山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

波止場、狂人もゐる

2010-04-30 23:13:44 | 文化・芸術
Santouka081130023

-日々余話- 今月もまた‥

見てのごとく、今月も石川九楊の書史論ばかりが並ぶ。
「日本書史」は2001年9月刊、翌年の毎日出版文化賞。
彼はその序章の小論で「途中乗車し、途中下車した」日本の書史と、ユニーク且つ些かセンセーショナルな言い方をしている。
曰く「日本の書史は、中国を厚みと高さと広がりとする書史に楷行草の時代から途中乗車し、やがて日本は東アジア諸国ではいち早く近代化を達成することによって、また、書史からもいち早く途中下車したのである」と。

-今月の購入本-
石川九楊「日本書史」名古屋大学出版会

-図書館からの借本-
石川九楊編「書の宇宙 -19-変相の様式・流儀書道」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -20-近大への序曲・儒者.僧侶.俳人」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -21-さまざまな到達・清代諸家①」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -22-古代への憧憬・清代諸家②」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -23-一寸四方のひろがり・明清篆刻」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -24-書の近代の可能性・明治前後」二玄社

―山頭火の一句 行乞記再び -45-
陰暦元旦、春が近いといふよりも春が来たやうなお天気である。

今日も食べるに心配はなくて、かへつて飲める喜びがある、無関心を通り越して呆心気分でぶらぶら歩きまはる、9時すぎから3時まへまで-十返花さんは出勤-。

諏訪公園-図書館でたまたま九州新聞を読んで望郷の念に駆られたり、鳩を観て羨ましがつたり、悲しんだり、水筒-正確にいへば酒筒だ-に舌鼓をうったり‥-。

波止場-出船の音、波音、人声、老弱男女-。
浜ノ町-買ひたいものもないが、買ふ銭もない、ただ観てあるく-。
ノンキの底からサミシサが湧いてくる、いや滲み出てくる。
上から下までみんな借物だ、着物もトンビも下駄も、しかし利休帽は俊和尚のもの、眼鏡だけは私のもの。-略-

長崎の銀座、いちばん賑やかな場所はどこですか、どうゆきますか、と行人に訊ねたら、浜ノ町でしようね、ここから下つて上つてそして行きなさいと教へられた、石をしきつめた街を上つて下つて、そして下つて上つて、そしてまた上つて下つて、-そこに長崎情調がある、山につきあたっても、或は海べりへ出ても。-略-

灯火のうつくしさ、灯火の海-東洋では香港につぐ港の美景であるといはれてゐる-。

※表題句の外、句作なし

1004301
Photo/諏訪神社全景

1004302
Photo/諏訪公園は長崎公演とも呼ばれる

1004303
Photo/明治中頃の浜ノ町


1004304
Photo/長崎の夜景

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

すつかり剥げて布袋は笑ひつヾけてゐる

2010-04-29 19:10:03 | 文化・芸術
Dc090926124

-表象の森- 清代諸家-古代への憧憬-6
石川九楊編「書の宇宙-22」より

最後の書家-趙之謙

書の歴史をずっとながめていくと、明らかに、清代の書の中でも石如から書は一変し、その雰囲気を維持しつつ、趙之謙で書は終ったという感を深めないではいられない。「逆入平出」という書法をいわば自動的、機械的な装置に変えた時、書は終ったのである。少なくとも伝統的な意味での書の美質の歴史は終焉した。

金農や鄭燮の書は小刻みに微動し、その力をたえず、対象との関係によって不断に再生し、補っていかざるをえない筆蝕の微分-微粒子的律動-の上に成り立つ。この書法は、三折法、九折法を裏側に貼りつけており、それは、三折法-接触と抵抗と摩擦と抉別-との相剋として出現し、筆蝕の微分をやめれば、いつでも三折法が顔を出す。これに対して、逆入平出においては、この装置そのものが、不可避に筆蝕の微分をオートマティックに発生させる。したがって、そこに表われる微分筆蝕は行き過ぎた機械化であり、歴史的累乗としての三折法との相剋を欠いた筆法ゆえに、安定し、乱れが少なく、それゆえいつでも一定の画一的な結果をもたらすが、それはいわば小細工にすぎず、袋小路へと迷い込むことになる。

・趙之謙-Chyoshiken-「楷書五言聯」

2212tyohsiken01
/駭獣逸我右。/飢鷹興人前。

―山頭火の一句― 行乞記再び -44-
2月5日、晴、少しばかり寒くなつた。

朝酒をひつかけて出かける、今日は二人で山へ登らうといふのである、ノンキな事だ、ゼイタクな事だ、十返花君は水筒二つを-一つは酒、一つは茶-、私は握飯の包を提げてゐる、甑-コシキ-岩へ、そして帰途は敦之、朝雄の両君をも誘ひ合うて金比羅山を越えて浦上の天主堂を参観した、気障な言葉でいへば、まつたく恵まれた一日だつた、ありがたし、ありがたし。

昨日の記、今日の記は後から書く、とりあへず、今日の句として、-
  寒い雲がいそぐ -下山-

※他に句作なし、表題句は2月4日記載の句

1004291
Photo/長崎七高山の一、金比羅山から眺めた長崎港

1004293
Photo/原爆で廃墟と化した浦上天主堂

1004292
Photo/復興成った現在の浦上天主堂


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ

2010-04-28 19:11:19 | 文化・芸術
Dc09070793

-表象の森- 和訓=文字の成立
山城むつみ「文学のプログラム」-講談社文芸文庫-より-2

「和訓の発明とは、はつきりと一字で一語を表はす漢字が、形として視覚に訴へて来る著しい性質を、素早く捕へて、これに同じ意味合を表す日本語を連結する事だつた。これが為に漢字は、わが国に渡来して、文字としてのその本来の性格を変へて了つた。漢字の形は保存しながら、実質的には、日本文字と化したのである。この事は先づ、語の実質を成してゐる体言と用言の語幹との上に行はれ、やがて語の文法的構造の表記を、漢字の表音生の利用で補ふ、さういふ道を行く事になる。」 -小林秀雄「本居宣長」

ここには訓読について明晰かつ判明に書かれていることが三つある。
一つは、和訓の発明がいかに離れ業であったかについてである。文字というものを初めて経験した上代の日本人は、その「著しい性質を、素早く捕へて、これに同じ意味合を表す日本語を連結する」ことによって、外来の文字がもつ「著しい性質」を和らげ隠蔽した。それはいわば、外傷を被りながら同時にこれを消去する放れ業である。

二つめは、和訓の発明によって漢字はその「形は保存しながら、実質的には、日本文字と化した」と言うことである。和訓の発明は漢字漢文の読み方である以前に、それ自体が「日本文字」の発明であった。訓読は読むための考案ではなく、書くための考案だったのである。

三つめは、漢字の形をそのまま保存しながら実質的にはこれを「日本文字」に転ずるという放れ業において訓読というプログラムがいかに作動していたか、またそのプログラムがいかに和「文」のシステムを形成していったか、その経緯についてである。小林によれば、放れ業は、まず体言と用言の語幹と上に行われ、やがて語の文法的構造の表記を、漢字の表音性の利用で補うという経緯をたどって、今日、書き下し文として知られるものに似た原型的な和「文」を形成していったのである。

―山頭火の一句― 行乞記再び -43-
2月4日、曇、雨、長崎見物、今夜も十返花居で。‥

夜は句会、敦之、朝雄二氏来会、ほんたうに親しみのある句会だつた、散会は12時近くなり、それからまだ話したり書いたりして、ぐつすり眠つた、よい一日よい一夜だつた。

友へのたよりに、-長崎よいとこ、まことによいところであります、ことにおなじ道をゆくもののありがたさ、あたたかい友に案内されて、長崎のよいところばかりを味はせていただいております、今日は唐寺を巡拝して、そしてまた天主堂に礼拝しました、あすは山へ海へ、等々、私には過ぎたモテナシであります、プルプロを越えた生活とでもいひませうか。-

※表題句の外、5句を記す

1004283
Photo/唐寺の多い長崎、四大唐寺と称されるなかの最古の興福寺

1004281
Photo/大浦天主堂

1004282
Photo/ステンドグラスに映える天主堂内部


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

けふもあたたかい長崎の水

2010-04-27 14:04:26 | 文化・芸術
Santouka081130018

-表象の森- 日本語の構造
・山城むつみ「文学のプログラム」-講談社文芸文庫-より-1

「本当に語る人間のためには、<音読み>は<訓読み>を注釈するのに十分です。お互いを結びつけているベンチは、それらが焼きたてのゴーフルのように新鮮なまま出てくるところをみると、実はそれらが作り上げている人びとの仕合わせなのです。
 どこの国にしても、それが方言ででもなければ、自分の国語のなかで支那語を話すなどという幸運はもちませんし、なによりも-もっと強調すべき点ですが-、それが断え間なく思考から、つまり無意識から言葉-パロール-への距離を蝕知可能にするほど未知の国語から文字を借用したなどということはないのです。」 -J.ラカン「エクリ」

<音読み>が<訓読み>を注釈するのに十分であるというのはどういうことか。
「よむ」という言葉が話されるとき、読や詠、あるいは数・節・誦・訓という漢字を適宜、注釈しているということである。この注釈のため「読む」と「詠む」は、読という字と詠という字が異なるのと同じくらい異なる二つの言葉として了解される。日本語においては、文字-音読み-が話し言葉-訓読み-の直下で機能しこれを注釈しているのである。もちろん、話し手はそれを意識していない。その意味で、この注釈の機能は無意識のうちに成されていると言ってよい。

次に、「どこの国にしても、‥」以下の一文から読取らねばならないのは、すなわち、日本語が中国語という未知の国語から文字を借用し、日本語固有の音声と外来の文字とを圧着したということは、<音読みによる訓読みの注釈>を可能にしているのみならず、「無意識から言葉-パロール-への距離を蝕知可能に」もしているということである。外国から文字を借用したからこそ、日本語は音声言語の直下において文字言語を注釈的に機能させうるのだが、この機能により日本語においては無意識から話し言葉への距離が蝕知可能となるのである。

ここでラカンは、あえていえば、<日本語の構造そのものが、すでに精神分析的なのだ>と言っているにひとしいのだ。


―山頭火の一句― 行乞記再び -42-
2月3日、勿体ないお天気、歩けば汗ばむほどのあたたかさ。

だいぶ気分が軽くなつて行乞しながら諫早へ3里、また行乞、何だか嫌になつて-声も出ないし、足も痛いので-汽車で電車で十返花さんのところまで飛んで来た、来てよかつた、心からの歓待にのびのびとした。

よく飲んでよく話した、留置の郵便物はうれしかつた、殊に俊和尚の贈物はありがたかつた-利休帽、褌、財布、どれも俊和尚の温情そのものだつた-。

長崎はよい、おちついた色彩がある、汽笛の響にまでも古典的な、同時に近代的なものがひそんでいるやうに感じる。

このあたり-大浦といふところにも長崎的特性が漂うてゐる、眺望に於て、家並に於て、-石段にも、駄菓子屋にも。

思案橋といふのはおもしろい、実は電車の札で見たのだが、例の丸山に近い場所にあるさうだ、思切橋といふのもあつたが道路改修で埋没したさうだ。

飲みすぎたのか、話しすぎたのか、何や彼やらか、3時がうつても寝られない、あはれむべきかな、白髪のセンチメンタリスト!

※表題句の外、1句を記す

1004271
Photo/現在の長崎市

1004272
Photo/今は欄干のみを残す思案橋

1004273
Photo/思切橋跡の碑


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

寒空の鶏をたゝかはせてゐる

2010-04-26 23:55:59 | 文化・芸術
Db07050910111

※表題句は、2月1日記載の句

-世間虚仮- アメリカの貧困化

堤未果の「貧困大国アメリカⅡ」-岩波新書-を読む。

米国の構造的な貧困化問題を現場から丁寧に取材したルポではあろう。
全体を4章に分かつ。1にビジネス化した学資ローン問題、2は崩壊する年金等社会保障制度、3は医療保険問題と巨大化する医産複合体の実情、4に労働市場化していく民間刑務所の実態。

1と4が明快でストレートに分かり易いのは、構造的にあまり輻湊しないからだ。2と3は、問題の具体性はあるが、構造的問題を射程深く捉えきるには、紙数不足だろう。

1004265


-表象の森- 清代諸家-古代への憧憬-5
石川九楊編「書の宇宙-22」より

・楊峴-Yohken-1819-1896

「隷書七言聯」
楊峴の書を象徴する隷書体。力のこもった伸びやかな傑作。
小刻みに震える無限微動筆蝕によって、字画が一次元的な線ではなく二次元的な面に広がり、また三次元的に奥行をもって立体的に広がり、さらにはうねりをもって紙-対象-に堀りこむようなリアルな速度を髣髴させる。<且>の最終横画、<就>の最終画、<同>の第一画、<盡>の最終画、<我>の旁部の右ハライと左ハライ、<此>の最終画など、長く長く伸びるのが楊峴のスタイルである。<同>の潤-滲み-に対する<游>の渇-かすれ-の対比も鮮明化している。

2210youken01
/且就同游盡佳客。
/我知此公無棄材。

・虚谷-Kyokoku-1821-1896

「行書五言聯」
この隷書風の書では、一つの字画を往復運動で切り削るようなリズム法が仮構されている。
<石>の第一画を逆筆で起筆し、いっきに送筆・収筆まで掻き削り、それだけに終らず、隷書の波磔や右ハライのように、いったん左に戻り、ややベクトルを変えて再度ひきはらう。いわば往復書法とでもいうべきものだが、このリズム書法は、日本の戦後の書家青山杉雨らの書に継承された。

2211kyokoku01
/奇石貴一品。/好華香四時。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-