このネット時代に「ソト暮らし」を敢えて提唱する言い訳です。
武力(物理力)・政治(精神力)・経済競合(生存力)で、風土に住み込んで、拡大と隔離による自己保存をする人間の、関係づくりの原点を、この近接学に求めています。互いにどう関わり合う原理が、この距離感に現れていると考えているからです。今後、デジタル・コミュニケーションのリアリティが増しても、意図して表現され意図して接するメディア以前に、心 . . . 本文を読む
「文学」の枠を越えたノーベル賞委員会もいいけど、
ディランは応えないで、歌い続けている。
メディア賞だったら、受けたかな?
いや、破壊の風は、スルーしたのでは?
権威からの一方的な評価は受けられない?
ライブで目の前の人と応えあって、歌っているのでは? ディラン!
How many years have you been singing, Dylan?
( . . . 本文を読む
’情報保障’とは、音が聞こえにくい人、眼が見えにくい人にも、伝えてゆける成熟社会の条件です。7月12日には、聴覚を中途失調された松森果林さんの講座でした。現代は、感覚障害・運動障害の困難を軽減する技術や道具ができている反面、健常者が自分の感覚や思考をおろそかにしがちになるほどに、情報も伝達手段も増えています。また、メディア技術の展開が速く、デジタル化されたメディア、ネットワ . . . 本文を読む
自分と未来を変える、新しい寄付のかたち、SOIF Vol.12[コミュニティの未来~実現する力~」
まちひとサイトで、 SOIF:The Social Investing farm を取材して、寄付されるお金を考えた。
子供を産み、遺伝子を残す以外の余剰を生み出すのが人間。余剰は変化・災難・看取る子孫のために蓄えられ、分配される。氏族・家族を超える余剰は交換され、余剰の社会活動から記録・象徴 . . . 本文を読む
3月25日まで、銀座の若山美術館で開かれている「グレン・ルイス展」は、グレンが巡った日本庭園の写真に、グレンが焼いた陶器をならべた楽しい展示。
まちひとサイト記事
「日本庭園にグレン・ルイスの陶器を’見立て’る面白さ、3月25日まで、若山美術館 銀座」
’見立て’とは、こ . . . 本文を読む
テレビ東京のWBS、スミスの本棚でLINE社長のの森川 亮さんが推薦していた『かっこにっぽんじん(日本人)』:橘玲 著、を通読した。巷の日本人論を、究極のグローバリズム(ユートピア思想)で(かっこ)にくくると、何が見える? . . . 本文を読む
なぜネットやクラウド・ゲームと連動して、多様な自発的なコンテンツやソーシャル・コミュニケーション機能と放送という巨大同時発信・反応機能をを活かそうとする方向へ進まないのか?
TV放送時代の終わりを象徴するのか?局を支えてきたスポンサーが、どう動いているのか?視聴モニターは、TVだけでなく、PC、ケータイの統合・連続利用できるスマホ・パッドへと展開を早めている。広告は、企業と顧客との生活・消費現場 . . . 本文を読む
東洋経済ONLINEの記事リンクに反応してしまった。日本人の的外れな「リベラルアーツ論」http://toyokeizai.net/articles/-/13697?page=8欧米言語の 'art'と'naiture'が、今後もグローバル言語として、大学でまなばれるかべきかどうか?いろいろ考えた。 . . . 本文を読む
英「エコノミスト」編集部による『2050年の世界』予測では、日本経済の没落が言われる。しかし、表意・表音・形象を漢字・かな・カタカナで表現してきた多重言語:日本語の使い手は、この多重コミュニケーション・メディアの時代こそ、我が時代。高齢者こそ、文字文化と身体文化の伝統を、ソーシャルメディアに託して、次の世代の舞台を・・・ . . . 本文を読む
表現されたモノが環境になった時代。表現する対象である外界よりも、表現する人の意識が、表現の手がかりを外界に求めるじだい。
またコンピューターでの作成は、モニター上の表現そのものが対象になった時代。モニター上の表現そのものが、リアルな時代。
そして、モニター上の映像は、アクセスされないと存在しない。データベースのハードディスクに在るときは零と一の差異の固まりでしかない。アクセスされることが存在す . . . 本文を読む
’アート’というモノはない、作家・媒介・享受者のコミュニケーションがあるだけだ。
コミュニケーションを媒介するモノは、作品という市場流通するモノばかりでなく、手がかり全般。
コミュニケーションの深さは、作家・媒介の質・享受者の三者に依存する。
深さを手がかりに求めるのか、関わりを生活の中に求めるのか、有り様は様々。
「アート・デザイン・工芸」が、 . . . 本文を読む