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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」
―世間虚仮― かしこくも御名御璽‥
昨日の麻生首相、その所信表明の演説を、夕刊で読んだ時は、冒頭から吃驚、ブッ魂消て、「なんだ、これは!」と一瞬新聞を放り出してしまった。
ずいぶんと物議をかもしている「かしこくも、御名御璽をいただき」と時代錯誤の言表が挿入されていたことだ。
「わたくし麻生太郎」にはじまり、その前後の文体がまあ通常範囲のものであるだけに、きわだって異和を放つ一句が無理にも挿入されたとしか思えぬ、時代錯誤のとんでもない言語感覚、思想などとはほど遠い、ただのイカレポンチの宰相だ。
もう一つ、とんでもねえ野郎だと思ったのは、明るい日本を掲げて論陣をはった件り、
「幕末、我が国を訪れた外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、けっして豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、ほほ笑む国民だったこと」云々である。
これはどうみても渡辺京二の名著「逝きし世の面影」に描かれた数々のエピソードを背景にしていること間違いなかろうが、こんな御仁の論理に歪曲引用されたのでは、渡辺京二も迷惑千万で、さぞ聞くに耐えられないだろうと、いたく同情する。
政治家の節操のなさ、恥も外聞もない豹変ぶりなど、枚挙に暇もないほど見てきているが、安倍、福田と続いた突然の総理辞任に、危急存亡の自民党にあって、圧倒的多数で総裁を託されたこの御仁、奮い立ち舞い上がるあまりに、これはもう狂人の世界にあと一歩、としか思われぬ。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「炭俵の巻」-18
はなに泣桜の黴とすてにける
僧ものいはず款冬を呑 羽笠
次男曰く、款冬は、冬を款-叩-く。款凍・款東ともしるし、厳寒氷雪を凌いで生ずる意とされる。転じて蕗のとうのこと、款冬花という。
ところが日本では、公任が「和漢朗詠集」春の部に、山吹の歌二首とともに、款冬の詩を選入したあたりから、款冬を山吹とする奇妙な風習が生まれた。下って連・俳でも欵冬を山吹に当てているものが多い。
貞の「御傘」には、「薬の名に款冬と云は蕗のとうの事也。‥、款冬の字をやまぶきと読は日本のあやまちなり。され共、上代よりの義なれば、今更あらためずしておく也」と云い、季吟の「増山の井」は「山吹、款冬。貞、欵冬は蕗のとうをいふといへど、和名抄に順-源順-の山吹といひ、朗詠にも公任卿の山吹に用給へば、我朝にては只やまぶきの事なり」と云う。
そのフキノトウの方の款冬を、風邪咳・喘息の良薬として用いたことは、人見必大の「本朝食鑑」や貝原益軒の「大和本草」にも録している。
以上のようなあらましを知って羽笠の句を読めば、いろいろな興が見えてくる。まず、款冬-冬を叩く-という語の思付は、野水句の「冬まつナツトウを叩く」春季に奪った、軽妙な工夫らしい。
款冬の読はカントウでもよいが、花屑を「桜の黴」と云うなら、蕗の薹をヤマブキと云ってこそ面白みになる。季は前に合せて晩春、つまり薹は薹でも、茎が伸び花もほうけた蕗の姑の季節である。フキノトウと承知していてヤマブキという伝統の言葉を呑む、と作るしかなさそうである。
句にはなお若干の趣向がある。「三体詩」に、「僧坊ニ逢着ス款冬花」ではじまる七絶があり、また「古今集」には「山吹の花色ごろも主やたれ問へど答へずくちなしにして」-素性法師-というこれまた知られた俳諧歌がある。
「僧ものいはず」とは、それやこれやにも思いをめぐらした転合な仕立らしい。陽春の候、賈島ならぬ喘息もちの僧を訪ねてみたら、花にそむいて黙々と款冬を呑みながら黴ばかり気にしていた、という滑稽の付である。用辞と云い前句への見込と云い、凝りに凝った句だがやはりうまい、と。
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