モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

ヒロシマ・フクシマ  中元紀子さんの写真教室グループ展で

2012-07-21 06:42:10 | ブログ「モノと心の独り言」のご案内

広島と東京と両方に拠点をもって活動をつづけている中元紀子さんの写真教室グループ展が東京駅・日本橋駅そばの『ギャラリーそら』で開かれています。

 
平和を写真で感じ・考え・表現した、生徒さん達作品を寄せ集めたり、手書きでコメントが書き込まれた写真が部屋を一杯です。入り口一枚目の、ヒロシマドームを見上げる人たちの色抜きされ和紙に印画された写真は、私の気分に応えてくれました。

写真で’平和’を考えようとすると、写像と言葉の関わりの弱さに気づきます。表象は、人の喜怒哀楽・関わり合いのようは一般性の強いものと、生活文化や歴史背景などを参照される個別性のつよいものがあります。印刷・放送・ネットメディアに浸って、より多くの露出に馴染みながら、共有される時代の意識は、それぞれのメディア・文化圏でつくられます。

言葉として考える’平和’もまた、’戦争を知らない平和’、’戦争を拒否し、知りたくない平和’として、平和という言葉が一人歩きして、コトを分けることのない気分へと空気化してしまうようです。

東京からヒロシマは遠く、被爆者の沈黙を遠巻きにみてきただけだが、今やフクシマは近い。軍事・政治支配よりも、経済支配のほうがより多くの差益を生む現代では、国家・国民戦争は誰ものぞまない。今は、国際経済バランスで優位を占めるために、国の生産性を上げ・国家収支も世帯収支も、すこしづつでも良くできるという状態こそ、’平和’と呼ばれているのではないか? 族や信者のテロの時代、国家内の内戦の時代に、’平和’に対峙する言葉は’不安’。原発のリスクは、生活の不便に耐え自然の気まぐれに頼るのでは解消されない。あらたなエコ・ビジネス、エネルギー・ビジネスを拡大し、原発依存率を暫時へらしながら、核物質廃棄処理を長期にわたって実行することで解消されてゆく。
ヒロシマは、戦争と核、フクシマは、世界経済と核。伴に時代状況の生存に関わる矛盾に直面していることを晒している。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿