通勤電車で「人生晴れたり曇ったり」

“通勤電車”は、人生という線路を迷走中。
自分の選んだ道だから“晴れても曇っても”自分の足跡をブログに残していきたい。

人は毎日生きて、毎日死ぬ

2009年10月29日 | ただいま通勤中
こんばんは

昨日起き抜けに、めまいがした。確か1ヶ月ほど間にもめまいがした、と書いたような気がします。
今回も、周りがグルグル回転するのです。ちょっと吐き気が伴います。壁に体を持たれかけて、やっと移動することが出来た。
こんな状態でも仕事に行ったんですよ。サラリーマンの鏡でしょう。

原因はなんだろうと、Webで検索してみると、ストレスと寝不足のようです。

寝る前にテレビを見るな、てな事を書いてあったので、昨日はブログのアップはやめて少しでも早寝するか、しかしちょっと確認だけ、と思って見てみると、自分のブログが大事やんけ。あかん、一昨日は間違って元ネタを載せてしもーた。

てな訳で、昨日は”言い訳編”をアップしたわけです。
しかし、その後は、寝付けませんでした。

今日こそ、ブログと縁を切って早寝しようとしたら、こんな記事が・・・・

眠れないのは、頭が「眠るまい」としているのではと書かれており、その理由の一つとして、今日1日の幕を引く気になれないということが考えられる、と提言されています。

1日を締めくくる眠りを、いわば「毎日の死」として捉えてみると、今日1日を「よく生きて」いなければ、「よく死ねない」。
つまり、「死ぬに死ねない」がゆえに不眠になってしまうわけです。

もちろん、1日は限りある短い時間ですから、欲張ってあれもこれもすることはできません。
しかしながら、1日の中でたとえわずかでもその人らしい時間を持つことができたか否かは、その日の眠りを大きく左右します。

よく「身体を動かして疲れれば眠くなるものだ」と言われたりしますが、これは「身体を動かす」ことがその人らしい過ごし方である場合に限って有効なものであって、そうでないタイプの人がいくら身体を動かしても、「身体は疲れているのに、頭だけが冴えてしまって眠れない」ということになってしまいます。

静かに読書したり、音楽を聴いたり、日記をつけて自分との対話を行なったりすることがその人にとって大切な「自分らしい時間」であるならば、たとえ30分でもそんな時間を持つことによって、自分の奥底で何かが充足し納得するので、眠気も自然に訪れやすくなるでしょう。
どのように過ごすことが「自分らしい時間」になるのか、それは各人各様ですから、自分自身で試行錯誤しながら見つけていく必要があります。

おびただしい「すべきこと」に追い立てられ日々を過ごさざるを得ない私たちにとって、ここで述べたようなことを実行することは、なかなか容易ではないかも知れません。
しかし、何が自然で何が不自然なことなのか、日々の生活に何が欠けているのかということに無自覚であるよりは、せめて問題の所在に気づいているだけでも大きな違いなのです。

ダイヤモンド・オンラインから転載させていただきました。(感謝)

『人は毎日生きて、毎日死ぬ』名言です。今夜こそ安らかに


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