山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

おほかたの憂き身は時もわかねども‥‥

2006-08-31 14:14:44 | 文化・芸術
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-表象の森- 秋色と東雲の空

  裏門に秋の色あり山畠  支考
日中の相変わらずの暑気はともかく、朝夕はめっきり秋めいてきた。


  身にしむやほろりとさめし庭の風  犀星
朝まだき頃、まだ寝ぼけた身体に秋の風が目を覚ましてくれる。
自転車をこぎだせば身も心も一気にシャキッと起き出してくるのがわかる。
大阪は、西は大阪湾、東は生駒・信貴や葛城連峰が連なっているから、沈む夕陽はどこでもよく目にするが、昇る朝日にはまずお目にかかれない。
ずいぶんと以前のことだが、元旦のご来迎を拝そうと、どこやらの橋で車を停めて待ったことがあったが、お日さまが山の端から姿を現わす頃は、空はすっかり白々と明けてしまっていて、あまり絵にならないご来迎に拍子抜けしたことがあったっけ。
そういえば、八甲田山の眼下にひろがる雲海を紅に染めながら、ゆっくりと姿を現わしてきた朝日、あれは圧巻だったが、そんな絶景をそうそう望んでもおいそれと行けるものではない。


  横雲の風にわかるる東雲に山飛びこゆる初雁のこゑ  西行
だが、このところ、東雲の空を眺めていると、これが日々千変万化でなかなか見て飽かぬことに、今更ながら気づかされた。
生駒の山脈の稜線だけが赤く染まり出すのがくっきりと見えたり、あるいは山の端にかかる雲々の下の部分だけが染まって、かえって黒と赤のコントラストを強めたりと、さまざまにヴァリエーションを見せてくれる。
これが一日として同じ景色がないというのもあたりまえのことだが、造化の妙とは至るところにあるものだと独り得心しているこの頃だ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-49>
 おほかたの憂き身は時もわかねども夕暮つらき秋風ぞ吹く
                         後鳥羽院


続古今集、雑上、題知らず。
邦雄曰く、元久2(1205)年の元久詩歌合に「夕べは秋となに思ひけむ」と秀抜な歌句で、詩歌の帝の名をほしいままにした院が、ここに「夕暮つらき」と詠嘆の声をとどめた。初句から二句前半への鷹揚で悲嘆を帯びた姿は、天成の詩藻によるもの。また第二句のやや重い韻律は、武辺を好む院の自ずからなるますらを振りの類でもあろうか。知られざる秀作の一つ、と。


 わが涙なにこぼるらむ吹く風も袖のほかなる秋の夕暮
                       後土御門天皇


紅塵灰集、秋夕風。
邦雄曰く、巷に発つ塵と灰、転じて俗世間、浮世を表す語を家集の題とした後土御門天皇は、その治世をおよそ応仁の乱に蝕まれて終った。鴨長明の「秋風のいたりいたらぬ」の本歌取りながら、「なにこぼるらむ」の二句切れは、本歌を超えてあはれを伝え、順徳院の「草の葉に置き初めしより白露の袖のほかなる夕暮ぞなき」の余韻もまた蘇ってくる、と。


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秋吹くはいかなる色の風なれば‥‥

2006-08-29 17:16:53 | 文化・芸術
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-表象の森- 似非箴言

 再会とは、ただ再びまみえるにあらず
 その隠れたる、未だ知らざる處を
 互いに見出さむとするならば
 畢竟、新しき出会いとなるべし。


 遠きも近きもなく
 知友、朋輩はいうにおよばず
 家族といわず、夫婦といわず
 吐く息、吸う息の如く
 時々刻々、日々新たなるをもって銘すべし。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-48>
 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ
                         和泉式部


詞花集、秋、題知らず。
邦雄曰く、身に沁むとはもと「身に染む」ゆえに、秋風の「色」を尋ねた。「秋風はいかなる色に吹く」とでもあるべきを、逆順風の構成を採ったことによって、思わぬ新しさを添えた。二十一代集に同じ初句を持つ歌は他にない。この作者ならば、青・紅・白とほしいままに色を決め得るだろう、それも格別の眺めだ。しかも疑問のままで終るゆえの深い余情、と。


 秋風の露吹く風の葛かづらつらしうらめし人の心は  九条家良

衣笠前内大臣家良公集、恋、寄風恋。
建久3(1192)年-文永元(1264)年、正二位大納言藤原忠良の二男、若くして定家の門弟となり、後に後嵯峨院歌壇の代表的歌人、続古今集の撰者に加わる。新勅撰集以下に118首。
邦雄曰く、「秋風・露吹く風」、「かづら・つらし・うらめし」等、音韻を連綿させ、結句を倒置して、ただならぬ心を巧みに表現している。また、「寄月恋」の題では、「知られじな霞にもるる三日月のほの見し人に恋ひ侘びぬとも」が見える、と。


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更けぬなり星合の空に月は入りて‥‥

2006-08-28 13:17:57 | 文化・芸術
Shinriaou

-表象の森- 乾坤一擲の失敗作? 「新リア王」

 嘗て旅した下北半島、真夏にもかかわらず、どんよりと曇った鈍い灰色の空の下、もう夕刻に近かったせいか訪れる人もなく、ただここかしこに硫酸ガスを燻らせたさいはての異形の地、恐山の荒涼とした風景も忘れ難いが、その途次に見た六ヶ所村の、広大な自然のなかに忽然と姿を現わした原子力関連施設や石油備蓄コンビナートらが、車を走らせながらどこまで続くかと思われるほどに連なっていた、大自然と先端的文明の不協和音というか、その異様な光景もまた忘れ難い。

 その六ヶ所村の光景と大いに関わるのが、「晴子情歌」に続いた高村薫の「新リア王」上下巻、このほどやっと読了したが、第一感、乾坤一擲の失敗作、とでもしておく。
前作では母・晴子と、東大を出た俊才ながら社会からスポイルし、マグロ漁の遠洋航海に暮らす子・彰之との間に交わされる手紙という形で、物語を進行させ、青森から道南・道東を遍歴する晴子の生涯が、戦前の鰊漁風景の活写など、昭和初期の北国の大地の厳しさと、これに抗って生きる人々が織りなす風景が現前され、抒情溢れた一大叙事詩となりえていたが、
本書「新リア王」では、晴子にとって一度きりの過ちの相手で、青森に巨大な政治王国を築き、作者に「現代のリア」と比させた老代議士、すなわち彰之の実の父である福澤栄と、その後曹洞宗の僧侶となった彰之との間に交わされる長大な会話で物語は進行するのだが、各々互いに語りつぐモノローグは観念の空中戦と化し、どこまでもリアリティの希薄なままに、互いに絡まり縺れ合うほどに現前してこない。
高橋源一郎は、朝日新聞の書評で「終結部にたどり着いた時、突然感動がやって来る」と書くが、たしかに父・栄の狂えるリアのごとき集約の一点に、すべては流れ来むがごとき構成ではあるが、その劇的な仮構は、栄が語る戦後政治の膨大で生臭いエピソードの数々も、心の闇を抱え座禅弁道に励む凡夫の彷徨える心を言葉に紡いでいく彰之も、互いの長大なモノローグが観念の空中戦としか読めないかぎり、寒々として虚しい。


 作者は「晴子情歌」「新リア王」につづく第三部となるべき世界を、すでに本書に胚胎させ、読者に予感させている。
これまた彰之のなさぬ子・秋道は「新リア王」の昭和62年時点ですでに18歳だが、父母という家族の愛に誕生のはじめからはぐれてしまった孤独な反抗者は、おのれの生そのものを呪いつつ世間に牙を剥きつづけるだろう。その子・秋道と、昭和の60年余を、ひいては日本の近・現代の暗部をひたすら見つめ、おのれの生を生たらしめんと希求する父・彰之との相剋が、どんな世界を切り裂いて見せてくれるのか。あまり期待を膨らませずに待ってみよう。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-47>
 更けぬなり星合の空に月は入りて秋風うごく庭のともし火  光厳院

風雅集、秋上、百首の歌の中に。
邦雄曰く、天には銀河の二星に光を添える月、地には秋風に揺らめく庭の篝火。星合の星を殊更に言わず、これに増す光を歌って、七夕の雰囲気を伝える功者の歌いぶり。また、「秋風に動く」とでもあるべきところを、助詞を省いて、動くのは秋風自体とし、燈火の揺れを暗示するのも、風雅調というべきか。初句切れの重い響きもまた格別、と。


 松風の雄琴の里にかよふにぞをさまれる世のこゑはきこゆる
                         藤原敦光


金葉集、賀、巳の日の楽の破に雄琴の里を詠める。
康平5(1062)年-康治3(1144)年、藤原式家の儒学者明衡の子で、式部大輔、右京大夫。文章博士となって大学頭を務めた。金葉集に2首。
邦雄曰く、保安4(1123)年大嘗会歌合の悠紀方に列した作者は、序破急の破に近江の歌枕、雄琴を風俗歌として詠んだ。上句は徽子の松風、下句は詩経の大序、「治世之安音以楽」に依った。漢詩文で聞こえた人だが、この「雄琴の里」の如く歌才も見える、と。


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琴の音に嶺の松風かよふらし‥‥

2006-08-25 21:40:51 | 文化・芸術
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-表象の森- 不壊なるもの

 以下は、F.カフカの「夢・アフォリズム・詩」(平凡社ライブラリー)からの引用。

人間は、
自分のなかにあるなにか<不壊(フエ)なるもの>、
破壊できないものへの永続的な信頼なくしては生きることができない。
その際、不壊なるものも、また信頼も、
彼には永続的に隠されたままであるかもしれない。
こうした<隠されたままであること>を表す可能性の一つが、
人間になぞらえた<人格神>への信仰である。


 次に引くのは、講談社「現代思想の冒険者たち」シリーズの一つ、
 高橋哲哉による編著「デリダ-脱構築」から。


エルサレムのモリヤ山頂では、
三つの「アブラハム的メシアニズム」-ユダヤ教、イスラム教、キリスト教-が
「エルサレムの領有=自己固有化」をめざして争っている。
湾岸戦争は、このエルサレムをめぐる戦争が今日の世界戦争になることを示した。
「三つのメシア的終末論の爆発と、
三つの聖なる契約=同盟の無限の組み合わせとしての中東的暴力」は、
デリダの重大関心事の一つである。


ところで、<不壊なるもの>が、
<隠されたまま>でありさえすれば、
その現成するところが、
物質の三態=固体・液体・気体のごとき、
物理的な条件下における変様にすぎないのだとすれば、
果てしない殺戮の連鎖が、
9.11の破壊も、またイラクへの報復も、
さらには、イスラエルのレバノンへの攻撃も、
決して起こり得ないであろうに。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-46>
 きみ恋ふる心の空は天の河櫂なくて行く月日なりけり  平兼盛

兼盛集、恋。
邦雄曰く、「櫂なくて行く=甲斐なくて生く」の懸詞を導き出すための天の河であるが、この恋の底には二星の儚い逢瀬がひそんでおり、それは「心の空」なる縁語でも明らか。いま一首、星合の恋歌に、「天の河川辺の霧の中わけてほのかに見えし月の恋しさ」があり、「月」とはすなわち思う人の面影、「遇ひて逢はざる恋」風の味わいがある、と。


 琴の音に嶺の松風かよふらしいづれのをより調べそめけむ
                       斎宮女御徽子


拾遺集、雑上。
邦雄曰く、「野宮に斎宮の庚申し侍りけるに、「松風入夜琴」といふ題をよみ侍りける」の詞書あり、徽子の数多の秀作中でも、最も有名な一首。これまた後世、数知れぬ本歌取りの母となった。徽子は村上天皇の女御であり、この歌は娘の規子内親王が斎宮に卜定された天延3(975)年、神無月27日の作。徽子はその翌年規子と共に伊勢へ下向した、と。


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はるかなる唐土までも行くものは‥‥

2006-08-24 15:58:26 | 文化・芸術
0608210121

-表象の森- 子守の神

 円空が詠んだという歌一首。

  これや此くされるうききとりあげて子守の神と我はなすなり

「うきき」は「浮き木」、
打ち棄てられた流木の腐れ木のごとき材に、
鑿や鉈をふるい数知れぬ仏を彫りつづけたわけだが、
「子守の神」というのがいい、
たとえ野辺に朽ち果てようとも、
一再ならず、無辜の民の祈りを喚起したなれば、
おのが生命を吹き込んだ甲斐もあろうというもの。


どういう宿業、宿縁が、かほどの徹しようを可能にしたか、
かならずしも円空にかぎったことではないが、
私が、知りたいと思い、掴みたいと願うのは、そのことのみ。
だが、これはもう、そのまま自問自答の世界なのかもしれぬ‥‥。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-45>
 袖振るはほのかに見えて七夕のかへる八十瀬の波ぞ明けゆく
                        後二条天皇


後二条院御集、秋、二星別。
邦雄曰く、七夕歌「二星待契」、「二星逢」に続いて、この別れの歌が見える。あたかも眼前の、地上の河辺で、後朝の二人が袂を分つ趣、とくに「袖振るはほのかに見えて」の的確な表現は生きている。惜しむ名残を言外に濃く匂わせて、表には現わさぬところも老巧と言うべきだろう。ちなみに「待契」は、「心あらば川波立つな天の河船出待つ瀬の秋の夕風」、と。


 はるかなる唐土までも行くものは秋の寝覚めの心なりけり
                         大貳三位


千載集、秋下、題知らず。
生没年不詳。藤原賢子。母は紫式部。中宮彰子に仕え、藤原兼隆に嫁したが、後正三位太宰大弐高階成章の妻となった。小倉百人一首に「ありま山ゐなの篠原かぜ吹けばいでそよ人を忘れゆはする」、後拾遺集以下に37首。
邦雄曰く、千載・秋下の巻頭第一首。歌人としての紫式部には厳しかった俊成が、彼女の息女の歌才には敬意を表したことになる。爽快、縹渺、悠々として、眼の覚めるような調べであり、二十一代集の秋歌中、絶唱十首に数えてもよかろう。後の世に数多の本歌取りを生み、その中には定家の「心のみ唐土までも浮かれつつ夢路に遠き月の頃かな」を含む、と。


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