モノと心の独り言

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都市再生、 リニューアルからリジェネレーション、まちづくり国際シンポジウムから

2006-03-13 10:52:10 | コミュニケーション-メディア
3月8日 東京大学先端まちづくり学校 まちづくり国際シンポジウムで、
ニューヨークのジャーナリスト・都市評論家である、
ロバータ ブランデス グラッツの講演を聴いた。
 基調講演の要旨
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都市再生 ロバータ・ブランデス・グラッツ 晶文社

アメリカのリニューアルの失敗とリボーンによる再生事例を
写真の解説を通して考えることができた。

さて日本、
日々当たり前の街並みも
早い・遅いに関わらず、変わりゆく。
ある時期、建築まで舞台の書割のように造られた時代があって、
その視野でいかに目立つかと
短いサイクルのメディアやスクリーンみたいな扱いをして、
建築は装置化しつつもある。

暮らし方もまた、個人化・私有化を極め、
溢れかえるメディア・イメージのなかで、
モノとしてのフィギュア、ブランド、エリアを占用し、
誰にも命令され・強制されることなく
”自由”に”我”を拡張することが、欲望される。

しかし街は、
”永久使用権をもっている人でも、
使用権料を払っている人でも、
20%のお得意さんでも、
納税している人だけでも、
規則・運営を定める人たちでも、
計画に参画できる関係と暇のある人たちだけのモノでもなく、
私たちの関わり合いが生み続けてきた、別の生きものなのだ。

その再生を願う私たちは、
すでに、先祖の野山田畑から離れ浮浪する身であり、
生まれたときから、あるいは都市化してしまった街に暮らす人がほとんどだ。

都市再生が言われる今、
この街の手がかり・思い出を、
なんの知らせも、関わりも、手立ても無く、突然失うことは、
この街の未来に対する期待も失うことなのだ。
それは
自身の確かな今を揺らがせて、
わが身もまた、時の流れに身を任し、
死海への川筋をくだる。

renewal vs. regeneration
これは、子供たちのため以上に、
長寿時代の人が多世代で共生するためのものである。
子供は、あこがれる大人が居なければ、
明日を夢見ることも、今を耐えることもするわけがない。
そして、またその子供たちに見放される。

私たちは、
survival ではなく、 
alive で在ることができる社会にいるはずだ。
資産・年金を数えるだけじゃ生きられない。

では、どうしたらいいか?
まず、なにか街のことについて語ること、
語りだせば、自分で感じることができる。

社会モデルの未来へ - アーバン・トライバル・ライフ へ -
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