オリンピックとか選手権の試合などで、日本人は緊張した場面で力を発揮しきれないことが多いらしい・・・全部が全部でなくてそういうことが多いような気はします。
メンタルトレーニングと言うことが言われたのは最近です・・・今でも過度に緊張しているのは真面目さのせいで、リラックスしている方はいい加減な性格みたいなイメージはあるかもしれません・・・だいぶ変わって来ましたが。
昔、張本選手がプロ野球を引退した後で何かの雑誌に書いた物を読んだことがあります(20年くらい前の話)。
日本人はいざという時に「袋にこれ以上入らないと言うくらい詰める感じ」「これ以上張れないくらい引っ張った感じ」「褌を締め直す」「ベルトを締める」「気持ちを引き締める」のだそうです。
つまり「張り詰める」「息を詰める」ということで、これが反って力を発揮させない方向に作用してしまうことも多い・・・適度の緊張とリラックスが大事なのに。
さて、そういう感覚と関係があるのか、年末の表現としては「今年も押し詰まって」という表現になる。
昔と違って決算・支払いが大晦日しかないわけではないし、年だって全員が1月1日に年を取るわけでもない・・・それでも12月になると「押し詰まって」と言うことになる。
これは1年ごとに何かを完了させて置かなくてはいけないみたいな、一区切りしないと気持ちが悪いみたいな感覚なんでしょうか。
私も幸か不幸かそういう感覚がありました・・・昔は。
毎年この時期になると「今年も押し詰まり・・・」という挨拶文を思い出すのです・・・もう30年以上は経つのに。
小さな商事会社の一番若手社員だった頃、大事な折衝ごとは別にしてなんでもやらされた・・・季節ごとの得意先への挨拶文なども、下書き・清書・郵送・・・。
それで12月ですから一年のお礼と来年もよろしくお願いしますという文面になるのですが「今年も押し詰まり・・・」と言うところにクレームがついた。
私の指導的先輩であり、遊びでも渓流釣りなどの師匠でもあるSさんから「”押し詰まり”と言う言葉は無い、これは”押し迫り”の間違いだ」という指摘。
個人的には、子供の頃から「押し詰まり」1本しか知らないので、むしろ『押し迫り』なんて変な言葉の方が間違いでは無いかとは感じたのですが、そこはソレ柔軟と言うかいい加減な性格だし、「押し詰まり」に義理も無いので、あっさり原稿を変更しました。
マア、それでも意識の中にはこの二つの言葉は残って来ました。
当時自分を納得させた論法としては・・・Sさんは社長の直弟子みたいな人なので、多分社長の考え方が反映されている・・・この社長は商売上古い習慣に忠実な人で、例えば他社を訪問した際に敷居を土足で踏んだりすると怒る人(敷居は商人のの頭なのだそうで)。
ですから梨の実をアリの実と言い換えるような感覚で、「詰まる」をきらって「迫る」にしたのかなと思っていました。
その後辞書で調べたり、NHKの解釈を読むと
二つの意味は同じ、但し時期的に多少のズレがある・・・「迫る」の方が多少時期が早くて「詰まる」の方が大晦日がすぐそこくらいに来ているのだそうです。
従って12月の初めころなら「押し迫る」で残り僅かなら「押し詰まる」と言うことになるようです。
なるほどあの時の挨拶文は「押し迫る」が妥当だった・・・但しS先輩の根拠「押し詰まると言う言葉は無い」は間違いだと言うことが分かりました。
さてSさん今も元気だろうか?
私が取引先の重役から誘われた時に「その方が良い」と社長を説得してくれました・・・あれから30年も経ってしまいました。
今年も・・・イヤそろそろ人生も押し詰まっています。
メンタルトレーニングと言うことが言われたのは最近です・・・今でも過度に緊張しているのは真面目さのせいで、リラックスしている方はいい加減な性格みたいなイメージはあるかもしれません・・・だいぶ変わって来ましたが。
昔、張本選手がプロ野球を引退した後で何かの雑誌に書いた物を読んだことがあります(20年くらい前の話)。
日本人はいざという時に「袋にこれ以上入らないと言うくらい詰める感じ」「これ以上張れないくらい引っ張った感じ」「褌を締め直す」「ベルトを締める」「気持ちを引き締める」のだそうです。
つまり「張り詰める」「息を詰める」ということで、これが反って力を発揮させない方向に作用してしまうことも多い・・・適度の緊張とリラックスが大事なのに。
さて、そういう感覚と関係があるのか、年末の表現としては「今年も押し詰まって」という表現になる。
昔と違って決算・支払いが大晦日しかないわけではないし、年だって全員が1月1日に年を取るわけでもない・・・それでも12月になると「押し詰まって」と言うことになる。
これは1年ごとに何かを完了させて置かなくてはいけないみたいな、一区切りしないと気持ちが悪いみたいな感覚なんでしょうか。
私も幸か不幸かそういう感覚がありました・・・昔は。
毎年この時期になると「今年も押し詰まり・・・」という挨拶文を思い出すのです・・・もう30年以上は経つのに。
小さな商事会社の一番若手社員だった頃、大事な折衝ごとは別にしてなんでもやらされた・・・季節ごとの得意先への挨拶文なども、下書き・清書・郵送・・・。
それで12月ですから一年のお礼と来年もよろしくお願いしますという文面になるのですが「今年も押し詰まり・・・」と言うところにクレームがついた。
私の指導的先輩であり、遊びでも渓流釣りなどの師匠でもあるSさんから「”押し詰まり”と言う言葉は無い、これは”押し迫り”の間違いだ」という指摘。
個人的には、子供の頃から「押し詰まり」1本しか知らないので、むしろ『押し迫り』なんて変な言葉の方が間違いでは無いかとは感じたのですが、そこはソレ柔軟と言うかいい加減な性格だし、「押し詰まり」に義理も無いので、あっさり原稿を変更しました。
マア、それでも意識の中にはこの二つの言葉は残って来ました。
当時自分を納得させた論法としては・・・Sさんは社長の直弟子みたいな人なので、多分社長の考え方が反映されている・・・この社長は商売上古い習慣に忠実な人で、例えば他社を訪問した際に敷居を土足で踏んだりすると怒る人(敷居は商人のの頭なのだそうで)。
ですから梨の実をアリの実と言い換えるような感覚で、「詰まる」をきらって「迫る」にしたのかなと思っていました。
その後辞書で調べたり、NHKの解釈を読むと
二つの意味は同じ、但し時期的に多少のズレがある・・・「迫る」の方が多少時期が早くて「詰まる」の方が大晦日がすぐそこくらいに来ているのだそうです。
従って12月の初めころなら「押し迫る」で残り僅かなら「押し詰まる」と言うことになるようです。
なるほどあの時の挨拶文は「押し迫る」が妥当だった・・・但しS先輩の根拠「押し詰まると言う言葉は無い」は間違いだと言うことが分かりました。
さてSさん今も元気だろうか?
私が取引先の重役から誘われた時に「その方が良い」と社長を説得してくれました・・・あれから30年も経ってしまいました。
今年も・・・イヤそろそろ人生も押し詰まっています。