野分日記  ~Mint★Drop!のブログ~

日々の出来事、楽しんでいること、感じたこと・・・色々綴っていきます。
  

「資さんうどん」がやって来た!

2024年03月22日 | 野分日記
北九州発祥で九州全県に出店を果たした後、岡山に進出した「資さんうどん」が遂に関西に出店を果たしました(今福鶴見・尼崎に2店)

早速行こうと思いましたが、最高2時間待ちとの情報があって、これは時間をずらそうと夜8時に行きましたが、えらいもので30分ほど並びました。

これはもしかしたら「丸亀製麺」の強力なライバルになるかも知れません。

現時点で丸亀製麺=全都道府県出店・320店舗、資さん=9府県・60店舗です。

肉ごぼう天が一番人気です


ごぼう天うどん・500円


私は掛けうどん390円+大海老天220円=610円




ご馳走様でした

レトロ空間へ・・・

2024年03月21日 | 野分日記
そのカフェは曽根崎にあります。
蔵をリノベーションしたお店でいつの間にか予約無しには入店出来ない大人気店になりました。
いつもコーヒーと「固めのプリン」を注文します。

出入り口です


「固めのプリン」&コーヒー






2階席へ・・・


奇天烈なマグロ屋さん

2024年03月19日 | 野分日記
大阪・福島のはずれにはユニークな飲食店がそこそこあります。
今回お昼ご飯を食べたこのお店もそうです。
11時オープンなので10分前に行ったら、ちょうど満席で40分ほど待たされました。
カウンターだけの小汚い店内におじさんがワンオペです。
ランチの特上マグロ丼(1,500円)を頂きましたが、食べても食べてもマグロが出てきます。

おじさんのワンオペです・・・手際悪いです笑


特上マグロ丼・一応中トロのようです


御飯の上に3層くらいマグロが乗ります


食べ終わっても行列は続いていました

お腹の中へ・・・

2024年03月18日 | 野分日記
いよいよ太陽の塔の内部に入っていきます。
内部は地下1階から12階まであり、階段を乗り継いで地上30m、ちょうど「現在の顔」のあたりまで登ります。

万博当時はここから「右腕」に移動して更に「大屋根」内部の「空中展示」へと誘導されたのです。


「生命の樹」の一番下、微生物ですね


見上げると・・・



クロマニヨン人らが現れます


これは「左腕」、非常用通路でした



こちらは「右腕」。ここを登って外の「空中展示」に移動しました


太陽の塔のてっぺんを見上げています。






「太陽の塔」

2024年03月12日 | 野分日記
太陽の塔へ行って来ました。
1970年大阪万博のシンボルのように言われていますが、
もともとは入場者を「お祭広場」の大屋根の内部にある「空中展示」へ誘導するためのエスカレーターが内蔵された移動手段が目的でした。

そして太陽の塔には「4つの顔」があります。

正面の顔は「現在」、上の太陽は「未来」を表しています



背面の顔は「過去」です







これから内部に入ります

番外編  アステカの謎

2024年03月10日 | 野分日記
16世紀の初め、アステカは僅か500名の兵士と馬16頭のスペイン人によって滅ぼされました。明確にコルテスの「侵略欲」によるものです。

メソアメリカにはいくつかの特徴があります。
ユーラシアとは隔絶された文明圏で、馬がいないため「車輪」がなく、
鉄器を用いる事がなく、文字極めて原始的なものに留まっていました。
事あるごとに「生贄」を捧げ、周辺民族からは恨まれていました。

大河が無いため肥沃な農地は期待できず、米・小麦ではなく「とうもろこし」が主な食糧源でした。ただ「チナンパ農法」で首都「チノチティトラン」の人口を養っていました。


首都・チノチティトラン

この帝国があっと言う間に滅亡した理由は幾つか考えられています。
・最後まで統一国家が出来なかった・・・とは言え人口は1000万を擁していました。
・「生贄」の風習の為、周辺諸民族の反発を内包していた。
・白い肌をもつケツァルコアトル神が「一の葦」の年(西暦1519年にあたる)に戻ってくる、という伝説 が存在した。

これらの条件が作用して「周辺諸民族」がコルテス率いるスペイン人に協力をしたことで一気にアステカは崩壊しました。




この後、スペインは日本をも征服しようと進出してきますが、16世紀後半の日本は「戦国時代」の真っ最中。
全国に戦国大名が林立し、それぞれが強力な「武装集団」を擁していました。
特に「鉄砲(火縄銃)」は当時世界最大数を保有していたと言います。
それを目の当たりにしたスペイン人は日本の侵略を諦めます。




「古代メキシコ文明展」  ~地中に眠るアステカ帝国~

2024年03月07日 | 野分日記
アステカ帝国(1325年~1521年)はメキシコ中央部に栄えた国家でした。
その首都である「テノチティトラン」は現在のメキシコシティの場所になります。

1519年にスペイン人の「コルテス」が到来した時、テノチティトランの人口は数十万と推測され、当時世界一の都市でした。

500人の兵士と16頭の馬を率いた「コルテス」が1521年、このアステカを滅ぼします。そして首都・テノチチィトランを完全に破壊し地中に埋めてしまい、その上にメキシコシティを建設しました。

今、メキシコシティではアステカの発掘作業が続いています。













アステカを代表する遺物「イーグル戦士の彫像」






「古代メキシコ文明展」 ~赤の女王、初来日~

2024年03月01日 | 野分日記

今回の展示会の「目玉」「赤の女王」に尽きます。

マヤ文明の古代都市「パレンケ」を大国にのしあげた「パカル一世」(603年~683年)の王妃と言われているのが「赤の女王」です。

パカル王の神殿の隣から仮面を被った遺骨が発見された時、辰砂(しんしゃ)と呼ばれる真っ赤な有毒鉱物(硫化水銀)の粉で一面覆われていたため「赤の女王」と呼ばれます。

 

今回の展示会の象徴です。

 

 

気合いの入った展示空間です。

 

 

極めて小柄です。

 

 

 

 

パカル王もよく似た仮面と装飾品で葬られていました。