語ること、歌うこと、演じることが自然につながってしまう、
ピエール・バルーのトーク・ショーに行きました。
ピエール・バルーは、
フランスで出会った両親の
市場を巡り歩く行商人の息子として生まれ、
子供のころナチの迫害を避ける為に、田舎の農家のせわになっていたり、
15歳から30歳までは、半年ほどの旅を繰り返し、
人と出会い、感じてきたことを、
言葉に、歌に、演劇に、映画に、表現して伝えてきたようです。
私には、昔大切にしていたLP、
ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」の
サラヴァ・レーベルの主催者であり、
映画「男と女」や、「白い恋人たち」をつくっていた人です。
ピエール・バルーが、歩み、語り、歌うのをみていると、
生きていることは交流であり、表現であり、
演じることと暮らすことが分かれていない、
現代の"吟遊詩人”てこんなかなと思います。
彼は、好奇心を失ったときが、死だと語ります。
<駅やビストロですれ違っているかもしれない人たちに・・・
同じ船のなかで、この時代の一場面を生きている人たち。
不必要なものは何一つないと本当に思っています。
ひとつひとつの言葉やしぐさを風が宙に舞わせます。
どこにそれが落ちていくかは分からないけど・・・
思考自身に生命の種が宿っていれば、
花粉のように飛び広がり、実を結ぶのです。・・・>
- ピエール・バルー
「サラヴァの軌跡1967-2002」ライナーノーツより -
今回は、「サ・ヴァ、サ・ヴィアン(行ったり来たり)」
求龍堂刊行記念のトークショーでした。
その帰りがけ、
ピエールが、通訳をされていた奥様と
一緒に喫煙所でタバコをすっているところに行き会って、
”Thank you!”と声をかけて通りすぎました。
CD「サラヴァの軌跡1967-2002」
を期待してもってきていたことを思い返し、
引きかえしてサインをしてもらいました。
"メルシー・ボクー・・・、ヴォン・ヴォヤージュ”
フランス語らしき言葉を総動員。
知り合っている人と
立ち入りあう緊張も、
知らない人に
関わらないようにする緊張も、
ちょっとほぐしても、いいですね。
ピエール・バルーのトーク・ショーに行きました。
ピエール・バルーは、
フランスで出会った両親の
市場を巡り歩く行商人の息子として生まれ、
子供のころナチの迫害を避ける為に、田舎の農家のせわになっていたり、
15歳から30歳までは、半年ほどの旅を繰り返し、
人と出会い、感じてきたことを、
言葉に、歌に、演劇に、映画に、表現して伝えてきたようです。
私には、昔大切にしていたLP、
ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」の
サラヴァ・レーベルの主催者であり、
映画「男と女」や、「白い恋人たち」をつくっていた人です。
ピエール・バルーが、歩み、語り、歌うのをみていると、
生きていることは交流であり、表現であり、
演じることと暮らすことが分かれていない、
現代の"吟遊詩人”てこんなかなと思います。
彼は、好奇心を失ったときが、死だと語ります。
<駅やビストロですれ違っているかもしれない人たちに・・・
同じ船のなかで、この時代の一場面を生きている人たち。
不必要なものは何一つないと本当に思っています。
ひとつひとつの言葉やしぐさを風が宙に舞わせます。
どこにそれが落ちていくかは分からないけど・・・
思考自身に生命の種が宿っていれば、
花粉のように飛び広がり、実を結ぶのです。・・・>
- ピエール・バルー
「サラヴァの軌跡1967-2002」ライナーノーツより -
今回は、「サ・ヴァ、サ・ヴィアン(行ったり来たり)」
求龍堂刊行記念のトークショーでした。
その帰りがけ、
ピエールが、通訳をされていた奥様と
一緒に喫煙所でタバコをすっているところに行き会って、
”Thank you!”と声をかけて通りすぎました。
CD「サラヴァの軌跡1967-2002」
を期待してもってきていたことを思い返し、
引きかえしてサインをしてもらいました。
"メルシー・ボクー・・・、ヴォン・ヴォヤージュ”
フランス語らしき言葉を総動員。
知り合っている人と
立ち入りあう緊張も、
知らない人に
関わらないようにする緊張も、
ちょっとほぐしても、いいですね。
息をしていて、
語りはじめ、
歌いだすと、
どこでもそのまま
ピエール・バルーの世界になってしまいそうですね。
コメントありがとうございました。
その空気なんともいえませんね。
近所にムーンライダーズという日本最古のバンドの
メンバー(鈴木さん)が住んでいまして、そのころ
ピエールさんと一緒に創作活動をしており知りました。
また是非やわらかいお話し期待しております。