山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

あかねさす昼はもの思ひぬばたまの‥‥

2007-06-30 22:58:44 | 文化・芸術
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-表象の森- ひろさちや「狂いのすすめ」

昨夜につづき、ひろさちや氏の近著についての追い書きである。
第1章の「狂いのすすめ」から、終りの4章は「遊びのすすめ」へと結ばれ、遊狂の精神こそ世間-縁-のうちに生きる人間の最良の智恵と説かれることになるが、
その世間-縁なるものを思量するに引かれる具体的事象がいくつか面白い。
たとえば、動物社会学の知見によれば、アリはそれほど勤勉ではない、という話。
まじめに働くアリは約2割、残りの8割は怠け者。正確にいえば、2:6:2の割合で、ものすごく勤勉なアリが2割、6割が普通、怠け者が2割ということだが、6割の普通のアリを怠け者のグループへ入れれば、先述のようなことになる。
そこで、2割の勤勉な者ばかりを集めて新しい集団をつくればどうなるか。勤勉だったアリの8割が怠け者に転じてしまうのだ、という。
もうひとつ、養殖うなぎの稚魚の話。
養殖うなぎの稚魚はたいてい外国から輸入しているが、これが空輸されてきたとき、8割、9割の稚魚が死んでしまうのである。これでは採算もとれないから、窮余の一策で、試しに稚魚の中に天敵のナマズを入れて空輸してみたところ、稚魚の2割はナマズに喰われてしまっていたが、残りの8割は元気そのものだったという。
アリやうなぎの稚魚の集団における生態も、人間社会の生態も大同小異、同じようなものなのだ。それが世間というものであり、また縁のうちにあるということなのだ。


あれこれと本書で紹介された事象の中で、それなりに新鮮で刺激的なものとして私を捉えたのは、「老衰とガン」の相関的な話だ。
筆者には、放射線治療の第一人者として現代医療の最先端にいながら、逆説的でセンセーショナルな書として注目を集めた、「患者よ、ガンと闘うな」を著した近藤誠医師と対談した「がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな-迫りくる終末期をいかに人間らしく生き遂げるか」(日本文芸社新書)があるようだが、これを引いて、
近藤医師曰く、ガンという病気は、本来ならば老衰のように楽に死ねる病気だ。高齢者がだんだんに食べなくなって、痩せて枯木のようになって、格別苦しまずに眠るように死んでいく。そういう死に方ができるのがガンなのだ、と。
また、高齢者の死因において、老衰死が極端に少なくなり、代わってガンが増大したのは、摘出手術を当然視した現代医療の徹底した普及から、手術の後遺症や抗ガン剤の副作用、病巣の転移などを誘発することが圧倒的にひろがってきたからだ。むしろ老衰のような死に方を理想とするなら、ガンを無理に発見して治療しないほうがよい場合も多々あるのだ、
と説いているが、少なくとも少壮期に発見されたガンならばともかく、壮年の晩期や初老期にさしかかってからの場合など、まこと肯ける話で、斯様に対処するが智恵というものかもしれぬ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-58>
 あかねさす昼はもの思ひぬばたまの夜はすがらに哭(ね)のみし泣かゆ  中臣宅守

万葉集、巻十五、狭野弟上娘子との贈答の歌。
邦雄曰く、昼・夜の対比による恋の表現は八代集にも見える。能宣の百人一首歌「夜は燃え昼は消えつつ」も、その一例であろうが、宅守の作は第二句までが昼、第三句以下が夜と単純に分けられ、ゆえに一途の思いが迸る感あり。「逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで吾れ恋ひ居らむ」も連作中のもの。暗鬱で悲愴な調べは迫るものがある。


 つれもなき人の心は空蝉のむなしき恋に身をやかへてむ  八条院高倉

邦雄曰く、無情な人の心は憂く辛く、ついに蝉の脱殻のように空虚な、あても実りもない恋に、わが身を代償としてしまうのか。「憂=空蝉」の微妙な懸詞でつながる片恋の切羽詰まった悲しみを、高倉は淡彩で描きおおせている。この歌の前に、殷富門院大輔の「明日知らぬ命をぞ思ふおのづからあらば逢ふ夜を待つにつけても」が採られており、共にあはれ、と。

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青駒の足掻きを早み雲居にそ‥‥

2007-06-30 04:56:04 | 文化・芸術
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-表象の森- ひろさちや

その著書を読んだことがなくとも「ひろさちや」というこの仮名書きのペンネームには覚えのある人は多いだろう。平易な言葉で仏教や宗教を説き、人生論を語って、その著作は400冊以上を数えるというから畏れ入ったる多作ぶりだ。
この御仁が、同じ市岡15期生H女の兄者と聞かされたのはつい先頃。その縁を頼りに、この秋に予程の同窓会総会にゲストとして講演を依頼しようという話が持ち上がってきた。明日(6/30)がその決定をみる幹事会とて、まるで付け焼き刃みたいなものだが、急遽彼の近著を取り寄せて読む仕儀となった。
ひろさちや-本名は増原良彦、昭和11(1936)年生れというから今年71歳となる。北野高校から東大文へ。印度哲学の博士課程を経て、気象大学校に20年勤務の後退官し、フリーで著作活動。現在、大正大学客員教授。
ひろさちやというペンネームの由来は、ギリシア語の「phillo(フィロ)-愛する」と、サンスクリット語の「satiya(サティヤ)-真理」を合成したものらしく、ずいぶんとご大層なネーミングに畏れ入ったが、これはwikipediaからの情報。
ついでにwikipediaによれば、文壇にこんな賞があったとはついぞ知らなかったが、「日本雑学大賞」なるものを昭和55(1980)年に受賞している。本賞は前年の54年から創設され、年々の受賞者に、柳瀬尚紀、鈴木健二、楠田枝里子、はらたいら、池田満寿夫、内館牧子、嵐山光三郎、鈴木その子、日野原重明、小沢昭一などが名を連ね、雑学の名に恥じぬバラエティーの豊かさには驚き入った。
とりあえず私が読んだのは集英社新書の「『狂い』のすすめ」、今年の1月に第1刷発行で、5月にはすでに第7刷となっているから、結構売れているとみえる。
黄色の帯には、人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。と大書され、この言といい、タイトルといい、逆転の発想で世間智や常識を一刀両断とばかり勇ましいことこのうえないが、全体を4章立てとし、小見出しを振られた30節の短い文で構成された、仏教的知をベースに世間智を逆手に取って開陳される人生訓は、決して奇想というほどのこともなく、とりたててラディカルというわけでもない。
冒頭の一節は、勿論、室町歌謡「閑吟集」にある「一期は夢よ、ただ狂へ」を引いてはじまる。そして、風狂の人、一休宗純にお出ましいただいて、「狂者の自覚」へと逆説的説法は進むという次第だ。
その一休の道歌を引けば、
「生まれては死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」
「世の中は食うてはこ(室内用の便器)してねて起きて さてそのあとは死ぬるばかりよ」


筆者の論理は往々にして捻りがあったとしても比較的単純明快、思索が重層しまた輻湊し多極的に構造化していくようなものではない。人生なら人生の違った断面をあれこれと多様に切り取りつつ、筆者流の仏教的知でいろいろと変奏してみせてくれるばかりだ。
400冊以上もの書を世に送り出している剛の者、仏教的世界への誘いも、その知を活かした人生論も、いわば自家薬籠中の世界、すでにHow to化した世界なのではないか。
本書でもっとも筆者らしい特質が表れているのではないかと思えた箇所を、かいつまんで紹介すれば、
かりに神が存在していて、その神が人間を創ったとしても、神はなんらかの目的を持って人間を創ったのではない。-と、これはサルトルの主張でもある。-
だから、人間は本質的に自由、なのだ。人間を束縛するものはなにもない。これが実存主義の主張だ。
ということは、人生そのものが無意味なのだ。そもそも意味とは、神の頭の中にしかないものだからだ。
生きる意味がない、とすれば、人はなぜ生きるのか、それは、
「――ついでに生きている――」 とでもいうしかない、それ以上でも以下でもない。
と、まあ要約すればそんなところだが、人生や世間なるものに真っ向から対峙してどうこうするとか、或いは降りるとかいうのではなく、横すべりに滑ってはみ出してみる、少しばかり逸脱したところに身を置くといった感の、「ついでに生きる」という謂いに、彼流のオリジナルがみられるように思え、このあたりがひろさちやの真骨頂というべきなのだろう。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-57>
 鳥の行く夕べの空よその夜にはわれも急ぎし方はさだめなき  伏見院

風雅集、恋伍、恋の歌に。
邦雄曰く、言うまでもなく、鳥の指す方がねぐらであるように、男の急ぐ行く手は愛人の家、それを表には全く現さず、暗示するに止めたところは老巧である。「夕べの空よその夜には」の小刻みな畳みかけも調べに精彩を加えた。溢れ出ようとする詞を、抑えに抑えて、息をひそめるように質素に歌ったところに、風雅集時代の、殊に恋歌の好ましさが感じられる、と。


 青駒の足掻きを早み雲居にそ妹があたりを過ぎて来にける  柿本人麿

万葉集、巻二、相聞。
邦雄曰く、知られた詞書「柿本朝臣人麿、石見国より妻に別れて上り来る時の歌」を伴う長歌2首と反歌4首の中のもの。「青駒之 足掻乎速 雲居曾 妹之當乎 過而来計類」の、上句の文字遣いなど、まさに旅人の姿を自然の中に置いて、うつつに見るようだ。「雲居にそ」の空間把握も縹渺たる悲しさ、他の妻恋歌と分かつところ。反歌4首中の白眉か、と。


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わが恋は行くへも知らず果てもなし‥‥

2007-06-28 14:08:58 | 文化・芸術
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-表象の森- リンゴの中を走る汽車

  こんなやみよののはらのなかをゆくときは
  客車のまどはみんな水族館の窓になる
    乾いたでんしんばしらの列が
    せはしく遷ってゐるらしい
    きしゃは銀河系の玲瓏レンズ
    巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
  りんごのなかをはしってゐる
  けれどもここはいったいどこの停車場だ
  枕木を焼いてこさえた柵が立ち
    八月の よるのしづまの 寒天凝膠(アガアゼル)


宮沢賢治の「青森挽歌」という長詩(252行詩)の、冒頭の数行。
リンゴというものの形態――
それは丸いものにはちがいないが、閉じられた球体などではなく、孔のある球体であること。
それ自身の内部に向かって誘い込むような、<本質的な-孔>をもつ球体。
「りんごのなかをはしってゐる」汽車とは、
存在の芯の秘密の在り処に向かって直進していく罪深い想像力を誘発しながら、
閉じられた球体の「裏」と「表」の、つまりは内部と外部との反転を旅するものとなる。
畢竟、私たちの身体の、その脊髄内部の中枢神経は、もとはといえば、肺の表面を覆っていた外胚葉の<陥入>によるものである、という。
いわば、私たちの身体は、内側に向かって、一旦、裏返されているものなのだから、
賢治の、このリンゴのなかを走る汽車のように、
空間の外部が内部に吸い込まれていく、反転のイメージは、
生物の発生学では、なじみの深い形象でもあるのだ。
    -参照:見田宗介「宮沢賢治-存在の祭りの中へ」岩波現代文庫-


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-56>
 時しもあれ空飛ぶ鳥の一声も思ふ方より来てや鳴くらむ  藤原良経

六百番歌合、恋、寄鳥恋。
邦雄曰く、鳥もまた「思ふ方より来て」鳴くとは、先蹤の少ない発想であろう。当然右方人から論難の声あり、「などさは思はれけるにや」。俊成にもこの歌の斬新な思考と文体は理解できなかった。「空飛ぶ鳥の一声は何鳥にか」と愚問を提出、家房の平凡至極な鶏の歌を勝とする。定家は問題作「鴨のゐる入江の波を心にて胸と袖とに騒ぐ恋かな」で勝、と。


 わが恋は行くへも知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ  凡河内躬恆

古今集、恋二、題知らず。
邦雄曰く、王朝恋歌名作の一つ。三句切れの強勢助詞結句、その姿悠々たるものあり、忍恋の、しかも望みも薄い仲であるにもかかわらず、陰々滅々の趣きなどさらさらない。逢うまでは恋い続けよう。望みを遂げたら死ぬも可と、暗に、言外に宣言する姿の雄々しさは無類と言おう。空々漠々あまりの遙けさに、恋の歌であることをたまゆら忘れそうになる、と。


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鳥のこゑ囀りつくす春日影‥‥

2007-06-26 19:49:42 | 文化・芸術
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-四方のたより- Green Fesのアンケート

先の神戸学院大学での「山頭火」に対する観客のアンケートが参考までに主催事務局から送られてきた。
6件と意外に少ないが、短くも心のこもったメッセージに感謝である。


◇「ひとりかたりは今回初めて観させていただきました。俳句にあまり詳しくない私です。高校の時、国語で山頭火という名前を知ったと記憶しています。舞台にただ一人で、全てを演じるって大変なことですね。深く、静かな舞台すばらしかったです。琵琶の音色初めて聴きました。林田さんの無駄のない動き、やはり踊りのセンスが光っていました。語りの方、ピアノの激しさ、静・動の舞台感動しました。これからも何回も何回も演じ続けて下さい。」

◇「ひとり芝居、ひとり語りというものを初めて鑑賞しました。『山頭火』をどんな風に演技されるのかとても興味がございました。案にたがわず素晴らしい『山頭火』でした。句がそのまま生きていました。唯々感激いたしました。また、次回も同じように拝見したいものです。」

◇「生きることの辛さ、悲しさ、切なさがよく表現されているようでした。映像を利用して俳句など紹介する手法があるのではと素人考えですが…。」

◇「ひとりの演技に引き込まれ、感動しました。山頭火という人物へ興味を持ちました。また拝見したいです。今日はありがとうございました。」

◇「どの様な山頭火を観られるのか楽しみにしていました。とても驚きましたが、この様な山頭火もあるのだと感激しました。前の方で観ましたが、とても良かったです。ありがとうございました。」

◇「是非拝見したいと願っていました。山頭火のことはほんの少ししか知りませんでしたが今回の劇でよく知ることが出来、嬉しく思います。俳句が詩と同じように心に迫るものがあり、下手な私でも少しは作れるかもと思っています。毎回楽しい企画に心より感謝しております。ありがとうございました。」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-55>
 鳥のこゑ囀りつくす春日影くらしがたみにものをこそ思へ  永福門院

玉葉集、恋四、題知らず。
邦雄曰く、壱越(いちこつ)調の春鶯囀(しゅんおうでん)でも響いてきそうな上句である。殊に第二句「囀りつくす」には、いよいよたけなわの感横溢、それだけに下句になって急に暗転し、俯きがちに恋人を偲び、遂げぬ契りを忍ぶ姿が鮮明に逆光で顕つ。玉葉は恋四巻首に万葉歌に酷似の「鵙(もず)の草ぐき」据え、二首目永福門院、三首目には道綱母の「諸声に鳴くべきものを鶯は」の趣向、と。


 流れそふ涙の川の小夜千鳥遠き汀に恋ひつつや鳴く  姉小路済継

姉小路済継卿詠草、恋、冬夜恋。
生年未詳-永正15(1518)年、室町後期の公家歌人、基綱の子、正三位参議、家集に「済継集」。
邦雄曰く、冬歌の千鳥が一応歌の中では此の世の海の渚に鳴いていたのに対し、この千鳥は悲恋の涙滝なし、末は流れとなってせせらぐその汀に身を震わせる。16世紀初頭、後柏原天皇時代の有数の詠み手、三条西実隆に教えを受けた。「越えわぶる関のこなたの寝覚めにも知られぬ鳥の音をば添へずや」は寄鳥恋、屈折した調べはなかなかの味である、と。


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わが恋は狩場の雉子の草隠れ‥‥

2007-06-25 12:41:56 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 消えゆく「連結机」

机と椅子が一体化したいわゆる「連結机」が、大阪府下一円の府立高校に導入されはじめたのは、生徒急増期の昭和30年代だったそうな。
とはいっても、私の現役時代にはついにお目にかからなかったから、市岡ではもう少しあとのことだったろう。
椅子を自由に動かせないなんてずいぶん窮屈なものだし、教室の清掃時など不便きわまりないと思うが、鉄製パイプで組まれた構造はたしかによく考えられたもので意外に強度があり、耐久性が買われてか、以後、他府県にもかなり普及したようだった。
それが40年余も経てみれば、いつのまにかどんどん姿を消し、ひとり端を発した大阪だけに使われていて、昨今では大阪の隠れた府立高名物?となっていたらしい。
大阪府下では’00年度から段階的にセパレート型に移行しはじめ、現在2万5000人の生徒がなお使用しているとか。これが今後両三年ですべて買換をし、名物「連結机」はとうとう姿を消すという。
昭和30年代の「連結机」導入は、さすが経済的合理精神の発達した大阪の先取性の発露かともみえるが、以後40年余の歳月は、’70(S45)年の大阪万博を頂点として下降局面に入り、地盤沈下の長い旅路となって、いまや昔日の面影なく、復興の夢も遠く儚い大阪へと変容せしめた、というのが現実の似姿だろう。
「連結机」の消長もまた、昭和30年代からの大阪の消長と軌を一にしているようにもみえてくる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-54>
 水の上に浮きたる鳥の跡もなくおぼつかなさを思ふ頃かな  藤原伊尹

新古今集、恋一、たびたび返事せぬ女に。
邦雄曰く、第二、三句に現れる「鳥の跡」は、別に文字のことをも意味する。即ち、黄帝の臣蒼頡が鳥の足跡から初めて文字を案出した故事に依る。文字、すなわち書簡、女からの便りが途絶えがちなことを、水鳥の足跡のないのに懸けた。鳥の行方が気にかかりつつ、それが暗に、詞書の意をも兼ねているとするほうが面白かろう。冷え侘びた風情あり、と。


 わが恋は狩場の雉子の草隠れあらはれて鳴く時もなければ  仏国

仏国禅師御詠、寄鳥詠といふ題にて。
仁治2(1241)年-正和5(1316)年、後嵯峨院の皇子だが、その母は不詳とされる。出家して後、無学祖元の弟子となり、那須黒羽に雲巌寺を開山。風雅集に2首、新続古今集に1首。
邦雄曰く、後嵯峨帝の皇子、16才で出家した。夢想国師の師。その御詠はわずか29首しか伝わっていないが、中に一首恋歌、題詠とはいえ、忍恋を、逐われる雉子の心に類え、人に隠れて泣くという、切なさを十分に盡していて家集中でも抜群の出来、貴重な作品ではある。「狩場の雉子」とはまた最早逃れがたい命の譬喩となる。併せて味わいたい、と。


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