Information – 松浦ゆみのDinner Show
―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月15日の稿に
11月15日、晴、行程7里、中津、昧々居
いよいよ深耶馬溪を下る日である、もちろん行乞なんかはしない、悠然として山を観るのである、お天気もよい、気分もよい、7時半出立、草鞋の工合もよい、巻煙草をふかしながら、ゆつたりした歩調で歩む、岩扇山を右に見てツイキの洞門まで1里、ここから道は下りとなつて深耶馬の風景が歩々に展開されるのである、-深耶馬はさすがらよかつた、といふよりも渓谷が狭くて人家や田園のないのが私の好尚にかなつたのであらう、とにかく失望しなかつた、気持ちがさつさうとした、-略-
3里下つて、柿坂へついたのが1時半、次の耶馬溪駅へ汽車に乗る、一路昧々居へ、一年ぶりの対面、いつもかはらない温情、よく飲んでよく話した、極楽気分で寝てしまつた。‥‥
※表題句の外、12句を記す
―今月の購入本―
・坂本龍一・吉本隆明「音楽機械論」ちくま学芸文庫
四半世紀前の1984年、坂本の創作現場に吉本が立ち会い、当時先端の電子機器を用いた作曲手法を坂本が解説、音楽が作品として屹立していくさまが具に描かれ、モードが変わりつつある文化の時勢、未来を予測する先見的な対話が紡がれた。
・A・セゼール「帰郷ノート/植民地主義論」平凡社ライブラリー
1930年代、フランス植民地主義の同化政策を批判し、黒人存在の文化的・政治的尊厳回復を訴える「ネグリチュード-黒人性-」の思想を生み出し、その意識発展のドラマ「帰郷ノート」は、ブルトンらシュルレアリストたちに絶賛された。
・山田風太郎「戦中派不戦日記」講談社文庫
まえがきに、私の見た「昭和二十年」の記録である。満23歳の医学生で、戦争にさえ参加しなかった。「戦中派不戦日記」と題したのはそのためだ、と記す、歴史と死に淡々と向き合い対峙した克明な記録。初版1973年、文庫版は1985年。
・山田風太郎「人間臨終図鑑 -1-」徳間文庫
神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す-著者-、15歳で火刑に死んだ八百屋お七にはじまり、脂の乗りきった55歳、ガンで逝った大川橋蔵までを網羅した、さまざま臨終の絵模様。初犯1986年。
・夢枕獏「上弦の月を喰べる獅子 -上」ハヤカワ文庫
あらゆるものを螺旋として捉え、仏教の宇宙観をもとに進化と宇宙の謎に、螺旋思考で肉迫する幻想SF。初版1989年。
・武田一度「かしげ傘 -武田一度戯曲集」カモミール社
劇団犯罪友の会を主宰する、畏友武田一度の戯曲集第2弾、大正末の恋物語を描いた表題作、明治中期の大阪南部の古い宿場を舞台にした「にほやかな櫛」、右翼のクーデター未遂事件を題材にした「手の紙」など4本を収録。解題に劇評家渡辺保が一文を寄せている。
・平林敏彦「水辺の光 一九八七冬」火の鳥社
戦後の「廃墟」1951、「種子と破片」1956以後、30余年の長い沈黙を破って、再び書き始めた平林敏彦再生の、その契機となった詩集。この発刊にただならぬ尽力した太田充弘より受贈。太田充弘は岸本康弘とともに「火の鳥」誌同人だ。
その他に、芥川賞の「終の住処」を掲載した「文藝春秋」9月号、広河隆一編集「DAYS JAPAN」9月号
―図書館からの借本―
・斎藤環「関係の化学としての文学」新潮社
関係が関係に関係する-関係性の四象限。関係の化学の作動を支えているのは、シニフィアンの運動である。もしそうであるなら、言語を直接の素材とする小説が、もっとも化学反応を呼び起こしやすいのも当然だ。どれほど衰退が叫ばれようと、小説が読まれ続けるのは、ひとつにはこうした「関係の化学」の享楽ゆえである。他ジャンルの追随を許さない関係性のリアリティゆえに‥。
・R.M.ネシー・G.C.ウィリアムズ「病気はなぜ、あるのか」新曜社
はたして人間にとって病気は憎むべき存在なのか? 進化生物学で得られた知見を医学に応用すると‥、ダーウィニアン医学から病気やケガ、老化などを読み解くとどうなるか。遺伝性の病気や感染症ばかりではなく、アレルギー、精神障害、さらには嫉妬や妊娠といった性の問題にまで踏み込んでいる。
・宇沢美子「ハシムラ東郷」東京大学出版会
日系人ハシムラ東郷は、20世紀初めに米国の新聞や雑誌のコラムの書き手として登場した。彼の書いたコラムは、ユーモア文学の大家マーク・トエィンにも絶賛されるほど人気を博した。ところが、実は白人作家ウォラス・アーウィンによって生みだされた「偽装-イエローフェイス-」の日本人だった。
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