山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

物乞ふとシクラメンのうつくしいこと

2010-06-30 23:51:18 | 文化・芸術
080209285

―表象の森― いまさらこの年齢で‥
今年上半期は石川九楊の書史論に明け暮れた感だが、
このところは、PCトラブルも影響しているが、それよりも近年にない不快きわまる蒸し暑さがきわだつ梅雨空の下で、根と集中力の要る本格派読書はぐんと低調、iPad相手に「青空文庫」の諸本を-こちらは一編々々ごく短いという所為もあるのだが-、気楽に読むなど、のんびりと取り組めるものにならざるをえない。

そんなのんびりペースのなかで軸に据えてみたいと思っているのが「数学ガール」シリーズ、いまさらこの年齢で、半世紀も前に眠りこけてしまったままの「数学センス」がいささかなりとも目覚めてくれれば、と半ば期待しつつ、そんなのもう無理にきまってるさ、と半ば諦めつ、ぼちぼち繙いてゆこうか、と。

―今月の購入本―
・結城浩「数学ガール」ソフトバンク・クリエイティブ
’02年から著者のWebで綴られてきた「数学ガール」が、若い読者らの評判と熱い支持で出版されたのが’07年、以後、’08「数学ガール-フエルマーの最終定理」、’09「々-ゲーデルの不完全性定理」と続刊され、初巻の「数学ガール」はすでに初版15刷となるベストセラー。近くは電子書籍化もされ話題になっている。ネタの多くは「コンピユータの数学」-R.L.グレアム、O.パタシュニク、D.E.クヌース-に依っているとされるが、ともあれコンピュータ科学の世界で必要とされる数学的センスが身につくこと請合いと好評。

・保阪正康「昭和史の深層」平凡社新書
「昭和史を語り継ぐ会」を主宰するという著者は、その収集した膨大な資料・記録を「昭和史講座」に集約しようと壮大な計画を試みている。本書は副題に「15の争点から読み解く」とあるように、太平洋戦争、東京裁判、南京事件、慰安婦問題、強制連行、沖縄戦、昭和天皇etc.‥各章表題を掲げ、客観的に史実を整理しつつ問題の本質を絞り込んでいく。

・前田耕作「玄奘三蔵、シルクロードを行く」岩波新書
仏法を求めてシルクロードを踏破、遥かにインドまで旅をした玄奘三蔵、それは文字通り命がけの冒険であった。じじつ彼以来、誰一人として同じ道を通ったことはなく、部分的なルートでさえ未だに踏査されていない箇所がいくつも残されているという。本書は、文化史の立場からも検討が行われ、玄奘の残した「大唐西域記」は、もはや単なる古代の旅行記にとどまらず、その正確無比な記述は考古学の手がかりになり、また人類学の貴重な記録としても精彩を放つ。

―図書館からの借本―
別冊太陽「宮本常一-『忘れられた日本人』を訪ねて」
  々 「土門拳-鬼が撮った日本」
  々 「長谷川等伯-桃山画壇の変革者」

―山頭火の一句― 行乞記再び -88
3月29日、からりと晴れてゐる、まだ腹具合はよくないが、いよいよ出立した、停滞する勿れ、行程3里、相ノ浦、川添屋

恋塚といふ姓、夫婦株式会社といふ看板、町内規約に依り押売・物貰・寄附一切御断りといふ赤札。
今晩は飲みすぎた、地球が急速度で回転した、私自身も急速度で回転した、一切が笑つた、踊つた、歌つた、そして生滅してしまつた!-此貨幣換算価値55銭-
酔ひざめの夢を見た、息づまるほど悲しい夢だつた、ああ生れたものは死ぬる、形あるものはくづれる、逢へば別れなければならない、-しかし、ああ、しかしそれは悲しいことである。

※句作は表題句のみ

佐世保市内には旧石器終末期頃の洞窟遺跡が計25箇所あるという。松浦西九州線を佐世保駅から5km余り北へ行くと泉専福寺駅があり、その駅近くには12000~3000年前といわれる世界最古級の豆粒文-とうりゅうもん-土器が出土した泉福寺洞窟がある。

06301
Photo/泉福寺洞窟と、復元された豆粒文土器

06302

佐世保市相浦町は、その泉専福寺駅から西へ8kmほど歩いたあたりの港町。

06303
Photo/相浦の港


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

寒い夜の御灯またゝく

2010-06-26 23:58:22 | 文化・芸術
0509rehea0034

―日々余話― いつものように、いつもの宴が‥

例年の決まりごとになったかのように、市岡OB美術展打上の懇親会、一年ぶりの酒宴は、いつもの場所でいつものように、懐かしくもありまた馴れあいからくる些か気重さの匂いも残すといった感がある。
喜寿を迎えた梶野さん-旧師-の記念講義(?)は、レジメも配られるほどにずいぶんと心の準備はあったろうに、やはりいざとなるとお馴染みのカジノ流に終始する。ならばもう少し時間を短くして、焦点の定まった一滴を示して欲しかったが‥。
この十年余、外観はなにごとも変わった様子をみせてはいないが、ただ年経りきたったばかりではない内からの変容が感じられてならないのは、私だけではないだろう。

梅雨だから、あたりまえだといえばそうなのだろうけれど、それにしてもよく降りつづく‥、この鬱陶しさは、ちょっと堪らないものがある。

―山頭火の一句― 行乞記再び -87
3月28日、曇后晴、病痾やや怠る、宿は同前、滞在。

午近くまで寝てゐたが、行乞坊主が行乞しないのは一種の堕落だと考へて、3時間ばかり市街行乞、今日一日の生存費だけ頂戴した、勿体ないことである、壮健な男一匹が朝から晩まで働き通して80銭くらいしか与へられないではないか-日雇人足-、私は仏陀の慈蔭、衆生の恩恵に感謝せずにはゐられないのである-これを具体的にいへば袈裟のおかげである-。-略-

行乞中、いただかなければならない1銭をいただかなかった、そしていただいてはならない50銭をいただかなかつた-行乞相はよかつたのである、与へられるだけ、与へられるままに受けるべき行乞でなければならない、行乞はほんたうにむづかしいと思ふ。

ここには滞在しすぎた、シケたためでもある、病んだためでもある、しかしだらしなかつたためでもある、明朝は是非出立しよう。

夜に入つてからまた雨となつた、風さへ加はつた、雨は悪くないけれど、風には困る。雨は心身を内に籠らせる、風は心身を外に向はしめる、風は法衣を吹きまくるやうに、私自身をも吹きまくる、旅人に風はあまりに淋しい。-略-

※句作なし、表題句は3月20日記載の句

佐世保市の中心街を国道35号線に並行して伸びる全長960mのアーケード街は、戦前から本通り沿に発展した三ヶ町商店街と四ヶ町商店街を接続一体化したもので、1997-H9-年には中間点の佐世保玉屋を含め「さるくシティ4○3」と総称するようになった。「さるく」とは地元の方言で<歩き回る><散歩する>の意味、「4○」3の4と3はそれぞれ四ヶ町と三ヶ町を、○は玉屋を表わす、という。

06261
Photo/さるくシティ4○3のアーケード街


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

よろこびの旗をふる背なの児もふる

2010-06-24 23:56:04 | 文化・芸術
Santouka081130044

―日々余話― iPadの青空文庫
iPadで読む青空文庫、そのアプリ「i文庫HD」600円也をdownloadしてみる。成程これはスグレモノだと思う。
すでに著作権が消滅した明治から昭和初期の文芸作品が大部分を占めるが、現在、収録作品は9000に余るという。そのすべてをダウロードしたとしても130MBほどにすぎないというから、動画などに比べればわずかなものだ。
それらを現に本のページをめくるように読めるこのすぐれたデザイン環境で享受できるとなれば、話題にもなろうというものだ。
早速、山頭火の著作をすべてdownloadしてみた。

06230

「砕けた瓦」-或る男の手帳から-

 私は此頃自ら省みて「私は砕けた瓦だ」としみじみ感ぜざるをえないようになった。私は瓦であった、脆い瓦であつた、自分から転げ落ちて砕けてしまう河原であったのだ。
 玉砕ということがあるが、私は瓦砕だ。それも他から砕かれたのではなくて、自から砕いてしまったのだ。見よ、砕けて散った破片が白日に曝されてべそを掻いている。
 既に砕けた瓦は粉々に砕かれなければならない。木端微塵砕け尽されなければならない。砕けた瓦が更に堅い瓦となるためには、一切の色彩を剥がれ、有らゆる外殻を破って、以前の粘土に帰らなければならない。そして他の新しい粘土が加えられなければならない。

 家庭は牢獄だ、とは思わないが、家庭は沙漠である、と思わざるをえない。
 親は子の心を理解しない、子は親の心を理解しない。夫は妻を、妻は夫を理解しない。兄は弟を、弟は兄を、そして姉は妹を、妹は姉を理解しない。―理解していない親と子と夫と妻と兄弟と姉妹とが、同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下に睡っているのだ。
 彼等は理解しようと努めずして、理解することを恐れている。理解は多くの場合に於て、融合を生まずして離反を生むからだ。反き離れんとする心を骨肉によって結んだ集団! そこには邪推と不安と寂寥とがあるばかりだ。

Evreryman sings his own song and follows lonely path.-お前はお前の歌をうとうてお前の道を歩め、私は私の歌をうとうて私の道を歩むばかりだ。驢馬は驢馬の足を曳きずって、驢馬の鳴声を鳴くより外はない。
私達は別れなければならなくなったことを悲しむ前に、理解なくして結んでいるよりも、理解して離れることの幸福を考えなければならない。

 男には涙なき悲哀がある、女には悲哀なき涙がある。
 自殺は一の悲しき遊技である。
 溢れて成った物は尊い、絞って作った物は愛せざるをえない、偽って拵えた物は捨ててしまえ。
 人生はミラクル-奇蹟-ではない、ローカス-軌跡-である。
 真実は慈悲深くあり同時に残忍である。神に真実があるように悪魔にも亦真実がある。
 苦痛は人生を具象化する。

 酔わないうちに胃が酒で一杯になった、ということは悲しい事実である。

-荻原井泉水主宰の「層雲」-大正3年9月号-に所収された山頭火の短編寄稿文の抜粋である。
山頭火年譜によれば、大正3年といえば数えの33歳、若旦那として家業の種田酒造場の経営に携わりつつ、前年の初めより井泉水に師事して「層雲」に投句しはじめ、俳号に山頭火を用いるようになっていた。また彼の住んでいた防府で俳句・短歌の同人椋鳥会を主宰もしていた。


―山頭火の一句―
行乞記再び -86
3月27日、曇、終日臥床。

とうとう寝ついてしまつたのだ、実は一昨夜つい飲んだ焼酎が悪かつたらしい、そして昨日は食べた豆腐があたつたらしい、夜中腹痛で苦しみつづけた、今日は反省と精進とを齋らす。

旅で一人で病むのは罰と思ふ外ない。
病めば必ず死を考える、かういふ風にしてかういふ所で死んでは困ると思ふ、自他共に迷惑するばかりだから。
死! 冷たいものがスーツと身体を貫いた、寂しいやうな、恐ろしいやうな、何ともいへない冷たいものだ。

今日はさすがの私も飲まなかつた-飲んだのはアルコールでなくて水ばかりだつた-、飲みたくもなく、また飲めもしなかつた。早く嬉野温泉に落ちつきたい、そして最少限度の要求に於て、最少範囲の情実に於て余生を送りたい

※表題句のみ記載、旗行列と註記あり

06240
Photo/佐世保駅のすぐ近くに聳え立つカトリック三浦町教会
三浦町教会の前身は現市役所に近い谷郷町に明治30-1897-年に建てられた。その後、昭和6-1931-年には現在地へと建替えられることになり、同年10月竣工したというから、この真新しい荘厳たる偉容に接して山頭火はなにを思ったか‥。


06241

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

をとことをんなとその影も踊る

2010-06-21 23:53:20 | 文化・芸術
Dc09092655

―山頭火の一句― 行乞記再び -85
3月26日、晴、いよいよ正真正銘の春だ、宿は同前。

いやいやながら午前中行乞-そのくせ行乞相はよろしいのだが-、そし留置郵便をうけとる、緑平老からのたよりはしんじつ春のおとづれだつた、うれしくてかなしうなつた。
一風呂浴びて、一杯ひつかけて、そして一服やるのは何ともいへない、まさに現世極楽だ、極楽は東西南北、湯坪にあり、酒樽にあり、煙管にありだ!

空に飛行機、海に船、街は旗と人とでいっぱいだ。
午後は風が出てまた孤独の旅人をさびしがらせた。
季節は歩くによろしく乞ふにものうい頃となつた。
行乞流転に始終なく前後なし、ちぢめれば一歩となり、のばせば八万四千歩となる、万里一条鉄。
方々へハガキをとばせる、とんでゆけ、そしてとんでこい、そのカヘシが、なつかしい友の言葉が、温情かよ。

-略- 夕食後、佐世保会館を訊ねて行く、-略-、会館は堂々たる建物だつた、ホールも気持がよかつた、支那事変傷痍軍人後援会主催、全国同盟新聞社、森永製菓株式会社後援、映画と講演の夕といふのである、ざつくばらんにいへば、後援と商売とを一挙両得しようといふ愛国運動である、I大佐の講演では少しばかり教へられた、軍事映画では大に考へさせられた、「日本人が一番日本人を知らない」といふ言葉は穿つていると思つた。

※この日句作なし、表題句は3月24日付記載

佐世保の街は、明治になってからの海軍の軍港として建設が始まった当時は、人口1000人余りの寒村にすぎなかった。明治22-1889-年の鎮守府設置以後、急速に海軍施設と街の整備が進められ、同35-1902-年には村から一足飛びに市制を施行したほどに、九州でも五指に入る大都市に発展し、大正9-1920-年には九州初の百貨店となる「デパート田中丸呉服店-現在の佐世保玉屋-」が栄町に鉄筋4階建で開業するほどに繁栄していった。
この年-昭和7年-の5月25日、日本人初の国際的オペラ歌手として活躍していた三浦環の「蝶々夫人」公演が佐世保会館で昼夜2回行われており、この折の木戸銭は1円50銭という高額なものだったという。
3年後の昭和10-1926-年3月16日、この佐世保会館において火災事件が起こつている。この日映画鑑賞会が開かれていたのだが、フイルム引火による火災発生で、観客だった小学生40名余りが死傷したというもの。

06210
Photo/夜の佐世保川と灯籠流し

06212
Photo/佐世保川と佐世保公園


06211

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

ヒヨコ孵るより売られてしまつた

2010-06-20 23:37:27 | 文化・芸術
Dc09070744

―表象の森― 市岡高校OB美術展はじまる

恒例の、とはいえ、会場の都合からか、昨年の5月から、今年は6月へとひと月ずれ込んで、2010市岡高校OB美術展は今日から一週間、例年のように西天満の現代画廊ではじまった。
今年の作品の寄り具合は、また出来具合はどんなものか、まだ私はなにも観ていないし、知らないのだから語るすべもないのだが、最終日の26日、土曜の午後には、これまた恒例の、関係者一同に会しての懇親会もあることだから、その折りまで鑑賞の愉しみはとっておこう。

Ichiokaob100620

―山頭火の一句― 行乞記再び -84
3月25日、晴、夜来の雨はどこへやら、いや道路のぬかるみへ!

今日も行乞しなければならない、食べなければならないから、飲まなければならないから、死なないから。‥
同宿の活弁の失業人と話し込んでゐるうちにもう11時近くになつてしまつた、急いで支度をして出かける、行乞相はよかつた、所得もよかつた、3時過ぎ戻つた。
例の塩風呂に浸つてから例の酒店で一杯やる、この店は安い、一合でも二合でも喜んで燗をしてくれる、-略-

九州西国27番清岩寺へ拝登した、なかなかよいところである、堂宇をもつと荘厳したらよからうと口惜しかつた。

夜は万歳大会を観た、どうも此頃どうかしたのかも知れない、見物気分がいやに濃厚になつてゐる、が、とにかく愉快だつた、人間は何も考へないで馬鹿笑ひする必要がある、時々はね。

※表題句のみ記す

佐世保市内の街中にある九州西国27番札所の福石山清岩寺は俗に福石観音と称される。JR九州の佐世保線に沿った市街地の一角だというのに、小高くなった岩山に幅50m/奥行き7m/高さ3mほどもの海食洞の岩室があり、この中の十一面観世音を本尊としているそうだ。

06201
Photo/福石観音こと清岩寺本殿

06202
Photo/海食洞の岩室に並ぶ五百羅漢


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-