―日々余話― もう、うんざり‥
とうとう8月も晦日というに記録破りの猛暑は続く。真夏日も熱帯夜も、94年の過去記録を各地で更新しているという。この分だと9月半ばあたりまで続きそうな気配さえして、ほとほとうんざり‥。
酷暑に、不況と円高、二重苦三重苦のわが列島だというのに、参院選をしくじった管直人に政局の嵐は避けられず、民主党はとうとう代表選突入というお粗末に、これまたうんざり‥。
ところで「うんざり」の「うん」は「倦む」からきているのだろうが、どうして「うんざり」と成ったのか、語源がよくわからない。広辞苑などではそんなことは教えてくれない。
で、netで検索してみたら、「倦むずあり」が略されて「うんざり」と変化してきた、という説が多く散見される。
しかし、この説だと、なんだか「倦むず」と「あり」の合成語にもみえ、動詞句のようなことになってしまうから不味いのではないか。「うんざり」とはどう見ても副詞であって、「うんざり+する」となって動詞句となるからだ。
もう一つ、この説とは似て非なるものが見つかった。Wiktionary-ウィクショナリー日本語版-によれば、古語の「うさ(当時の発音はunsa, unza)」+副詞語尾「り」が語源であると。名詞の「倦さ」に副詞語尾の「り」が接合されて副詞「うさり」が「うんざり」へと表記変化してきたとの説に、どうやら軍配があがりそうだ。
―山頭火の一句― 行乞記再び -98
4月8日、雨後の春景色はことさらに美しい、今日は花祭である、7年前の味取生活をしぜんに思ひだしてなつがしかつたことである。
今日は辛かつた、行乞したくないよりも行乞できないのを、むりやり行乞したのである、しなければならなかつたのである、先日来毎日毎日の食込で、文字通りその日ぐらしとなつてしまつたから詮方ない。
やつと2里歩いて此町へ着いた-途中二度上厠-、そして3時間ばかり行乞した、おかげで飯と屋根代だけは出来た、一浴したが一杯はやらない、此宿は清潔第一で、それがために客が却つて泊らないらしい、昨夜の宿とは雲泥の差だ、叶屋。
旅に病んで、つくづく練れてゐない自分、磨かれてゐない自分、そしてしかも天真を失ひ純情を無くした自分、野性味もなく修養価値もない自分を見出ださざるを得なかつた。
-略-、街上所見の一―これはまた、うどんやが硝子戸をはめてカフェー日輪となつてゐる、立看板に美々しく「スマートな女給、モダーンな設備、サーピス-セーピスぢやない-百パーセント」さぞさぞ非スマートな姐さんが非モダーなチヤブ台の間をよたよたすることだらう-カフエー全盛時代には山奥や浦辺にもカフエーと名だけつけたものがうようよしてゐた、駄菓子がカフエーベニスだつたりして、もつともそこは入川に臨んでゐたから、万更縁がないでもなかつたが-。
もう蕨を触れ歩く声が聞える、季節のうつりかはりの早いのには今更のやうに驚かされる。
同宿5人、私はひとりを守つて勉強した。
※表題句の外、2句を記す
楠久の町から2里ばかり歩いたというから、現伊万里市の中心部あたりだろう。
Photo/楠久から伊万里市中心部へと向かう道中、東山代の明星桜
Photo/伊万里市郊外の秘窯の里大川内山は、嘗ての鍋島藩御用窯だった
Photo/大川内山の町並みにそびえ立つ巨大な焼きもの
-読まれたあとは、1click-