無題の続報 2015年01月14日 | 野分日記 私が撮影した写真「無題」にたくさんの感想お寄せ頂き有難うございます。 中には本当に撮ったの?という疑問の声もありました(失礼な! 笑) そこで一応証拠写真を。 本当に不思議なで、アンコール・ワットらしくない光景ですね。 ちなみに私にとって「カンボジアの風景」は次のような風景です。 « 初芝居に行ってきました! | トップ | 未年最初の限定公開… »
6 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 あんなかんじなんですか… (コタロウ) 2015-01-14 21:23:18 カンボジアって、行ったことがないのでわからないんですが、Mint★さんがおっしゃる2枚目の写真が、カンボジアらしいんですか? 返信する Unknown (yo) 2015-01-15 01:47:00 誰も疑ってはいないと思いますが^^;カンボジアのイメージは農村って感じですかね? 返信する Unknown (夢太郎) 2015-01-15 07:01:12 おはようございます。証拠写真のような風景が、Mint★さんの撮影された写真のように幻想的になるんですね。やはり以前に言われていたように、第一に美しい被写体に感動することが大切なのでしょうね。感動する心がシャッターを押させるのでしょうか?その風景を写真としてどのように切り取るかというのも大切なんでしょうね。また、出来上がりをイメージして、それを表現するための技術が高度であればこそ、幻想的な作品として仕上がるのでしょうね。 返信する コタロウさん (Mint★) 2015-01-16 02:46:40 私が観たカンボジアなんてごくごく一部に過ぎません。ただ、心に残る風景というのは必ずあるものです。この写真hあカンボジアの原風景と言うより「東南アジアの原風景」なのかも知れません。豊かな穀倉地帯が広がり、「米」は多くの人々を養ってきました。東南アジア全体で6億人という人口は、この「米」があればこそです。 返信する yoさん (Mint★) 2015-01-16 02:50:01 もちろん「農業」が最大の産業ですから、「農村」はカンボジアにとって重要なコンテンツであることは間違いありません。但し、「風景」に限定して考えるなら、私にとっては「青い空」と広大な「田」そしてパーム・ツリー、草を食む水牛って感じですね。観光ツァーで「さーと」済ます観光客は、こんな景色が見れません… 返信する 夢太郎さん (Mint★) 2015-01-16 02:58:13 写真が「感性」を大切にする芸術と言われる由縁です。最も須く、芸術には感性は付きものですが…「美しい・・・!」と思える景色に出会い、それを「カメラ」でどのように一瞬に固着させるか?被写体、カメラ、撮影者三者三様に「せめぎ合い」があり、1枚の作品が完成します。もちろん、被写体によっては「連写」で一瞬、一瞬を切り撮る事もあります。私がモデルの作品では、ヌード写真に時々見られます。それこそ「一瞬の感性」て感じですね。今回の作品では、ある技術によって「より幻想的」な写真に仕上げています。それはコンラストの強調であったり、色彩設計であったり、様々ですが、結果として「幻想的だ」と思って頂ければ、撮影者としては成功と言えるでしょう。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
カンボジアのイメージは農村って感じですかね?
証拠写真のような風景が、Mint★さんの撮影された写真のように幻想的になるんですね。
やはり以前に言われていたように、第一に美しい被写体に感動することが大切なのでしょうね。
感動する心がシャッターを押させるのでしょうか?
その風景を写真としてどのように切り取るかというのも大切なんでしょうね。
また、出来上がりをイメージして、それを表現するための技術が高度であればこそ、幻想的な作品として仕上がるのでしょうね。
私が観たカンボジアなんてごくごく一部に過ぎません。
ただ、心に残る風景というのは必ずあるものです。
この写真hあカンボジアの原風景と言うより「東南アジアの原風景」なのかも知れません。
豊かな穀倉地帯が広がり、「米」は多くの人々を養ってきました。東南アジア全体で6億人という人口は、この「米」があればこそです。
もちろん「農業」が最大の産業ですから、「農村」はカンボジアにとって重要なコンテンツであることは間違いありません。
但し、「風景」に限定して考えるなら、私にとっては「青い空」と広大な「田」そしてパーム・ツリー、草を食む水牛って感じですね。
観光ツァーで「さーと」済ます観光客は、こんな景色が見れません…
写真が「感性」を大切にする芸術と言われる由縁です。
最も須く、芸術には感性は付きものですが…
「美しい・・・!」と思える景色に出会い、それを「カメラ」でどのように一瞬に固着させるか?
被写体、カメラ、撮影者三者三様に「せめぎ合い」があり、1枚の作品が完成します。
もちろん、被写体によっては「連写」で一瞬、一瞬を切り撮る事もあります。
私がモデルの作品では、ヌード写真に時々見られます。
それこそ「一瞬の感性」て感じですね。
今回の作品では、ある技術によって「より幻想的」な写真に仕上げています。
それはコンラストの強調であったり、色彩設計であったり、様々ですが、結果として「幻想的だ」と思って頂ければ、撮影者としては成功と言えるでしょう。