山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

遠い昔話……

2018-11-30 00:54:12 | 文化・芸術
<吃又と浮世又兵衛> ――2006.04.29記

 浄瑠璃狂言「吃又-どもまた」のモデルが、「浮世又兵衛」こと江戸初期の絵師.岩佐又兵衛だったとは思いもよらなかった。
岩佐又兵衛については先頃読んだ辻惟雄「奇想の系譜」にも「山中常盤絵巻」などが採り上げられ、その絢爛にして野卑、異様なほどの嗜虐的な画風が詳しく紹介されていたのだが、浮世絵の開祖として浮世又兵衛の異名をとった又兵衛伝説が、近松門左衛門の創意を得て「吃りの又平」こと「吃又」へと転生を果たしていたとは意外。



実在の岩佐又兵衛自身、数奇の運命に彩られている。
天正6(1578)年に生まれ、父は信長家臣の伊丹城主荒木村重と伝えられる。その村重が信長に反逆し、荒木一族は郎党・侍女に至るまで尼崎・六条河原で処刑虐殺されるという悲運に遭うのだが、乳母の手で危うく難を逃れたという当時2歳の又兵衛は、京都本願寺に隠れ母方の姓を名のり成長したという。京都時代は織田信雄に仕えたともいい、また二条家に出入りした形跡もあるとされる。元和元(1615)年頃、越前北ノ庄(現・福井市)へ移り、松平忠直・忠昌の恩顧を受けて、工房を主宰し本格的な絵画制作に没頭したと推測されている。忠直は家康の孫、菊池寛「忠直卿行状記」のモデルとなった人物だが、この忠直と又兵衛の結びつきも互いの運命の数奇さを思えば故あることだったのかもしれない。又兵衛はのち寛永14(1637)年には江戸へ下り、慶安3(1650)年没するまで江戸で暮らしたものと思われる。

徳川幕府の治世も安定期に入りつつあった寛永年間は、幕府権力と結びついた探幽ら狩野派の絵師たち、あるいは経済力を背景に新たな文化の担い手となっていった本阿弥光悦や角倉素庵、俵屋宗達ら京都の上層町衆らと並んで、数多くの風俗画作品を残した無名の町絵師たちの台頭もまた注目されるものだった。又兵衛はこの在野の町絵師たちの代表的な存在だったようで、彼の奇想ともいえるエキセントリックな表現の画調は、強化される幕藩体制から脱落していく没落武士階級の退廃的なエネルギーの発散を象徴しているともみえる。
「浮世又兵衛」の異名は又兵衛在世時から流布していたとみえて、又兵衛伝説もその数奇な出生や育ちも相俟って庶民のなかに喧伝されていったのだろう。近松はその伝承を踏まえて宝永5(1708)年「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」として脚色、竹本座で初演する。その内容は別名「吃又」と親しまれてきたように、庶民的な人物設定をなし、吃りの又平として、不自由な身の哀しみを画業でのりこえようとする生きざまで捉え直されている。

 実はこの浄瑠璃「吃又」については私的な因縁噺もあって、岩佐又兵衛=吃又と知ってこの稿を書く気になったのだが、思い出したついでにその因縁について最後に記しておく。
私の前妻の祖父は、本業は医者であったが、余技には阿波浄瑠璃の太夫でもあり、私が結婚した頃はすでに70歳を越えた年齢だったが、徳島県の県指定無形文化財でもあった。その昔、藩主蜂須賀候の姫君が降嫁してきたという、剣山の山麓、渓谷深い在所にある代々続いた旧家へ、何回か訪ねる機会があったが、その折に一興お得意の「吃又」のサワリを聞かせて貰ったこともあり、ご丁寧に3曲ほど録音したテープを頂戴したのである。余技の素人芸とはいえそこは県指定の無形文化財、さすがに聞かせどころのツボを心得た枯れた芸で、頂戴したテープをなんどか拝聴したものである。もうずいぶん以前、20代の頃の遠い昔話だ。
  
  ―――参照「日本<架空・伝承>人名事典」平凡社



2013.04<今月の購入本>

◇白川 静「回思九十年」平凡社
◇大城 立裕「小説 琉球処分<上>」講談社文庫
◇大城 立裕「小説 琉球処分<下>」講談社文庫
◇小林 深雪「泣いちゃいそうだよ」講談社-青い鳥文庫
◇小林 深雪「もっと泣いちゃいそうだよ」講談社-青い鳥文庫

7年ぶりの神戸酒心館

2018-11-29 01:01:12 | 文化・芸術
7年ぶりとなる神戸酒心館行であったが…

「葵上空間」と題された今宵の演目は
残念ながら瑕疵の目立つものであった
とりわけお粗末だったのは
女性のシテ方が演じた、素面による演能だ
声も立たず、メリハリも効かず
姿も小柄に過ぎては、救い難いというモノ
素面による演能を、見世物として成らしめるには
どれほどの達者を要するか――



―表象の森― Turbulent Flow-乱流  -2008.02.26記

「大きな渦は、その勢いに力を得て
 ぐるぐるまわる小さな渦を含み
 その小さな渦の中には、これまた
 ひとまわり小さな渦がある。
 こうしてこれが遂には
 粘度となっていくのだ」 ――ルイス・F・リチャードソン

量子力学学者W・K・ハイゼンベルクは死の床で「あの世に行ったら、神にぜひとも聞きたいことが二つある。その一つは相対性のわけ、第二は乱流の理由だ」と。そして「神のことだからまあ第一の質問のほうには答えてくれるだろうと思うね」と結んだそうである。
乱流の理由など、神様のほうでも取るに足らぬと思し召して相手にはしてくれまい、とでもH氏は考えたか。
ことほどさように、20世紀前半の物理学者たち、その大多数にとって乱流などに時間をとられるのは剣呑にすぎると思われていたのか。

それにしても乱流とはいったい何だろうか?
大きな渦のなかに小さい渦が含まれているように、乱流とはあらゆる規模—Scale-を通じて起こる混乱のことだ。乱流は不安定であり非常に散逸的だが、散逸的とはエネルギーを消耗させ、抗力を生じるということである。
その乱流の起こりはじめ、つまり遷移のところが科学の重大な謎だった。

<Strange Attractor>

これは現代科学の最も強力な発明の一つである位相空間という場所に住んでいる。
系のエネルギーは摩擦によって散逸するが、位相空間ではその散逸はエネルギーの外域から低エネルギーの内域へと、軌道を中心にひきつける「ひきこみ」となって現れる。
エドワード・ローレンツが作った骨組だけの流体対流の系は三次元だったが、それは流体が三次元の空間の中を動いていくからではなく、どんな瞬間の流体の状態をも正確に決定するためには、三つの異なった数-変数-が必要だったからである。
  
――参照:J.グリック「カオス-新しい科学をつくる」第5章-ストレンジ・アトラクタ p209~



<今月の購入本>-2013年03月

◇副島 隆彦「世界権力者 人物図鑑-世界と日本を動かす本当の支配者たち」日本文芸社
◇こうの史代「夕凪の街 桜の国」双葉社アクションコミックス
◇米田 憲司「御巣鷹の謎を追う-日航123便事故20年」DVD-宝島社

愚にかへる - <一茶と山頭火>

2018-11-27 23:07:04 | 文化・芸術
……苦行はつづく……

<一茶と山頭火>



-表象の森- 愚にかへる -2006.05.06記

  春立つや愚の上にまた愚にかへる

文政6(1823)年、数えて61歳の還暦を迎えた歳旦の句である。
前書に「からき命を拾ひつつ、くるしき月日おくるうちに、ふと諧々たる夷(ヒナ)ぶりの俳諧を囀りおぼゆ。-略-今迄にともかくも成るべき身を、ふしぎにことし六十一の春を迎へるとは、げにげに盲亀の浮木に逢へるよろこびにまさりなん。されば無能無才も、なかなか齢を延ぶる薬になんありける」と。自分の還暦に達したことを素直に喜びながら、それも「無能無才」ゆえだと述懐している。

また文政5(1822)年の正月、「御仏は暁の星の光に、四十九年の非をさとり給ふとかや。荒凡夫のおのれのごとき、五十九年が間、闇きよりくらきに迷ひて、はるかに照らす月影さへたのむ程の力なく、たまたま非を改めんとすれば、暗々然として盲の書を読み、あしなへの踊らんとするにひとしく、ますます迷ひに迷ひをかさねぬ。げにげに諺にいふとほり、愚につける薬もあらざれば、なほ行末も愚にして、愚のかはらぬ世を経ることをねがふのみ」とあり、ここにも愚の上に愚をかさねていこうという覚悟は表れているが、その胸底には、非を改めようとしても改めきれない業のごときものへの嘆きが、切実に洩らされているのだともいえようか。
類句に「鶯も愚にかへるかよ黙つてる」-文政8(1825)年作-がある。

山頭火もまた「愚にかえれ、愚をまもれ」と折につけ繰り返したが、その山頭火が一茶に触れた掌編があるので併せて紹介しよう。

  大の字に寝て涼しさよ淋しさよ

一茶の句である。いつごろの作であるかは、手許に参考書が一冊もないから解らないけれど、多分放浪時代の句であろうと思う。
一茶は不幸な人間であった。幼にして慈母を失い、継母に苛められ、東漂西泊するより外はなかった。彼は幸か不幸か俳人であった。恐らくは俳句を作るより外には能力のない彼であったろう。彼は句を作った。悲しみも歓びも憤りも、すべても俳句として表現した。彼の句が人間臭ふんぷんたる所以である。煩悩無尽、煩悩そのものが彼の句となったのである。
しかし、この句には、彼独特の反感と皮肉がなくて、のんびりとしてそしてしんみりとしたものがある。
「大の字に寝て涼しさよ」はさすがに一茶的である。いつもの一茶が出ているが、つづけて、「淋しさよ」とうたったところに、ひねくれていない正直な、すなおな一茶の涙が滲んでいるではないか。
切っても切れない、断とうとしても断てない執着の絆を思い、孤独地獄の苦悩を痛感したのであろう。一茶の作品は極めて無造作に投げ出したようであるが、その底に潜んでいる苦労は恐らく作家でなければ味読することができまい。
いうまでもなく、一茶には芭蕉的の深さはない。蕪村的な美しさもない。しかし彼には一茶の鋭さがあり、一茶的な飄逸味がある。

ちなみに「大の字に寝て」の句が詠まれたのは、文化10(1813)年、一茶51歳の時。人生五十年の大半を、江戸に旅にと、異郷に暮らし、しかも義母弟との長い相剋辛苦の末に得た故郷信濃の「終の栖」に、「これがまあつひの栖か雪五尺」と詠んだ翌年のこと。
この点は山頭火の記憶違いである。

   ―――参照 加藤楸邨「一茶秀句」、種田山頭火「山頭火随筆集」



<今月の購入本>2013年02月

◇吉岡 忍「墜落の夏―日航123便事故全記録」新潮文庫
◇飯塚 訓「墜落の村-御巣鷹山日航機墜落事故をめぐる人びと」河出書房新社
◇河 信基「代議士の自決―新井将敬の真実」三一書房
◇栗原 俊雄「20世紀遺跡-帝国の記憶を歩く」角川学芸出版
◇帚木 蓬生「閉鎖病棟」新潮文庫
◇帚木 蓬生「安楽病棟」新潮文庫
◇檜垣 立哉「子供の哲学-産まれるものとしての身体」講談社選書メチエ

露の世は露の世ながらさりながら

2018-11-26 22:30:06 | 文化・芸術
この三、四日、果てしのないような資料整理に明け暮れている。
まだ、いつ終わるか見通しが立たない……

一茶の、喜びも悲しみも ――2006.04.19記



  這へ笑へ二つになるぞ今朝からは

文政2(1819)年、「おらが春」所収。前書に「こぞの五月生れたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて」とあり元旦の句。一茶はすでに57歳、老いたる親のまだいたいけな子に対する感情が痛いくらいに迸る。

  露の世は露の世ながらさりながら

同年、6月21日、掌中の珠のように愛していた長女さとが疱瘡のために死んだ。
三年前の文化13(1816)年の初夏、長男千太郎を生後1ヶ月足らずで夭逝させたに続いての重なる不幸である。
「おらが春」には儚くも散った幼な子への歎きをしたためる。
「楽しみ極まりて愁ひ起るは、うき世のならひなれど、いまだたのしびも半ばならざる千代の小松の、二葉ばかりの笑ひ盛りなる緑り子を、寝耳に水のおし来るごとき、あらあらしき痘の神に見込まれつつ、今、水膿のさなかなれば、やおら咲ける初花の泥雨にしをれたるに等しく、側に見る目さへ、くるしげにぞありける。是もニ三日経たれば、痘はかせぐちにて、雪解の峡土のほろほろ落つるやうに、瘡蓋といふもの取るれば、祝ひはやして、さん俵法師といふを作りて、笹湯浴びせる真似かたして、神は送りだしたれど、益々弱りて、きのふよりけふは頼みすくなく、終に6月21日の朝顔の花と共に、この世をしぼみぬ。母は死顔にすがりてよゝよゝと泣くもむべなるかな。この期に及んでは、行く水のふたたび帰らず、散る花のこずえにもどらぬ悔いごとなどと、あきらめ顔しても、思ひ切りがたきは恩愛のきづななりけり」と。
幼い我が子の死を、露の世と受け止めてはみても、人情に惹かれる気持ちを前に自ずと崩れてゆく。
「露の世ながらさりながら」には、惹かれたあとに未練の思ひを滓のやうにとどめる。



2013.01<今月の購入本>
◇篠田 正浩「河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶」幻戯書房
◇江刺 昭子「樺美智子-聖少女伝説」文藝春秋
◇中谷宇吉郎「科学の方法」岩波新書
◇ローラ.カジシュキー「春に葬られた光」ソニーマガジンズ

<愛国百人一首>をご存じか?

2018-11-26 00:56:29 | 文化・芸術
嗚呼、腹立たしや、情けなや……
Wikipediaでは百人百首が総覧できるよ

<愛国百人一首>をご存じか? ――2006.04.15記
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂  吉田松陰
太平洋戦争のさなか、小倉百人一首に擬して「愛国百人一首」なるものが作られていたというが、吉田松陰の一首もこれに選集されたものである。
対米開戦の翌年、日本文学報国会が、情報局と大政翼賛会後援、東京日日新聞(現・毎日新聞社)協力により編んだもので、昭和17年11月20日、各新聞紙上で発表された、という。
選定顧問に久松潜一や徳富蘇峰らを連ね、選定委員には佐々木信綱を筆頭に、尾上柴舟・窪田空穂・斎藤茂吉・釈迢空・土屋文明ら11名。選の対象は万葉期から幕末期まで、芸術的な薫りも高く、愛国の情熱を謳いあげた古歌より編纂された。



柿本人麿の
 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも  
を初めとして、橘曙覧の
 春にあけて先づみる書も天地のはじめの時と読み出づるかな
を掉尾とする百人の構成には、有名歌人以下、綺羅星の如く歴史上の人物が居並ぶのだ。
どんな歌模様かと想い描くにさらにいくつか列挙してみると、
 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも  源実朝
 大御田の水泡も泥もかきたれてとるや早苗は我が君の為  賀茂真淵
 しきしまのやまと心を人とはゞ朝日ににほふ山ざくら花  本居宣長
ざっとこんな調子で、「祖先の情熱に接し自らの愛国精神を高揚しよう」と奨励されたという「愛国百人一首」だが、いくら大政翼賛会の戦時下とはいえ、まるで古歌まで召集して従軍させたかのような、遠く現在から見ればうそ寒いような異様きわまる光景に、然もありなんかと想いつつも暗澹たるものがつきまとって離れない。



<今月の購入本>-2012年12月
◇川村 湊「牛頭天王と蘇民将来伝説―消された異神たち」作品社
◇本橋 哲也「深読みミュージカル -歌う家族、愛する身体-」青土社