30.08.06 仇 討 No.1977
「仇討」(あだうち)または「敵打」(かたきうち)といいます。
明治政府が発足するまで、わが国にはこういう制度がありました。
親を殺された子が、その犯人を仕返しに殺害することが制度的にも
(道徳にも・美徳としても)認められていました。
妻を犯されたものは、その相手方を殺害する「女敵討」(めがたき
うち)が免許されました。
そして、その仇討が成就することが美徳であるという思想がありま
した。 これは政治に対する庶民の憤懣のガス抜き策として、
極めて重要な効果を発揮してきましたが、仇の方が圧倒的に強い場
合や仇討の相手がどこにいるのか分からない場合には、探索する資
金が続かないという過酷な「制度」でもありました。
でも、物ごとに決着を付けるという考えでは、現代の社会において
も評価されるべきものかも知れません。
オウムの死刑囚が執行されました。 一部には非難があるようですが、
これは仕方がないことでしょう。 むしろ遅きに失した感じがします。
もちろん「冤罪」は絶対にあってはなりませんが、こういう犯罪は個
人が対処出来るものではありませんから、個人の怨恨を公が変わっ
て執行することに、私は何ら異議はありません。