(現状は)
人も地域も国も、防衛・生産・生活・文化を醸成した相互距離・時間の微分化が進んだ。その変化の差異を積分してきたグローバルな財閥も、標準金利指標の操作が暴かれ、コントロールが効かなくなり、世界の流動化が進む。後進国も何らかの資源が見いだされれば、即、投機金融市場化がすすみ、過剰な生産・消費を余儀なくされる。欲望という名の宇宙船地球号からは、降りるという選択枝がない。
(情報資本市場において)
ここで、さらなる成長生産分野として、グリーン・医療・介護分野の拡張が唱えられる。そこで国際競争力を維持し続けるには高集積・高能率・省力・省人化を追求し続け、市場差異を維持しつづける必要がある。今の市場差異は、個別の先端技術や生産力だけではない。その利用価値を作り・伝え・刺激を作り続けて、衣食住以上の生活意識に組み込んでゆく、ことこそが必要だ。アップルがグローバルなメディア生活を提案し、機器の生産地の最適化とサービスする人の消費地化をすすめてきたことに、何を学んでいるのだろう?
生産地の製造利益は、常に企画・営業利益よりも少ない。ライフスタイル=生活価値をグローバルに作り出す全体像がなければ、単なる下請け経済・下請け生活により差異の拡大が進み、明日を開く希望なく、情報社会での欲望ばかりがふくらみ、自身の欲求を育てられない。
工業立国では、製造業を離れれば、収入各差異が拡大する。人のサービスは、高資格者・高経営力者をのぞけば、より代替えでき、安くなる方へ進んでいる。グリーン・医療・介護の分野に働く裾野の人の収入が上がる仕組みは見えていない。日本の医療技術は、資格者がやればだれでも同じ。介護従事者は、人格をかけた仕事を評価できるようになっていない。グリーンは、特定の技術発展・普及ではなく、システムの総合化だけでもなく、生活スタイルの変革だが、ライフスタイル自体を、世界商品にする戦略・戦術が必要だ。(スマート・エネルギー、スマート・メディア、スマート・ライフという三本柱。身体のある現場を中心にした最適化。)
ここで気づくのは、人でこそ出来ている仕事の評価がされてこなかったこと。ジェンダーから見えたアンペイド・ワークという思想は、今、男女を越えている。子どもと高齢者を社会人として認め、役立てようとしていない。単に、消費者にしたてようとしている。
家庭が家族が親族が地域が分散しつづけて、個人化が進んで、養育・学習・社会参加も、母親・近隣・家族から、保育・養育・学校・熟・企業組織などに外部化してきた。それは、断片的なサービスをつぎはいで、人格も能力も社会適応もせざるをえない時代ということ。
子どもと持続的な時間を持てた母親は、少なくなった。親から子へと引き継げる仕事も少なくなった。持続的な時間で伝えられた相互連携的な人の関係や、徒弟制度のように身体で身につける技などの評価方法、そして、それに対価を払う社会的な習慣がなくなってきた。その場限りの関係・頼られない=束縛されない関係を求めるほどに、市場での売買関係・先払いの行政・保険サービスの利用へと依存が増える。しかし、今、孤立社会で必要とされる多くのサービスは、母親が・家族が、特別な資格も対価もなく、続けられてきたことではないか?社会の市場化が進んで、核家族の分散が進み、家庭の再生産力の欠如として、介護や養育の外部サービス化が進んできた。この流れを逆行することはできない。それは、市場差異こそが、新しい刺激を発展・共有したいとする人間の欲望を満たしてきたから。人は他人の欲望を欲望する他律的な動物、社会的な生命なのだ。
だから、なぜ家庭内でできてきたことを、もっと評価し、大切にし、市場社会だけに頼らない生活ができないか? 単身世帯が原則となれば、家庭・両隣に代わる、地域世帯という考えが必要になる。地域はすでに、高密度化し大規模建築・大規模住宅の中の個室と導線と化している。その地域世帯で、お互いにできる地域内非専門サービスの交換を考える必要がある。多様な立場の人が活動する都会地域では、その地域世帯参加者なのか、違うのか?国際通貨での市場交換を原則とするのか、地域世帯同士の相互関係を原則とするのかの識別をする必要がある。公私という2極と、市場と地域という2極を併存させる方法が必要だということだ。
そして、その地域の融通力は、地域外との通貨収支による差益の蓄積に比例する。いつのまにか、地域社会と市場社会という二重の社会に居ることを忘れていたし、’社会’を’国家’に短絡させていた。国家が地理的な資源を管理し、地域内ルールを設定し、違反者を処罰をし、海外と交換できる通貨を発行する組織であることは、それぞれの地域の自然と歴史による聖域を持続発展させる組織だということ。交通・運輸・通信・情報処理の世界基盤が充実してきた現代では、地域や企業も、かっての血族・民族・財閥・シンジケートと同じように、組織としての自律・発展をする世界の中の組織だ。
なぜ発展が必要か? それは、人が差異を求める・確かめ合うという社会的動物だから。
ということで、孤立社会化で失われた家庭内活動で行なってきた人のサービスの評価・対価を、自覚・社会化することが、新たな経済発展のもう一つの源となる。少子高齢社会が進ほど増大する経済市場である。地域内での交換は、その早さ・持続性・総合性が専門性・高度化よりも優先される。子どももシニアも参加するこで、地域内経済交換を補い、地域外市場には地域の固有性を活かした専門化・高度化したサービスを提供する。
(独り言なので、相手に応じて整理して語ろう)
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