山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ぬかるみ、こゝろ触れあうてゆく

2010-01-31 23:57:23 | 文化・芸術
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-表象の森- 書の宇宙と、舞踊と

どうやら今年しばらくは、書家石川九楊の著書群を渉猟することに明け暮れそうな気配である。
いまのところ「一日一書-02-」と「書の終焉-近代書史論-」の二書を読了してまもないばかりなのだが、その書論・技法論は、私などにすれば、舞踊における形式論や技法論に、まるでそのままに照応するかのごとき観、まことしきりなのである。

-今月の購入本-
・石川九楊「日本語とはどういう言語か」中央公論新社
三浦つとむの名著「日本語はどういう言語か」とは一字違いの書名はまことに紛らわしいが、こちらは書家石川九楊による日本語論。漢詩・漢文体と和歌・和文体を両極として成立している日本語の文体、その二重複線構造をもつ言語における「書字」への総合的で内在的な分析を試みた、文-かきことば-篇と言-はなしことば-篇の二部構成からなる書。06年初版の中古書。

・石川九楊「書 - 筆触の宇宙を読み解く」中央公論新社
書を性格づけるのに「筆蝕」の表現と言う造語をあてる著者。青銅器や石に刻む、竹簡や紙に筆で触る、その間の相克、統一を通して書は生まれたからだ。それゆえ書は黒と白の対比の表現ではなく、光と陰による表現なのだ。筆尖-ひっせん-を通じて書家は対象に力を加え、対象から反発する力が返る。それをねじ伏せたり、折り合いをつけたり、微妙に震えたり、スーッと逃げたり‥、そういうドラマを、さまざまな古今の名書にもとづき、西洋音楽の楽典に匹敵するような分析で、書の美が解かれ、説かれゆく。書はまた個人の精神的営為でもあるからして、確立した規範からの揺らぎ、崩しが必ず生ずる。それがまた新たな規範となるのは、何らかの革新的な思想性、技術を含んでいるからだ。楷書が「軟書化」していく唐以降の狂草-きょうそう-や、空海が日本にもたらした雑書体について、そうした構造が解き明かされる。「書の宇宙」と題され、01年から02年にかけ、京都精華大で開かれた連続講座、12回の講義録。05年初版の中古書。

・石川九楊「選りぬき一日一書」新潮文庫
01年から03年の3年の間、京都新聞に連載された「一日一書」にもとづき出版された01~03巻-二玄社刊-から一年分に再編され選りぬかれた文庫版。

・鹿島茂「パリの日本人」新潮選書
明治の元勲・西園寺公望、江戸最後の粋人・成島柳北、平民宰相の原敬、誤解された画商・林忠正、宮様総理の東久邇宮稔彦、京都出身の実業家・稲畑勝太郎、山の手作家の獅子文六、妖婦・宮田-中平・武林-文子etc.‥。パリが最も輝いていた時代、訪れた日本人はなにを求め、どんな交流をしていたのか、明治維新以降の留学生がフランスから<持ち帰ったもの>をそれぞれに探る。

・Yi‐Fu Tuan「空間の経験 - 身体から都市へ」ちくま学芸文庫
人間にとって空間とは何か、それはどんな経験なのか、また我々は場所にどのような特別の意味を与え、どのようにして空間と場所を組織だてていくのだろうか‥。70年代、現象学的地理学の旗手として登場した著者が、幼児の身体から建築・都市にいたる空間の諸相を、経験というKey Termによって一貫して探究した書。88年単行本初版。

・原広司「空間 - 機能から様相へ」岩波現代文庫
著名な建築家である著者は、工学的な知識はもとより、哲学、現象学、仏教学などの知見を駆使、長年にわたる集落調査の成果にも依拠しつつ、現代世界を支配してきた機能的な均質空間の支配に抗して、新しい「場」の理論を構想、設計の現場から21世紀の建築は<様相>に向かうというテーゼを発信する。87年単行本初版。

・新宮一成「夢分析」岩波新書
忘れていた幼年期の記憶を呼びもどし、自らの存在の根源を再確認する-人間精神の深層にある無意識のこの欲望こそが、我々が夢を見る理由である。夢はどのようなしくみによってその欲望を満たすのか。夢に登場してくるさまざまな内容は何を象徴するのか‥、ラカン精神分析に精通した著者が豊富な実例分析をもとに夢の本質に迫る。00年初版。

・埴谷雄高・北杜夫「難解人間vs躁鬱人間」中公文庫
他界する2年前の95年に「九章」が出版された未完の「死霊」、その著者本人を相手に、86年に初版された「八章」について、長年にわたって交友の深かった北杜夫が、一見支離滅裂とも見える脱線ぶりを呈しながら、難解世界の読解を試みてゆく妄想的放談の記。90年単行本初版。

・埴谷雄高「死霊 -1.2.3-」講談社文芸文庫
本書について何をか況や。46年「近代文学」創刊号より連載されるも、49年「四章」で中断、「五章」が「群像」に発表されたのが下って75年、以来、断続的に81年に「六章」、84年に「七章」、86年に「八章」、そして95年に「九章」、と書き継がれるも、ついに未完のまま終わっている、わずか五日間を描く小説に50年を費やしたという文学史上の異色作。03年一挙に文庫化されているが、最近になって、友人のT.Kさんがダブって書店に注文したとかで、有難くも拝領に与った。

-図書館からの借本-
・岡井隆「注解する者 -岡井隆詩集-」思潮社
毎日紙「今週の本棚」に曰く、注解にあたる言葉は、西洋では「舌」また「言葉」をあらわすギリシア語の「グロッサ」より派生している。舌の味分け、言葉の味読‥、歌人岡井隆はつねづね歌づくりのかたわら、古歌・秀歌をとりあげ、「グロッサ」の修練をしてきた。おそろしく舌がこえている、細部の吟味と味読において名人芸に達している。09年初版。

・坂部恵「ペルソナの詩学 -かたり ふるまい こころ-」岩波書店
生きた日常のことばによって、ペルソナ-人格-の重層的で多元的なあり方を捕捉すること、それは大胆にして繊細な試みである。西欧近代以来の主―客二元論への傾斜に抗して、ことばとペルソナを通底するダイナミックな構造に応じた新たなモデルを探ること-、物語論、行為論から自-他関係の解釈学へ‥、西田幾多郎、和辻哲郎らの遺産を読み直しつつ、近代の枠を超える思考パラダイム-、<ポイエーシス>の次元を構想する。89年初版。

・田中貴子「あやかし考 -不思議の中世へ-」平凡社
「道成寺絵解」にはじまり、絵巻・説話から風聞まで、中世の不思議な話の数々を渉猟し、まことしやかに伝えられ語られる伝説が、はたして当の人物や出来事の本当の姿を伝えるのものか、を解きほぐし明らかにしていく。04年初版。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-29-
1月25日、また雨。

午後、稀也さんを見送るべく熊本駅まで出かけたが、どうしても見出せなかつた、新聞を読んで帰つてくると、間もなく馬酔木さんが来訪、続いて元寛さんも来訪、うどんを食べて、同道して出かける、やうやくにして鑪板を買つて貰つた-今度もまた元寛君のホントウのシンセツに触れた-。

※表題句の外、1句を記す


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恋猫の声も別れか

2010-01-27 23:49:28 | 文化・芸術
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-日々余話- Soulful Days-31- 検察、現場検証へ

12月中には出されるであろうと期待された大阪地検の審判-甲乙運転手への刑事処分-は、結局は音沙汰なしのまま年が越され、はや1月も大寒を過ぎ月末を迎えようとしている。

この間、こうまで結論を長引かせるのはいったい何か、やはり警察の調書と矛盾する審判を下せしめるのは困難かなどと、一抹の不安やら疑念に襲われては焦燥に駆られるといった始末で、どうにも気の霽れぬ日々が続いてきた。

そこへM運転手からの久々のメール、昨夕のことだ。彼とは暮の25日に会っていたからちょうど一ヶ月ぶりの音信。それによれば、検察はあらためて事故当時の現場検証を実施する意向で動いているとの由、その協力要請がM運転手の会社-MKタクシー-にも既になされているらしい。

これが本当なら、まぎれもなく吉報である。現場検証の日程はいまだ確定しておらず、M運転手にもその連絡はまだないが、この情報がMKタクシー側の弁護士からもたらされたものだけに信憑性は高く、早晩実施されることはまずまちがいないだろう。

抑も検察があらためて現場検証をしようというからには、検察にあがってきた警察の調書や捜査判断に大きな問題点があるという認識なしにはありえなかろう。此方が要請したドライブレコーダーの分析から推定される事故状況と、警察における捜査報告や調書に抜き差しならぬ齟齬や矛盾があり、これらの欠陥や誤認を明々白々のものにしなければならないということだ。さらに突っ込んでいうなら、検察の判断はすでに警察の捜査・調書をかなりの部分否定せざるを得ないという心証を得ており、検察による現場検証の実施はこれを確定させるための、いわば通過儀礼となるべきものだろう。

やっと、ここまで来たか‥たまらず深い息をつく、
もうすぐだ、もうすぐ‥、霽れる日は、もう近いのだ。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-28-
1月24日、うららかだつた、うららかでないのは私と彼女の仲だつた。

米の安さ、野菜の安さ、人間の生命も安くなつたらしい。
朝湯のこころよさ、それを二重にする朝酒のうまさ。

※表題句は前日の句より

句も書き留めていなければ、記したのもたった二行。別れた筈の妻・サキノとのあいだに何があったか、本文ではなく天候の欄に「うららかでないのは」と記したは、触れれば止めどもなく露わになろうおのれ自身の不甲斐なさ、自己嫌悪の姿であったか‥。「人間の生命もやすくなつたらしい」と記した裏に忍ばせたものは‥、などと想像を逞しくせざるをえない。


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ひとりにはなりきれない空を見あげる

2010-01-25 23:24:26 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-27-
1月23日、雨、曇、何といふ気まぐれ日和だらう。

夜、元寛居で、稀也送別句会を開く、稀也さんは、いかにも世間慣れた-世間摺れたとは違ふ-好紳士だつた、別れるのは悲しいが、それが人生だ、よく飲んでよく話した。

-略-、そして稀也さんも私も酔ふた、酔ふて別れて思ひ残すことなし、よい別れだつた。

裏のおばさんに「あたたかいですね」といふと「ワクドウが水に入つたから」と答へる、熊本の老人は誰でもさういふ、ワクドウ-蟇の放言である-が水に入る-産卵のためである-、だから暖かいと理窟である、ワクドウが水に入つたから暖かいのでなくて、暖かいからワクドウが水に入るのだから、原因結果を取違へてゐるのだが、考へやうによつては、面白くないこともない、私たちはいつもしばしばかういふ錯誤をくりかへしつつあるではないか。

※表題句の外、9句を記す


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酔うほどは買へない酒をすするのか

2010-01-23 23:58:07 | 文化・芸術
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-表象の森- インド舞踊、って何だ!

Odissi Danceの茶谷祐三子も加わったインド舞踊の会があるというので、連合い殿が土曜出勤のゆえ子連れながら京都まで観に行ってきた。

会場は南禅寺近くの京都市国際交流会館内のイベントホール、200席余りの小ホールだ。その名称からして小なりといえどさぞ設備の整った劇場だろうと思って出かけたのだが、予想は見事に裏切られた。音響も照明もまるでなってない、半世紀ほども昔へタイムスリップしたかと思うくらいお粗末なものだった。音はボリュームを上げるとただ煩いだけのものとなるし、ホリゾントはLow HoriこそあるもののUpper Horiがないから、地明りのボーダーやサスからのハレーションがひどくて、いわば空と大地の、空間が分かたれない。踊り手たちにとって折角の晴れの舞台も、これでは辛い環境となる。

さて本題の踊りについてだが、出演は4団体、オディッシィ・ダンス=東インド舞踊の野中ユキと茶谷祐三子、パラタナティアムといわれる南インド舞踊の福田麻紀とマユリ・ユキコ。演目は休憩をはさんで二部に分かれ、前半は茶谷祐三子と福田麻紀、後半は野中ユキとマユリ・ユキコ、それぞれオディッシィとパラタナティアムの組合せとなっている。

子連れのこととて、一部を観終えたところで退散しようかとも思ったが、オディッシィ・ダンスに関しては茶谷祐三子以外のものをまだ観たことがないので、二部の野中ユキのソロを観届けて席を立った。

先-11月-の、カルラの南インド舞踊もそうだったが、茶谷が踊るOdissi Danceの世界と、今日の福田麻紀、野中ユキらの踊り、パラタナティアムとオディッシィの違いはあれど、彼女らの世界とは同じインド舞踊とはいいつつズレがある、位相が異なるといわざるをえない。同根の筈の野中ユキのオディッシィ・ソロまで強いるように観たのは、結果としてその確認のためだったということになる。

彼女らの踊りは、技術的にはまずまず達者なものだが、どこまでも単なる民族舞踊でしかない。異邦の世界を憧憬する心はだれにでもあるものだが、その発想かならずしも無垢なものなどではなく、ずいぶんと俗な部分に浸食されているものだということを知らず、あくがれはそのまま媚びやへつらいに堕しかねず、きわどいところだが俗臭が匂い立つ、と私にはそう映った。

茶谷自身の語るところでは、8年ほどに及ぶ彼女のインド滞在のあいだ、Odissi Danceの習得に専心したのは2.3年、以後はもっぱらラジニーシの瞑想に私淑、明け暮れていたと聞く。よってか彼女の踊りにはどこかまだ生硬さがのこるものの、心の軸がある、これもまたなかなかにきわどいところのものではあるが、踊ること自体、超越的な存在-神-への捧げものという、そんな信仰にも似たものがあるようにみえる。

Photo

写真はこの日の会のチラシだが、この手の企画、どうしてこんなに趣味がワルイのか

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-26-
1月22日、雨、憂鬱な平静。

稀也さんから突然、岡山へ転任するといふ通知があつたので、逓信局に元、馬の二君を訪ねて、送別句会の打合をする。

途上で少しばかり飲んだ、最初の酒、そして焼酎、最後にまた酒! 何といつても酒がうまい、酔心地がよい、焼酎はうまくない、うまくない焼酎を飲むのは経済的だからだ、酔ひたいからだ、同じ貨幣で、酒はうまいけれど焼酎は酔へるからだ、飲むことが味ふことであるのは理想だ、飲むうちに味ふほどに酔うてくるなら申分ないけれど、それは私の現状が許さない、だから、好きでもない焼酎を飲む、眼をつぶつて、息もしないやうにして、ぐつと呷るのである、みじめだとは自分でも知つてゐる、此辺の消息は酒飲みの酒好きでないと解らない、酒を飲むのに目的意識があつては嘘だが、目的意識がなくならないから焼酎を飲むのである。‥

※表題句の外、3句を記す


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ひとり住むことにもなれてあたゝかく

2010-01-21 23:47:54 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 強制収容20万

北朝鮮で、政治犯20万人収容、の見出しが眼を惹いた。
記事によれば、あくまで韓国国家人権委員会による推定だそうだが、その殆どは生涯出所の可能性はないという。北朝鮮の総人口は約2300万人とされており、ほぼ100人に一人がこの軛のうちにあるのだから、これは驚くべき数値だ。

ジャーナリスト保護委員会-GPJ-が報道の自由のない10ヶ国をランキングした、検閲国家ワースト10のトップ-2006年-に位置づけられた北朝鮮だが、他方、国境なき記者団による世界報道自由ランキングでは175ヶ国中174位-2009年-とされており、この国より下位に位置づけられているのがエリトリア、アフリカ北東部、紅海に面しエチオピアとスーダンに挟まれた、人工500万ほどの国だ。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-25-
1月21日、晴れたり曇つたり、大寒入だといふのに温かいことだ。

今日は昼も夜も階下の夫婦が喧嘩しつづけてゐる、ここも人里、塵多し、全く塵が多過ぎます、勿論、私自身も塵だらけだよ。

※表題句の外、2句を記す


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