「見た目より中身が大事」と、よく聞く言葉。
「外側よりも、本質が大切だ」という観念。と、とらえています。
問題は。
どこまでが外で、どこまでが中か。
どこまで質を重視すべきか。
例題として、こんな場合はどうでしょう。
友人の心と、鶏の心が入れ替わったとします。
どちらかを殺して食べないといけない、そんな状況。
どちらを食べますか?
人間の心が入った鶏か、
鶏の心が入った人間か。
鶏心の人間。
体は人間よ。感触も人間。
調理できますか?
人心の鶏。
体は鶏。さぞかしおいしいことでしょう。
この子は、本質的には鶏?人間?
なんてね。
私はちょっとずるいことを言っています。
本質の捉えかたは一つでない。
外見と中身の関係。
体と心に単純置換すれば、人心の鶏の中身は、人。
この鶏は、人である。これを食べるべきにあらず!
「食べる」の本質は栄養素。食感。見た目。。。それに伴う倫理観?。
人心の鶏の本質は、鶏。肉の品質も含めてね。
食べるのは、「鶏」。鶏心の人間だろうが、人間は人間。
・・・
この場合、仮定条件がおかしいけどね。
心身一如。心と体は分けられない。
(心→感覚・思考とするのなら、それを担っているのは全身の神経系と脳。物理的に分けることは不可能っしょ。)
「外側よりも、本質が大切だ」という観念。と、とらえています。
問題は。
どこまでが外で、どこまでが中か。
どこまで質を重視すべきか。
例題として、こんな場合はどうでしょう。
友人の心と、鶏の心が入れ替わったとします。
どちらかを殺して食べないといけない、そんな状況。
どちらを食べますか?
人間の心が入った鶏か、
鶏の心が入った人間か。
鶏心の人間。
体は人間よ。感触も人間。
調理できますか?
人心の鶏。
体は鶏。さぞかしおいしいことでしょう。
この子は、本質的には鶏?人間?
なんてね。
私はちょっとずるいことを言っています。
本質の捉えかたは一つでない。
外見と中身の関係。
体と心に単純置換すれば、人心の鶏の中身は、人。
この鶏は、人である。これを食べるべきにあらず!
「食べる」の本質は栄養素。食感。見た目。。。それに伴う倫理観?。
人心の鶏の本質は、鶏。肉の品質も含めてね。
食べるのは、「鶏」。鶏心の人間だろうが、人間は人間。
・・・
この場合、仮定条件がおかしいけどね。
心身一如。心と体は分けられない。
(心→感覚・思考とするのなら、それを担っているのは全身の神経系と脳。物理的に分けることは不可能っしょ。)