山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

穿いて下さいといふ草鞋を穿いて

2009-08-31 13:32:43 | 文化・芸術
Dancecafe080928150

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月23日の稿に
10月23日、曇、雨、佐土原町行乞、宿は同前-富田屋-

あぶないお天気だけれど出かける、途中まで例の尺八老と同行、彼はグレさんのモデルみたいな人だ、お人好しで、怠け者で、酒好きで、貧乏で、ちよいちよい宿に迷惑もかけるらしい。-略-

行乞中、不快事が一つ、快心事が一つ、或る相当な呉服屋の主
人の非人道的態度と草鞋を下さつたお内儀さんの温情とである-草鞋は此地方に稀なので殊に有難かつた。
シヨウチユウと復縁したおかげで、朝までぐつすり寝た、金もなく心配もなしに。
まだ孤独気分にかへれない、家庭気分を嗅いだ後はこれだから困る、一人になりきれ、一人になりけれ。

※表題句の外、2句を記す

―世間虚仮―拾った議席

昨夜から選挙速報の洪水、4年前の郵政解散とほぼ真逆となった結果の民主と自民だが、懸念されていたとおり、比例区候補の不足から、他党が議席を得るという不合理なケースが4例も出来。

近畿ブロックで民主は13議席獲得の得票だが、名簿では2人不足する事態となって、自民と公明にそれぞれ1議席振られた。
加えて、「みんなの党」も東海・と近畿ブロックで1議席ずつ獲得できる得票に達したが、名簿登載された候補者が重複立候補していた小選挙区で得票率10%に届かなかったため、公職選挙法規定により復活当選できないという羽目に。これによって東海の議席は民主党へ、近畿の議席は自民党へとそれぞれ割り振られている。

この規定で、凋落の自民は2議席拾ったことになり、民主は-2+1の1議席損、公明が1議席の得、なんともやりきれない悔を残すのがみんなの党だが、とにかく不合理なことこのうえない公職選挙法ではある。

―今月の購入本―
・佐藤信・五味文彦.他「詳説日本史研究」山川出版社
ご存じ高校生向日本史教科書「詳説日本史」の学習参考書。08年の10年ぶりの教科書改訂に合せて全面改訂して出版されたもの。多色刷りで、豊富な叙述内容と史料や地図・図解をふんだんにとり入れられているから、時折引っ張り出して読むには向いていよう。

・加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」朝日出版社
世界を絶望の淵に追いやりながら、戦争は生真面目ともいうべき相貌を湛えて起こり続けた。その論理を直視できなければ、かたちを変えて戦争は起こり続ける‥。国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、たしかにあったようにみえる。それはどのような歴史的過程と論理から起こったのか、その問によって日本の近代-日清戦争から太平洋戦争-を振り返る。

・長谷川眞理子「生き物をめぐる4つの「なぜ」」集英社新書
発光生物は何のために光るのか、雄と雌はなぜあるのか、角や牙はどう進化したのか…。生物の不思議な特徴について、オランダの動物行動学者ニコ・ティン バーゲンは、四つの「なぜ」に答えなければならないとした。それがどのような仕組みであり-至近要因-、どんな機能をもっていて-究極要因-、生物の成長に従いどう獲得され-発達要因-、どんな進化を経てきたのか-系統進化要因-、の四つの要因だ。本書は、これら四つの「なぜ」から、雌雄の別、鳥のさえずり、鳥の渡り、親による子の世話、生物発光、角や牙、ヒトの道徳といった、生物の持つ不思議な特徴に迫り、生物の多様な美しさやおもしろさを現前させる。

・斎藤環「思春期ポストモダン」幻冬舎新書
成熟が不可能になった時代=ポストモダンという永遠に続く思春期=成熟前夜になって顕在化し始めたNet社会・DV・摂食障害・不登校・ひきこもりといった現象と、その至近距離に若者という存在。筆者によれば、不登校やひきこもりというのは、彼ら自身が何か本質的な問題を抱えているというよりも、社会との、あるいは家族との接続に原因がある、間主観的な問題なのである。言わば、病むのは脳でも精神でもない、人間関係である、と。一旦発生したそれらの接続ミスは、本人に過度なプレッシャーを与え、ますます追い詰めていくという悪循環を成る。それが「病因論的ドライブ」なのだ、と。

・松井今朝子「似せ者」講談社文庫
江戸の歌舞伎を題材に時代小説のエンターテイメントとなった著者表題作を含む4編を収める。

その他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN」2009/08と2009/09

―図書館からの借本―
・ジェフリー.F.ミラー「恋人選びの心-性淘汰と人間性の進化Ⅰ」岩波書店
・ジェフリー.F.ミラー「恋人選びの心-性淘汰と人間性の進化Ⅱ」岩波書店
人は何を基準に恋人を選んでいるのか。人を魅力的に見せる、身体・装飾・言語・美術・スポーツ・道徳性・創造性といった、深く人間性に関わっている特徴は,どうして生まれてきたのか。自然淘汰の理論ではどうにも説明がつかなかったこれらを.恋人選びという視点に拠りつつ,ダーウィ ンに提唱されながらも省みられなかった性淘汰理論で、長年の進化の謎を解き明かす。前半部は良質の性淘汰理論の総説。


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余のくさなしに菫たんぽぽ

2009-08-29 23:44:14 | 文化・芸術
080209165

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-36


  花見にと女子ばかりがつれ立て  

   余のくさなしに菫たんぽぽ  岱水

次男曰く、遊山、野遊びは、もともと物忌の考えからわざわざ節日をえらんで戸外に出た風習であろうが、花見もその一つである。
「余-よ-のくさなしに」という表現は、それを匂わせているように思われる。挙句の祝言とするに相応しい一風情があるだろう。「余のくさなしに」とは、投込み季物-菫たんぽぽ-を用いて句を仕立てたことばの釣合とばかりも云えない。むろん、発想の手がかりは、前句が「女子ばかり」と男を排しているところを見込んでい、と。

「空豆の巻」全句
空豆の花さきにけり麦の縁     孤屋-夏  初折-一ノ折-表
 昼の水鶏のはしる溝川      芭蕉-夏
上張を通さぬほどの雨降て     岱水-雑
 そつとのぞけば酒の最中     利牛-雑
寝処に誰もねて居ぬ宵の月     芭蕉-秋・月
 どたりと塀のころぶあきかぜ    孤屋-秋
きりぎりす薪の下より鳴出して    利牛-秋  初折-一ノ折-裏
 晩の仕事の工夫するなり     岱水-雑
娣をよい処からもらはるゝ      孤屋-雑
 僧都のもとへまづ文をやる    芭蕉-雑
風細う夜明がらすの啼わたり    岱水-雑
家のながれたあとを見に行     利牛-雑
鯲汁わかい者よりよくなりて     芭蕉-雑
 茶の買置をさげて売出す     孤屋-雑
この春はどうやら花の静なる     利牛-春・花
 かれし柳を今におしみて     岱水-春
雪の跡吹はがしたる朧月      孤屋-春・月
 ふとん丸けてものおもひ居る   芭蕉-雑
不届な隣と中のわるうなり     岱水-雑  名残折-二ノ折-表
 はつち坊主を上へあがらす    利牛-雑
泣事のひそかに出来し浅ぢふに   芭蕉-雑
 置わすれたるかねを尋ぬる    孤屋-雑
着のまゝにすくんでねれば汗をかき  利牛-雑
 客を送りて提る燭台       岱水-雑
今のまに雪の厚さを指てみる    孤屋-冬
 年貢すんだとほめられにけり    芭蕉-雑
息災に祖父のしらがのめでたさよ   岱水-雑
 堪忍ならぬ七夕の照り      利牛-秋
名月のまに合せたき芋畑      芭蕉-秋・月
 すたすたいふて荷ふ落鮎    孤屋-秋
このごろは宿の通りもうすらぎし   利牛-雑  名残折-二ノ折-裏
 山の根際の鉦かすか也     岱水-雑
よこ雲にそよそよ風の吹出す     孤屋-雑
 晒の上にひばり囀る       利牛-春
花見にと女子ばかりがつれ立て   芭蕉-春・花
 余のくさなしに菫たんぽぽ    岱水-春

この項をもって、安東次男の「風狂始末-芭蕉連句評釈」に依拠した連句の世界も了である。
「狂句こがらしの巻」にはじまりこの「空豆の巻」にいたる歌仙10巻、昨年1月20日より書き起こして今日まで、延べ360句を渉猟してきたことになる。

以前にも書き留めたが、安東次男の「芭蕉連句評釈」と出会ったのは、1970年6月創刊の「季刊すばる」誌上であった。この頃は「芭蕉七部集評釈」と題して連載されており、後に「芭蕉七部集評釈」正・続2巻となって出版されている。刊行は正巻が’73年、続巻が’78年。以来なお推敲を重ね、十余年を経て新釈の「風狂始末」-‘86年刊-、「続風狂始末」-‘89年刊-、「風狂余韻」-‘90年刊-を上梓しており、これら新釈3巻を一冊にまとめたのが「完本・風狂始末-芭蕉連句評釈」である。

すばる連載時の「芭蕉七部集評釈」はすでに手許にないので確かめるべくもないが、このたび新釈の「風狂始末」を通読しながら、遠く淡い記憶に過ぎて具体的にどうこう言いようもないのだけれど、旧釈・新釈の差異は感触として残るような気がする。「市中は物のにほひや夏の月」を発句とする「市中は」の巻が旧釈には採られていたと記憶するが、新釈では外されているように、巻の構成もまた若干異なるとみえる。
いつか折あらば、あらためて旧釈「芭蕉七部集評釈」も眼をとおしてみたいと思う。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.48-

四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.10




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ふりかへらない道をいそぐ

2009-08-28 21:56:20 | 文化・芸術
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―世間虚仮― 比例候補が足りない!?

真夏の長い闘い、衆院選もいよいよ大詰めだが、大勝ちしそうな勢いの民主党に、当初予測を超えたまことに悩ましい問題が持ち上がっている。

小選挙区候補はほぼおしなべて比例ブロック候補にも名前を連ねているのだが、これは重複立候補を認めた所為で、小選挙区で惜しくも他候補者に敗れた場合、惜敗率の高い順に比例区で当選できるという仕組みだ。この選挙制度が導入された平成8年当時、惜敗率による比例復活などわかりにくい制度そのものにずいぶん面喰らったものだが、それも今回でもう5度目になるとか、とかく疑問視や批判の的になってきたにもかかわらず、改められぬままきてしまった。

ところが、今回の選挙結果ではとんでもない珍現象が起こりそうだと、ここにきて心配されているのは、雪崩現象的に全国の小選挙区で民主党が大勝した場合、比例復活組の対象者が激減するわけだから、11の各ブロック比例獲得票に対して、当選すべき候補者そのものが不足する事態が起こることになるというもの。この場合どうなるかといえば、次点の他党候補が繰り上がることになるのだから、おかしなことに敵対する自民党候補が漁夫の利を得ることになったりもするわけだ。

こんな例が過去にもなかったわけではないが、それはほんの1.2例のことで、これまでさして大きな問題にならないままきた。しかし、今回予測されるのは、比例ブロック各所で起こりそうだというのである。
そもそも重複立候補なるもの自体、どうにも首を捻らざるを得ない制度で、政治家どもが自分の都合のよいようにいじくり回してきた選挙制度が、ここへきてとんでもない欠陥を曝け出すことになりそうな訳だ。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月22日の稿に
10月22日、曇、行程3里、福島、富田屋

おだやかな眼ざめだつた、飲み足り話し足り眠り足つたのである、足り過ぎて、疲れと憂ひとを覚えないでもない、人間といふものは我儘な動物だ。

8時出立、途中まで紅闘二兄が送つて下さる、朝酒の酔が少しずつ出てくる、のらりくらり歩いてゐるうちに、だるくなり、ねむくなり、水が飲みたくなり、街道を横ぎらうとして自動車乗りに怒鳴りつけられたりする。-略-

油津で同宿したことのある尺八老とまた同宿になつた、髯のお遍路さんは面白い人だ、この人ぐらい釣好きはめつたにあるまい、修行そつちのけ、餌代まで借りて沙魚釣だ、だいぶ釣つてきたが自分では食べない、みんな人々へくれてやるのである、-ずいぶん興味のある話を聞いた、沙魚の話、鯉の話、目白飯の話、鹿打失敗談、等、等、等-彼はさらに語る、遍路は職業としては20年後てゐる、云々、彼はチヤームとか宣伝とか盛んにまた新しい語彙を使ふ。

※表題句の外、8句を記す

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.47-
四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.9




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花見にと女子ばかりがつれ立て

2009-08-27 23:55:44 | 文化・芸術
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―世間虚仮― Soulful Days-25- 民事訴訟はじまる

高さは12階建ながら横にぐんと長いあの偉容が、一介の市民には圧するばかりに映る大阪高裁・地裁のビルに入るのは、いったい何年ぶりだったか。

本日午後1時15分、民事訴訟の第1回口頭弁論期日があった。
当初、私は立ち会うつもりではなかったのだが、週末小旅行から帰ってきたら、担当弁護士から被告側の答弁書コピーが送付されてきており、これに眼を通してその腹づもりは一転してしまったのだった。

もちろん、原告被告となって争いのテーブルに乗ったのだから、此方側の告訴理由等々に対し、被告側の答弁書がことごとく反論してくるのは当然の成行なのは百も承知なのだが、いわば無味乾燥な訴訟用語で終始した身も蓋もないような文面に、いざ接してみて、もはや訴訟にまで持ち込んでしまった以上、その流れを自分の眼と耳で追い、ひとつ一つの闘いの手立てに、後顧の憂いなく関わっていかねばならないのだ、と思いなおしたのである。

担当裁判官は50代半ばか、一見してごく温厚な人柄に見えた。相手方弁護士は二人、保険会社は同一ながらMKタクシー会社側と事故相手T側が、それぞれ弁護士を立ててきていた。

型通りに双方における争点の確認作業が事務的に行われ、早々と次回期日を10月8日と取り決めてこの日は幕。ものの10分ばかりも要したろうか。初回は、まあそんなものだと承知しているから、なんという感想も湧かないのだが、問題はT方の答弁趣旨で、あくまで無過失を主張してくる構えのようで、これにはさすがに私も、ことあらためてムッときた。

おそらく、膠着したまま動かぬ交通裁判の刑事告訴のほうは、かように民事訴訟に至ったということで、判決であれ和解であれ、民事の片がつくまで、兪々黙りを決め込んでまったく動かなくなるだろう、というのがK弁護士の見当だ。ならば、この法廷で、無過失を主張してくるT側に対し、そのT本人を証言台に立たざるをえなくなるほどに、争点の絞り込みなり、緻密な展開を図らなければならぬ、との意を強くしながら帰路についたのだった。


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>


「空豆の巻」-35


   晒の上にひばり囀る  

  花見にと女子ばかりがつれ立て  芭蕉

次男曰く、「女子-おなご-ばかり」が趣向である。前句の優しげな姿を受け、雲雀の囀りを女共の私語嬌声と聴いているのだがそれを、干し拡げた晒し布の白一面と結べば、見わたすかぎりの桜花の色もおのずと現れてくる。

雲雀は三春の季だが、古俳書とくに初乃至仲の季とするものが多い。一方、花見は晩春に入る行事である。したがって二句同時の付ではない。さえずりの余情を汲んで季節を巧みに深めている、と。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.46-

四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.8




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お約束の風呂の煙が秋空へ

2009-08-24 23:57:37 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月21日の稿に
10月21日、晴、日中は闘牛児居滞在、夜は紅足馬居泊、会合

早く起きる、前庭をぶらつく、花柳菜といふ野菜が沢山作つてある、紅足馬さんがやつてくる、話が弾む、鮎の塩焼を食べた、私には珍しい御馳走だつた、小さいお嬢さんが駆けまはつて才智を発揮する、私達は日向の縁側で胡座座。

招かれて、夕方から紅足馬居へ行く、闘牛児さんと同道、そのまま泊る、今夜も話がはづんだ、句評やら読経やらで夜の更けるのも知らなかつた。
闘牛児居はしづかだけれど、市井の間といふ感じがある、ここは田園気分でおちつける、そして両友の家人みんな気のおけない、あたたかい旁々ばかりだつた。

※表題句の外、10句を記す

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.45-

四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.7




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