山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

鶯よう啼いてくれるひとり

2008-08-31 23:56:46 | 文化・芸術
Shisyanosyo

Information<四方館 Dance Cafe>

―山頭火の一句―

ほぼ1ヶ月ぶりの山頭火の一句。句は大正15年の春と目されるが、この4月山頭火は「解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」と句集「鉢の子」に書き添えているから、その途上の一句であろうか。

その前年-大正14年-の2月、熊本市内にある報恩寺の住職望月義庵の許で得度出家した。法名は耕畝-こうほ-である。時に山頭火44歳。

さらに義庵和尚は、もはや高年の寄る辺なき新発意者に、当時報恩寺の管理下にあった熊本の郊外、現在の鹿本郡植木町にある味取観音堂の堂守へと計らってくれた。
山林独住、自家撞着の矛盾のうちに我執と迷妄の淵を彷徨いつづけた果てにやっとたどりえた安寧の日々であった。

山頭火は若い頃から「わしゃ禅坊主になるのじゃから、嫁は貰わん」などと口癖のようにしていたから、その伝でいけば、このたびは晴れて念願の出家を果したということになるが、はたしてそうか。近代精神に目覚め、文学に立身を求めようとした富裕育ちの少年にありがちな、ある種ポースといった一面もあったろう。44歳になるこれまで心の底から出家の道を探ったというような形跡はどこにもない。その彼が突然のように出家をした、その一大転機はどのようにして訪れたか。

さかのぼれば、山頭火が関東大震災の受難に遭い、這々の体で東京から熊本へと逃げ帰ってきたのは大正12年の9月も末であった。一文無しの身は足取りも重く、すでに離婚し合わせる顔もないはずのサキノが居る「雅楽多」の店先に立っていた。
この時、妻子を打ち棄て4年のあいだ音沙汰もないまま、尾羽うち枯らした姿で立ちつくす山頭火に、さすがにサキノはその身勝手を許さなかった。

その夜、山頭火は泊まるところとてなく、熊本の街をとぼとぼとただ歩くしかなかった。翌朝、結婚のため帰省していた茂森を頼って彼の家を訪ねた。ひとまず茂森の世話で川の畔にある海産物問屋の藏の二階に間借りがかない、ひとまず小康を得た。

だが、妻を迎えた茂森は月も変わった10月半ばには再び東京へと帰っていったのである。この熊本に惟一人頼れる友が去って、山頭火はただ淋しかった、しばらくは額縁の行商をしていたようだが託すべき希望の灯など見出せる筈もなかった。その後、彼は告げる者もなくひっそりともう一度上京している。瓦礫の東京になにがしかの託せるものがあったとも思えぬが、さりとて都会に流離うほかに何処にも行き場がなかったのだろう。

荒廃した東京は、やはりこの流浪者を受けつけてはくれなかったようである。それから後の一年のあいだ、再び熊本に舞い戻って、ふらりと「雅楽多」の店先に現れるまで、山頭火の消息はまったく不明のままである。

―今月の購入本―
いつもなら月の20日頃までには書きとめてきた購入本と借本、ちょうど月半ば過ぎに小旅行に出向いたことも響いてか、とうとう晦日にまでなってしまった。

・折口信夫「死者の書・身毒丸」中公文庫
昔、大津皇子を題材に舞台を作るとき、すばりお世話になった「死者の書」、久方ぶりに接して見ねばなるまいと思ったが、手許にはない。標題のとおり「身毒丸」、加えて「山越の阿弥陀像の画因」を併収

・寺山修司「寺山修司幻想劇集」平凡社ライブラリー
嘗て寺山自身、「演劇が文学から独立した時点、から活動を開始した」と謳った天井桟敷における代表的戯曲のアンソロジー。レミング/身毒丸/地球空洞説/盲人書簡/疫病流行記/阿保船/奴婢訓を所収

・H.カルディコット「狂気の核武装大国アメリカ」集英社新書
田中優子に「本書の特徴は、ぞっとするような具体性」と言わしめた、ブッシュ政権下の軍産複合体の現況を厖大なデータ収集に基づきものした書。著者は小児科医であったが、スリーマイル島原発事故を契機に医師を辞め、核兵器開発を停止させる運動の先頭を切るようになったという。

・広河隆一編「DAYS JAPAN -アイヌ-2008/08」ディズジャパン
・ 〃 「DAYS JAPAN -結婚させられる少女たち-2008/09」〃

・江守賢治・編「筆順・字体字典」三省堂 中古書
・高塚竹堂・書「書道三体字典」野ばら社 中古書
小一の娘が書の教室に通うようになって、時には遊び気分で筆を運んだりするのも一興、上記のような二書もあるにこしたことはないと。

―図書館からの借本―
・矢内原伊作「ジャコメッティ」みすず書房
ジャコメッティのモデルをつとめるため5度の夏をパリで過ごしたという著者自身が、制作過程でJと交わした対話の記録あるいは書簡など。

・P.ナヴィル/家根谷泰史訳「超現実の時代」みすず書房
シュールレアリスムの草創期からその運動に同衾してきた著者自身の壮大な回想録。

・丸山健二「日と月と刀」上・下巻/文芸春秋
「元来、小説は読まぬ」という畏友谷田君の薦める小説。独特な言葉の喚起力をもった丸山健二世界は「千日の瑠璃」と「争いの樹の下で」を読んだことがある。

・丸山健二「荒野の庭」求龍堂
その異端作家が長年丹精込めた庭づくりと花そだてのはてに生みだした写真集、添えられた言葉が激烈。

・三交社刊「吉本隆明が語る戦後55年」シリーズの
「5-開戦・戦中・敗戦直後」「6-政治と文学/心的現象・歴史・民族」「7-初期歌謡から源氏物語/親鸞」「12-批評とは何か/丸山真男」


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屏風の陰にみゆるくわし盆

2008-08-31 08:40:39 | 文化・芸術
080209022

Information<四方館 Dance Cafe>

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」-36

  隣へも知らせず嫁をつれて来て 

   屏風の陰にみゆるくわし盆  芭蕉

次男曰く、「陰にみゆる」と作ったところ、内祝言にふさわしい小道具のあしらい様で、婚礼屏風の端から臨くこの菓子盆はいずれ輪花に象った塗盆であろう、と想像を誘う作りである。

本祝言-撰集の成就-が待遠しい、と芭蕉は云っている。そこに一巻三つ目の花が匂うが、歌仙は二花三月の遊だと承知していてこういう期待の情をあからさまに示されると、読者は、「炭俵」も亦三度目の新風だったとおのずから思出す。この透し花の暗示的効果は、芭蕉の計算にあったに違ない。他に例を見ない工夫だ。まったく、味なことをやる俳諧師である、と。

「梅が香の巻」全句-芭蕉七部集「炭俵」所収

むめがゝにのつと日の出る山路かな  芭蕉 -春  初折-一ノ折-表
 処々に雉子の啼きたつ       野坡 -春
家普請を春のてすきにとり付て    野坡 -春
 上のたよりにあがる米の直     芭蕉 -雑
宵の内はらはらとせし月の雲     芭蕉 -月・秋
 藪越はなすあきのさびしき     野坡 -秋
御頭へ菊もらはるゝめいわくさ    野坡 -秋  初折-一ノ折-裏
 娘を堅う人にあはせぬ       芭蕉 -雑
奈良がよひおなじつらなる細基手   野坡 -雑
 ことしは雨のふらぬ六月      芭蕉 -夏
預けたるみそとりにやる向河岸    野坡 -雑
 ひたといひ出すお袋の事      芭蕉 -雑
終宵尼の持病を押へける       野坡 -雑
 こんにやくばかりのこる名月    芭蕉 -月・秋
はつ雁に乗懸下地敷てみる      野坡 -秋
 露を相手に居合ひとぬき      芭蕉 -秋
町衆のつらりと酔て花の陰      野坡 -花・春
 門で押さるる壬生の念仏      芭蕉 -春
東風かぜに糞のいきれを吹まはし   芭蕉 -春  名残折-二ノ折-表
 たゞ居るまゝに肱わづらふ     野坡 -雑
江戸の左右むかひの亭主登られて   芭蕉 -雑
 こちにもいれどから臼をかす    野坡 -雑
方々に十夜の内のかねの音      芭蕉 -冬
 桐の木高く月さゆる也       野坡 -月・冬
門しめてだまつてねたる面白さ    芭蕉 -雑
 ひらふた金で表がへする      野坡 -雑
はつ午に女房のおやこ振舞て     芭蕉 -春
 又このはるも済ぬ牢人       野坡 -春
法印の湯治を送る花ざかり      芭蕉 -花・春
 なは手を下りて青麦の出来     野坡 -夏
どの家も東の方に窓をあけ      野坡 -雑  名残折-二ノ折-裏
 魚を喰あくはまの雑水       芭蕉 -雑
千どり啼一夜々々に寒うなり     野坡 -冬
 未進の高のはてぬ算用       芭蕉 -雑
隣へも知らせず嫁をつれて来て    野坡 -雑
 屏風の陰にみゆるくわし盆     芭蕉 -雑


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隣へも知らせず嫁をつれて来て

2008-08-29 23:55:08 | 文化・芸術
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Information<四方館 Dance Cafe>

―世間虚仮― ベン・ジョンソンからウサイン・ボルトへ

いまや旧聞に属する北京五輪の話題。
ウサイン・ボルトを筆頭に、強烈な印象を残したジャマイカ選手らの疾走ぶり。
陸上の短距離といえばこれまではアメリカの独壇場だった筈だが、これで完全に様変わりしたようである。

ジャマイカと云えばレゲェくらいしか念頭に及ばなかった私だが、彼らの圧倒的な五輪の活躍で、カリブ海に浮かぶこの島国に新たに強烈な印象が加えられた。
面積はほぼ11,000㎢、日本の秋田県ひとつにも及ばぬ広さだというその島に270万人が住むというこの国の人々が、どうしてこれほど図抜けた身体能力を発揮しうるのか。

国民の90%はアフリカ系黒人というジャマイカは、コロンブスの新大陸発見以来、スペイン支配となり、その後1670年のマドリード条約でイギリス領となって、1962年の連邦内独立を果たすまでその支配下にあった。

連邦内独立とは、名目上の国家元首はいまなおイギリス国王であり、実権とその職務は総督が代行するもので、この総督職は、行政府の長たる首相の推薦に基づきイギリス国王が任命する、ということらしい。

スペイン支配時代から、プランテーションの労働力としてもっぱら西アフリカから黒人奴隷として大挙渡ってきたその子孫たちが彼ら国民の大半であってみれば、今回の五輪で発揮された身体能力の高さも肯けるものがあるが‥。

現代のディアスポラともいえるジャマイカ離散という話題もまだ耳新しい。過去数十年に100万人近い人々が、イギリスやアメリカ、カナダに移住してきた。ソウル五輪だったか、ドーピング事件で金メダルを剥奪されたあのベン・ジョンソンもジャマイカ生れだし、陸上で世界的に活躍した短距離ランナーにジャマイカからの移住組は多かったらしい。

ところが、近年は観光以外の産業も発展しGNIも伸びてきて比較的国力は安定、人材の海外流出はずいぶんと抑制されてきている。
スポーツではサッカーも盛んだが、とりわけ「スプリント工場」といわれるように、義務教育からの徹底した訓練でボルトのようなスプリンターを輩出、短距離界では無類の強さを誇るようになっていたのが、こんどの北京五輪で劇的なまでに世界中に知れわたったというわけだ。

嘗ての貧困は、ベン・ジョンソンに象徴されるように特異な才能も海外流出してしまい他国のヒーローとなって成功譚を紡いだものだが、相対的な貧困からの脱出は、国内にあって才能の開花を促し育み、世界に冠たる自国のヒーローたちを誕生せしめ、すべての国民に活力を与え夢を紡がせる。

北京五輪は、中国の金メダル獲得が世界を圧倒したが、これはあまりにもカネにあかした大国主義、覇権への意志が見え透いてシラケきってしまうけれど、小さな島の人口わずか270万の小国のスプリンターたちが、大国アメリカの強者を尻目に颯爽と駆け抜ける姿には、こちらもついつい誘われて快哉の声をあげたくなったものだ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」-35

   未進の高のはてぬ算用  

  隣へも知らせず嫁をつれて来て  野坡

次男曰く、挙句前、名残の花の定座である。

一巻月花の座のうちとりわけ安定した所と目され、うごかすことはあまりない。ましてや、裏から表に移し替えた例など希にしか見かけぬが、この巻の趣向については名残ノ表十一句目でも既に説いた。亭主-野坡-の映の座を敢えてとりあげた客-芭蕉-の狙いは、この両吟興行の性格にふさわしい真-まこと-の花、亭主自らの跡目の工夫を見たい、聞きたいということに違いない。

「花嫁」は雑の正花に執成せるが、「嫁」とだけでは花にならぬ。だが花の定座に扱えば嫁は花嫁を匂わせる含になる。つまり仮祝言だというのが思付のうまさである。

「未進」に「知らせず」と詞の釣合を取り、人みな忙しい歳末の最中に婚礼沙汰でもないから披露は年も改ってから行う、と読取せるように作っている。尤も、「隣へも知らせず」とあれば、春隣の含はそれとして利かせながら、花嫁姿-「炭俵」の出来-を見てもらう時期についてはまだ確言はしかねる、と慎重に構えた物腰である、と。


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未進の高のはてぬ算用

2008-08-28 23:44:40 | 文化・芸術
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Information<四方館 Dance Cafe>

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」-34

  千どり啼一夜々々に寒うなり  

   未進の高のはてぬ算用   芭蕉

未進-みしん-の高-たか-

次男曰く、「一夜々々に寒うなり」とは、寒さはこれから本番になるということだ。移して、年の暮の繁忙も同じと付けている。

旅帰りと補って読めば滞りものの情はいっそうよく現れるが、必ずしも前の話の続と考える必要もない。掛合の相手が両替商越後屋の手代だという当座に即せば、暮の忙しさは格別であるから、算盤片手の俳諧三昧はさぞ朋輩にも気兼ねだろう-埋合せに残業するか-、という同情の滑稽がむしろ作意の本筋だ。

句は一応、未済上納金の計算に野坡らしき人物が頭を抱えている図と眺めてよいが、「未進の高」はそれだけではない。この両吟興行の性格にも、芭蕉個人の情にもある。

元禄7年4月、孤屋・芭蕉・岱水・利牛の四吟「空豆の巻」は、名残七・八句目を「今のまに雪の厚さを指-さし-てみる-孤屋」「年貢すんだとほめられにけり-芭蕉」とはこんでいる。「千どり啼一夜々々に寒うなり」「未進の高のはてぬ算用」の付合は、後の方を「年貢すんだとほめられにけり」と差替えてもそれなりの面白さになる。なるが、「梅が香の巻」はそれより3ヶ月前、主撰者を相手取った差-さし-の興行である。まかり間違っても俳諧師は、「年貢済んだ」などと世辞を言わなかった。「未進」と遣ったいましめの意味がよくわかるだろう。「空豆の巻」は、芭蕉が指導した三歌仙のうち、孤屋を正客-発句-とした終興行の趣向で、芭蕉の出立は5月11日である。

一方、4年冬、2年と7ヶ月ぶりに江戸に戻った俳諧師は、さっそく「栖去の弁」を書いている。

「ここかしこうかれありきて、橘町といふところに冬ごもりして睦月・きさらぎになりぬ。風雅もよしや是までにして、口をとぢむとすれば風情胸中をさそひて、物のちらめくや風雅の魔心なるべし。なほ放下して栖を去、腰にただ百銭をたくはへてしゅ杖一鉢に命を結ぶ。なし得たり、風情終-つひ-に菰をかぶらんとは」-元禄5年2月-。

そういう男が越後屋手代の算盤を借りて、胸中はてしない己の表白の思を指頭にはじけば、そこにも亦「未進」の持つもう一つの貌が現れてくる。蓋し、一巻中白眉の付である、と。


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千どり啼一夜々々に寒うなり

2008-08-27 23:27:40 | 文化・芸術
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-四方のたより- 装いも新たに、Dance Cafe

ひさしぶりにDance Caféをしよう。

丸2年のあいだ拠点としてきたFestival GateのCOCOROOMが強制的移転の憂き目に遭って、そのまま休眠してきたDance Caféを新しい場所でようやく再開することになった。

地の利はとても良いとはいえなのだけれど、嘗て鉄工所の街として活況を呈していた九条界隈、私自身幼い頃からずっと育ってきた街でもあるが、この九条のとある一軒の鉄工所、外装は町工場の姿そのままに、内に入れば白木造りの社殿かと見紛うばかりの異空間がある。

その名は、Free Space MULASIA –自由空間ミューラシア-、
中心となるHallは真中四方に4本の太い丸木柱が立つ5間四方の広い室内、木の香匂う静かな佇まいは心落ち着く和の空間。

ひとまずはこの空間にて、再び立ち上げてみようと思い立った次第にて、
以下、Renai Produce としての、<四方館 Dance Café>のお知らせ。

このたびは、デカルコ・マリィ君にご足労を願い、Soundも従来からの杉谷昌彦君に加え、violaの大竹徹氏、民族楽器の田中康之氏、さらにvoiceの松波敦子さんも参加し、顔ぶれはにぎやかに、されど中身のほどは津々として蕩々と‥。

-Information-

四方館 Dance Café in Free Space MULASIA, Kujyo

「KASANE 2008 –襲 Vol.Ⅲ-」

   9/28. SUN start:PM5:00
     \1,000.- ONE Drink

匂ふより春は暮れゆく山吹の
   花こそ花のなかにつらけれ  定家

 春ならば、桜萌黄や山吹
 秋ならば、桔梗や女郎花
  襲-かさね-の色は森羅万象
   四季とりどりに匂い立つ

Dance:小嶺由貴/末永純子/岡林綾/ありさ
  に加えてGuest:デカルコ・マリィ

Sound:大竹徹-viola/杉谷昌彦-Sax/田中康之-percussion/松波敦子-voice

企画の詳細、会場map等については此方<Dance Café-Information>を参照されたし。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」-33

   魚を喰あくはまの雑水  

  千どり啼一夜々々に寒うなり  野坡

次男曰く、雑炊は、ふさわしい食べものとして今では冬の季語だが、江戸時代にはまだ有季に扱われていない。

野坡の付は時節を見込んで二句冬らしく人情を深めた作りで、遣句だが、友千鳥が鳴くのは近江だけではない、隅田川にも鳴くと思い出させて、帰心を誘うように打添うている。いうなれば、仕掛けた「東」の中身を覚らせる作りだ。

飽きが兆せば腰を上げたくなる。そこにつけいって、人恋しさを煽るさまに興じた句で、何ということのない「一夜々々に」重ねがうまく利く、と。


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