗教を求めて」(春秋社刊)「炭焼き小屋から」(創森社刊)があり、
山折哲雄氏編著の「林住期を生きる」(太郎次郎社刊)でも彼の生きざまが紹介されている。


今回の通信では、巻頭言に「戦争を絶滅すること間違いなしの必殺技」として
デンマーク陸軍大将フリッツ・ホルムが起草し制定を促すべく各国へ配布したという
「戦争を絶滅させること受合いの法律案」を掲げ紹介している。
我が国ではかつて長谷川如是閑が雑誌「我等」(1929年)で紹介したということも付記されている。


<戦争絶滅受合法案>
戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。
即ち下の各項該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。


一、国家の元首。但し君主たると大統領たると問わず、尤も男子たること。
二、国家の元首の男性の親族にして十六歳に達せる者。
三、総理大臣、及び各国務大臣、並に次官。
四、国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。

上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。但し健康状態に就ては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として招集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。

 戦争は、それを企図し実行させる人間と、やむを得ずそれに従わされ命のやりとりをさらにれる人間とがあり、しかも、その両者は截然と区別されていることはほとんど人類史上の定理である。こり「法案」はその決定的断絶を衝いている。すなわち、百歩譲って戦争が不可避・必要悪だとしても、それならば、戦争の決定に関与した人間が率先して最前線で戦うべきだというのである。究極のノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)である。
 富山の若い友人、村井健祐氏は川柳で喝破した。
  「戦争は行かない奴がやりたがり」

と、筆者は付記している。
筆者の暮しぶりも垣間見られるのであとがきを以下転載ご紹介する。

 後に述べるように、山を下りて「下界」に関わることが多くて、去年もまた炭焼きに没頭できない一年でした。六〇歳という節目を迎えて、さすがに体力も下り坂を自覚せざるを得ない。読書力も落ちる。(なのにパソコンに時間をとられてしまい、ツンドク状況が進む)
 猛暑の夏、多数上陸した台風、地震、熊の出没など、天変地異の時代に入ったのかと思わせるこのごろ。この冬も当地ではもっとも遅い初雪記録など、乱調気味。
 年初のまとまった降雪で植林した杉が折れて大きな被害があった上に、夏の台風によってさらに追い打ちをかけられて、当地の杉林は見るも無惨な状態になった。
 里山の荒廃は指摘されて久しいが、地域起こし事業や小グループの趣味的な活動でそれが回復するわけもない。にもかかわらず、征治が本腰を入れて山村や林業に対する施策を作り上げる気配はいっこうにない。経済のグローバル化とアメリカという超大国の単独行動主義によってもたらされた世界システムに組み込まれてしまった山村は、どこに活路を求めて行けばいいのだろうか。そんなことをいつも考えさせながらの炭焼き仕事の一年‥‥。

 イラク戦争の続行、泥沼化につれてピースウォークなどの活動に力が入るとともに、自民党などの改憲に向けた動きに対応して憲法9条を中心にして現行憲法を護る運動にも一段と力を注がざるを得ない。
 7月の参院選には比例区で「みどりの会議」という零細政党の応援をしようと、何人かの仲間と<とやま勝手連>を立ち上げて頑張ってみたが、代表の中村敦夫氏の再選さえ果たせず、がっかり。
 私が住む宮島地区(旧宮島村)は170世帯ほどの小さな地域であるが、今年度から地区の社会福祉協議会会長を引き受けた。高齢化率も高い中山間地であるから、社協の仕事は次々と際限なく生じてくる。もちろん、全くのボランティアである。
 小矢部市の行財政改革推進市民委員会なる長い名前の委員(これも無給)にも公募に応じる。こちらも毎月の委員会にはどさっと資料が出てくる。合併したくてもどこからも相手にして貰えず、やむなく単独に追い込まれた小矢部市。その無原則&行き当たりばったり市政をずっと批判してきた私であるから、「それみたことか」と高みの見物を決め込んでいてもいいようなものだが、批判的視点からの提言こそが必要かと思い、毎月積極的に発言してきた。
 そんなんこんなで、今年も忙しくなりそうだが、木を伐って運んで炭に焼くという仕事は続けられそうだ。