山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

寝酒したしくおいてありました

2009-09-30 23:29:51 | 文化・芸術
Dancecafe081226135

Information – 松浦ゆみのDinner Show

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月15日の稿に
11月15日、晴、行程7里、中津、昧々居

いよいよ深耶馬溪を下る日である、もちろん行乞なんかはしない、悠然として山を観るのである、お天気もよい、気分もよい、7時半出立、草鞋の工合もよい、巻煙草をふかしながら、ゆつたりした歩調で歩む、岩扇山を右に見てツイキの洞門まで1里、ここから道は下りとなつて深耶馬の風景が歩々に展開されるのである、-深耶馬はさすがらよかつた、といふよりも渓谷が狭くて人家や田園のないのが私の好尚にかなつたのであらう、とにかく失望しなかつた、気持ちがさつさうとした、-略-

3里下つて、柿坂へついたのが1時半、次の耶馬溪駅へ汽車に乗る、一路昧々居へ、一年ぶりの対面、いつもかはらない温情、よく飲んでよく話した、極楽気分で寝てしまつた。‥‥

※表題句の外、12句を記す

―今月の購入本―
・坂本龍一・吉本隆明「音楽機械論」ちくま学芸文庫
四半世紀前の1984年、坂本の創作現場に吉本が立ち会い、当時先端の電子機器を用いた作曲手法を坂本が解説、音楽が作品として屹立していくさまが具に描かれ、モードが変わりつつある文化の時勢、未来を予測する先見的な対話が紡がれた。

・A・セゼール「帰郷ノート/植民地主義論」平凡社ライブラリー
1930年代、フランス植民地主義の同化政策を批判し、黒人存在の文化的・政治的尊厳回復を訴える「ネグリチュード-黒人性-」の思想を生み出し、その意識発展のドラマ「帰郷ノート」は、ブルトンらシュルレアリストたちに絶賛された。

・山田風太郎「戦中派不戦日記」講談社文庫
まえがきに、私の見た「昭和二十年」の記録である。満23歳の医学生で、戦争にさえ参加しなかった。「戦中派不戦日記」と題したのはそのためだ、と記す、歴史と死に淡々と向き合い対峙した克明な記録。初版1973年、文庫版は1985年。

・山田風太郎「人間臨終図鑑 -1-」徳間文庫
神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す-著者-、15歳で火刑に死んだ八百屋お七にはじまり、脂の乗りきった55歳、ガンで逝った大川橋蔵までを網羅した、さまざま臨終の絵模様。初犯1986年。

・夢枕獏「上弦の月を喰べる獅子 -上」ハヤカワ文庫
あらゆるものを螺旋として捉え、仏教の宇宙観をもとに進化と宇宙の謎に、螺旋思考で肉迫する幻想SF。初版1989年。

・武田一度「かしげ傘 -武田一度戯曲集」カモミール社
劇団犯罪友の会を主宰する、畏友武田一度の戯曲集第2弾、大正末の恋物語を描いた表題作、明治中期の大阪南部の古い宿場を舞台にした「にほやかな櫛」、右翼のクーデター未遂事件を題材にした「手の紙」など4本を収録。解題に劇評家渡辺保が一文を寄せている。

・平林敏彦「水辺の光 一九八七冬」火の鳥社
戦後の「廃墟」1951、「種子と破片」1956以後、30余年の長い沈黙を破って、再び書き始めた平林敏彦再生の、その契機となった詩集。この発刊にただならぬ尽力した太田充弘より受贈。太田充弘は岸本康弘とともに「火の鳥」誌同人だ。

その他に、芥川賞の「終の住処」を掲載した「文藝春秋」9月号、広河隆一編集「DAYS JAPAN」9月号

―図書館からの借本―
・斎藤環「関係の化学としての文学」新潮社
関係が関係に関係する-関係性の四象限。関係の化学の作動を支えているのは、シニフィアンの運動である。もしそうであるなら、言語を直接の素材とする小説が、もっとも化学反応を呼び起こしやすいのも当然だ。どれほど衰退が叫ばれようと、小説が読まれ続けるのは、ひとつにはこうした「関係の化学」の享楽ゆえである。他ジャンルの追随を許さない関係性のリアリティゆえに‥。

・R.M.ネシー・G.C.ウィリアムズ「病気はなぜ、あるのか」新曜社
はたして人間にとって病気は憎むべき存在なのか? 進化生物学で得られた知見を医学に応用すると‥、ダーウィニアン医学から病気やケガ、老化などを読み解くとどうなるか。遺伝性の病気や感染症ばかりではなく、アレルギー、精神障害、さらには嫉妬や妊娠といった性の問題にまで踏み込んでいる。

・宇沢美子「ハシムラ東郷」東京大学出版会
日系人ハシムラ東郷は、20世紀初めに米国の新聞や雑誌のコラムの書き手として登場した。彼の書いたコラムは、ユーモア文学の大家マーク・トエィンにも絶賛されるほど人気を博した。ところが、実は白人作家ウォラス・アーウィンによって生みだされた「偽装-イエローフェイス-」の日本人だった。


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

鉄鉢、散りくる葉をうけた

2009-09-28 22:22:37 | 文化・芸術
Dancecafe080928195

Information – 四方館のWork Shop

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月14日の稿に
11月14日、霧、霜、曇、-山国の特徴を発揮してゐる、日田屋

前の小川で顔を洗ふ、寒いので9時近くなつて冷たい草鞋を穿く、河一つ隔てて森町、しかしこの河一つが何といふ相違だらう、玖珠町では殆どすべての家が御免で、森町では殆どすべての家がいさぎよく報謝して下さる、2時過ぎまで行乞、街はづれの宿へ帰つてまた街へ出かけて、造り酒屋が3軒あるので一杯づつ飲んでまはる、そしてすっかりいい気持になる、30銭の幸福だ、しかしそれはバベルの塔の幸福よりも確実だ。-略-

浜口首相狙撃さる-さふいふ新聞通信を見た時、私は終証義を読みつつ行乞してゐた、-無情忽ちに到るときは国王大王親眤従僕助くるなし、ただ独り黄泉に赴くのみなり、己れに随ひゆくは善悪業等のみなり。-略-

明日の事-耶馬溪の渓谷美や、昧々さんとの再会や何や彼や-を考へて興奮したからだらう、2時頃まで寝られなかつた、かういふ身心では困るけれど、どうにもしようがない。-略-

※表題句の外、10句を記す

―四方のたより― Info-Work Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

あふるる朝湯のしづけさにひたる

2009-09-26 23:33:25 | 文化・芸術
Caso09


CASOにおけるデカルコマニィ的展開青空展-10/27~11/1-

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月13日の稿に
11月13日、曇、汽車で4里、徒歩で3里、玖珠町、丸屋

早く起きて湯にひたる、ありがたい、此地方はすべて朝がおそいから、大急ぎで御飯をしまうて駅へ急ぐ、8時の汽車で中村へ、9時着、2時間あまり行乞、ぼつぼつ歩いて2時玖珠町着、また2時間あまり行乞、しぐれてさむいので、ここへ泊る、予定の森町はすぐそこだが。

山国はやつぱり寒い、もうどの家にも炬燵が開いてある、駅にはストーブが焚いてある、自分の姿の寒げなのが自分にも解る。-略-

吊り下げられた鉤にひつかかる魚、投げ与へられた団子を追うて走る犬、さういふ魚や犬となつてはならない、さうならないための修行である、今日も自ら省みて自ら恥ぢ自ら鞭つた。

寒い、気分が重い、ぼんやりして道を横ぎらうとして、あはや自動車に轢かれんとした、危ないことだつた、もつとそのまま死んでしまへば却つてよかつたのだが、半死半生では全く以て困り入る。-略-

※表題句の外、5句を記す

―四方のたより― 上弦月彷徨篇はまずまず

それぞれのScene-Danceにお題をふった所為もあったのかもしれぬが、いまどきにしてはちょっと重い、些か重厚に過ぎたかという全体の印象はあろうが、面白い箇所もふんだんにとはいかないがそこそこに、手前味噌ながらかなり見応えのある一時間あまりとなった、本日の会であった。

土曜の昼下がり、前回に比べて客足はよくなかったものの、ずいぶん懐かしい顔がわざわざ運んでくれたのもうれしかった。

扨、昨年からレギュラーで出演しくれているデカルコ・マリィを中心にさまざまなジャンルのアーティストたちが寄り集って、大阪港は海岸通りのギャラリーCASOで、「デカルコマニィ的展開/青空展」が10月27日から一週間行われる。昨年7月につづく第2弾だが、前回に増してにぎやかな顔ぶれが揃い、パワフルで愉快な祝祭週間となろう。

まだ日時のほどを確定させていないが、四方館もどこかで顔を出すことにしているので、決まればまたお知らせしたい。


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

また逢うた支那のおぢさんのこんにちは

2009-09-25 23:55:18 | 文化・芸術
519raxjvz8l

Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊-上弦月彷徨篇」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月12日の稿に
11月12日、晴、曇、初雪、由布院湯坪、筑後屋

9時近くなつて草鞋をはく、ちょつと冷たい、もう冬だなと感じる、感じるどころぢやない、途中ちらちら小雪が降つた、南由布院、この湯の坪までは4里、あまり行乞するやうなところはなかつた、それでも金14銭、米7合いただいた。-略-

もくもくともりあがつた由布岳-所謂、豊後富士-である、高原らしい空気がただようてゐる、由布岳はいい山だ、おごそかさとしたしさとを持つてゐる。-略-

此地方は驚くほど湯が湧いてゐる、至るところ湯だ、湯で水車のまはつてゐるところもあるさうな。-略- 

山色夕陽時といふ、私は今日幸にして、落日をまともに浴びた由布岳を観たことは、ほんたうにうれしい。-略-

同宿3人、みんな同行だ、みんな好人物らしい、といふよりも好人物にならなくてはならなかつた人々らしい、みんな一本のむ、私も一本のむ、それでほろほろとろとろ天下泰平、国家安康、家内安全、万人安楽だ-と、しておく、としておかなければ生きてゐられない-。

※表題句の外に、6句を記す

―表象の森― 死にざまとは生きざま

山田風太郎の「人間臨終図鑑-1」-徳間文庫、初版単行本は1986年9月徳間書店刊-を読む。

第1巻は、15歳で刑場の露となった八百屋お七にはじまり、長年テレビ時代劇の銭形平次を演じつづけた所為で結腸癌を肝臓に転移させて55歳で急死した大川橋蔵まで、延べ324名を網羅し、ごくコンパクトにそれぞれの死にざまを活写するが、まさに、死にざまとは生きざまそのもの、であることよとつくづく感じ入る。

天誅組首領として19歳で殺された白面の貴公子中山忠光、その姉の子が後の明治天皇となった。スペイン風邪から結核性肺炎を罹病した村山槐多は23歳だったが、その実自殺同然の死であったと。
安政の大獄で殺された橋本左内は25歳。大正12年、摂政宮-後の昭和天皇-を狙撃して絞首刑に処された難波大助も同じく25歳。明治維新まもなく反逆罪に問われ梟首された若き熱血詩人雲井竜雄は26歳。北村透谷も石川啄木も26歳で逝った。
日本映画創世記の若き天才監督山中貞雄は日中戦争で召集され29歳で戦地に死す。「嵐が丘」を書いた早世のエミリー・ブロンテは30歳。大逆事件に連座して絞首刑となった菅野すがも同じ30歳。共産党の非合法下、築地署の留置場で特高らによって拷問死に至った小林多喜二も30歳だった。
存命中はまったく認められず貧窮の内に31歳で病死したシューベルト。丸山定夫率いる移動劇団「桜隊」の一員として広島で被爆した宝塚出春の新劇女優園井恵子も31歳、原爆投下の2週間後に死んでいる。因みに桜隊は丸山以下全員が原爆の犠牲となって死んだ。
敗戦後の日本人を悲しくも爆笑させた怪異珍顔の落語家三遊亭歌笑は、銀座松坂屋の前で進駐軍のジープに撥ね飛ばされ即死したが、これも31歳の若さであった。等々、拾い出せばキリがない。


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

ずんぶり浸る一日のをはり

2009-09-24 23:25:24 | 文化・芸術
080209153

Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊-上弦月彷徨篇」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月11日の稿に
11月11日、晴、時雨、-初霰、滞在、宿は同前

山峡は早く暮れて遅く明ける、9時から11時まで行乞、かなり大きな旅館があるが、ここは夏さかりの冬がれで、どこにもあまりお客さんはないらしい。

午後は休養、流れに入つて洗濯する、そしてそれを河原に干す、それまではよかつたが、日和癖でざつとしぐれてきた、私は読書してゐて何も知らなかつたが-谿声がさうさうと響くので-宿の娘さんが、そこまで走つて行つて持つて帰つて下さつたのは、じつさいありがたかつた。

ここの湯は胃腸病に効験いちじるしいさうだが、それを浴びるよりも飲むのださうだ、田舎からの入湯客は一日に5升も6升も飲むさうな、土着の人々も茶の代用としてがぶがぶ飲むらしい、私もよく飲んだが、もしこれが酒だつたら! と思ふのも上戸の卑しさからだらう。-略-

暮れてから、どしや降りとなつた、初霰が降つたさうな、もう雪が降るだらう、好雪片々別処に落ちず。-略-

※表題句の外、9句を記す


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-