山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

雨の蛙のみんなとんでゐる

2011-08-31 23:43:30 | 文化・芸術
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―四方のたより― 大塔村星の国

後醍醐の皇子護良親王が拠った大塔宮にその名を由来する大塔村は、地図上ではすでに姿を消してしまっている。
旧大塔村は、隣接した吉野郡西吉野村とともに、’05年9月、五條市に合併編入されていたのだ。現在は五條市大塔町。
その大塔町にある星の国へ、二日つづきの晴天に満点の星空など子どもに鑑賞させてやれればと、昨夕、家族とともに車を走らせた。
ところが出かける頃から、夕空には雲がちらほらとと目立つようになってきた。午後7時にはまだ少し間のある頃、目的の地に着いたが、暮れかかった空は雲にさえぎられわずかにしか望めない。

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正面円形の建物は道の駅「吉野路大塔」、右の坂が星の国へのアプローチ。

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坂を登っていくと左右にいくつかのドーム付バンガローやログキャビンが配され、登りきった辺りに天文台、その奥手にロッジがある。

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天文台に入って望遠鏡を覗くも、まったく星は見えず、やむなくプラネタリウムへと移動、スクリーンでの星座鑑賞と相成ってしまった。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-234

8月31日、曇后晴。4時半起床、朝食7時、勤行8時、読書9時、散歩11時、それから、それから。‥‥
裸体で後仕舞いをしてゐたら、虫が胸にとまつた、何心なく手で押へたので、ちくりと螫された、蜂だつたのだ、さつそく、ここの主人にアンモニヤを塗つて貰つたけれど、少々痛い。
駅まで出かけて、汽車の時間表をうつしてくる、途上で野菜を買ふ、葱1束2銭也-この葱はよくなかつた-。
川棚から小郡へきた時、私の荷物は三個だつた、着物と書物とで岳行李が一つ、蒲団と机とで菰包みが一つ、外に何やら彼やらの手荷物一つである、ずいぶん簡単な身軽だと思つてゐたのに、樹明兄は、私としてはそれでも荷物が多過ぎるといふ、さういへばさうもいはれる。
ざーつと夕立がきた、すべてのものがよろこんでうごく、川棚では此夏一度も夕立がなかつたが。
午後、樹明さんが黒鯛持参で来訪-モチ、銘酒註文-、ゆつくり飲む、夕方、山口まで進出して周二居を驚かす、羨ましい家庭であつた、理解ある母堂に敬意を表しないではゐられなかつた。
そけから-、それからがいけなかつた、徹宵飲みつづけた、飲みすぎ飲みすぎだ、過ぎたるは及ばざるにしかず、といふ事は酒の場合に於て最も真理だ、もう酒には懲りた、こんな酒を飲んでは樹明さんにすまないばかりでなく世間に対しても申訳ない、無論、私自身に対し、仏陀に対しては頭を石にぶつけるほどの罪業だ。
我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身語意之所生、一切我今皆懺悔、
―ほんとうに、懺悔せよ。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―函館、トラビスチヌ修道院-’11.07.24


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稲妻する過去を清算しやうとする

2011-08-30 23:55:58 | 文化・芸術
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-表象の森― 今月の購入本

・B.エルンスト「エッシャーの宇宙」朝日新聞社
エツシヤー自身との共同作業で、その全作品の制作動機やアイデアなどの成長過程をまとめあげた労作。訳は坂根巌夫、初版’83年刊の第15刷版-‘90-の中古書

・ヘーゲル「歴史哲学講義 上」/「 々 下」岩波文庫
長谷川宏という訳者を得て、新しい読者層をひろげたヘーゲルの世界史講義。

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・G.ブルーノ「無限、宇宙および諸世界について」岩波文庫
地動説や宇宙の無限を唱え、異端者として焚刑に処された修道士ブルーノの、長らく禁書とされてきた書。

・長谷川宏「いまこそ読みたい哲学の名著」光文社文庫
アラン・シエークスピアにはじまりウイトゲンシユタイン・M.ポンテイまで、12著作を採り上げた鑑賞ガイダンス。

・竹下節子「聖者の宇宙」中公文庫
驚いたことに巻末には50頁に及ぶ詳細な聖者カレンダーなるものが併載されている。

・秋山巌「山頭火版画句集-版画家・秋山巌の世界」春陽堂
100の句と版画を掲載した廉価版の秋山巌版画集

・「つなみ-被災地のこども80人の作文集」文藝春秋


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-233

8月30日、風が落ちておだやかな日和となつた、新居三日目の朝である、おさんどんと坊主とそして俳人としてのカクテル。
今日もまた転居のハガキを書く-貧乏人には通信費が多すぎて困る、といつて通信をのぞいたら私の生活はあまりに殺風景だ-。
樹明兄から、午後1時庵にふさはしい家を見に行かう、との来信、一も二もなく承知いたしました。大田の敬坊-坊は川棚温泉に於ける私を訪ねてくれた最初の、そして最後の友だつた-から、ありがたい手紙が来た、それに対して、さつそくこんな返事をだしてをいた。-
‥‥私もいよいよ新しい最初の一歩-それは思想的には古臭い最後の一歩-を踏みだしますよ、酒から茶へ-草庵一風の茶味といつたやうな物へ-山を水を月を生きてゐるかぎりは観じ味はつて-とにもかくにも過去一切を清算します。‥‥
-略-、樹明兄に連れられて、山麓の廃屋を見るべく出かけた、夏草ぼうぼうと伸びるだけ伸んでゐるところに、その家はあつた、気にいつた、何となく庵らしい草葺の破宅である、村では最も奥にある、これならば「其中庵」の標札をかけても不調和なところはない、殊に電灯装置があつたのは、あんまり都合がよすぎるよ。
帰途、冷たいビール弐本、巻鮨一皿、これだけで二人共満腹、それから水哉居を訪ねる-君は層雲派の初心晩学者として最も真面目で熱心だ-。
樹明兄の人柄が渾然として光を放つた、その光に私はおぼれてゐるのではあるまいか。
其中庵、其中庵、其中庵はどこにある。
廃屋から蝙蝠がとびだした、私も彼のやうに、とびこみませう。
水哉居でよばれた酢章魚はほんたうにおいしかつた、このつぎは鰒だ。
ふけてから、ばらばらと雨の音。
今夜は寝つかれさうだ、何といつても安眠第一である、そして強固な胃袋、いひかへれば、キヤンプをやるやうなもので、きたないほど本当だ。

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―函館、トラビスチヌ修道院にて-’11.07.24


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風のトマト畑のあいびきで

2011-08-29 23:35:59 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-232

8月29日、厄日前後らしい空模様である、風のために木まで動く、炊事、掃除、読書、なかなか忙しい。
処方の知友へ通知葉書を出す、三十幾つかあって、ずゐぶん草臥れた。-略-
新居第一日に徹夜して朝月のある風景ではじまつた。
あせらずにゆうゆうと生きてゆくこと。
夜おそく、樹明兄来訪、友達と二人で。
いろいろの友からいろいろの品を頂戴した。樹明兄からは、米、醤油、魚、そして酒!
友におくつたハガキの一つ。-
「何事も因縁時節と観ずる外ありませんよ、私は急に川棚を去つて当地へ来ました。庵居するには川棚と限りませんからね。ここで水のよいところに、文字通りの草庵を結びませう、さうでもするより外はないから。山が青く風が涼しい、落ちつけ、落ちつけ、おちつきませう。」
いつとなく、なぜとなく-むろん無意識的に-だんだんふるさとへちかづいてくるのは、ほんとうにふしぎだ。
野を歩いて、刈萱を折つて戻つた、いいなあ。
どこにもトマトがある、たれもそれをたべてゐる、トマトのひろまり方、。たべられ方は焼芋のそれを凌ぐかも知れない、いや、すでにもう凌いでゐるかも知れない。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―小樽運河、中央橋より-’11.07.30


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秋風のふるさと近うなつた

2011-08-28 23:51:17 | 文化・芸術
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―四方のたより― 琵琶のゆかた会

今夏で3回目となる筑前琵琶奥村旭翠門下の「ゆかた会」が、今日の午後、藤井寺駅近くの料亭こもだで催された。
毎年2月の「びわの会」は欠かしたことはないが、このゆかた会に関しては前2回とも失礼してきた。三度目のなんとやら、今回はひょいとその気になって、出向いてみた。
会場は、普段は宴会場に供されるのだろう、ずいぶんと広い和室。プログラムは全12曲、末永旭濤ことJunkoは4番目の登場で、演目は明智光秀の最期を詠ずる「小栗栖」、山崎旭萃の代表曲にも数えられる作品だから自ずと稽古にも身が入っていたろう。
旭翠師についてすでに10年、発声は学生演劇から鍛えているから一応問題なしだが、歳も四十を越えたことだし、そろそろ節に艶が欲しい頃ではないか、というのが第一感。

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「ゆかた会」そのものについて一つ難を挙げれば、会場が座敷であること。12曲延べ3時間余を座敷で聴くのは些か堪える。いや聴くほうだけではない、演ずるほうも先番たちを聴きながら同じ座敷で出番を待つのはやはり堪えよう。実際、出番が後になるほど、年期の入ったベテランなのだが、それにもかかわらず少々集中力を欠いていたように見うけられた。
そんななかで、ひとり存分に演じていたのは新家旭桜のみである。彼女には自身の技倆的課題がつねに明確に見えているからだ。琵琶の奏法については余人の追随を許さず、すでに群を抜いた存在である彼女であってみれば、語りにおけるいわば心技体がいかにあるべきか、といった地点に向かっているからだ、と思われる。
宴会用の広い座敷は、本来当座の一同みな胸襟を開いて和やかに、さらにはくだけてよしとする空間だ。そんな場所で、長時間の集中を持続させるのは甚だ難しい、我知らずどうしてもダレが忍び寄るというものだ。
「ゆかた会」を今後も継続していくとすれば、会場については一考されたほうがよいだろう。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-231

8月28日、小郡町柳伊田、武波憲治氏宅裏。
朝から二人で出かける、ちようど日曜日だつた、この雑座敷を貸していただいた-ここの主人が樹明兄の友人なので、私が庵居するまで、当分むりやりにをいてもらふのだ-。
駅で手荷物、宿で行乞道具、運送店で荷物、酒屋で酒、米屋で米。
さつそく引越して来て、鱸のあらひで一杯やる、樹明兄も愉快さうだが、私はよつぽど愉快だ。夜、冬村君が梅干とらつきようを持つて来て下さる、らつきようはよろしい。
一時頃まで話す、別れてから、また一時間ばかり歩く、どうしても寝つかれないのだ。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―札幌自動車道、金山PAにて-’11.07.29


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けふはおわかれのへちまがぶらり

2011-08-27 23:18:07 | 文化・芸術
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―四方のたより― ご帰還

先週来トラブルのPCが修理を終え、ご帰還あそばした。
修理報告書に曰く、マザーボードとパワーサプライを交換した、と。
今夏の暑熱地獄ではかなくも炎上?したものとみえる。
保証期間を2年としていたからよかったものの、でなければ2、3万円を請求される憂き目をみたことだろう。
使用者としては、マシンのデリカシーというものにもう少し気を配れないといけないのだが、なかなか‥。

―表象の森― <日暦詩句>-43

  「大儀」  山之口獏

躓いたら転んでゐたいのである
する話も咽喉の都合で話してゐたいのである
また、
久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも
逢へば直ぐに、
さよならを先に言ふてゐたいのである
すべて、
おもふだけですませて、頭からふとんを被つて沈殿してゐたいのである
言ひかへると、
空でも被つて、側には海でもひろげて置いて、人生か何かを尻に敷いて、膝頭を抱いて
その上に顎をのせて背中をまるめてゐたいのである。

   -「山之口獏詩文集」講談社文芸文庫より



―山頭火の一句―
行乞記再び-昭和7年-230

8月27日、樹明居。
晴、残暑のきびしさ、退去のみじめさ。
百日の滞在が倦怠となつただけだ、生きることのむつかしさを今更のやうに教へられただけだ。、世間といふものがどんなに意地悪いかを如実に見せつけられただけだつた、とにかく、事ここに到つては万事休す、去る外ない。
  けふはおわかれのへちまがぶらり –留別-
これは無論、私の作、次の句は玉泉老人から、
  道芝もうなだれてゐる今朝の露
正さん-宿の次男坊-がいろいろと心配してくれる-彼も酒好きの酒飲みだから-、私の立場なり心持なりが多少解るのだ、荷造りして駅まで持つて来てくれた、50銭玉一つを煙草代として無理に握らせる、私としても川棚で好意を持つたのは彼と真道さんだけ。
午後2時47分、川棚温泉よ、左様なら!
川棚温泉のよいところも、わるいところも味はつた、川棚の人間が「狡猾な田舎者」であることも知つた。
山もよい、温泉もわるくないけれど、人間がいけない!
立つ鳥は跡を濁さないといふ、来た時よりも去る時がむつかしい-生れるよりも死ぬる方がむつかしいやうに-、幸にして、私は跡を濁さなかつたつもりだ、むしろ、来た時の濁りを澄ませて去つたやうだ。
T惣代を通して、地代として、金壱円だけ妙青寺へ寄附した-賃貸借地料としてはお互いに困るから-。
  ふるさとちかい空から煤ふる –再録-
  この土のすゞしい風にうつりきて –小郡-
小郡へ着いたのが7時前、樹明居へは遠慮して安宿に泊る、呂竹さんに頼んで樹明兄に私の来訪を知らせて貰ふ、樹明兄さつそく来て下さる、いつしよに冬村居の青年会へ行く、雑談しばらく、それからとうとう樹明居の厄介になつた。

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Photo/北の旅-2000㎞から―小樽のガラス市で-’11.07.29


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