山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

さかづきに春の涙をそそぎける‥‥

2007-04-26 17:31:31 | 文化・芸術
061227_051


Information<連句的宇宙by四方館>


Information<うしろすがたの-山頭火>

-世間虚仮- 選挙の収支報告

選挙の収支報告をひとまず終えてほっと一息である。
選挙運動における収支報告書は、投票日から15日以内に当該の選挙管理委員会に提出しなければならないと公職選挙法で定められているが、この出納責任者に課された収支報告は、政治資金規正法の定める政治団体におけるそれとは厳密さの点において天地ほどの隔たりがあり大きく異なっている。
その最たるものが、支出における領収書(写しでよい)の添付義務。
政治団体は5万円以上の支出に限り添付義務となるが、人件費を除く経常経費支出-事務所費や水道光熱費、備品消耗品費など-に至っては、その内訳や領収書添付さえ免れているから、昨今国会を賑わす松岡農相問題に象徴されるズサンで野放図きわまりない収支報告のオンパレードと相成り、カネの流れは藪の中、政治家達の一挙手一投足を黒幕の向こうに隠してしまう。
選挙における収支報告は、いっさいの支出の内訳と領収書の添付が課されている。かりに領収書が徴し難かった場合には、個々それらの理由を記載することも課されている。
寄附などの収入においては、1万円を超えるものはすべてその詳細を明らかにしなければならない。年に一度の政治団体の場合は、これまた5万円以上とされ、多くの寄付行為が闇の中に隠されることとなる。
それにしても、一切の支出を領収書を添付した上、その内訳を支出先の氏名(社名)及び住所とともに記載せよとは、作業としてはなかなか厄介なもので、おまけにその書式が会社や個人商店の帳簿方式なら、いまどき会計ソフトで伝票入力さえすれば、複式簿記の帳簿一切ができあがるが、こちらは旧態依然たる書式を踏襲しているため、いちいち詳細を手書きで記帳していかなければならない。ボールペンを運ばせる手指の硬直に一息入れるたび、これほど馬鹿げたこともあるまいにと溜息も出る仕儀となる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-69>
 あだにやは麓の庵にながむべき花より出づる峯の月影  源通光

新続古今集、春下、千五百番歌合に。
邦雄曰く、歌合せの春三で番は隆信の柳の歌であり、俊成の判は通光の勝。健久の政変の奸雄通親の息、新古今選者道具の弟で、この歌合せ当時弱冠15歳、出場者中最年少。新古今入集14首は抜群の才による。第四句の「花より出づる」水際だった修辞で、13世紀初頭の最新の技巧だ。その早熟の詞華は兄を遙かに越え、宮内卿の兄弟版を連想させる、と。


 さかづきに春の涙をそそぎける昔に似たる旅のまとゐに  式子内親王

萱齋院御集、前小斎院御百首(百首歌第一)、雑。
邦雄曰く、旅の宿での団欒に、そのかみの日の、同じような旅を思い出て、交わす盃に落涙するという。春愁の主題を羈旅に即して、侘しくかつ華やかな独特の調べを創った。「春の涙」とは、当時、大胆新奇な歌言葉であったはず。深窓の貴婦人の孤独な詠唱とはいえ、御集にははっとするような鮮麗、奔放な幻像と修辞が鏤められている。勅撰集には未載、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

夢ならで夢なることを歎きつつ‥‥

2007-04-24 12:30:13 | 文化・芸術
07050910c

-四方のたより- 連句的宇宙への誘い

一昨日の日曜の稽古には、二週間ぶりにピアノの杉谷昌彦氏、コントラバスの森定道広氏も揃った。
衣装の法月紀江、照明の新田三郎、写真の横山浩一とスタッフも揃い踏み。
そこで通し稽古に入る前、演奏について、些か想うところあって構成のあり方に注文を出したところ、侃々諤々というほどでないにしても、予期せぬディスカッションとなってしまった。
ともに即興とはいえ、情緒的な乗物を媒介にしつつその空間に棲まいつづけ、一時間あまりの長丁場をものともせず、ひたすら在りつづける独舞をもっぱらとする舞踏とは異なって、視覚を頼りに造形表象しようとする舞踊にとっては、自ずと生まれ出てくる表象の重ねを見通しうるパースペクティブの把持は、それほど長くはない。
ましてや、踊り手3人で絶え間なく共時的に生まれ出てくる表象の世界を、その瞬間々々を各人が各様に感受しているとしても、全体を見通すパースペクティブを把捉しつつ即興していくことの困難さは望外のものだろう。
前回の稽古で初顔合せともなったコントラバスとピアノの掛け合いは、休憩を挟んで30分ずつの2部構成とするより、一気に1時間余を音の氾濫としていくほうが、音世界としてはぐんと面白くなりそうだということが判ったのだが、やんぬるかな踊りのほうはそうはいかないのだ。
その決定的なといわぬまでも遠い隔たりを前に、さしあたり如何に決着するかは大きな問題だった。それゆえの問いかけだったのだが、議論は右に左に揺れつつ、1時間あまりを費やしてしまった。
決して貴重な時間を空費したわけではない。収穫はあった。
その収穫を、今度の会ではかなりの程度あきらかにできるだろう。


5月9日(wed)と10日(thu)、DanceBoxに登場する
SHIHOHKAN IMPROVISATION STAGEは「連句的宇宙」と名づけた。
踊りは、当初の構想どおり、
KASANE-襲-
NOIR, NOIR, NOIR-黒の詩-
と題された2部構成となる。
詳しくは-コチラ-または-コチラ-をご覧頂きたい。


もう一つ、私のひとり芝居「うしろすがたの――山頭火」が
神戸学院大学が毎年初夏に一般公開としておくるグリーンフェスティバルに招聘をを受けた。
こちらは6月9日の土曜の午後3時から。
会場は、足の便が悪いが、学院内のメモリアルホール(9号館)。
詳しくは-コチラ-または-コチラ-をご覧願いたい。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-68>
 花も木もみどり霞む庭の面にむらむら白き有明の月  三条西實隆

雪玉集、一、春、春暁月。
邦雄曰く、常盤木の群の中にひそむ桜樹を春月が照らす。「みどりに霞む」「むらむら白き」の、秀句表現をわがものとして、夢幻的な光景を創造した。「残る夜の月は霞の袖ながらほころびそむる鳥の声かな」も同題、こちらは聴覚に訴えた。宗祇から古今伝授を受けた16世紀初頭有数の文人、能筆で、源氏物語・六国史等の貴重な証本を残した、と。


 夢ならで夢なることを歎きつつ春のはかなきものおもふかな  藤原義孝

藤原義孝集、春、人のよめといひしに。
天暦8年(954)-天延2年(974)。藤原伊尹の子。右近衞少将、正五位下。疱瘡に罹り双生児の兄挙賢は朝に、義孝は夕に夭折。才貌優れ、出家の心厚かったと伝える。後拾遺集以下に12首。小倉百人一首に「君がため惜しからざりしいのちさへ長くもがなと思ひけるかな」
邦雄曰く、名筆行成の父であり、その華やかな才質は宮廷に隠れもなく、残された120首未満の家集は、秀歌絶唱に満ちている。夢に夢みるのがすなわち現世、その歎きはこの時代に繰り返し、すべての歌人に歌われているが、下句の「春のはかなきものおもふ」の、繊細な虚無の響きは、さすが義孝と思わせる。天延2(974)年、満二十歳を一期として急逝、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

夕月夜しほみちくらし難波江の‥‥

2007-04-21 23:56:56 | 文化・芸術
07042108

-世間虚仮- 初舞台

 今日は娘のKAORUKOにとって初体験のピアノの発表会。
これまで触れたことはなかったが、彼女は昨年の4月からピアノ教室に通いはじめていた。週1回、土曜の午後のことだが、土曜日の保育園はお弁当持参とあって、それが楽しみの彼女は決して保育園を休もうとはしない。
それゆえ午後3時過ぎから阿倍野の北畠にある教室へとレッスンに通うのは、幼な児には気力・体力ともにかなりきつかったはずである。ましてや、人見知りの強い子ゆえ、通いはじめた頃の彼女は案の定相当なこわばりを見せ、ずいぶん先生や若い助手さんの手を焼かせたものだったから、果たして続くものかどうか心配されたものである。
それが2ヶ月、3ヶ月と経て、どうにか教室の雰囲気にも慣れ、その心配も取り越し苦労となってほっとしたものだった。
先生の名は松井登思子、50歳前後と見られるから、ずいぶんベテランの先生だが、その教授法はなかなか異色と見えて、この松井音楽教室には幼稚園児から小中生、はては高校生や大人まで百数十名が通うという大所帯で、繁盛このうえない。
幼な児の通う土曜の午後など、ひきもきらず生徒がやってくる。先生直々のピアノレッスンはほんの15分ほどだが、器材を用いた指の訓練やリズム感の訓練、さらには筆記の教材までやらせる。まだ読み書きも覚束ない幼児にも、音符を読ませたり書かせもする。
そんなこんなで教室滞在は約1時間に及ぶ。宿題もかなりの量を課すから、わずかな時間でも毎夜母親が付き合ってやらなければ、遅れがちとなってしまう。
この教室ではピアノの演奏技術だけでなく、ピアノを通して音楽教育を総合的に取り組んでいくのが真骨頂とみえる。それを良しとしても、なにしろ此方は毎日朝から夕刻まで保育園に通う子どもなのだから、遅い夕食やら入浴を済ませてから、さて復習をといっても眠気をもよおす頃でいっかなはかどらない。
唯一休日のはずの日曜日は、我々親のほうの稽古だから、親子ともども稽古場へと出かけるのがきまりで、これまた一日仕事と相成るから、彼女にも一日とて休みがないこととなる。
わが家では親たちばかりではなく子どももまた、その煽りをくってかまことにオイソガ氏なのだ。
かように振り返ってみれば、この一年、彼女もまたよく頑張ってきたものである。


 人見知りの強ばりっ子で、頑張りやの彼女の、今日の晴れ舞台は、一応合格点だった。
出番前、緊張で、両の拳を固く握りしめていたという彼女だが、ともかくも先生に伴われて舞台へと登場した。
演奏前のお辞儀などとてもできないほど、顔も身体も頑なにしゃちほこばっているのが客席からも手に取るようにわかったが、それでもピアノの前に座れば、指の力も抜けていつもの曲を弾きはじめた。
演奏はあっという間に終わったが、彼女にしてみれば、1分が1時間にも匹敵するものだったろう。
会場の阿倍野区民センターへは、自転車2台を連ねての行き帰りだったのだが、汗ばむほどの陽気のなか、風を切りながら帝塚山の下り坂を走らせる母親の後ろで、ご機嫌の彼女は解放しきった笑顔をふりまいていた。



<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-67>
 夕月夜しほみちくらし難波江の蘆のわかばに越ゆる白波  藤原秀能

新古今集、春上、詩を作らせて歌に合せ侍りしに、水郷春望。
邦雄曰く、後鳥羽院最愛の北面の武士秀能21歳の晩夏6月、元久詩歌合作品。難波潟満潮時、黄昏時の月明り、囁き寄せる波、頸える蘆の若葉。銀と白と薄緑の映り合う絵のような大景。潔い二句切れ、悠々たる結句、さすが出色の作。「身のほどよりも丈ありて、さまでなき歌も殊の外にいで映えするやうにありき」と院に褒められたのもむべなるかな、と。


 花鳥のほかにも春のありがほに霞みてかかる山の端の月  順徳院

邦雄曰く、花鳥風月、雪月花、いずれの季節にも月は欠くべからざるもの。月なくてなんの春ぞの心を作者は擬人法で表現する。やや理の勝った、むしろ古今集的発想が、13世紀にはかえって新しげにも見える。第三句は当然好悪、是非の分かれるところだろうが、春月の歌としては忘れ難い。後鳥羽院に殊に愛された帝の、抜群の歌才の一面を伝える作品、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

鶯はいたくな鳴きそ移り香に‥‥

2007-04-19 20:08:43 | 文化・芸術
Dsc_00191

-世間虚仮- 民権ばあさんとはちきん娘

昨日、フランスの女性参政権について触れたが、これについて調べた際、明治の初期、時の政府に抗議の末、参政権を実現し、後に「民権ばあさん」と尊称された女性が居たことを知らされた。
楠瀬喜多、土佐高知の女性だ。
喜多は1878(明治11)年の区会議員選挙で、「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないというのはおかしい。 本来義務と権利は両立するのがものの道理、選挙権がないなら納税しない。」と県に抗議。
しかし、時の県令はこれを受け容れず、喜多は内務省に訴え出た。これは女性参政権運動における初めての実力行使といえるもので、全国紙大坂日報や東京日日新聞にも報道され注目を集めたらしい。
そして、1880(明治13)年、3ケ月にわたる上町町会の運動の末に県令が折れ、戸主に限定されてはいたが、日本で初めて女性参政権が認められるにいたった。その後、隣の小高坂村でも同様の事が実現したという。
この当時、世界で女性参政権を認められていた地域はアメリカのワイオミング準州や英領サウスオーストラリアやピトケアン諸島といったごく一部であったというから、この事件は女性参政権を実現したものとしては世界で数例目となる先駆的なものだ。
しかし4年後の1884(明治14年)、明治政府は「区町村会法」を改訂、規則制定権を区町村会から取り上げたため、町村会議員選挙から女性は排除されてしまう。時の政府は、地方に咲いた先駆的な女性の権利運動の芽をはやばやと摘み取った訳だ。
喜多は天保7(1836)年、米穀商の娘として生まれ、21歳で土佐藩剣道師範楠瀬実に嫁したという。夫は喜多38歳の時に死に、その後彼女が戸主となったらしい。当時の民権運動、立志社が開く公開政談演説会を熱心に傍聴するなど、自由民権思想を理解していったという。
老後の喜多の写真があるサイトで見られるが、凛として聡明そうな風情が横溢しているものだ。


偶々だが、先ほどの選挙で60歳の候補者となった谷口豊子もまた高知の出身、嘗ては土佐のはちきん娘であった。女ばかりの長女に生まれながら、高校を卆えて勤めていた県関連の交通会社を辞め、22歳の時、立志を抱いてか大阪へと出奔した。当時、某大学法科の通信教育を受けていたともいう。
このところ三週間あまりを文字通り身近に接してきて、還暦にしてなお問題意識の錬磨と上昇志向の弛まぬところ、いまだ磨かれざる原石としての良さを内包しているとも見えた。
坂本竜馬には姉・乙女の薫陶が大きかったとされるが、彼女もまた、乙女や喜多の血脈を享けているのかもしれない。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-66>
 鶯はいたくな鳴きそ移り香にめでてわが摘む花ならなくに  凡河内躬恆

躬恆集、上、内の御屏風の歌、花摘。
邦雄曰く、梅の花の移り香芳しい鶯、花ならぬ鳥、家づとに手折って帰る由もない。な鳴きそ鳴きそと歌ふ。花摘は年中行事の一つ。野山へ出て草木の花を愛で、籠に摘み取って楽しんだ。この歌は年中行事を描いた屏風絵の三月に合わせた。躬恆は屏風歌の詠進でも聞こえた名手、延喜の代の屈指の歌人で古今集撰者の一人、しばしば貫之と対比して論じられる、と。


 玉藻刈る方やいづくぞ霞立つ浅香の浦の春のあけぼの  冷泉為相

新千載集、春上、文保三年百首奉りける時、春の歌。
浅鹿の浦-摂津国の歌枕、大阪市住吉区浅香町と堺市浅香山町一帯。
邦雄曰く、玉藻・霞・浅鹿の浦に春の曙を重ねて、飽和状態を呈するまでに季節の美を強調する。父は為家、母は阿仏尼、定家の孫としての才質も併せ持ち、冷泉家の祖となった人。「玉藻」は56歳の作。家集、藤谷和歌集は300首余を収める。謡曲の「呉服-くれはとり」にも「住の江やのどけき浪の浅香潟」と唱われた美しい海岸であった。勅撰入集は65首、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

いかにせむ霞める空をあはれとも‥‥

2007-04-18 13:28:25 | 文化・芸術
0511290831

-表象の森- フランスの女性参政権

1789年の人権宣言をもって革命の先駆をなしたあのフランスにおいて、女性の参政権が認められたのは、第二次世界大戦の終結を目前にした1944年であったという、工藤庸子の「宗教vs.国家」書中の指摘には驚きを禁じ得ないと同時に、おのれの蒙昧を嘆かずにはいられない。
日本における女性参政権の施行が終戦直後の1945年なのだから、欧米の近代化に大きく立ち遅れた後進のわが国と同じ頃という、フランスにおけるこのアンバランスな立ち遅れはいったいなにに由来するのか。
女性参政権において、世界の先陣を切ったのはニュージーランドで1893年。1902年にはオーストラリア。‘06年のフィンランド、‘15年のデンマークやアイスランドが続き、‘17年のロシア革命におけるソビエトとなる。
‘18年にはカナダとドイツ、アメリカ合衆国は‘20年で、イギリスはさらに遅れて‘28年だが、
1789年の革命において国民主権を謳い、1848年の二月革命によって男子の普通選挙を実現するという世界の先駆けをなしたフランスが、女子においては諸国の後塵を拝するというこのギャップの背景には、一言でいえばどうやら圧倒的なカトリック教会の支配があったようである。フランス国内にくまなく根を張ったカトリック修道院の女子教育などに果たした歴史的かつ文化的役割は、われわれの想像の埒外にあるらしい。
1866年の調査によれば、フランスの総人口約3800万人のうち、3710万人がカトリックであると答えているという。プロテスタントは85万人、ユダヤ教徒は9万人にすぎない、というこの圧倒的なカトリック支配と、数次にわたる革命による共和制の進展が、どのような蜜月と闘争を描いてきたのか、その風景ははるかに複雑なもののようである。


先月の購入本について機会を失したままに過ぎたので、ここに併せて記しておく。
今月も先月も、世界史関連の書が多くなった。いまさら自身の知の偏重ぶりをそう容易くは修正できそうもないけれど、ゆるゆるとながら挑んでいきたいもの。
「文芸春秋4月号」は「小倉侍従日記」が特集されていたのに興をそそられて。昭和天皇の戦中におけるナマの発言のいくつかは衝撃に値する。半藤一利氏の行き届いた詳細な注がありがたい。


-今月の購入本-
F・ドルーシュ「ヨーロッパの歴史-欧州共通教科書-第2版」東京書籍
柴田三千雄「フランス史10講」岩波新書
坂井栄八郎「ドイツ史10講」岩波新書
若菜みどり「フィレンツェ」文春文庫
T.G.ゲオルギアーデス/木村敏・訳「音楽と言語」講談社学術文庫
「DAYS JAPAN -戦乱のイラク-2007/04」ディズジャパン
「ARTISTS JAPAN -10 喜多川歌麿」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -11 伊東深水」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -12 佐伯祐三」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -13 狩野永徳」デアゴスティーニ


-3月の購入本-
「文芸春秋 4月号/2007年」文芸春秋
木下康彦他編「詳説世界史研究」山川出版社
Th.W.アドルノ「不協和音」平凡社ライブラリー
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟-3-」亀山郁夫訳/光文社文庫
J.ジョイス「フイネガンズ・ウェイク -1-」柳瀬尚紀訳/河出書房新社
見田宗介「宮沢賢治 -存在の祭りの中へ」岩波現代文庫
工藤庸子「宗教vs.国家」講談社現代新書
「DAYS JAPAN -老い-2007/02」広河隆一編/ディズジャパン
「DAYS JAPAN -世界がもし100人の村だったら-2007/03」ディズジャパン
「ARTISTS JAPAN -6 上村松園」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -7 雪舟」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -8 竹久夢二」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -9 棟方志功」デアゴスティーニ


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-65> 
いかにせむ霞める空をあはれとも言はばなべての春の曙  宗尊親王

柳葉和歌集、弘長三年六月、当座百首歌、春。
邦雄曰く、含みのある初句切れと句またがりの三・四句、工夫を凝らした珍しい春曙で、詩歌の鬼才の面影はこれ一首にもうかがへる。しばしば実朝に擬せられるが、文永11(1274)年、32歳の夭折も、また相通じ、「なべて春の曙」にこめた悲しみは心を搏つ。だが世に言われるような万葉振りなど認められず、むしろこれは新古今調の蘇りと言いたい、と。


 かげろふのほのめきつれば夕暮の夢かとのみぞ身をたどりつる  よみびと知らず

後撰集、恋四、女につかはしける。
邦雄曰く、蜻蛉のように、陽炎のように、仄かに見た一目の恋の歌は、すべての詞華集の後半に鏤められる。よみびと知らずゆえに、この「夕暮の夢」はなほあはれである。続く返歌は「ほの見ても目馴れにけりと聞くからに臥し返りこそしなまほしけれ」。たけなわの春の白昼夢めいた調べは、二つの蜻蛉が縺れて空に漂っている趣あり。蜻蛉は「蜉蝣目」の総称、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。