棋譜などに例えば298手完とあれば、その対局は298手を以て地の増減に関する場所がなくなりましたと言う意味で、その後に地合い計算用にダメを詰める手続きは着手では無い。
この時点で勝敗は数字的に決定でしょう。
リアルの碁ですとこの後からカケ目の部分を埋めたり打ち上げ箇所に打ったりするかも知れませんが、私の打っているネットの場合はカケ目のところはきちんと埋めてから「計算ボタン」を押さないとカケ目のところまで地に数えてしまうので、そういう意味では碁は終わっているのに着手が必要で、そこは注意がいる。
ともあれ棋譜倉庫の表示には「完」の文字が無く単に「298手」とだけ表示されます。
そして黒あるいは白○目半勝ちと言う結果か白中押し勝ちと言うような結果が出ています・・・「勝ち」の方を記載するのが気遣いと言うことか。
そこで、どちらかの目差勝ちが出ていれば「完」がつく碁の意味で、それ以外は「中押し」、「反則」(時間切れを含む)、「中断」と言うことです。
私の棋譜倉庫で約200局・・・実際には198局だったか・・・記録を見ると実に中押しでの結果がやたらと多い。
「完」がつく数える碁では3勝5敗、「中押し」で決着したのが189局、残り一局が相手の反則負け。
と言うことは完結局5%程度で、未完結局?95%。
中押しで決着がつく率が95%!
これはボクシングで言うファイタータイプと言うこととは違います。
私は諦めが良いところと、悔しくて投げられないところの2面がある筈ですから単なる諦めの良さとか、潔さでも無いとも思っている。
相手の人も私以上に諦めと言うか見通しを考える人だと言うことは言えるかも知れませんが。
私は中盤の終わり、そろそろ大寄せに入る辺りではじっくりと地の計算。
(よくプロの先生がアマへのアドバイスで『1局で3回は数えなさい』と言いますが、一般的にアマはそんなに数えないで打っているのでしょうか?)
細かそうな碁ですと・・・優勢そうな時など一度に3回は数え直すかもしれない・・・そしてかなりドキドキしながら打つことになります。
優勢とは言っても少しの読み間違いで結果が変わるかもしれないし、相手だってそのまま終るつもりは無い筈ですから、どこで飛び道具が飛んで来るかも知れないので、優勢を意識する時ほど神経を使う。
こういう時は「こういう碁が続くと心臓がもたないかも」と不安になる。(マア、対局でイチイチ発作を起こして寿命が縮むのは困る・・・冗談ですが)。
例えば競馬の例で言うと・・・(例えが適当かどうか)。
私、一度だけ競馬場で人が倒れて居るのを見たことがあります。
人の輪の中に男の人が倒れていた、、、何かの発作のように見えまして、救急隊の到着待ちでした。
同行の競馬の師匠の話によると、「大穴を取った時ほど危ない」のだそうで、逆に「馬券を外した時は発作としては安全性が高い」のだそうです。
そう言えば映画「麻雀放浪記」では大役満をつもったまま発作をおこしていました。
そういう意味ではジャンボ宝くじなどが当たった瞬間に発作:幸運と不運が同時に訪れることになりそう・・・特に私などは危険性が高いので当たらない方が良い?・・・イヤ籤をまだ買っていないから当たる心配は無い。
ともかく細かな碁で微妙に優勢と言う碁を勝ちきる体力・体調・神経の力はやはりそれなりに必要だと思うのですが、私は怪しい。
そういう身体的条件と、囲碁のスタイルとして逆転不可能と言う判断を自分でした時点で(当然ですが)投了すると言う事が噛み合ってしまっている事、そして相手の人もそういう人が多いらしくて、その結果が中押し・中押され局率95%なんだろうと思います。
この時点で勝敗は数字的に決定でしょう。
リアルの碁ですとこの後からカケ目の部分を埋めたり打ち上げ箇所に打ったりするかも知れませんが、私の打っているネットの場合はカケ目のところはきちんと埋めてから「計算ボタン」を押さないとカケ目のところまで地に数えてしまうので、そういう意味では碁は終わっているのに着手が必要で、そこは注意がいる。
ともあれ棋譜倉庫の表示には「完」の文字が無く単に「298手」とだけ表示されます。
そして黒あるいは白○目半勝ちと言う結果か白中押し勝ちと言うような結果が出ています・・・「勝ち」の方を記載するのが気遣いと言うことか。
そこで、どちらかの目差勝ちが出ていれば「完」がつく碁の意味で、それ以外は「中押し」、「反則」(時間切れを含む)、「中断」と言うことです。
私の棋譜倉庫で約200局・・・実際には198局だったか・・・記録を見ると実に中押しでの結果がやたらと多い。
「完」がつく数える碁では3勝5敗、「中押し」で決着したのが189局、残り一局が相手の反則負け。
と言うことは完結局5%程度で、未完結局?95%。
中押しで決着がつく率が95%!
これはボクシングで言うファイタータイプと言うこととは違います。
私は諦めが良いところと、悔しくて投げられないところの2面がある筈ですから単なる諦めの良さとか、潔さでも無いとも思っている。
相手の人も私以上に諦めと言うか見通しを考える人だと言うことは言えるかも知れませんが。
私は中盤の終わり、そろそろ大寄せに入る辺りではじっくりと地の計算。
(よくプロの先生がアマへのアドバイスで『1局で3回は数えなさい』と言いますが、一般的にアマはそんなに数えないで打っているのでしょうか?)
細かそうな碁ですと・・・優勢そうな時など一度に3回は数え直すかもしれない・・・そしてかなりドキドキしながら打つことになります。
優勢とは言っても少しの読み間違いで結果が変わるかもしれないし、相手だってそのまま終るつもりは無い筈ですから、どこで飛び道具が飛んで来るかも知れないので、優勢を意識する時ほど神経を使う。
こういう時は「こういう碁が続くと心臓がもたないかも」と不安になる。(マア、対局でイチイチ発作を起こして寿命が縮むのは困る・・・冗談ですが)。
例えば競馬の例で言うと・・・(例えが適当かどうか)。
私、一度だけ競馬場で人が倒れて居るのを見たことがあります。
人の輪の中に男の人が倒れていた、、、何かの発作のように見えまして、救急隊の到着待ちでした。
同行の競馬の師匠の話によると、「大穴を取った時ほど危ない」のだそうで、逆に「馬券を外した時は発作としては安全性が高い」のだそうです。
そう言えば映画「麻雀放浪記」では大役満をつもったまま発作をおこしていました。
そういう意味ではジャンボ宝くじなどが当たった瞬間に発作:幸運と不運が同時に訪れることになりそう・・・特に私などは危険性が高いので当たらない方が良い?・・・イヤ籤をまだ買っていないから当たる心配は無い。
ともかく細かな碁で微妙に優勢と言う碁を勝ちきる体力・体調・神経の力はやはりそれなりに必要だと思うのですが、私は怪しい。
そういう身体的条件と、囲碁のスタイルとして逆転不可能と言う判断を自分でした時点で(当然ですが)投了すると言う事が噛み合ってしまっている事、そして相手の人もそういう人が多いらしくて、その結果が中押し・中押され局率95%なんだろうと思います。