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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

「碁酩酊」ダメより怖いものは無い

2009-12-16 00:24:09 | Weblog
 全く馬鹿な話で自分が情けなくなる。
 
 囲碁は結局は勝ち負けを争うのですが、囲碁的テクニックとは別の次元で勝敗が決まる時があります。
 ネットで言えば接続状況の為とかパソコンそのものの不具合とか・・・
  私にはその他に、下戸なのにも拘わらず「酩酊状態」というか集中力の欠如で負けることがあります。
 マア、「1局の碁はこれでおしまい」などと思った瞬間にそれまでの集中力が欠如と言うか消滅して、せっかくの良い碁をフイにすることが珍しくない。
 それは、自分勝手に「勝ち」と思い込んでいたのが数えたら負けていたと言うような次元の話では無い。
 敢えて言い訳がましく、澄ました感じで言うと、平均的に集中力を保つのではなくて、相当高いパワーのある時と散漫の時があって平均して人並みと言うところなんでしょう。
 
 リアルで良くやる失敗は・・・例えば5子とか7子とか置かせた碁で、”粘り強い人”相手によくやる失敗。
 途中で、内容的に「この碁はもうお終い」などと思ってしまうといきなり集中力が激減する症状が出る。
 例えば黒さんが「ひたすらダメを詰める作戦」で打ってきた場合・・・作戦でも何でもないただのダメ詰めですが・・・それが分かっているのに「何やっているのかな」と見ていて白石を取られてしまうことが良くある。
 相手は十数手ダメ専の手を連続する・・・『それも努力賞の内かななどと思ったり』マア言って見ればこちらももう碁ではない次元での内容ですが、それで黒さんが「勝った勝った」と喜んでいるのを見ると『指導的な碁は向いていない』な思うしかない・・・内心では『あほらし、これは碁では無い』と思っているのですから。
 
 ネットではもう少し別の問題があります。
  例えばカケ目などを埋めずに終局=地計算にすると、そこも目数に数えてしまうので、終局手続きの一つとしてダメを埋めるわけです。
 もし相手が気がついていない場合はアタリをかけてそこを継がせる。
  さて攻め取り=打ち上げの場合
 リアルでは「終局」の合意があれば、ダメを全部詰めてしまってから打ち上げることもある・・・この辺の手続きは逆ですが「終局」に合意しているのですから、ダメを詰めたので相手が取ってしまうと言うことは起こりません。
  数えるためのダメ埋めなら、一度に2子石を置いてもルール違反では無い(中国ルールでは違反ですが)。
 ところがネット碁ではこの辺りに微妙な部分がある。
  例え半コウでも、コウを争っているのならコウ立てでダメを詰めると言うことも有り得るのですが、もう終局と言う段階でひたすら攻め合部分のダメを詰めて行けば・・・3,4手差の攻め合いで攻め取りになっているところが逆転。
 「あほらしくて話になりません」が、形の上では両者1手づつ打っているわけなので、ダメの逆転はどちらが悪いと言えば気がつかない方が悪いわけで、自分で自分を責めるしかない。
 しかし・・・。

 分かってはいても、その相手とは当分打つ気はしないでしょう。
  更に、引き続きもっと悪いことが起こるものなのです。
 こういうアホな事故的なことが起きた場合の対策は・・・多分その日は観戦もせずに「ひたすら眠る事」だろうと思います。
 こういうことが起こるには、自分の中にも何か原因になることがある筈ですから、そういう連続の中で事が好転する可能性はかなり低い。
  ところがこういう日に限って、打ちたい気持ちがいつもより募って来るのです。
 いやらしく「江戸の敵は長崎で・・・」みたいな気分もある。
  ところが本当は自分の中にも、何か原因物質があるのですから、『今日は打ったらアカン』とおもいつつ続けて打った2局は100手も打たないで投了となりました。(予想通り)
 一つのアホなミスが3連敗の呼び水になっている。
  
 さてさて怖いのはダメつまり・・・碁盤の上のダメつまりに自分自身の心臓の血管が詰まっているだけでなく、精神状態・脳神経がダメつまり症候群に見舞われている・・・。
 その翌日一つ勝ちました・・・マアマアまともに打てました・・・となると次がキーポイントかも。

必要なもの?

2009-12-15 04:51:32 | Weblog
 日曜日の午前中、いつものように自分の部屋でネット碁を観戦していると女房殿が顔を出して『今日は大型スーパーで生活支援セールがあるけれど、何か必要なものがありますか?』
 私はこういう質問には弱い。
  欲しいものはいろいろあるような気がするのだが、多分それを全部言ったら『優先順位1番』を聞かれるの違いない。
  つまり、欲しいものを全て買って貰えるほど甘くは無いのは分かっている。
  問題は「欲しい」と「必要」間にギャップがあるかどうかです。
   どうでも良さそうなことですが、つい考えてしまう・・・案外私は真面目な性格なのかも知れません(しかも融通が利かないタイプ)。
 今回も訊かれたので考えているようでは、大して緊急性が高い物はなさそう。
 別の見方をすれば、今日は昨日の続きなので、昨日必要でなかったものが今日急に必要になることは・・・明日から必要になるものがあれば別ですけれど。
  私が考え込んでいる間に、どうやら女房殿は時間切れと判断したらしい・・・『それなら訊くなよ』と言う気もする。

  普段下着、靴下、Yシャツなどはタンスの中に入っているのだから、必要量があればそれで良いだけの事。
 消耗品の類はある程度の量は買うとしてもこれは普段私が買わなくても女房殿が用意している。
 私に関してならプリンター用紙とかインクなどが当てはまりそうですが、わざわざ買いだめするようなものではない。

 一つ思い当たることがありました。
  それは靴です。
 背広を着る時に穿く靴はあるのだけれど、普段の通勤は自転車なのでスポーツタイプと言うかスニーカーと言うか、マア運動靴の方が良い。
 仕事もサンダルの人もいるけれど、私としては運動靴系の方が好き(サンダルは見た目にもヤル気を感じさせないので好ましくないと言うお達しもある)。
 その運動靴なのですが、今あるうちの3足は職場からの支給品。
 1足は息子のお古。
  僅かに1足自分で買った靴・・・それも5,6年前に。
 普段はそれで・・・それだけで暮らしている。
  昔足元が危険なところに出入りする時の為に支給された半長靴形の安全靴。
 雨の日用のゴム長も支給品。
  なんと自分で買った靴は1足しかない。
 いや、もう1足有りました。
  雨の日・冬の防寒防水兼用のブーツ。
 裏起毛で暖かくて、表面は人造レザーで雨雪に強いスグレモノです。
  これを買ったのは・・・履物問屋の営業の人から社員価格で買ったのですが、それが私の娘の生まれる以前!。
 と言うことは、30年以上使っていることになる・・・毎日履くものではないから、30年間の冬の雨又は雪の日限定、それも必ず穿くわけでもない・・・しかし何回穿いたのかは分からないほど穿いた、30年以上使っている靴がありました。

 さて30年使っているのだから31年目も大丈夫な気がしますが・・・突如破れたり壊れたりする心配もある。
 使っている方も使っている方だが、それを見て知っている筈なのに・・・あちらの方が確かに一枚上手なのは間違いない。

 「昨日の続き?」、そういう意味では自分の体だって安心なわけではない。
  薬で微妙なバランスを保っているだけだと言えますし、昨日までと明日からが同じと言う保証も無い・・・マア杞の国の人になっても仕方が無いが。
  パック牛乳を何気なく飲んで、ふと賞味期限を見ると昨日の日付であることに気がつき、急に腹具合が心配になる・・・あれですね。
 さて、新しく靴は必要だろうか?。

ふたご座流星群?

2009-12-14 00:08:19 | Weblog
 これは星座の話では無くて、知識興味の方向性の話です。
  話の始まりは最近のニュースで「ふたご座流星群・・・毎年この時期に見られる・・・1時間に15個ピーク時は50個程度・・・」という事を聞きました。
 1時間15個なら4、5分待てばみられますから、少々寒いのを我慢しても、空振りは無さそうですから見てみようかなと言う気になります。(問題は寒さ)
 ただ、ニュースを聞いた瞬間「?」がありました。

 「毎年この時期に見られる」って、私は聞いていない。
 いや、私が聞いていようが有るものはある、ないものは無いで良いですが、NHKのニュースでそう言うのなら、きっとそうに違いない・・・と言うことは私はこの年まで60年余りこの時期に夜空を見上げたことが無く、流星群についても噂も着たことが無いと言うことになりそうです。
 自分の性格を考えるとそういうこともあり得るので怖い。
  要するに自分の興味が無いものは見えないし聞こえない・・・
 囲碁は好きだから、それについてはアンテナが敏感に反応するのだけれど、そういう特異性は他の部分を犠牲にして成り立っているようです。
 脳細胞の内普通は1%程度しか働いていないのだそうで、これが2%働く人は大天才とか聞きました。
 要するに脳には無尽蔵にキャパがあるわけで、そういう意味では普段の仕事の他に囲碁の分だけ上積み作業しても一向に差し支える筈が無い。
 ところが1%の範囲で、仕事をしている脳としてはそこまで働き者では無いようで、囲碁向けの作業を特約する代わりに、他を手抜きをしてトータル1%を維持しているように思えます。
 従って興味がある事柄についてオ-バーワークさせると言うことは、ごく自然に他での手抜きを伴うと言うことでもある。

 ネットで調べてみると「しぶんぎ座流星群」「ペルセウス座流星群」「ジャコビニ座流星群」「しし座流星群」そして「ふたご座流星群」
 こんなにあるのに何も知らなかった・・・知ら無くても暮らせると言うことですね。
 そういう意味では「囲碁のない人生は考えられないほど面白い」と人に勧めても、現実に囲碁を知らないで生活している人の方が多いわけです・・・マア、そんようなものかもしれません。
 
 私の場合そういう風に出来ていて・・・「ふたご座流星群」は新知識なのでした。(名前を知っていたのは、恥ずかしながら「しし座流星群」だけ)
 興味があるのは「本当に、毎年この時期に見られる?」ですが、女房殿に訊いてもはっきりした答えが得られません。
 ニュースの映像を見て(記録映像があると言うことは過去の資料がある・・・)、「オリオン座の近くですかね?、どう思います?」などと・・・『私に訊くな!、応えられる筈が無い』。
 自慢ではないが知っているのは「金星」「火星」と天元とも言うべき「北極星」くらいのものです・・・それと天の川(最近とんと見かけませんが)だけです。

 さてさて流星群の知識は全部でこれだけで、流れ星が光っている間に願い事(少女趣味みたいですが)をすると叶うものなら、こんなに良いことは無い。
  願い事候補は「棋力が上がりますように」「出来るだけ長く打てますように」しか無い。
 鰯の頭も信心からと言いますし、ダメもとだし、流れ星は鰯の頭に比べればスマートな感じですから、試してみる価値はあるかも知れない?
 但し12月が耐寒能力から言ってタイムリミットですね・・・1月2月は無理。
  
 町の空気がきれいとは言えず、灯りに邪魔されないで本当に見られるのかな。

マイブーム5・7・5

2009-12-13 00:51:56 | Weblog
 NHKの番組で「カシャッと一句 5・7・5」と言う番組があります。
  朝に1回目の放送があるようですが、私が見るのは夕食を済ませてノンビリした時間の再放送・衛星2で19:45分からやっているので、たいてい見ることが出来ます。
 写真と俳句の組み合わせが良いですね。
  「お題」としてあらかじめ示された写真に自分なりの解釈で句をつけてネットで応募。
 これが面白い、人によっていろんな見方があることを知らされます。
  奇抜な句、深い解釈、捻りの利いたもの・・・
  句によって、その人の考え方や生活も垣間見られたりもします。
  出題は句が示されていて写真を応募する物とか、オリジナル写真に句をつけて応募するもの、あるいは自分のアルバムの中の1枚に句をつけるもの・・・いやー面白くて楽しい。
 句を作ることに慣れていない・下手・難しい・・・それと家に写真機はあるけれど自分では撮らないしデジカメも携帯シャメとも縁が無い・・・これでは参加することは厳しい。

 「これではならじ?」応募して選ばれるには、まずは応募する事(買わなきゃ当たらぬ宝くじ)・・・イヤその前に作ってみることをしなければ参加もあり得ないと言うことは自明の理。
 従って、やるしかないわけです・・・勿論義務では無いけれど・・・

 そう言えばこういう気分は・・・この「気分」に懐かしいものを感じました。
  思い当たることは中山典之先生の本です!!。
 私は若い頃先生の本が出版されると殆ど読んだものです。
  その頃は今よりもかなり棋力は低かったのですが、本を読む時間と長時間・あるいは連続で本を読む体力はありましたから今の10倍くらいは読書をしていた筈です。
  中山先生の本は囲碁に関する本の中で、囲碁をトータルに紹介してくれているような感じで好きでした。
 囲碁のテクニックだけでなく、その中のその周辺の人間模様・・・そして小節の区切りに「一句」添えられているのが嬉しかった。
 先生の父君が俳人だったとかで・・・先生も句を。
  これが読んだ文章とマッチしていて・・・そう今回の写真に添えた一句とイメージが似ているのです。
 当時は自分で囲碁に関する句を作るなど考えられもしなかったし、囲碁だけでなくそういう発想力も無かったから「いいなァ」と読ませて戴くだけでした。
 でもいつかは自分の文章に自分の句をつけたいと言うのが夢。
  未だに果たせない、永遠の夢かもしれませんが、もしかしたら”カシャッと”がその小さな第一歩になったら良いなと思ったりします。

 今回は文章では無く写真と言うより具体的なと言うか目に見えるお題なわけで、それなりに難しさはあるものの、多少とっつきやすくなっている気がします。
 本当は物の本質に迫るとか言う事で言えば難しいのですが、自分に見える事・感じることで良いということが多少気軽さを感じます。
 と言う事で「カシャッと一句 5・7・5」のホームページを開いて「冬シリーズのお題を検索し、早速を挑戦」
 1月6日の締め切りとかいくつかあるうちのお題の写真に句を考える・・・昨夜と今朝で全部で8句!?。
 うっそーという感じではあるけれど、出来栄えで言えばありきたりな解釈ですから、これは参加することに意義があると言うしかないでしょうが、これ以後続けばまさに小さな一歩を踏み出したことになる。
  尤も自分で楽しむ範囲で完結するでしょうから、小さな一歩のままでしょう。

 ところで囲碁の先生方はゴルフ・登山などのスポーツの他に「書道」「詩吟」などの会があったように記憶している。
 「俳句」とか「茶道」なども・・・記憶が薄いのですが。
 囲碁の世界的な広がりの中で、パソコンを利用したり、各種の研究会などの話は聞きますが、こういう囲碁以外の物はどうなっているのでしょう。
 「囲碁さえ強くなれば」と言うか「スポーツ囲碁的な感じ」と言うか・・・確かに強くなければいけないでしょうが、人間的な幅・深みなどを考えることは余計なことなんでしょうか?。

本意ではないけれど、嫌味な手

2009-12-12 00:37:18 | Weblog
 昨晩はネットでKさんと対局。
  この方は外回りで打つのが好きで、私は現ナマに目がくらむ方・・・と言う事なのでどちらかに勝敗が偏り易い。
 Kさんが厚がって地に甘ければ私の方が分が良い時期が続きますし、私が小銭稼ぎに走り過ぎればKさんの碁になる。
 昨夜はKさんの先で半目コミ出し。
  対局前に考えたのは『彼の得意パターンに嵌らない事』
 どういう形かと言うと、彼が小目とか星に先着しているところに小ケイマでかかると、上にツケ、ハネれば切りちがえる、切り違った石を当てれば、2目にして捨てて絞り形にし、中央の厚みで打つ・・・、”何か所でもひたすら切りちがえる”これがkさんの得意戦法。
 ふと思いついたことは『もしかしたらこれは白番に向いているのかもしれない・・・今回はkさんの先だからそれほど脅威は無い』『ともあれ小目にかからない形で打つ』あるいは『彼の得意技を発揮されても真ん中をぼかす』

 実戦は白4まで両者2連星・・・先ほどの理由でKさんは白に自分からかからずに一旦3連星に構えて置いて、私がかかるのを待って形を作って来るような気がしましたが・・・実戦は彼の方が私の2連星の方にかかって来ました。
 これは私の予想ハズレですが、逆に普通の手でもあり恐怖は無い。
  この碁は比較的私の方が上手く立ちまわったようで、中盤ではっきり優勢になりました。
 彼の勝負コウも確かに脅威ではあるけれど、負担は黒にもあるのでコウ立てさえ間違えなければ良い・・・但しコウがひと段落した後に私が打った手がひどかった。
 コウの振り替わりで殺した黒の大石の止めを刺す手=殺しておいて首をはねると言うか、死人の首を絞めるというか・・・これは仮にコウが発生した時にコウ立てで何度も使えないようにしたと言えば言い訳で、本当は全くの1手パス。
 細かな碁ならこれで逆転されても不思議では無い。
   ところが・・・幸い?なことに既に大差がついていて、万が一にも紛糾しそうな火種などは無い。
 だから白のアホ手が黒から見れば石橋どころか鉄の橋を叩いて渡っているような手に見えるかもしれない。
 本来叙事としてもこういう手は打ちたくい・・・見方を換えると「何をしているの?早くお投げなさい」に見える筈。
  実際は単なるアホな勘違いでしたが、結果はものすごく嫌味な手になってしまいました。
 流石にkさんこの手を見て投了(きっと”ムッと”したことだろう)・・・退室後棋譜で確認すると地合いは40目近く違っていたから一応ホッとしましたが・・・マア結果オーライ?。
 
 一眠りして(実際は観戦中に眠ってしまって)ふと目が覚めたのが午前4時。
  部屋の電気はいつものようにつけっぱなし、パソコンもネットも・囲碁観戦中で・・・流石にネットも対局は少ない・一番人通りが少ない時間帯でしょうね。
 見ればKさんは奮戦中。
  その相手を見ると・・・初めて見るお名前なので、入場者一覧表で確認すると、東北方面の人で20勝20敗。
 これは嬉しい新入会員。
  こういう勝敗と言うことは申請段位がこのネットではほぼ適正らしい。
 いずれは対局する筈なので、こういう人の碁は興味があります。
   さてKさん奮闘するも戦いに利あらず・・・ミニスランプなのか、先ほどの私との碁みたいにケチがついてしまったか・・・ゴメンネ『御休みなさい』。
 

 

初めての図書館

2009-12-11 00:40:06 | Weblog
 今日はいつも行っている区のコミュニティの図書館では無く、別の区のコミュニティ・図書館を初めて利用しました。
 今日の話に副題をつけるとすれば「嬉しいこと・嬉しくない事相半ば」あるいは「嬉しくもあり嬉しくも無し」と言う話です。

 私の課の業務の中に所管する地区の事務所を訪問して法律改正点を説明し、必要な書類が整備されているかどうか、法律に則って運営されているかどうかをチェックする調査があります。
 これが原則公共交通機関を利用して行うのですが、、、2年前には私はこの業務の戦力では無かった筈ですから、「行ってらっしゃい」「お疲れ様」と声をかけるだけだったのに・・・いつの間にか戦力と言うか頭数の中に入れられています。
 マア、戦力外宣告をされれば何といなく蚊帳の外みたいに哀しい気分にはなるでしょうが・・・でも現実には他の分担業務が減るわけではないのではっきり言って作業負担増加(収入削減!)。
  この仕事は先方に行ってある意味では相手の仕事にも立ち入るわけで、あくまで法律遵守の立場で話をするので微妙な緊張感・気疲れもある。
 そういう神経の疲労体力の消耗という意味では戦力外でも文句は言いませんが・・・。

 もう一つ刑事の聞き込みでは無いけれど、移動の主力は自分の足・これが問題。
 今住んでいるところは埋立地ですから近所は標高差0m。
  勤め先も同じですから6km余りの道を自転車で走ると言っても、途中の水路に架かる橋を越えるのが唯一の坂・・・これが標高差1m!。
 ところが仕事で訪問するところの半分以上はアップダウンの連続なのです。
  当市は埋立地の他は近年に開発された住宅地などが多いので、低いところは昔田んぼで、高いところは元雑木林・・・関東平野と言うと平らな感じがしますが、高さは大したことは無くても、実はうねりながら続いていると言う感じです。
 従って、ウォーキングではクロスカントリーみたいなところもある。
  加えて、普段歩かない生活をしている無精者には強制的に健康運動をさせられているような感じ・・・仕事で健康になれるなんて有りがたいような、迷惑みたいな・・・放って置いて欲しい!。
  身体的条件で言うと歩けば良いと言うことではありません(自慢じゃないが)。
 一時奨励されたジョギングだって、その後健康状態に留意して行うように変わったみたいに、やり方によっては無理があり、薬も毒になる。
 私の場合はウォーキングだってやれば良いと言うことでも無い・・・マア、威張って言うことでもありませんが(お医者様もホドホドにと言っています)。
 過度の負担は禁物と言う事で。

 ところで元々課の人数が少ないところに。先週は若い課員の子供と奥さんが新型インフルエンザに感染・発病して1週間休み、彼が現場復帰した途端に別の課員の高齢の母親の病気で離脱・・・常に減員状態・全くこういう時は現有勢力で乗り切るしか無い・・・のですが、私が現有勢力の内なんですよ・・・これが。
 まさに戦力として認定されて嬉しいような、嬉しくないような。
 頼り無くても頭数の内。
 美味しいものは小人数、仕事はみんなで。
 
 そういうことで、ここのところ4回連続調査で出動(本来の担当は1回置きなんですが)・・・少々ばて気味で、夜の寝つきが超良くて、観戦中の筈が朝だったと言うことが以前より増えています。
 そして今日も事務所訪問
  午前の予定が終わり、午後の訪問予定までに時間が出来たので、近くのコミュニティに時間調整に寄りました。
 そこの図書館で。
  (やっと本題にたどり着きました。)
 囲碁・将棋の棚を見ると、いつもの図書館より少し本の数が多いような気がします。(こういう差は、やはり利用者のリクエストなのか?・・・あるいはこちらの区の方が囲碁人口が多いというデータがあるのか?少し僻み混じりです)
 貸出係の人に「別の区に住んでいますがこの図書館の本を借りられますか?」
 「本を返すのはこの図書館に返すのですか?」と質問。
 答えは「(同じ市ですから)利用OK」で「返すのは最寄りの図書館で良い」
  (何だか得した気分)
  と言うことなので3冊の本を借りました。
「碁に勝てなければ他のことにも勝てない」文壇本因坊 白川正芳 1987年
「碁悦同衆」江崎 誠致 1994年
「自強不息 呉清源詰碁集」呉清源 1997年
  どれも皆”前世紀”物ですが、初めに目に着いたので借りました。
   悪いことばかりも無いと言うことでしょうね。

狙われる水曜日

2009-12-10 02:04:26 | Weblog
 私の仕事のスケジュールで水曜日は土日と同じですから、クリニックなどの検診が無ければ全くのフリーで、こういうリズムで何年かやっていると逆に週5日連続勤務には戻りにくいと思います。
 我が家では女房殿は通常勤務・所謂現役ですから私の水曜日のスケジュールを狙ってあれこれ画策してくる。
 「次の水曜日はいつも通り休みですか」
 私「・・・」これは何気なく訊いているようで、実は必ず下心があるので迂闊には返事がしにくいので、つい詰まってしまう。
 「どうなんですか?」
 私、嘘も言えないので小さな声で「うん」
 「良かった!。それなら豆乳鍋を作って置いて下さい」
 やはり、そんなものです。
 私の休みを利用して自分が楽をしようとする・・・但しこれに抵抗すると、結婚以来30有余年一度も洗濯と掃除をやっていないことが俎板に乗るであろうから、真っ向から抵抗は出来ない。
 私「なんで豆乳鍋なんだ」と搦め手から・・・
 「何鍋でも良いですよ、でもトマト鍋は美味しかったけれど先週食べたばかりだし、他の鍋にして下さい。それとたくさん作り過ぎないようにね」
 結局「作って置く」と言うことで女房殿の計画通り。
  量については「いろんな材料を使えば量も増えるもので、それに少量だけ作るのは美味しくない」と言う事で量は不問・・・でも作ることに変わりないし、多ければ翌日も女房殿は楽が出来る(二日続くことを我慢出来れば)。

 水曜日は私にとっては何もしないでのんびりする日ではなくて、女房殿にとっては家族の為?に何か仕事を言いつける日なのです。
 区役所に行くとか、銀行の用事、買い物、美味しい水補給・・・こういうことを大っぴらに言ってはいけない、「そんなに忙しいのですか?」「ちょっと寄行って来るのがそんなに大変なんですか?」・・・勝てない戦はするものでは無い。
 結局は『ハハッ、ごもっとも』と言う事でチョン。

 そういうことで水曜日は息子と昼に待ち合わせて男二人で外食。
  「1時20分駅前の交番前の横断歩道の信号を渡ったところ」と言う事で、ちょっと遅い時間だけれど昼ご飯。
 周りを見ると、仕事の途中で寄ったビジネスマン、職場の上司と部下などはそろそろ帰る時間、仲よしのご婦人のグループ、母娘らしき二人連れ・・・男の親子は見かけません。
  もしかしたら、男の親子で昼ご飯を外食ってどこか侘しい?のかも。
 黙々と食べて、「マアマア上手いな」
 息子「今度は母さんと、家族3人で来よう」だから、ホントに会話は弾みません。
 これが食事中の会話の全て。
 よくお酒を好きな人が「息子と杯を交わすのが夢」なんて言いますが、杯では会話だけでなくもっと他に触れ合うものがあるのでしょうね・・・想像です。
 食事ではそういう夢になりそうもない。

 夜にはお酒+海鮮料理となる店の昼定食を食べました。
  「刺身定食」とか「海鮮セット」「づけ丼」・・・昼はサービスみたいな気がして少しお得の期待感。
  尤も下戸ですから昼間しか縁が無い店ですが、こういう店があると試したくなる・・・マア息子はダシ。

 結局休みの1日にネット対局は1局・・・あと今日は2時間残っているので、もう1局は打てるかも知れません。

 

いつまでも一進一退?

2009-12-09 03:21:28 | Weblog
 スポーツでのリーグ戦星勘定では一進一退と言う所いう状況はよくあることです。
 これは力関係にそれほど差が無いものが争っていれば起こり得ることですし、競技している当事者やサポーターから見ればジレッタイ事ではありますが、野次馬的ファンには面白い時期でもあります。
 囲碁の場合は・・・観戦記などで「一進一退」と言う表現を見ると、私は(生真面目的に)首をかしげてしまいます。
 確かにどちらが有利か判らない場合、石を置いた方が有利に見えるのだが相手が着手するとそちらが良く見える場合に表現としては「一進一退」なのかもしれません。
 言葉遊びかもしれませんが
  一旦不利に見えた方が、形勢を盛り返し優位に立った場合・・・一方にさしたるミスが見えない場合、それでは先ほどまでの一方の有利に見えた状況はなんだったのだろうと考えてしまうのです。
 神ならぬ身で、しかも専門棋士に遠く及ばないザルの棋力では起こり得ることなのですが、先ほどの一進一退と言う状況が実は誤認だったと考えなくてはいけない。
 実はその時に認識されなくても、実は一方が有利だったか、あるいは優勢に立つ可能性を秘めていたと言うことらしいと考えなくては。
 つまり秘密のスイッチボタンみたいなものがあって、それを見つけると・それを知っていて押すことが出来ると場面が展開する。
 ザルとしてはそう考える。
  プロ同士の戦いは両者とも「秘密のボタン」の隠し場所をお互いに知っている者同士の戦いと言う事で、見ている素人には戦いの焦点が見えなかったりするのはこの辺りの問題なんでしょうね。
 
 ところで囲碁の場合は当然打った石は動けませんから、盤面に可逆性は無い。
  ですから常にその碁盤の状況から思考しなくてはいけない・・・のですが、打った瞬間「悪手」と自分でもわかるような手を打ってしまった場合、許されるなら大声で「待った!!」と言いたくなるが、当然それは許されないしネット碁にそういう機能は無い(あるネットもあるらしいが)。
 従って心情的とは関係なく物理的に「その場面から」次の手を考えるしか無い。
  そういう意味では思考は常に前に進めるしかない。
 逆に見れば、「振り返ってはいられない」は御気楽な性格には向いているかも。

 ネットでの星取り勘定は一進一退なら上々でしょうね。
  もし私が年齢からしても棋力が伸び盛りの時期なら、五分の星勘定なら不満を感じてしまうかも知れません。
 勝負事には相手があることですから、一種生意気な感じかも知れませんが、自分に対して感じることです。
 目に見えて伸びている時は良いですが、こういうものは平均して伸びて行くものではないので、-・-・のような感じがあるでしょうから問題は・の時期。
 私などはこういう時期をとうに過ぎていますので、今や・の連続です。
  それも点だったら上々吉で↓矢印の恐怖と闘う毎日で、矢印の方向を気にせず対局を楽しむ心境にならないと心の平安?は訪れない。
 それなら止めれば?・・・とんでもない、それが出来ないから碁キチなのです。
 と言うことは、死ぬまで一進一退ならば上出来と言う「無間地獄」・・・既にドップリ浸かっている気がします。
 













お笑い囲碁時代劇?

2009-12-08 02:20:47 | Weblog
 息子との「水戸黄門調」の会話の話を書きましたが、碁会所でもこういう芝居がかりの口調が飛び交うものです。
 碁会所ではアマとはいえ、いつではも大騒ぎしながら打つのではありませんで、ある瞬間にポツリと漏らすのが、状況にぴったりだったり、周りの静かさとのアンバランスで、緊張感が一気に緩んでそれが却って受けたりするのです。
 例えば先日の水戸黄門シリーズで行くと
  「助さん格さん、もう良いでしょう」・・・これは相手の大石を厳しく追及していたが、一旦それを中断する時、あるいは「このくらいイジメれば、もう勘弁してアゲル」。
  「越後屋、お主も悪じゃのう」・・・これは相手がミエミエの嵌め手を仕掛けてきたり、露骨のダメ詰め戦法出来た時に『分かっているよ』という返事みたいな台詞。
  「イエ、お代官様コソ」・・・これは相手のからかいに対して『あなただっていつもやっているではありませんか』という抗議的返答。
  「遅かりし由良の介」
  「おのおの方、碁油断召さるな」
  「去年の秋の患いに・・・」
  「しらざー言って聞かせやしょう」

 明らかに芝居の台詞なら相当きついことを言っても空気が殺伐とすることはありませんが、これが本気とも冗談とも取れない場合は思わず役者の顔を盗み見てしまいます。
  例えばK泉師匠は冗談も好きな人ですが案外短気な人でもあり、地方の旧家の当主的立場でそれなりに迫力があり・・・こういう人が「そこへ直れ!」と言えばまさにお手打ち調
  それは碁盤上の話なのか、打ちながら余程勘に触ることを相手が言ったのか思わず見てしまいます。
  マア現実には恐ろしいことは起きませんが、こういう尖った感じの台詞は冗談としても敬遠して欲しい。
  そういう意味ではアニメ調の場合は周囲がびっくりすることはありません。
  「貴様やるナ」・・・これは宇宙戦艦ヤマトなのかガンダムだったかよく覚えていませんがライバル同士が喧嘩した後で親友になると言うような時の台詞だったと思います。
 「貴様」と言う言葉で一瞬ドキッとさせておいて「やる」という褒め言葉がついて来るので、わかっていてもつい笑ってしまいます。
 (ネットで「名台詞集」を検索すると「ガンダム」サイトが多いのでびっくりしました・・・世代の違いなんでしょうね)
 「ん!?怪しい奴、者ども出会え出会え」これは自陣への賊の侵入。
  アニメではルパンⅢ世みたいに「銭形君・・・」と言えば、相手の陣に打ちこんで見事に追求を交わすシーン。
  「親分ていへんだ」と言えばガラッ八が飛び込んでくるシーンですから、事件発生。

 さてさて格調高ければ「四書五経」とか「論語」「聖書」あるいは「学問のすすめ」などが出る筈ですが、やはり碁会所ですから「水戸黄門」「赤穂浪士」「暴れん坊将軍」「銭形平次」「宇宙戦艦ヤマト」「ルパンⅢ世」「魔法使いサリー」などなど・・・混然。
 出典がはっきりして、誰もが知っているものでないと受けないはずですから共通の認識・知識・経験と言うような意味では文化論?・・・そんなわけは無いか。
 

今年は何鍋?

2009-12-07 02:03:11 | Weblog
 秋も深まれば私の食の季節感としては茄子からサトイモに移って行きます。
  これは子供時代に祖母が健康と道楽でやっていた畑の手伝いで貰って来るのです・・・収穫の時ばかり手伝う・それも半分はコオロギなどを追いかけているようなものでしたが、それでも祖母としては孫と畑に出るのが楽しかったらしく、外孫の割には可愛がって貰いました。
 ともかく私が結婚して暫くの間は祖母も健在でしたので、秋になると好物の八つ頭を送って貰っていました。
 その祖母が亡くなり私の田舎からのサトイモ宅急便は来なくなりましたが、今度は女房殿の父親が送ってくれるようになりました。
 これは本人が作ったものではないけれど、退職後の畑仕事の仲間から貰って送ってくれました・・・今はその義父も亡くなり、義母も相当な高齢で畑どころでは無い。
 健在で居るだけ幸せですが、食いしん坊としてはチョッピリ残念な秋です。

 さて、冬になると我が家では鍋シーズンが始まります。
  今は息子との3人暮らしですので、一回作るとまずは2回か3回は食卓に出て来ます。
 寒い時期には温まる鍋は最適ですし、後2回は準備に手抜きが出来ると言う一石二鳥でもありますが、温め直して味が深まるようなもので無いといけません。
 鍋では無いけれど、これがオデンの年もありまして、概ねその冬のトレンドとなります。
 キムチ鍋の年、豆乳鍋の年、牡蠣中心に海鮮物が多い年・・・さて今年はどうやらカレーなべになりそうな気配が濃厚。
 普通のカレーライスはまず出て来ることが無いので、鍋タイプのカレーでも良しとする感じはあります・・・女房殿は教員なので給食でカレーはよく食べるために、全くの自分の都合で家では作らないのです。
 それにこういうものは一度にたくさん作ると美味しく出来るものなので、我が家の3人分のカレーは避けているようです。
 カレー鍋以外では最近スーパーで見かけた「甘熟トマト鍋」とやらもテスト次第では候補に入るかもしれません。
 あと、予想では将来エスニックなココナツ味・トムヤンクン調のようなベトナム風、タイ風という物が出て来る可能性も・・・

 私としては昆布とかつおだしなどのだしが効いていて、牡蠣などがたくさん入っていて、鶏肉が入っていなければ良い・・・そういう意味ではカレー鍋はヤヤ微妙な感じなんですが、、、我が家の鍋奉行が実権をふるうので仕方が無い。
 ところでその鍋奉行と言うネーミング、他にもいろんなキャストが出来ているのだそうですね。
 会社などの飲み会での鍋を囲んだ時の役柄です。
  鍋奉行の他に、アク代官(アクを掬うのに拘る人)、待ち娘(ひたすら出来上がるのを待っているだけの女子社員)、勘定奉行(支払い係)、他にももう一つ役があったのですが聞いたのに記憶が・・・確かお目付け役だったか?(領収書を欲しがる人)。
 なるほど、鍋の宴会ではこういう役者が揃いますね。

 話が変わりますが、昔女房殿が台所で夕食の支度をしている時に、息子がやって来て「父さん、母さんに内緒で相談があるんだけれど・・・」
「なに?秘密だとナ?」
「実は、母さんと姉ちゃんには知られたくない」
「ジャーン!、越後屋お主も悪よノ」
 すると一瞬で息子は越後屋に成りきって「そういうお代官様コソ」
 変なオヤジと息子ですが二人で大笑い。
 台所で女房殿は「親子で仲が良い」と思っていた筈です。
  単にアホな親子なだけでして・・・。

中押し決着対局95%

2009-12-06 03:46:24 | Weblog
 棋譜などに例えば298手完とあれば、その対局は298手を以て地の増減に関する場所がなくなりましたと言う意味で、その後に地合い計算用にダメを詰める手続きは着手では無い。
 この時点で勝敗は数字的に決定でしょう。
 リアルの碁ですとこの後からカケ目の部分を埋めたり打ち上げ箇所に打ったりするかも知れませんが、私の打っているネットの場合はカケ目のところはきちんと埋めてから「計算ボタン」を押さないとカケ目のところまで地に数えてしまうので、そういう意味では碁は終わっているのに着手が必要で、そこは注意がいる。
 ともあれ棋譜倉庫の表示には「完」の文字が無く単に「298手」とだけ表示されます。
 そして黒あるいは白○目半勝ちと言う結果か白中押し勝ちと言うような結果が出ています・・・「勝ち」の方を記載するのが気遣いと言うことか。
 そこで、どちらかの目差勝ちが出ていれば「完」がつく碁の意味で、それ以外は「中押し」、「反則」(時間切れを含む)、「中断」と言うことです。

 私の棋譜倉庫で約200局・・・実際には198局だったか・・・記録を見ると実に中押しでの結果がやたらと多い。
 「完」がつく数える碁では3勝5敗、「中押し」で決着したのが189局、残り一局が相手の反則負け。
 と言うことは完結局5%程度で、未完結局?95%。
中押しで決着がつく率が95%!
 これはボクシングで言うファイタータイプと言うこととは違います。
 私は諦めが良いところと、悔しくて投げられないところの2面がある筈ですから単なる諦めの良さとか、潔さでも無いとも思っている。
 相手の人も私以上に諦めと言うか見通しを考える人だと言うことは言えるかも知れませんが。

 私は中盤の終わり、そろそろ大寄せに入る辺りではじっくりと地の計算。
 (よくプロの先生がアマへのアドバイスで『1局で3回は数えなさい』と言いますが、一般的にアマはそんなに数えないで打っているのでしょうか?)
  細かそうな碁ですと・・・優勢そうな時など一度に3回は数え直すかもしれない・・・そしてかなりドキドキしながら打つことになります。
 優勢とは言っても少しの読み間違いで結果が変わるかもしれないし、相手だってそのまま終るつもりは無い筈ですから、どこで飛び道具が飛んで来るかも知れないので、優勢を意識する時ほど神経を使う。
 こういう時は「こういう碁が続くと心臓がもたないかも」と不安になる。(マア、対局でイチイチ発作を起こして寿命が縮むのは困る・・・冗談ですが)。
 例えば競馬の例で言うと・・・(例えが適当かどうか)。
  私、一度だけ競馬場で人が倒れて居るのを見たことがあります。
  人の輪の中に男の人が倒れていた、、、何かの発作のように見えまして、救急隊の到着待ちでした。
 同行の競馬の師匠の話によると、「大穴を取った時ほど危ない」のだそうで、逆に「馬券を外した時は発作としては安全性が高い」のだそうです。
 そう言えば映画「麻雀放浪記」では大役満をつもったまま発作をおこしていました。
 そういう意味ではジャンボ宝くじなどが当たった瞬間に発作:幸運と不運が同時に訪れることになりそう・・・特に私などは危険性が高いので当たらない方が良い?・・・イヤ籤をまだ買っていないから当たる心配は無い。

 ともかく細かな碁で微妙に優勢と言う碁を勝ちきる体力・体調・神経の力はやはりそれなりに必要だと思うのですが、私は怪しい。
 そういう身体的条件と、囲碁のスタイルとして逆転不可能と言う判断を自分でした時点で(当然ですが)投了すると言う事が噛み合ってしまっている事、そして相手の人もそういう人が多いらしくて、その結果が中押し・中押され局率95%なんだろうと思います。
 

ここで手を洗う?(お笑い囲碁格言③)

2009-12-05 00:14:24 | Weblog
 日本棋院、将棋会館もそうでしょうが対局が佳境に入る頃には話声などは無く石音・駒音しか聞こえないそうです。(将棋の場合、始まりは結構話もするそうですが、午後ともなればとてもそういう余裕は無いらしい)
 人あって深山幽谷のごとく・・・と言うことは時折聞こえる石音はあたかも樵の斧の音(それではサボリ過ぎのランバー)!。
 想像は出来ますが見たり聞いたわけではないので”だ、そうです”と言うことになります。
 碁会所などではアマ・ザルは自由にいろんな人がいろんなことを言いながら打っています。
 「ウルサイ!」と言いながらもいつの間にか話の中に加わっているような人もいます・・・が、それでもいつもウルサイわけでも無いので一応”時による”と言うことにして置きます。
 うるさいのも時による

 打ちながら世間話をするわけではありません・・・そういう事の方が少ない。
  私の知っている例では、ある会社のOBの定例囲碁会の席では週日の午後ほぼ貸し切りに近いのでたいていのことは許されますが、仲間同士で話をしながら打つことは少ないのです。
 まず初めに、嘗ての同僚の消息、仲間や家族の健康の話題などを中心に対局前に話が交わされるのです。
 ひとしきり情報交換した後で「では打ちましょうか」になるからそういう意味では品が良いグループだと思います。
 (若い頃は他人ごとですが、聞こえて来るのはいつも「健康」「病気」「消息」の話題ばかりなので、『たまには他の話題は無いのかな』と聞いておりましたが、この年になるとそういうことが自然に分かるようになります・・・年をとりまして)
 では対局中は深山幽玄かと言うと、流石にアマですからそこまでは行きません・・・町場の雑木林くらい?。
  このグループは関西系の人が半分近くいますから、交わされる会話に其々のお国言葉が混じりまして、関西系は他の地域の言葉よりも目立ちます。
 話の展開にもどこかしら郷土色があり、使われる慣用句にも多少の違いがあるように感じています。

 例えば「ここに手洗う手水鉢」;初めて聞いた時は驚きました。
  発音は「ココニテアロウ、チョウズバチ」手水鉢は意味がわかるのでアロウ=洗うと言う関連で想像出来る・・・と言うことで意味は単に「ここに手があるぞ」
 状況としては対局相手は気がついていないがここには手があると言う意味で、そこで手段を発動する時に「ここに手洗う手水鉢」などとさらりと呟いて手洗いに立つ。
  現在では碁会所で石を打つ前に手を洗うどころか、石もアルコール消毒をした方が良いかもしれませんが、当時はインフルエンザは流行って居ませんで、これはなんとなく人形浄瑠璃調?あるいは上方落語調。
 関西系の訛りがある方が似合いそうな言葉だったようです。

 Y口さんの場合は関東出身ですからこの言葉は彼の得意フレーズではありませんが、ちょっと有利になりそうな手があるとそれを打つ前に「ちょっと失礼」が出る・・・手洗いに立つのです。
 「手洗う手水鉢」的行動を実行。
 確かに良い手があると感じた時に直ぐに打って失敗する経験は誰にでもありますから、Y口さんもそういう失敗の繰り返しの結果、打つ前に手洗いに立って一旦頭を冷却しようとしているのは明白・・・従ってY口さんが対局途中で手洗いに経てば、彼は自分が優勢あるいは優勢に立つ岐路に立っていると感じている事を示唆していると言うことになります。
 マア判断が正しいかどうかは別の問題でもあるので手洗いは勝手に行ってくれです・・・一局に2回も、2局続けて手洗いに立ったり・・・もう調子が良い日はまさに小便小僧ですね。

 これは相手にとってはまさに癪に障る恣意行動(シィー行動?)。
 実際一局で何度も対局中に中座されて待たされては、一人碁盤の前でカッカ。
 この辺の呼吸を本人も承知していて、手洗いパフォーマンスにもなっている。
  相手に「この辺りで手洗いに行っても良い?」とか「これは手洗いに行って考えなくては」と露骨な発言となる。
 言葉とパフォーマンスで攻めて来る。

碁を打つより田を打て?(お笑い囲碁格言②)

2009-12-04 01:09:44 | Weblog
 ここのところ囲碁格言に嵌り気味です。
 幅広く考えて格言としておきますが、中身を考えると囲碁の定型の表現を表わしていたり、心構えを言う場合更にそこから人生と言うか生き方をを言う場合、あるいは私の得意?分野のお笑い(失笑)系とかいろいろあるようです。
 マア、余り細かなことは考えずに「面白ければ・・・」これは多少誤解を招きそうですので「楽しければ良い」と言う事で行きましょう。
 私は常日頃、手を打って大笑いするような物より「クスッ」と言う笑いがすきで・・・そういう物に出会うと嬉しくなります。
 尤も第三者としては「クスッ」が当事者としては「ムカッ」の場合が多いのは、還暦を過ぎても未だ人間が出来ていない証拠です。
 
 いつもですとネットで「囲碁格言」という検索をするのですが、今日は先ほど言いましたように少し視線の方向を変えて「囲碁諺」で検索しました。
 二つの間ではダブっているは勿論有りますが、「諺」独自の物がありました。
  但し殆どの物は一度は聞いたことがある・・・碁会所などでは「口調」として打ちながら合いの手的に聞いてきたものが殆どでした。
 例えば「金持ちケンカせず」;これを対局相手に言われると見た目と内面の違う私は、無表情を装いながら『ムカッ!!』っとしたものです。
 こういう時の状況は
  例えば序盤でヤヤ形勢を損ねたと自覚して、戦線を広げようとしている時・・・かなり挑発的に仕掛けている時とか、序盤から睨みあいの碁では無くて戦いの碁になりそうな場面、あるいは戦いの碁になるかどうかの分かれ道。
 こういう時に相手から「金持ちケンカせず」と言われたとすると・・・
  相手は自分が優勢(金持ち)だと思っている?
  戦いの碁は寄せ合いの碁に比べて品格が下だと思っている?
  あるいは碁盤を挟んでいる相手(私)を金持ち的な打ち手では無い=貧相な碁を打つと思っている?
  全く心が狭いと言うか・・・私はひそかにファイトを燃やしたものです。
 マアこの時点で相手の企みに嵌っているとも言えます。
   因みに私はこの言葉を自分の口で発したことは無い。

囲碁を打つ時の口調
 昔の碁会所の知り合いM山さんは打つ時に決まり文句的に何かを言う・・・常にユニークな事を言うのではありませんが「定型」みたいな言葉です。
 例えば「攻めは最大の防御」
  確かに言葉としては”ある”言葉で、戦略的に正しいとも言えます。
 但し野次馬的には・・・単にM山さんが攻めが好きなだけに見える・・・要するに自分の好きな攻撃に正当性を与えるために「最大の防御」と言っているだけ。
  国際紛争ではこういう発言の応酬でしょう。
 M山さんの好敵手は逆に何もしない人ですから、一局のパターンとしてはM山さんが攻めて攻めきれば勝ち、もし受け切られたら負け・・・但し途中で大チョンボが出た方が負け。
 念のために説明して置きますが、M山さんは攻め、相手は「攻めをいなすとか交わす」のではなく、ただひたすら攻めを受けるだけ・・・そういう意味ではM山さんが相手の攻めを封じているとも言えるけれど。

M山さんと言えば私の記憶に鮮明なのは・・・(もうかなり前に亡くなって、奥さんから電話で知らされて驚いたのですが)・・・彼のもう一つの得意諺「弱った魚は・・・」
 これは普通彼より一世代下の私などは「弱った魚(狸もある)は目で分かる」と現代言葉的に言うのですが、彼は歯切れのよい江戸弁で「弱った魚は目で”知れる”」と言うのです。
 私は彼には何も言いませんでしたが、初めて聞いた瞬間は何とも言えない感動を感じました・・・理由は上手く言えませんが驚いたのです。
 強いて言えば、落語の口座で語られているような雰囲気でした。

 そうそう「弱った魚、あるいは狸・・・」が来るとH川さんが居れば必ずまぜっかえしが来る。
 彼の得意台詞の一つ「弱った時は卵に牛乳」・・・想像ですが、これは多分競輪場で「予想屋さん」が客寄せに言う言葉ではないでしょうか?
 負けている客に「今度は勝負ですゾ」という感じで予想を売る時の呼びかけのような気がします。
 私などの子供時代はまだ卵は貴重なタンパク源だったし給食は牛乳では無く脱脂粉乳の時代で、牛乳も今みたいに余っているような時代とは違う・・・例えて言えば「熱を出して寝込んだらバナナを買って貰える」みたいな感じだし、「滋養強壮」「卵に牛乳」で時代を感じさせる台詞だと思いませんか。
 病気になって、栄養をつけさせるために「卵に牛乳」はある意味では特効薬的な食材だった時代があったのです。

 ところで検索していて一つだけ初めての諺がありました。
「囲碁を打つより田を打て」・・・直接聞いたことも言われたこともありませんが、恐らく「道楽もほどほどにしておけ」という意味でしょうか?
 それとも、お前のは囲碁とは言えないから、そういう碁を打つのは無駄なことだからそんな暇があったら田畑でも耕せというように諭しているのかカラカッテ居るのか?。
 「趣味は囲碁」ですと言えば、「それは高尚な趣味ですね」的な反応があったするのですが、仮に相手が囲碁についてなにも知らないとか、何の先入感も無ければ「アーそうですか」だけです。
 その辺の聞く人のリアクションで相手のことも少しは窺えることもありそうです。
  マア、家族から見た場合は趣味としては良いとは思うでしょう・・・が、熱の入れ方が一定水準を越えれば「趣味」は「道楽」と呼び名が変わりまして、それで食べていけるプロならともかく生業をおろそかにして碁を打つとなると・・・反応は明らかに「程々にしておけ」に変わる筈ですから、言いかえれば「碁を打つより田を打て」(生業に励め)になるような気がします(想像ですが)。
 レベルについての揶揄なら「埋め立て地で杭打ち」みたいに「打てば打つほど下がる」と同類ですね。

 追伸的に付け加えますが、「碁打ちは親の死に目に会えない」は缶詰状態で打つ「お城碁」の混同か?、対局が始まったら外せない公式手合いのことでしょうから、これはアマレベルの対局とは意味が違うと思います。
 似ている物としては「競馬気違い、競輪狂いは・・・」みたいなものもあります。
  開催していればどこでも行ってしまうとか、あれだけの観衆の中では見つけられないということではないでしょうか?
 いずれにせよこれは囲碁が問題ではなく、出かけ方の問題でしょうね。

午後の激戦

2009-12-03 02:14:53 | Weblog
 水曜日はクリニックの検診も無く、頼まれごとも無いので全くのフリーでした。
 つまりこういう日は、何かをしなくても良いが逆にしなくてはいけないことが無いので、こういう状態は私みたいな性格には危険?な状態でもある。
 要するに栄養的なことはさておき、少なくともお腹がすくと言う食事に対する意欲を促す要求レベルがかなり低くなってしまう。
 簡単に言えば、自分で作るのも近所のコンビニにお弁当を買いに行くのも面倒なので、我慢の限度を越す空腹感さえ無ければ行動のスイッチが入らない。
 それでは家で何かすることがあるのかと言うと、洗濯物を取り入れる以外にはないのだから、結局はグウタラしている事が第一選択肢と言う事です。
  やらなくてはいけないことをやらないでグダグダしているのではなくて、何もしないことを選択したと言うことです・・・理屈をつけてもやっている事は同じですが。

 本を読むか、ネットでプリントした物を読むか、ネット碁を打つか、ブログを書くかブログ検索するか・・・マア4択です。
 その中の一つネット碁の結果:午後の対局です。
  相手はS田さんで、1年間で3,4局打つ相手で、今日の手合いは向こう先で白からコミ1目半出し。
  この方は結構厳しい碁を打つので、いい加減なことをやると即反撃が来る筈ですが、逆に見ると反撃が厳しすぎて自分の刀で自分を傷つけるところもあるのがツケ目と言えばツケ目です。
 そして今日の対局もそういう形になりました。
  地では私が3隅を占拠して地合いではリードしましたが、その分黒には大きな模様が出来る可能性もある・・・白地は減らないので、黒の可能性の問題、残された部分がどの程度まとまるか、あるいは予定の地が予定の大きさでまとまるかどうかの勝負です。
 そういうことで白152手目の寄せに対して、黒が153手目で精一杯に頑張った所から紛争勃発。
 マア黒としてはこれ以上黙って受けていられない限界を越えて居たのかもしれないから当然の頑張りかもしれませんが、それはやはり無理気味な頑張りでした。
 白はコウにする手があって、このコウに負けた場合は損はするものの、致命傷では無いから一種の経済問題、それに対して黒は負けた場合1隅の生死の問題にもなりかねないので、数字などは考えるまでもない問題。
 と言うことはコウが黒無理なんでしょう・・・遡ってコウにしようと思わなくてはいけない事態になったこと自体に問題があった筈。

 ともあれ155手目から延々とコウによる戦いが始まりました。
  黒からは命がけのコウに近いが、白としては相応の利益でも良い:要するに花見コウに近いので、むしろ徹底してコウで争っても怖くない。
 一旦コウは解消:これはコウよる振り替わりで黒32目くらいの収入に対して白は40目以上の利益:差引8目の儲け。
 そして260手目から白はコウを仕掛けて寄せる・・・これが274手目まで続き、結局は276手打ったところで黒投了。
 約120手くらいコウによる戦いが続いた対局でした。
  私はこういう碁は決して嫌いでは無い・・・というか大好き。
 相手のSさんはウンザリしたかもしれませんが、私はコウの無い碁なんて気の抜けた炭酸飲料(ビールではありません)みたいなもの。

お笑い囲碁格言①

2009-12-02 03:00:39 | Weblog
 昨日「天邪鬼の囲碁格言」と題して書いたのですが、今日Googleで「囲碁格言」を検索していてビックリ!,その記事が載っているではありませんか。
 自分としてはザルの本音的解釈と言うような意味を込めているつもりですが、他の立派な格言と並んでいるのは少し居心地が悪そうです。
 「永久保存版囲碁格言集」「囲碁かるたの格言集」「初段を目指す囲碁格言」などなど・・・これらはアマを指導する立場から出来ているのに、私の方は『なにソレ』とも言って貰えないような『それだからいつまで経っても』的な妄言。
 以前故郷の事で書いた記事が検索記事に入っていて驚いたことがありますが、今度のは紹介記事では無いので、少し意味が違います。
 第一感、『これは真面目にやらないと嗤われるだけでは済まないゾ』でしたが、考えて見ると、ザルが格言を裏読みしたり曲解して紹介したものを、読んだ人が反面教師として再度逆に解釈して貰えば役に立つのかもしれないと思い返しました。
 要するに毒も薬になるかも知れない。

 ところで今日は昨日とは違う格言の紹介ページをプリントしまして・・・今日のは「天邪鬼]と言うよりは「お笑系」感想です。
 これも続編有りと言う感じなので「お笑の①」として置きます。

「攻めの基本はカラミとモタレ」
 (解説)「攻めて得をすれば良い。取ろう取ろうは取られのもと」
 (感想)若い頃に全くの下戸なのに飲み会には必ず連れて行かれたものです・・・本意では無く素面でハレンチキャバレーにも付き合わされて酔っ払いに交じってソフトドリンク・・・これがアッシー君の勤めでしたが、酒癖の悪い先輩と売り上げに熱心な女の子にモタレカカラレ、カラマレ往生しましたが。まさに敵の攻めとどう戦うかが問題でした。

「強い方へツケよ」
 (解説)「星の両かかりへの対応」
 (感想)これは家の中の力関係ではっきりしています。息子などは何かにつけまず母親の方に話をして、私の方に話が来る時は既に既成事実の事後報告になっています。まさにどちらが効率よく話が進むのか良く分かっているのです。強い母親を籠絡すれば父親はものの数では無い。

「切った方を取れ」
 (解説)「取りたい方の逆を切れ」
 (感想)我が家でケーキなどを切り分ける時・・・これはもう分配人とも言うべき女房殿の仕事になっているのですが、まず初めに私の分を小さめに切る。
 まさに私の心の叫びは『切った方を(自分で)取れ』ですが・・・
  お饅頭を半分に分ける・・・かなり故意的に等分では無い・・・まさに等分・糖分の問題。

「ダメのつまりが身のつまり」
 (解説)「ご用心」
 (感想)肝機能、血糖値、血圧、腎臓機能、体重、体脂肪率要注意!、頸動脈つまり要注意、心臓の血管ははっきりダメつまり状態。残り10%で生きています。
まさに血管のバイパスで逃れられるかどうかが勝負。囲碁なら「もう一丁!」と言えるのに、こればっかりはリセット無し。

「タケフの両ノゾキ」
 (解説)「タケフの心配ダメつまり」
 (感想)タケフは絶対に切れない、コウ立てでは注意が必要と言うこととダメつまりで仕掛けられるのには要注意。但し、切れないタケフを両方から覗いても切れないものは切れない・・・結果としてそうなっていたとすると、それは効率の悪さのバロメーターでもあるから、このような形が多く出来た方が形勢が悪い筈。

「厚みに追え」
 (解説)「厚みに近寄るな」
 (感想)相手を厚みに押しつけてギュウギュウ攻めるのは気持ちが良い・・・のですが、巧みに凌がれた場合が問題。「攻めて得を取れなかったら・・・」、案外攻めさせて、攻め切らせないと言うのも勝負のやり方かも知れません。

「大石死せず」
 (解説)「一方石に死無し、死ぬこともある」
 (感想)これはもっともっと格言として流布して欲しい格言です。『その油断が死を招く』と虎視眈々ねらってけるのです。攻められてもいくつか手がかりがあるので目の心配など無いはずの大石が、気がついてみると・・・。周辺で忙しく打って目くらまし的に動き、大石は安心と思い込ませる一方で「敵は本能寺」と言う作戦もある。隅の難解な死活は得意と言う人でも、大石の死活を油断する時があるものです・・・そこがツケ目。