山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

さびしさや思ひ弱ると月見れば‥‥

2007-09-29 23:46:29 | 文化・芸術
Alti200652

-世間虚仮- 秋近けれど‥‥

今日から明日、久しぶりの雨模様でやっと秋らしくしのぎやすくなった。昨日までのように下着一枚の格好で窓を開け放していると肌寒いほど。このまま一気に秋本番となって欲しいものだが、来週もまた残暑へと戻るらしい。

<同窓会近し> 
今日は市岡15期会の幹事会に出るべく母校の同窓会館へ。
昨夜の夜更かしが祟ってかなかなか起きられず20分程の遅刻、すでに会議は始まっていた。
一週間後に控えた同窓会総会の最終準備の会合だからか、いつもに比して出席者の多いこと、なんと20数名という賑やかさ。ところが本体の同窓会に何人の出席通知があったかといえば最終締切で60名弱、それに恩師勢が11名とか。こうして集まる幹事連の3倍弱とはネ、大層な案内書を送付してのこの結果はいかにも侘しい。あと10名ばかりは上乗せしないとあまりにも寂しすぎると、できるところで電話作戦をということになったが、はて如何に。

<報道カメラマンの犠牲>
ミャンマーにおける反政府デモの取材で犠牲となった長井健司氏は、軍治安部隊による至近距離からの、しかも正面からの発砲によるものであったことが、現場の証言やビデオ映像で確認されたと新聞・テレビが一斉に報じている。
日本からのODA援助が通算2000億円を越えるというミャンマーで、同胞ジャーナリストが殺されたとあっては政府もさすがに黙っている訳にはいかないと制裁措置の検討に入ったというが、そりゃそうだろう。デモ鎮静化を図ってなおも続く軍事政権の弾圧強化ぶりを詳細に伝える報道各紙も力が入る。89(S64)年の天安門事件を髣髴とさせるほどだ。
開発途上とはいえ天然ガスや石油など豊富な地下資源に恵まれた国情が、米英や中ロさらにはインドなど大国の国々の利害や思惑を複雑に絡み合わせ、この国をいよいよ混迷、泥沼の淵へと追いやる。
一人の尊い犠牲が、これを機にミャンマー問題をしっかりと構造的に捉え返し、願わくば民政の平坦なるを実らせ、その死への手向けとなることを切に願う。

<ODA無残-ベトナム>
26日だったか、日本政府によるめODAでベトナムに近代技術の粋を集めて建設中の大橋が崩落し、ベトナム人作業員に多数の死傷者を出したと伝えられていた。
今月初めには、パキスタンで同じく建設中の高速道路が崩落、多くの死傷者を出すという事故があったばかりだが、こんどの場合は日本のODA事業であり、日本企業によるJVの工事での崩落事故だから、わが国にとっては始末の悪いこと夥しいものがあろう。JVは大成建設と鹿島、新日本製鉄構成され、2750㍍の斜張橋という大規模なもので、予算も250億円だったとか。
死者52名、負傷者97名と、死傷者はすべて現地採用のベトナム作業員だった。悲惨極まる大事故だ。事故原因の究明と責任の所在を政府所轄においても明瞭にしなければなるまいが、日本人技術者の犠牲が出なかった所為か、今のところその後の報道は沙汰止みのままだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-119>
さびしさや思ひ弱ると月見れば心の底ぞ秋深くなる  藤原良経

秋篠月清集、一、花月百首、月五十首。
邦雄曰く、建久元(1190)年の秋、弱冠満21歳で主催した花月百首中の傑作。第四句「心の底ぞ」の沈痛な響きは、8世紀後の現代人にも衝撃を与えるだろう。月に寄せる歎きは、古来何万何千と例歌を挙げるに事欠かぬが、これほどの深みに達した作は他にあるまい。あるとすれば実朝の「萩の花」くらいか。この百首歌、他にも名歌は数多ある、と。

 初雁は越路の雲を分け過ぎて都の露に今ぞ鳴くなる  惟明親王

千五百番歌合、六百七十六番、秋三。
邦雄曰く、高倉帝三宮惟明親王は、後白河院の膝の上でむずかったために、帝位は後鳥羽院に渡った。それも一つの幸運であったろう。千五百番歌合中、三宮の歌は殊にみずみずと心に残る調べばかりだ。歌合では左が後鳥羽院の「ものや思ふ雲のはたての夕暮に天つ空なる初雁の声」で、これも堂々たる秀作ではあった。御判は勿論右に花を持たせて勝、と。


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から衣裾野の庵の旅まくら‥‥

2007-09-27 13:46:32 | 文化・芸術
Seibutumuseibutu

-表象の森- 生物と無生物のあいだ

今年5月に出版されたちまち多刷を重ねる話題の新書。
Amazonの新書・文庫部門のリサーチでは今も2位に君臨するセラーぶりだし、そのAmazonのカスタマレビュー欄には今日現在で88人もの読者が長短思い思いのレビュー記事を書いているという賑わいぶりなのだから驚き入るが、賛否両論入り乱れて侃々諤々の活況を呈しているのを場外から覗き見るのもまた面白い。
総じて文系人や一般の読者に大いに称揚され、それが過剰に過ぎるほどに見えようから、理系読者の反撥を買っているような様相だ。
著者福岡伸一は本書をもって、「生命体」を語らせて、この国における注目のエンタテイメント作家となったようである。
著者には「もう牛を食べても安心か」(文春新書)で初めてお目見得した。
その中の、生命体における「動的平衡」論に知見を得て強く印象に残ってはいたのだが、その折の読後と比べれば、本書に特段の新しい発見がある訳ではないように思う。DNAの二重らせん発見以来の生命科学というか、分子生物学における今日の常識的概括ともいえそうな知見が、著者自身の科学者として生きてきたその経験やそれにまつわる心象風景などを絡めながら科学的エッセイとして綴られてゆくもの。
したがってこうして話題になればなるほど理系読者たちからの厳しい批判の矢も夥しいものになるのは致し方あるまいかと思われる。

毎日新聞の書評欄「今週の本棚」7/29付には、詩人・小説家の大岡玲が「詩的な文体で生命の神秘を語る」と題して本書を称揚する一文が寄せられていた。
いささか賞讃が過ぎようかと思われるほどに美辞麗句で綴られているが、一般読者への道標としての書評とみれば、それほど妥当を欠いているものではないだろうと思える。
大岡は自身生物学者を志したこともあるという少年時代に読んだ本書と同じ書名をもつ川喜田愛郎の「生物と無生物の間―ウイルスの話」(岩波新書-56年刊)によって受けた遙か昔の知的興奮を喚起しながら、川喜田書と本書の間に横たわる50年という歳月に同心円状に重なる知を読み取りつつ書評を綴っている。
以下はその後半部分で長くなるがそのまま引用させていただくとする。

まるでボルヘスのような、と言いたくなる、きわめて文学的なたくらみを駆使して福岡氏が本書で提出するのは、川喜田氏が問いのまま残していた「生物体なるものに具現された秩序と持続性」の実相なのだが、そのたくらみを支える華麗な文体と仕掛けには唸らされる。生命の本質を捉える際に著者が最重要視する要素である「時間」が、全体の構造そのものにも組み込まれているのだから。
すなわち、半世紀前のすぐれた書物が内包していたその時点までのウイルス学の歴史時間、その書物よりもあとに生まれた著者自身の人生および研究者としての人生の歴史時間、そして分子生物学が発展してきた歴史時間が三重奏する中で、生命が保持する「動的な平衡状態」が舞台の中央にせりあがってくるのだ。

「動的な平衡状態」とは何か?
「その答えの前に、まず著者はいまだ決着を見ない「ウイルスを生物とするか無生物とするか」の論争に対して、「ウイルスを生物であるとは定義しない」という大胆な結論を出す。なぜなら、「生命とは自己複製するシステムである」という、分子生物学の分野で長らく常識とされてきた定義だけでは生命は捉えきれないと考えるからだ。「では、生命の特徴を捉えるには他にいかなる条件設定がありえるのか」
「生命は常に正のエントロピー、すなわち最終的には死に至る「乱雑さ」にさらされている。そのエントロピー増大の危機を、生物は「周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れる」、すなわち食べることによって乗り越え続ける。しかし、それは他の生物の秩序をそのまま受け入れるというような単純な作業ではなく、はるかに精妙なものだ。その精妙さの核心にあるのは、「生命とは代謝の持続的変化であり、」「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」という事実なのである。これこそが「動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)」であり、生命とはその平衡状態を形づくり続ける「流れである」、と著者は言う。

このあたりの思考過程を記述する第9章の「砂の城」の比喩や、ジグソーパズルを例にして説明される第10章「タンパク質のかすかな口づけ」、第11章「内部の内部は外部である」は、華やかな詩的レトリックが圧巻だ。大学の講義のような川喜田版『生物と無生物の間』の文体とはまるでちがう。これもまた、意図的なものであるのか、著者本来の資質なのか。あるいは、生命という神秘を正確に語ろうとする時、詩的であることは必須なのかもしれない。
特定の遺伝子が働かないようにする操作を施した、いわゆるノックアウトマウスの実験が、著者の予想とはまったく異なった結果になったことを記した最終章は、生命の神秘を深く実感させてくれる。「生命という名の動的な平衡は」「決して逆戻りのできない営み」、すなわち「時間という名の解けない折り紙」なのであり、「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはない」という著者の思いは、科学的精神がたどりついた敬虔な祈りそのものである。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-118>
 さ夜深き雲ゐに雁も音すなりわれひとりやは旅の空なる  源雅光

千載集、羈旅、法性寺入道、内大臣の時の歌合に、旅宿雁といへる心を。
寛治3(1089)年-大治2(1127)年、村上源氏に連なるも血脈は諸説あって定かならず。従五位上治部大輔に至る。源広綱や藤原忠通らの歌合で活躍。金葉集初出、勅撰集に16首。
邦雄曰く、旅の「空」に居るのはわれのみ一人ではない。雁もまた夜もすがら虚空を旅して此処まで来た。雁を思って自らを慰め、わが身に引き替えては雁を憐れむ。雅光は三船の才で聞こえた源雅定の子とも伝える。金葉集に10首、他併せて16首勅撰に入った。金葉・秋の「さもこそは都恋しき旅ならめ鹿の音にさへ濡るる袖かな」もまたねんごろな叙情、と。

 から衣裾野の庵の旅まくら袖より鴫の立つここちする  藤原定家

六百番歌合、秋、鴫。
邦雄曰く、いわゆる達磨歌の典型、ここまで奇抜な修辞を敢えてするのは天才たる由縁だろう。歌合では当然「鴫の料に衣の事を求めたる、何の故にか」の論難が、右方から突きつけられる。判者にして父の俊成、「袖より鴫の」と云わん為、と迎えてやり、右の慈円を置いて左勝とした。奇歌とも言うべく、しかも抑揚・強弱が明瞭、快く愉しい作、と。


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雁の来る峯の松風身にしみて‥‥

2007-09-25 14:12:43 | 文化・芸術
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-四方のたより- Dinner Showの夜

もうずいぶん前から些か関わりのある歌い手松浦ゆみのディナーショーが弁天町オークのホテル大阪ベイタワーであったので、昨夜は連れ合いも幼な児もご同伴で、日頃の私などには不似合いの時ならぬ賑やかにて華麗なる(?)一夜と相成った。

長い間一向に陽の当たらぬ歌い手の道を歩いてきた彼女が、一応のプロ歌手ともいえるメジャーデビューを果たしたのは、7年前の落語家桂三枝が余技で書いたとかの詞を得て歌った「もう一度」という曲からである。
この業界でいわれるところのメジャーデビューというものが何を基準にあるかなど、その頃の私は知る由もなかったのは無論のことだが、それでも門外漢ながらとにかくもその発売記念のショー企画を頼まれ設定したのがはじまりで、その後リサイタルやディナーショーの制作や演出をいくつか裏で支えてはきた。
業界関係の事務所などに属さずいろいろとぶつかりながら徒手空拳でまがりなりにもその世界の登竜門に挑んでいく彼女のありように、門外の私などにも些かなりと心動かされるものがあったからだ。
関西など地方にあるままにプロ歌手をめざし生きていこうなどというのは、活躍する舞台とてあまりにもそのパイが狭小に過ぎるのだろう、周囲の人間関係にも翻弄され、やがて消耗し疲れ果てては露と消えてゆくのが宿命なのだろうし、彼女もまたきっとそうなってしまうにちがいない。
いずれ散ってしまうにちがいないのだけれど、そっと咲いた花なら花として、たとえそれほど陽のあたらぬ場所であったとしても、花の宿命を生きてみたいと、歌いつづけていくのを潔しとしているのだ。

唄は巧い。
以前にも書いたことがあるが、オールディズポップスから出ているからかノリもいいし、演歌からジャズまでなんでもこなすテクニシャンだ。
サービス精神もかなりのものだから260名ばかりの馴染みの客は2時間を越えるショーにも退屈することはなく、ほぼみなご満悦の体ではある。
おそらく彼らにとって15000円也は高くはない一夜の買い物だろう。
たとえ小さなささやかな夢ではあろうとも、その夢を売っている、売り得ていることにはちがいなく、彼女はまだ萎れず、散り去らず、昨夜も咲いていた。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-117>
 雁の来る峯の松風身にしみて思ひ盡きせぬ世の行くへかな  慈円

千五百番歌合、千四百七十三番、雑二。
邦雄曰く、結句「世の行くへかな」に愚管抄の著者、天台座主たる気概が偲ばれるが、決して釈教歌や道歌の臭いは交えていない。歌合当時作者は40代後半に入ったところ、列して右は源通具の「過ぎにける三十路は夢の秋ふけて枕にならぶ暁の霜」。この巻自判ゆえ右に勝を譲っているが、その堂々たる風格だけでも左の勝、通具の作も珍しく良い出来、と。

 鳩の鳴く杉のこずゑの薄霧に秋の日よわき夕暮の山  花園院一条

風雅集、秋下、秋の歌に。
出自・伝未詳、花園院に仕えた女房、後期の京極派歌人として風雅集に10首入集。
邦雄曰く、古歌の鳩は珍しく、山家集の「古畑」の他は、この「杉のこずゑ」など特筆すべき清新な作。殊に素描に淡彩を施したかの味わいは忘れがたい。作者は風雅集にのみ10首、「院一條」の名で入選。秋中の「草隠れ虫鳴きそめて夕霧の晴れ間の軒に月ぞ見えゆく」や、秋下の「吹き乱し野分に荒るる朝明けの色濃き雲に雨こぼるなり」等、いずれも秀逸、と。


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わたのはら八重の潮路に飛ぶ雁の‥‥

2007-09-24 13:16:16 | 文化・芸術
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-世間虚仮- いやはや‥‥

国会議員票と都道府県連票(総数528票)で争われた自民党総裁選は、福田康夫330票、麻生太郎197票で、8つもの各派閥の領袖が支持に回った福田康夫が下馬評通り新総裁に。明日(25日)にも首班指名を受けて福田内閣誕生となるが、騒動の元凶たる現総理安倍晋三は慶応病院に蟄居したまま未だ姿を現さない。あの総理辞任の表明は同時に議員辞職即ち政界引退をも重ねてするべきではなかったか。

巨人との12ゲーム差をひっくり返して首位に立ったトラもここへきて4連敗、今年からセリーグでも採用されたクライマックスシリーズの一位通過もこれでかなり難しくなった。JFKトリオといくら球界一の抑えを誇っても、先発投手陣に柱不在の陣容では致し方なし、むしろ上出来というべきか。

昨日(23日)はやや曇り空でそれほどの暑さでもなかったようだが、一昨日の22日(土)は大阪市内では35.1℃という記録破りの猛暑日。’61年からの観測史上最も遅いもので、これまでの9月12日を大幅に更新とか。エルニーニョ現象とは逆の、東太平洋赤道上で海水温度が低下するラニーニャ現象の影響といわれるが、気象学などにはまるで蒙昧の徒にはラニーニャなどと耳慣れぬ言葉を聞くたびにアタマのほうも混濁気味となって暑さばかりがいや増しに増す。
夜は夜とてこういつまでも寝苦しくては、仲秋の名月も近いかというのに、これでは涼味も風情もあったものではない。

Wikipediaのご厄介になれば、エルニーニョもラニーニャもスペイン語だそうだ。エルニーニョは「男の子」の意味でイエス・キリストをも指し、一方ラニーニャは「女の子」の意味とかや。ならば聖母マリアを指すかと思えば、そこには触れておらず不明。

そのWikipediaといえば、近頃はWipedia-Scannerなるソフトがあるようで既に日本語版ウキスキャナーも開発されている由。このソフトにかかれば誰が何を書き込みしたかが一目瞭然となり、政府官庁筋の組織的な記事改竄が横行していることが判ったという。海の向こうでもCIAは勿論のこと、ローマ法王までが改竄編集に荷担しているという説もあって、なんとも「いやはや‥‥」言葉を失ってしまう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-116>
 草枕夕べの空を人問はば鳴きても告げよ初雁の声  藤原秀能

新古今集、羈旅、和歌所歌合に、羈中暮といふことを。
邦雄曰く、後鳥羽院寵愛の北面の武士秀能、建永元(1206)年、満22歳7月の作。どこで今夜は眠るのか、雁よ告げてくれと声高く呼びかける趣きは、若々しく爽やかに、一抹の哀愁を含んで、記憶すべき初雁詠。同じ歌合の同題、雅経の作は「いたづらに立つや浅間の夕煙里問ひかねる遠近の山」が入選している。新古今竟宴のその翌年の華やぎであった、と。

 わたのはら八重の潮路に飛ぶ雁のつばさの波に秋風ぞ吹く  源実朝

新勅撰集、秋下、秋の歌よみ侍りけるに。
邦雄曰く、新勅撰入集の実朝作品は、道家と同数であり、西園寺公経や慈円に次いで第6位だが、1位の家隆同様、秀作は殆ど含まれていない。「八重の潮路」例外的な佳品であり、強調、装飾表現に新古今調を見るものの、調べの重く響くところは、記憶に値する。「雁鳴きて寒き朝けの露霜に矢野の神山色づきにけり」が今一首の雁、と。


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古畑の岨の立木にゐる鳩の‥‥

2007-09-23 04:45:50 | 文化・芸術
Wasureraretanihonjin

-表象の森- 忘れられた日本人

民俗学の泰斗宮本常一は、日本常民文化研究所にあって戦中から戦後の高度成長期まで全国各地をフィールドワーク、貴重かつ膨大な記録を残した。本書はその代表的な古典的名著。
俳優の坂本長利が一人芝居で演じてよく知られた「土佐源氏」も収録されている。
「対島にて」や「女の世間」、それに「世間師」など、すでに消え果ててしまったこの国の下層の民の暮らしぶりを生き生きと伝えて興味尽きないものがある。
放浪の旅に明け暮れた山頭火の日記を読んでいると、旅先で世間師たちと泊まり合わせたことなどがよく出てくるのだが、それに思わぬ肉付けをしてくれてイメージ豊かになったのも収穫の一。
各地をめぐり歩いて1200軒余りも家に宿泊したとされる宮本常一は1981(S56)年に鬼籍の人となるが、その活動の拠点たる日本常民文化研究所は網野善彦らの強い薦めで、翌年の82(S57)年、神奈川大学の付属機関として継承されている。
その網野善彦が本書の解説のなかで、宮本の自伝的文章の「民俗学への道」や「民俗学の旅」を引きつつ、宮本民俗学の特質と射程のひろがりを説いている。

以下は、宮本常一の死の3年前(78年)に書かれた自伝的エッセイからの一節。
「私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(略) その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。(略) 進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。(略) 進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う。」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-115>
 秋ごとに来る雁がねは白雲の旅の空にや世を過すらむ  凡河内躬恆

躬恆集、上、旅の雁行く。
邦雄曰く、同じ詞書で3首、「秋ごと」は最後に置かれた。「世を過すらむ」とは、一生を送るだろうとの意。中空の鳥をみれば、地にあって営巣する場面が浮かんでこない。「年ごとに友引きつらね来る雁を幾たび来ぬと問ふ人ぞなき」「ふるさとを思ひやりつつ来る雁の旅の心は空にぞあるらし」と、他の2首もまた、ねんごろに情を盡したところが印象に残る、と。

 古畑の岨の立木にゐる鳩の友呼ぶ声のすごき夕暮  西行

新古今集、雑中、題知らず。 岨(そば)-山の険しく切り立った斜面。
邦雄曰く、収穫の終わった畑の一方の崖の木立に鳩が鳴く。「すごき」は深沈たる趣き、陰々滅々の感も交えた淋しさを表す。晩秋の鳩という素材も勿論珍しいが、この夕暮の寂寥感の表現も破格な新味がある。宮廷歌人の、知りつつも試み得ぬ主題・技法であり、これこそ西行が新古今時代に復権・再評価される要因の大きな一つだ。異論も生ずる一首だろう、と。


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