なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

棋譜入力から

2008-01-16 11:13:08 | Weblog
 今本因坊道知と井上因碩の打ち碁を入力しています。
  因碩は御存知だと思いますが道策の弟子で道知の教育係りを遺言で指示された人です。
弟子と言うと相当年令が違いそうですが、道策とは1才違いですから年令だけで言うと兄弟弟子みたいなもの、道知とは23才違うのでこちらは親子ほど違うので師匠であり後見人としては年齢的にもぴったりですね
 元々は桑原姓ですが囲碁四家のうちの井上家を継いで井上道節となり、後に名人因碩となる
 道知の後見のために本因坊家に泊り込んでいたとか
  ともかく道知と十盤碁を打った後に後見を解いたとか・・・その十番碁
   ともかく棋譜の本には十番碁のうち4,6,7,9局目が載っています。
 その全てが因碩の勝利
  残りの6局の内容は分からないので、この4局だけで判断は出来ないでしょうが・・・
 それに十番碁そのものは秘密とされたと言いますから全体は分からない。
  ともかくこの十番碁の後に後見を解かれたといいますから”合格”ラインであったと言うことでしょう
  この4局はほぼ因碩の完勝ですから道知”イマイチ”なのか因碩が当時図抜けていたのかでしょう・・・多分後ろの方で

 こういうことはプロ高段者の解説があるから”そうかな””・・・らしい”と分かる”わけで、勝敗という結果で見れば素人判断は出来るとはいうものの、少し判断を誤る危険性もありそうです。
 例えば4,6局では先番の道知は3目負けている
  これはコミの無い時代ですから白の完勝でしょうが、目差だけでは判断出来ない点もある
 7、9局では中押し、2目となっている
  目差だけでの判断は危険ですがこの4局だけで見ると常先(つまりコミ無しの先)くらいなんでしょうか?
 となると昔のハンデ制で[互、互、互][互、先、互][先、互、先][先、先、先]となるから因碩を上手=七段とすると先なら四段になってしまう。
 実際には道知はもっと上なんでしょうね

 昔碁清源さんが番碁で一流プロを先から2子に打ち込んでいた時代に、もし呉さんを八段と言う物差しの基準にしたら他の一流プロが五段程度になってしまいますね。
 実際にもそういう段位変動は起きませんでしたが
  ある棋士がある時期傑出して強い場合往々にしてこういうことは起こりそうです
  もっとも小林光一、趙治勳さんがタイトルを独占していた時、あるいは韓国のィ・チャンホ、中国の常昊さんが破竹の快進撃をしている時・・・回りを先・2子にまで打ち込むほど強かったかどうか?
 タラレバのうちに入る話です・・・がおそらく・・・
  今は江戸時代と情報量、研究量、教育環境が全く違いますね
 それも個人単位とか家元単位などの範囲ではありませんから、そこまで個人が傑出するのは難しそうです
 尤も若手集団が世界の碁を引っ張っている
 江戸時代では若い人が頭角を表すには「持って生まれた才能」環境」「努力」・・・そういうものを挙げれば要素は今と変わらないみたいですが、決定的な差は「情報量」でしょう。

 ところでコミ無し時代の話に戻ります
  白番で2,3目の勝・・・相当な強さを感じます
 例えば相撲の内容で勝負あったの状態から相手を土俵下へ投げ落とすような勝ち方を「強い」とも言いますが、キッチリ腰を落として相手が逃れられない形で寄り切るのもまた「強い」分けです。
 囲碁で言うと前者がどちらかと言うと中押しで、後者が白番2,3目勝のような気がします
 目差こそ2,3目であっても、敗者から見ると相当大きな壁のように感じるでしょうね。
 専業棋士ですから、一旦勝ちコースに入った碁を、危険を冒してまで「これでもか」と言うような勝ち方は目指しません。
 確実に勝てる碁をリスクを侵してまで勝ち目差を広げに行くわけは無い
  逆に確実な勝ち方を考えるでしょう
 (勿論消極的な対応を重ねて勝ちを逃がすようなことはしない)
 そう、競馬の例で言うと直線で一旦交わした馬にまた抜き返される・・・騎手の恥なんだそうで・・・
 ゴール前でキッチリ抜くとか、一旦つけた差をゴールまで守り抜くのがプロ騎手の腕なんだそうで・・・
 この辺り囲碁も似ていますね
  
 ともかく道知・因碩4,6局は差は3目でも、解説によると相当早い時期に白必勝体勢だったと言います。
 そう判断できるプロ解説者の力も凄いですが・・・
 当の道知本人も2,3目とは言え大きな壁だと感じたでしょうね。
  もしこの碁を途中まで並べておいてザル仲間がバトンタッチしたら、結果は闇鍋みたいなものでしょうね。
  紆余曲折を経て白3目勝にたどり着いたら拍手喝采です。
   この入力したデータを使った遊びが一つ増えますね
 一つは自動再生でスクリーンセイバー並に映し出すこと
 もう一つは途中から打ち継ぐ遊び・・・これにも二つ考えられます
  まだどちらにも形勢が傾いていない時点から
  もう一つはどちらかがやや優勢になったところから
 リレー的な遊びも結構面白そうです・・・但しこれには同好の士を見つけなければいけない、、、さもなければ、古碁オートマチックシステムみたいな相手役が出来ればパソコンに遊んでもらえそうです。 

バック トゥ ザ フューチャー

2008-01-15 18:34:47 | Weblog
 過去と未来の時間も空間も乗り越えて行き来できればいのだけれど、勿論マシーンは無いので意識だけの話です。
 もっとも、私は「飛んでるところ」があるらしいので、意識は映画並みかもしれないのですが、実のところは回りとタイミングがずれているトンチンカンなだけのようでもある。
 
 今、古い棋譜をせっせとパソコンに入力しています・・・まだ棋譜集の1冊目ですが
 今年の4日から始めたばかりで、図書館から借りてきた「日本囲碁大系」の1冊目です
 確か江戸時代から明治初期くらいまでの棋譜を個人別に纏めてある
  このシリーズの4から始めました
 特に拘りとか深い考えがあってのことではない。
  単に道知の棋譜をあまり見た記憶が無いので、自分としては新鮮と言うことだけです。 
 拘りと言うと江戸時代という古い棋譜に拘っているわけでもありません
  「もし、これが長く続くとしたらあっちこっち跳ぶより、古い方から順番に新しいものに行く方が自然かな?」と思ったに過ぎません。
 まだ江戸時代の1冊目で先のことを言うのは気が早いのですが、いずれは江戸じだいから明治・大正・昭和・平成へと行けたら好いなと思っています。
 マア、自分の明日も分からないのに暢気なことを考えています。

 順序が逆になりましたが、これは目的とか意味はハッキリしない遊びです
  これをやると強くなると言う話でもないです
   まあ妨げにはならないとは思いますが・・・
 遊びという言葉を使いましたが、「遊び」ですから目的など無くてもいいかなと開き直っています
 遊びでは有りますが・・・入力したデータをリムーバブルディスクに入れて持ち歩いていまして、昼休など手持ち無沙汰な時にパソコンで再生しています・自動再生にしてナガラですが
 まあ「遊びですね」

 ずっと先の心配(中国の説話の杞憂みたいですが)で、現代の棋譜は個人で纏められているのは呉清源とか藤沢秀行とかそれ程多く無い・・・故人の記念的な棋譜集はあるでしょうが
 ○戦7番勝負みたいな棋譜集は見かける、あと囲碁年鑑・・・そういう感じでしょうね。
 マア亀の歩みですから何時になったら辿りつくやら分かりませんが、やらなければ進まないわけで・・・我ながら気の長い話です。
 ところで始めた当初1日1局くらいの気持ちで始めましたがこれには間違いがありました
 1冊目の「道知、因碩」で道知が10局、因碩が15局合計25です
 それで、これは借りた本ですから返却日を守らなくてはいけないのですが、これが2週間のローテーション・・・つまり1日1局では14局しか出来ない
 ということで方針変更・できるだけ1日2局に
  長手数のジックリ寄せ勝負の棋譜だけではなく、200手以降略とか短手数の棋譜もありますから何とかなりそうではありますが、原則1日2局に変更です
 ボンヤリとネットで観戦していた時間を振り替えているだけですから負担は無さそう・・・まさに「人間やれることのトータルは限られている」の逆バージョンで「何に時間を使うか?」ということでしょう
  何とか1冊目はクリアーできる目途が立ちました。

 ところで解説の大平九段の指摘(定説だろうと思いますが)”布石の工夫が足りない反面戦いの読みが深い”、とか”辺を重視している”など成る程なと感じています。
 安井家流と言いますか「小目に小ケイマかかり、2間挟み」など定型と言うか硬直していると言うか不思議と言うか・・・これが家元による流儀なんでしょうか?
 そのくせ中盤での読みは深いのです
  もっとも私程度では解説された事の上っ面しか分かっていないでしょう
 さて棋譜入力では「古風な布石だけど中盤での読みの深い碁」、ネットでは「現代風らしいけれど読みの怪しげの碁」。
 過去と現代を行ったり来たりで遊んでいます。

懐かしいボヤキの場面

2008-01-14 16:24:08 | Weblog
 早朝目を醒ましたのが午前3時半でしたので、30分遅刻でした。
  ヌクヌクの布団から抜け出してかなり寒かったけれど、ともかく居間のコタツにもぐってTV観戦・・・既に険しい局面らしい
 後で分かったのですが趙治勳九段はヤヤ劣勢と言わないまでも非勢だと思っていたらしい。
 「一杯の頑張り」の手が続く
 山下棋聖も途中で頑張りすぎてかえって形勢不明になったらしい
 (この辺りは全て解説のレドモンド九段の話)
 趙さんが中央にボーシを打った瞬間に現地の大盤解説の羽根九段のコメントとして「開き直ったか?」と漏らした情報が入る
  この辺り細かなことは分からないまでも、碁盤の上に緊張感が漂っているのは感じられます
 このあと山下棋聖の右上隅1線コスミがあり、趙先生の得意?のボヤキが聞かれ・・・しばらく着手が交わされ挑戦者の投了となりました。
  マア頭をかきむしるとか、ポカポカ叩くは無かったですが・・・
 早朝に遅刻したのですが、肝心の場面だけは見せていただきました。
  
 いや局後直ぐに始まった検討の方が面白かったかも知れません
  「面白い」と言うのは両者に失礼かも知れませんが、ザルとしてはプロが真剣に検討する場面はめったにお目にかかれないのですからね
 立会いの小林光一さんが加わってかなりの時間続きました。
  もしかしたらこれはBSの放送時間を考慮した対局者のサービスも含まれていたのかなと思いながら・・・しかし真剣な検討がかなり前まで遡って続く
 
 ところで今回は日本からみたら地球の裏側ですが、土日祝ですからTV観戦できました。
 普通平日のことが多いですよね
  これですと、深夜のダイジェスト版だけです
 
 さて今回は挑戦者の趙さんは言わずと知れた木谷門下で
  私としては石田九段が同年代になります。
 ですから趙さんも小林さんもやや下の年代・・・それでも10年以内という事で年代的に応援したくなります。
 別に山下さんのも勿論活躍して欲しいですが、こちらは息子や娘の世代となるので親近感で言えば何と言っても趙さんです。
 是非趙さんにも2戦目以降「若い者にはまだまだ譲れない」所を見せて欲しいですね。
 尤も、検討の様子を見ると現在のタイトルの有る無しとか、単純な年令の上下とかではなく、お互いに棋士として認め合っている上でのやり取りのように見えました。
 プロの世界では当然ではありましょうが
  検討の様子を少し離れたところで羽根さんが黙ってずっと見ていたのが印象的でした。
 山下さんは現棋聖、趙さんは藤沢秀行さんからタイトルを奪って大三冠になったことがあり、小林九段も勿論、羽根さんも・・・みんな現棋聖と元棋聖でした。
 
 ところで海外のタイトル戦は普及などに大きな意義があるのでしょうが、実際のところはどのくらいの効果があるのでしょうね?
 日系人の多いところですから、他の外国よりは「碁」の認知度はたかいでしょうが、しかし日本国内でもなかなか怪しいところも有るので、そこのところは同なんでしょう。
 日本棋院とか今回放送のNHKとかでその面のレポートがあると良いですね
  それとかブラジルの隣のアルゼンチンとかも熱心なファンがいるようなんですが、そちらにも寄ってくるのだろうか?
 もし私が行くような機会があれば、昼夜と、碁とサッカーで忙しいだろうな

 さてそのサッカー、今日は国立で高校選手権の決勝があって、出身県の高校VS在住県の高校で、しかも片方には今年お気に入りチームに入団予定の選手がいます。
 眠い一日ですが楽しい日です。
  

ブラジルから棋聖戦

2008-01-13 16:07:06 | Weblog
 昨日今日と棋聖戦の第一局の中継をみました。
  放送の二日目は実戦の中継ではなくて一日目の両対局者の退室場面と立会いの小林光一九段が封じ手を封筒にしまう場面とレドモンド九段の解説でしたが。
 前夜祭はサンバで踊って盛り上がっていましたが、相変わらず趙治勳九段のコメントは楽しいですね。
 昨秋千葉でのJFE趙治勳杯での指導碁の様子と変わらない様子
   いつもリラックスしていると言うか、回りを楽しませると言うか
 概ね「山下さんは北海道の出身で寒さに強いですが(ブラジルは今真夏なので対局室にはエアコンが入っている)、私は暑さには強いのでクーラーは入れずに出来るだけ暑くして下さい」みたいな”決意表明”ならぬお願い・・・
 趙治勳さんは冗談ばかり言っているみたいですが、時間の使い方が変わってきているところをなど、やはり昔とは違う
 以前は挑戦・防衛の二日制の碁の申し子みたいな事を言われていましたが・・・
  以前は思い入れの強さを感じたものですが、今は気持ちにゆとりが出てきているみたい、、、時間も昔は序盤から惜しげもなくつぎ込んでいく・頭をかきむしる・頭をポカポカ叩くから、平均的に時間を使うみたいに。
 尤も、終盤戦の険しい戦いになったら本人の意識外の癖が出るでしょうから、分かりませんね。

 ブラジルは日系人が多いので囲碁を打てる人がおおぜいいても不思議ではないのですが、アルゼンチンなどにも熱心な囲碁ファンがいるようですね(去年の世界アマの予選決勝の解説をする羽根九段と熱心な質問をする現地ファンの様子がビデオで紹介されました・・・岩本薫九段の尽力が偲ばれます)
 さて一局目第一日の終了局面は、レドモンド九段の解説でなんとなく状況は分かったような感じです。
  もっともレドモンド九段のコメントにもあったように手の広い場面で打ち掛けとなったので、二日目以降の進行は封じ手を開かないと(素人には)予想できません。
 マア、プロの先生方にはアノ手かコノ手などせいぜい3択くらいかも知れませんが・・・
 大まかに言って白の山下棋聖が下辺黒陣に打ち込むか、白の右辺を盛り上げるような地点に打つかのどちらからしい。
 但し左上の白には黒からコウで仕掛ける強手があるので両者それを意識した展開になると言う解説です。
 さてこうなると、この続きを見たくなるのは碁キチの心理
  続きの放送は明日の午前3時から5時BS
 これは現地では午後4時頃ですから戦いの酣の時間帯ですから、火花が散るような場面が見られそうですね
 観客の私としては全く問題無い
  深夜に目を醒ましたら、そのまま起きていれば良いだけのこと
   月曜日は祭日で何の予定も無いのだから・・・本当に今回のスケジュールは嬉しいですね。
 問題は深夜に目を醒ますことだけ、、、まあ何とかなるでしょう。

  ところで今回一つ「ヘェー」と思いながら見ていたこと・・・対局の本質とは関係ないのですが黒1小目。
 今回の対局は黒右上小目、白2左上小目、白3左下小目と喧嘩小目で小目が3続きました。
  それはともかく黒1の小目の位置・右上隅の右側の盤端から3線目の小目ですね。 
 当然と言えば当然でしょうか?、、、黒1が小目ならこの位置と言うことで
  江戸時代の棋譜を入力し始めて、まだ10数局程度で言うのはおこがましいのですが、黒1小目の位置は全てこの場所ですね。
  多分不文律みたいにそういう暗黙の教えがあるのでしょうね。
 黒1が星の場合も場所は右上隅・・・但しこの場合はコノ方面の星は一箇所です
  小目の場合は星脇に2箇所あるわけです
 但し黒が1手目を打つ時はどちらの小目も座標は違いますが囲碁の意味に置いては同価値な分けです。
 白が2手目を打つ時は意味の違いは生じますが1手目については同じ
  そこで同じ小目にしても、先程話した位置になるのは、白に対する敬意を表する態度でも有るのでしょうね?・・・そう感じます
 単に今回の対局者の問題ではなく、囲碁分化みたいな話です
  多分これは「右利き文化」みたいなものも関係あるかも知れませんが、もし白がこの小目にかかるとしたら、利き手側を広く開けておくみたいな教えのような気がします。
 もし違う側の小目ですと白は黒1の小目に遠い側からかかる形に成るわけです
  勿論打ち進めていけばいずれは右も左も上も下も関係なくなるわけですが、最初の1手目だけはそういう配慮だったのかなと思いました。
 それと今回は両者背広での対局ですが、もしも将棋のタイトル戦みたいに和服での対局だったとしたら、袖の存在は無視できないでしょう
  ですから古来の作法みたいなものには利き手とか衣服から来るものがあったのかな・・・想像ですが

 リアルでもネットでもあることですが、もし白番の時に黒1が自分から見て左下以外のところに打たれると、少々驚きます
 マア何処打とうとルールでの規定は無いし、何処でも黒1に関しては意味が同じなわけでゲームに関しては問題な無いのですが、『この人は若い人?』『外国の人?』『碁は教わったかも知れ無いけれど、こういうことは教わっていない?』などと感じます。
 感じるだけで、あまり意味の無いことかも知れませんが
  でも若い人でなくても、誰にも教わっていなければ気にもならないわけです
 同じようなことに置き碁での置き石の置き方も有ります。
  順番としてはタスキに右上→左下、左上→右下、右、左、上、下、中央という順番が基礎みたいですね。
 ところが案外強い人でも気にしていない人は気にしないもので、中には3子置くのに両手で自分側の星において3つめに右上に置いたりします。
 勿論ルール違反でもなんでもないし、打つ前に「お願いします」と挨拶するのだから相手を軽んじているわけでもない。
 コミュでは5子置くのに、両手で同時に石を持って2子ずつ置いて最後に天元に置く人がいました。
 確かに作業効率を考えての置き方なんでしょうが・・・ 
  さてこういう時、お茶・お花の先生みたいに、あるいは書道の先生みたいにやり直しを命ずべきか?
 いやそういう立場ででは無いから、せいぜい「普通は・・・」とはなすべきか?
  後者でも受け手によっては随分嫌味に聞こえるかも知れないし、「偉そうに・・・」と思うかも知れない。
  to say or not to say といったところですね
 こういうことを知らなくても充分囲碁を楽しむことはできるはずだし
  但し、こういう細かなこと・伝統文化みたいなことを知って少し碁の間口・奥行が広がるかも知れないから、多少嫌味でも知らせる方が良いかもしれないし
 
 黒1でいろいろ考えている暇なジイサマです 

言葉について

2008-01-12 17:33:12 | Weblog
 言葉についてと言うよりも、話をする態度を含め「話し方」話し方全般についてですね。
 先日戴いたコメントにお返事を書いていて「論争術」という言葉を使いましたが、あれにも本来はきちんとしたルールがあるのですね。
 例えば「根拠の無い話をしてはいけない」とか「特殊な例と一般論をすり替えてはいけない」とか・・・何より「双方が問題の核心を捕らえていないと議論にならない」など。
 「正しい立論の仕方」、「土俵作り」など論争術の基礎にあることを考えると、私の受け取り方に偏見が混じっているようです。
  対立する二つの立場で議論をする練習で、勝てば良いみたいに・・・Aの立場でもBに変わっても勝ってしまうみたいな
 昔世間を騒がせた新興宗教の宣伝の仕方とか・・・
 白を黒と言いくるめる術とか・・・
  
 問題は言葉で「勝つ」事ではなくて、何をどう伝えるかと言うところですから「相手が受け入れるような話し方」と言うか「お互いに耳を傾ける」と言う点が問題ですよね。
 この辺りのことについて、若い頃の思い出があります
  若い頃と言うと「学園闘争」とか「70年安保」などの時代でもありましたから、学生が政治向きの主張をする時代でも有りました。
 「今と比べると」という意味です。
  「親に食わせてもらっている学生は政治に口を出すな」と言う風潮はあるものの、「自由な立場の学生が発言し行動するのは義務」みたいな気持ちも有りましたね。
  今の学生さんには「ノンポリ」などと言っても「ないそれ」でしょうが、自分の主張を持っていないと批難されかねない時代・・・時代がそうだったかもしれませんし、自分の周囲が特別そうだったとも思いません
 しかし主張が食い違えば「相手を言い負かす」ために「相手の意見を聞かない」「大きな声で話す」「相手には喋らせない」など一種の暴力的な感じになる。
  そういうことは一部の世界でしか通用しないことでもある
 変な例えですが、TVで国会中継を見ていて発言者の言葉をかき消すように怒号やヤジが飛び交うのを見る時「学生時代」を思い出します。
 相手を言い負かすための議論?・・・いや、違いますね「間違っていたことに気がついたとき、主張を変える用意がある」分けではなく、何時間議論をしても絶対に主張を変える気など無い両者の議論ですから不毛な印象です。(マア第三者=国民?に聞かせるための議論・パフォーマンスでしょうか)
  その学生時代に、環境の問題とか地域問題で所謂住民と話をしたり一緒に活動することが増えまして、言葉はもとより話をする態度を変え、お互いの立場を考慮しないと会話が成立しないと言うことを体験したような気がします。
  それは「相手によって話し方を変える」と言う事では有りますが、「結論を相手に合わせる」のではなく「自分の主張を話すのに、相手との議論をかみ合わせる」ようなことでもあったかと思います。
  相手が「地域住民」とは言っても学生を相手であっても話をするですから、一般的な住民とはいえないかも知れませんが。
 少なくともこの時点で「大声で主張する」「まくし立てる」ような事は無くなったでしょう。

 社会に出て直ぐに就いた職場では、経験豊富な職人さんやパートのおばさんたちのリーダー的な仕事・・・20台半ばで会社・社長の意を受けて社会的経験豊富な人たち相手ですから結構荷が重いです。
 特に職人さんたちから「若僧」扱いされてはいけないし、かといって「虎の威を借りる狐」になってもいけないし、自分の父親くらいの人たちに説教調など出来ないし・・・ 
 この時代に良い経験をさせて頂きました
  良い経験と言えば、仕事の先輩に言われた事が今でも忘れられません
 「パートのおばさんたちも、ここではただのおばさんだけど家に帰れば皆一家の主婦であり子供を育てている。そういう自信とプライドを持っているはずだから」と言うような話だったと思う。
  仕事上の役割と年令がアンバランスだったとは思いますが、それ以外に言葉や態度に危ういものがあったのかもしれない・・・
 具体的に何処をどうしろと言ったことではなかったけれど、きっと私に何かが欠けていて、足りない点が多かったのでしょうね。
  若者にありがちな生意気な感じはあったでしょうし、社内的には強い立場ではあったでしょうし・・・しかしそういった論理だけでは動いていないということを教えてくれたのでしょう。
 その年代でどれだけのことが出来たかはともかく・・・話し方は意識しました
 大まかに言うと「穏やかに話す」「ゆっくり話す」「相手の話をよく聞く」
  「なーんだそんなこと当たり前では無いか」ですが・・・これが学生時代とは180度近く違うのです。
  大声で主張し相手をねじ伏せる・・・まくし立て相手には喋らせない
 それが「相手を下に見て”ため”にする」のではなく「人との人会話」を意識したのですから自分としては革命的だったかも知れません。
  学生仲間だけの場所から所謂社会に出て行ったのですから当然といえば当然ですが、視野が広がって来たともいえるでしょうか。
  社長の印籠をかざし、錦の御旗を振り回せば簡単なことも有ったでしょうが、それでは学生時代に主張し行動していたことの説明がつかなくなりますね・・・

 ともかく私にとって「学生時代」「世の中に出たて」という時間的な横軸とどういう人たちと接触・ふれあいが有ったかという縦軸みたいなもので変わっていたように思います。
 囲碁について言うと学生時代は5,6人のヘボ仲間でお山の大将(5級くらいでしょうか)、社会に出てからは暫くは囲碁を打つ人もいなかったし気持ちにも余裕がなかったので数年は御無沙汰でした。
 なんとなく空虚な感じだったのでしょうか「競馬場通い」の時代?・・・いや馬は好きでしたけれど。
 ともかく町の囲碁道場に通うようになりました。
  道場では一番若くて師匠初め皆さんに教わったり面倒をおかけする立場ですから、私個人の収支みたいなバランスが取れて、リラックスできたかも知れません。

  「言葉」というキーワードで・・・思い出すことが多いのは年を取った証拠ですね。 

囲碁・ポレポレ

2008-01-11 18:46:13 | Weblog
 今NHKでやっているアフリカシリーズが面白いですね。
  (いろんな困難・混乱に巻き込まれている地域も有りますから、多少不謹慎な表現ではありましたが・・・)
 古代エジプトの葬祭殿(日本人がテロ事件の犠牲になった場所)と王家の谷の位置関係を始めて知りました・・・うかつな話ですが。
 これらの一連の取材番組とは別に、エジプトから南アフリカの喜望峰まで旅する番組も面白いですね
 確か4回シリーズで夕べが第3回
  十数人のグループが2つに分かれて一つは東アフリカのザンジバル島でバカンスモード、一方3人だけはキリマンジャロ登山
 マア企画・取材など考えたら多少の恣意的な映像にはなるでしょうが、この登山は見ていて良かったですね・・・十数年若かったらろ思いました
 5800メートル余りあるんですね
  山岳ガイドの言葉が良かったですね、スワヒリ語で「ポレポレ」=ゆっくりゆっくり
 2000数百メートル地点から「ポレポレ」で一歩ずつ踏みしめるように登っていく
 おそらく歩いている本人たちがイライラするくらいのペース、そして3720メートルの山小屋に2泊
 これだけの高地順応に気を使っても、吐き気がしたり高山病の症状がでかかるのですから5800メートルの世界は凄い
 キリマンジャロの頂上に繋がる稜線から見たアフリカの朝焼け、雲海、そして頂上から始まる氷河
  すばらしい景色でしたが、一番の印象はスワヒリ語「ポレポレ」
 
 そういえば高地での呼吸困難では思い出があります。
  歩いての登山では有りません、ケーブルカーで一気に山頂の展望台まで言ってしまったのですから「ポレポレ」どころではありません。
 その展望台は確か4000mくらいの場所です・・・
  それでも山頂の展望台カフェでお茶でも飲んで軽食でもつまんで帰ってくれば何の問題も無かったでしょうが
  この旅行は、昔勤めていた会社のお客様キャンペーン(抽選でご招待)+大尾得意様ご招待、更に社長の友人連中が自主参加していてツアーの団長役を社長がやっていて・・・
 私は鞄持ちというか、団長の実務(影の)代行、旅行ガイドとのパイプ役
  そして件のピークはカナダの山です
   山頂にロープウェイで到着したところ、山頂駅はカフェ兼お土産の売店みたいなものですから、周囲の展望を楽しみ、適当に時間を潰して・・・と思っていたところ、大得意先の代理参加のお嬢さんが隣のピークに向かって駆け出した!
 ここはツインピークでこちらは展望台、隣の峰は少し下ってまた登り岩肌が出ているだけの峰
  お嬢さんと言っても高校生くらいですから放っておいても良さそうなものですが、事故・トラブルがあったら招待側としては面目ないので慌てて私は駆け出した
  全く「ポレポレ」精神がなかったのです
   いきなり息苦しくなりまして・・・
  本人としては何故苦しくなったかまるでわからない状態
   後で冷静になって考えれば、標高4000mにロープウェイでやってきて,着いたとたんに駆け出せば苦しくなって当たり前ですね
 もっとも初めに駆け出した当のお嬢さんはケロッとした顔をしてから、余程強いんですね。
 ともかくキリマンジャロで一歩一歩ポレポレを見ながら思い出しました。
  
 さて囲碁もポレポレですね
 もうこの年ですから急いでも焦っても急に強くなる気遣いはなし
  「一歩ずつ歩いていさえすれば多分いくらかずつは山を登っているだろう」くらいの心もとなさはありますが、さりとて走る体力は無し、止まればずるずる滑り落ちる。
 今年始めた棋譜入力もそんなようなポレポレですね
  江戸時代の棋譜を入力していて感じたのですが・・・まだ一人目で偉そうなことはいえませんが・・・
 江戸時代は4つの家元間で激しい争いをしていた時代・・・ですが棋譜からはあまり「生々しさ」を感じない
 ヘボ・ザルですから感性が鈍いのでしょう、あるいは江戸時代という時間の経過のせいでしょうか
  先日韓国、中国、日本の国際戦の棋譜をいくつか見た反動でしょうか、、、
 よく分からないのですが、現代碁?は序盤からピリピリしている感じです・・・勿論コミというルールも違うし、、、
 マア私は幸いにアマですから、とりあえずポレポレで楽しみます。

ひたすら守ったならば・・・

2008-01-10 18:50:05 | Weblog
  今日は今年になって2局目の昼休碁でした。
 今年に入ってFさんは序盤から積極的なうち方を試しているみたいに見えます。
 3子の置き碁で、白が空き隅の星に打つと、黒はその石の6六にかぶせてくる
 所謂「ヘリコプター」ですが・・・この後の様々な変化を彼は知っているのだろうか?
 尤も6六は案外変化が少ないかも知れないし、ともかく仕掛けた側はひたすら戦いの姿勢いうを崩さずに打ち進めるようなところがある
 してみるとFさんに向いているのかもしれない。
  もしかしたら年末年始休みで、どこかから仕入れたのかな?
    こういうことは私も上手の端くれですから情報収集に抜け目がありません
  雑談の中で「休みの間にどこかで打ちました?」とか聞いてある
 「いやー何処にも出かけなかったし、碁も打たなかったですね」・・・
 『するとアノ6六は何だろう?』
  「前から知っていたのを、今試している」あるいは「実際は長い休みでどこかで仕入れてきていた」のどちらかでしょう
  6六を奨励・解説する本はなかったと思うし・・・

 ともかく黒2・6六に少し考えました。
 「なんとなく勘で、ここは手抜き」の一手だと感じました。
 黒の6六はこの一手で白にダメージを与えると言うものでなくて、「白の動きにあわせて黒の打ち方を変えようとする、あるいは黒は中を打つ」というものでしょう。
 6六の黒石の後ろには置石3つが控えているのですから、ここで白が変に動いたらあっという間に黒の大模様が完成してしまいそう。
 それでは白の敗因は白3だ
でしたみたいになってしまいます。
 ここは多少うっとうしいのは我慢して黒さんの出方で考えることとして「手抜き」
 そういう考えが正しかったかどうか、ともかく白は走り回って稼いで、それでいて黒の模様を値切って・・・従って大戦が勃発
 最後は白の一団は両コウでシノギがあり、白が凌いだ時点で勝負に決着がつくと思われる形。
 マア丁度その辺りで「チリトテチン」のエンディングテーマが流れました。

 さて局後に一階の休憩室から二階の執務室に上がる短い間の会話
 Fさん「どうです積極的に打っているでしょう」・・・
  私が”裏読み””深読みに過ぎる”のだろうか?『積極的に打つと碁がまぎれやすくなって、白に付込むチャンスがあるから・・・』みたいに聞こえないことも無い
 彼が言っている事が間違いでは無いでしょうが、何処か少しズレがあるような気がしたので「もし置き碁でひたすら守って打って、それでも勝てるのならもともと手合いが違うかも知れませんね」
 Fさん「そうなんですか?」と聞き返す顔がなんだか生き生きしていた
  これは少しパラドックス的な論法だったかもしれませんから誤解される恐れは充分にある。
 「ひたすら守って」という部分ですが、それが常に良いことだとは言っていませんが、彼は「守る事は簡単だから、勝つことは簡単で尚且つ置石が減る」と思ったのでしょうね
 普通は「守って守って打つようでは強くなれないよ」と言われるはずです
  ですから裏返して言うと「積極的」=良いこととなるのですがこの辺りに誤解される要因が潜んでいるようにも思える。
 つまり「積極的」であろうと「消極的」であろうとそれ自体に善悪があるわけでは無くて、局面に合った手が良いわけです。
 ですから守るべきところは守り、攻めるべきところは攻めなくてはいけない
 ただ、下手としてはそういう理想的な打ち方は成長過程ではなかなか難しいので、とりあえず積極策を奨励するような気がする。
 消極策が身に染み着いてしまうのも困りますしね。
  そういうことを踏まえたうえで「守りに守って・・・尚且つ勝てるならば」当然ハンデが間違っているのでしょう
 何回か打ってたまにはそういうこともあるかも知れませんが、3番手直りみたいな中では相当難しいでしょう
  だから「守り専科」がいつでも良いこととは言っていないのですが伝わっただろうか?
 守りに力点が入っていたとしても、互い先とかハンデが適正な置き碁などでは、場合によっては反撃体勢を持った守りでなくてはいけないでしょう?
 少なくとも気持ちの上ではそういう目で碁盤を見ますね。

 さてFさん「3つ置いた碁」で試しに打つだろうか・
  私の勝手読みかもしれないが、彼は「置き碁の黒として積極的な打ち方をしなくてはいけないから、結果として紛れることが多いので白にチャンスが生じる」と思っているような・・・裏返しとして「黒がその気になって守りを固めれば白にはなかなかチャンスが少ないはず」」と感じているように見える
 ある程度は正しい考え方かもしれないですが、「積極的」「消極的」にはその人の好みもあるでしょうし、「積極的」=取り掛けでも無いでしょうしその点は誤解が有るような気がしている
 置き碁では白に付込む隙を見せず・・・これは「ひたすら守る」とは違うはず
  手を考える時「手抜き」とか「振り代わり」もう一歩踏み込んだ守り・・・
 そういうことをされたら置石は確実に減りますね。
  守り=消極では無いですからね
 さて今言ったことは全部自分に帰ってきそうです。  
  

三日坊主が四日以上に

2008-01-09 14:58:15 | Weblog
 新年の4日に始めたことがまだ続いている
  三日坊主が文字通りの三日以内に終わらないで、五日目を迎えただけの話ではあるから、それ程威張れたものではない。
 まして、どの程度役に立つのかも定かでは無いし、多少なりとも効果が期待できても自分のためにやっているに過ぎないのだから、人それぞれの”方法”の一つでしかない。
 まあ、細かいことはともかく続けられそうな気がしている。
  というのは負担を感じないからです
 棋譜入力にかかる時間・労力・・・これが長く続けるためには一番のネックでしょうが、概ね20分程度で1局を完了する・・・正確にはもう少しかかりますが
 と言うのは、初めにざっと1回目を通して解説を読んでおきます。
  続いて、解説を思い出しながら棋譜を入力しています。
 中には途中で記録が終わっていて「以下略」もありますから,その場合はもう一局入力。
 毎日数局観戦していますから、時間的な負担は全く無い
  要するに仲間の碁を見る時間を、打碁集の棋譜に振り向けただけの話。
   従って、”お仲間”には悪いけれど他人の対局室にお邪魔する替わりに古碁ではあるけれど棋譜に触れているから、きっとそっちの方が御利益がありそうな気がしています。
 まあ、1週間も経っていないから効果の程はわかりませんが

 ところで今日の碁は、今日もですが私の打った碁ですが、攻め合いの碁
  相手は常先から逆コミくらいの上手です
 私としては珍しく中国流含みの立ち上がりから小林流みたいな形
  白は星+目ハズシで来ました。
 碁は序盤から大きな振り変わりがあって、激しい局面ではあるが地合いとしては差は無さそう
  その後戦いが続き私が更に稼いだ手の反動で白の大模様の中に黒が取り残された形になりました。
 ですからそこが全て白地になれば白の勝ち
  黒は半分ちぎられようが、ともかく生きが有れば知合い有利
 局面は険悪で複雑ですが、考え方はいたって単純
  単純はいいけれど、どうも黒の一団の石は単純には生きが無さそうに見える。
 ということはこの局面では白が有利と言うことでしょう
  「単純策」「簡明策」で良ければそれが最も勝利に近いはずで、「単純策」を歓迎できない私としては局面を「複雑化」するしかない。
 結果からみると、どうも「捨て身の頑張り」みたいな打ち方が成功したらしい
  いや勝負どころの一手で白に失着があったらしい。
   白の打った手の中に、流れの中で「必然」かどうか疑わしい手が1つあるような気がする。
 今だから、少しは客観的には見れるけれど、対局中は・・・
  白のミスに救われたのか、見直せばもっと別のシノギがあったか・・・これから棋譜倉庫に行って調べてみます。
 そう対局直後見えなかったものが見えるかもしれません
   そういえば、対局中に数人の観戦者がいました。
 二人とも「軍鶏みたいにようやる」と乱戦を見物されていたような気がします・・・とはいえ変えようがなくて 

人は変わりにくい

2008-01-08 18:32:00 | Weblog
 昨日は冬の日暮れ時に雨に濡れながら自転車で走って帰った・・・
  何処かのおばあちゃんに「傘をささないと風邪をひくよ」と声を掛けられた。
   おばあちゃんに説明しませんでしたが、私は傘を持っていませんでしたから「ささないと・・・」と言われても対処のしようがありませんが、仮に持っていても多分ささないでしょうね。
 私が自転車の時は傘ではなくて雨合羽を着用するのです・・・これは夏でも
  つまり傘を持って自転車に乗っていたとしても、それは自転車をおりてから歩く時に使うためであって、自転車用ではないのです
 雨に濡れることと、自転車で事故を起こす・あるいは事故に巻き込まれるなどの比較で後者を重要視いています。
 傘は選択肢になくて、「雨合羽を持っていなかった」のです
 濡れる方は後で乾かせば済むという開き直りでもある

 本当言うともう一つ理由らしきものがあるのです
  子供の頃に見た映画の記憶ですね・・・「春雨じゃ・・・」では無いですよ、 私の記憶では外国映画で、題名はわすれましたが
  カウボーイハットみたいなつばの広い帽子で、にわか雨の中を悠々と歩いてく
 子供の頃から「武士は食わねど・・・」とか「男の子は親が死んだ時以外は泣いてはけない」とかで育てられましたから、雨ぐらいでおたおたしない方にカッコよさを感じてしまったのです。
 この感覚は今でも残っているから、電車の横入りとかバーゲンで先を争う類は全くダメオヤジです。
  だから予想外の雨ぐらいで慌てたそぶりは見せられない>>>誰にって?
   自分にです
 
 マア、そうは言っても冬の雨、風邪をひかなくて良かった。
  今日は胃検診でここ2年受けていないのでやっておかなくてはいけない
 しかし、胃検診というのは前日夜から絶食状態、あれは何とかならないですかね、医学の進歩が追いつかないのか、絶食しなくても検査が出来る方法を研究する人がいないのか
 もっとも、「ついでにダイエット」と考えれば我慢できるかもしれませんが
  ところで空腹のせいか・・・夕べは極端に早く寝て・・・深夜日付が変わってまもなく目が醒めてしまった。
 全くジイサマはしょうがない
  こういうときに「明日も仕事」だからと無理に眠ろうとする努力はしません
 目が醒めたのがほぼ午前1時
  パソコンを立ち上げて、例の道的の棋譜を入力して、ネット碁観戦して、本を読んで・・・それが面白くなって朝6時
 マアここから眠るような度胸はないですね
   ともかく目が醒める前に4時間くらい寝ているからなんと蚊なるだろう・・・です。

 若い頃に無茶苦茶やっていた頃を思い出してしまいました。
  青の頃は体力任せでしたから
 勤務が終わってから夕方碁会所に行って2,3局碁を打つ、閉店後に隣の雀荘で朝まで麻雀、6時ごろ1,2時間仮眠を取ってそのまま出社。
 翌日夕方また碁会所へ・・・
  (結婚していてこれです)
  今は流石にこんなことは出来ませんが、体力が落ちた分一回りも二回りもスケールは小さくなっているものの、気持ちは変わっていないのかも・・・
  なかなか年相応とか行かないらしい
 
 胃検診を受けながら囲碁との関連を発見・・・いやブラック調ですが
  この検診は検診車で行っている
   依然受けていたのはドックだったので、なんだか少し簡易になっているような印象です
 なんと言っても着替えるスペースが狭い・・・それはともかく
  検査もすこし簡略化されているような、、、これは医学の進歩に伴う変化なのか、それとも需要と供給の関係?だろうか。
  もっとも胃の写真に何か異物が映っていたとしても、見る人・検査する人に見えなければそれまでの話だから、検査環境は関係なく検査技師さんの腕次第でしょうね
 この辺が囲碁に似ている。
  碁盤の上の石模様は対局者に公開されているわけで、この同じ情報から必ずしも同じ結論が出るとは限らない・・・そこが面白いとも言えるし、ザルの悲哀でもある。
 検査技師さんがザルだったら・・・
  そういえば明後日は唯一の親友の命日・20年前胃がんで
 20年も経ったというより、ついこの間の出来事のようです。
  彼が空の上から見たら「変わらない奴だな」って言うだろうな 

天気予想大はずれ

2008-01-07 18:13:08 | Weblog
 今日は大はずれの日でした。
  「気象庁は何をやっていうるのだ!」と八つ当たりするわけにもいかないです。
 昔何かの本で読んだ話のうろ覚え
  気圧と言うか天気は平均時速40kmで東に動いていくから1日で約1000km移動する・・・従って「今日上海で降った雨は、明後日東京で降るだろう」
  何の本だったか忘れてしまいましたが、おそらく陳瞬臣か司馬遼だとおもう・・・ともかく昨日九州で雨ならば今日は関東が雨でもおかしくないはず
 確かに九州四国方面は傘マークだった・・・天気予報では
  ところが翌日の東京は雲マークで一日の変化は晴れ→曇り
 解説では「東日本の沿岸部では降るかも知れない」となっていたから、当地は確かに東京よりは太平洋に近く沿岸部に入るなら雨が降ってもおかしくないかもしれない
 ということは東京は東京湾に面しているのであって沿岸部ではないのだろうか?
  東京湾であって太平洋ではないですからね
  ともかく「お天気バトル」に完敗で、帰宅は雨の中チャリ25分
 枯れ木年代の老人にはたまには水をやらなくてはとやけっぱち
 マア1年に何回かはあることなのですが、今年はまだ7日目なのに「ヤッチマッタ」ていう所です。
 いつもの上着の上に、ロッカーに置きっぱなしだったヤッケを着て丸いつばの帽子を被って何とかしのぎ形。
 
 薄暗い中自転車を走らせていると、知らないおばあさんが私に向かって大きな声で「マア、お兄さん傘もささずに、風邪を引いてしまうよ」だって・・・
 親切な人なんだろうな
  『でも、傘を持っていればさしますよ』って言う感じですね
  濡れながら走っている時に「何故、傘を差さないのだ」と言われても・・・傘を腰に差しているわけではないですぞ
 もっとも私は濡れて風邪はともかく、安全走行のために自転車では傘を差さない事にしていますから傘を持っていたとしてもささないでしょうがね(雨の時はカッパです)
  ともかく、昨日九州方面の天気を知って、「雨の可能性」を感じながら、雲のマークを信じてしまったのは当の私なんだから仕方が無いですね

 こういうことって囲碁にもあるかも知れませんね。
  「自分の信じたいように信じる」
  「都合の良いことを予測する」
  「主観と客観が入り混じってくる」
 天気の場合はこれに「自然の変化」が加わるわけです
  囲碁では日常茶飯事と言うか、、、ある結果を予想して着手するのですが、その通りになるやら,ならぬやら。
 こちらの都合のいい手を予想していても、相手にとっては都合が良くないわけで当然反発と言う予想外の進行になるし、単純に読み間違えがあったり、読み不足があったりする・・・かなり多い
 相手には相手の都合があるし
  従って野中で土砂降りや落雷にあうことも珍しく無い

 囲碁と天気予報を並べて「本当に勝手読みは怖い」と考えながら自転車の帰宅でしたが
  しかしあの老婆の「風邪を引くよ」は親切なのか?
 濡れている人間に言った「風邪を引くなよ」という声援?
  見知らぬ人間に声を掛けるいまどき珍しいおばあちゃん
   それともボケが始まっている?
  だっていくら薄暗いと言っても私に「お兄さん」なんだから・・・
  おばあちゃんからみれば若いお兄ちゃんのうちなんだろうか
   少し複雑な心境で無言で通り過ぎました。   
   
  

三日坊主二日目

2008-01-06 16:24:24 | Weblog
 三日坊主もまだ二日目ですから出だしの勢いで、棋譜入力を続けています。
 マア水泳で言えば勢い良く飛び込めばそのままの勢いでプールの横断の半分くらいまでは行きそうな感じですから、二日続いても威張れません。
 これが四日以上になれば文字通りの三日を越えるわけで、自分でも『おやッ?』となって行くでしょうね
 ただ、昨日も話したように「棋譜並べ」ならぬ「棋譜入力」ですからどれほどの
学習的効果があるかわからないこと・・・それと
 最初にテキストにしたのが江戸時代の棋譜ですから、そこのところも『これでいいのかな』と疑問を感じながらやっています。
 それでも『やらない方が良かった』は無いだろうと開き直っています。

 私が理想の棋譜並べだと思うのは両者に悪手らしい悪手が無いことが一番だと思っています。
 プロレベルで細かな論議があっても、アマとしては勿論パスして「ひたすら並べる」・・・それが理想だと思っています。
  
 一局を通して何の問題も無い棋譜と言うのも無いものねだりみたいな気もしますから、少なくとも中盤の途中までは<問題点無し>はともか「これも一局」と言うような手で進行しているのが良いですね。
  当然短い期間に数局並べただけで効果があるとは思っていません・・・そこまでは厚かましくは無いつもりです。
 若い人あるいは才能に恵まれている人ならいざ知らず、やっているのが私ですから最低でも数年かかるかかなとは思っています。
 目標としては年に数目進歩できればいいなとは思っていますが、実際にはそれなりに効果を期待するにはかなりの年月が必要でしょう。
 年月をかければ良いかどうかと、最初の話に戻って「正しい方法」かどうかという・・・

 まあ、何らかの効果は期待できる仮定で・・・
  先程の「年月」の問題
 私としては5年くらいやれば少しは積み重ねとしては好いかなと思っている
  あまり確かな話ではありませんが」、唯一自分自身に関しては根拠らしいものを感じているのです。
 と言うのは私の囲碁の出発点・・・というかプレ囲碁時代と言うべきか
  毎日新聞の囲碁欄を見ていた時代がありましたが、それは将棋欄のついででわけも分からずに読んでいた頃、これが6年以上は続いていた。
 その結果知らない間に囲碁が打てるように成っていた
  勿論稚拙で、もし級位認定を受ければ2桁は間違いないのですが、それでも生き死にとか地の数え方・終局のしかたを知っていた。
  要するに今度の棋譜並べは二匹目のドジョウみたいなものです
 同列に考えること事態が無茶かも知れませんが、「良い」棋譜をひたすら並べることに期待してしまうのです。
  
 棋譜並べは「味わう」とか「考える」事は理想であっても、現実はどうだろうか、、、いや私としては、、、畳の部屋で書見台に棋譜を載せ、碁盤の前に正座して一手一手並べていく、、、あのイメージは出来そうも無い。
 高級料理とナンチャって料理、高級食材とフェイク食材の区別が出来にくいように、味わうと言う方面は出来そうも無い。
 プロの棋譜の真髄には触れられないとして、質を量で補おうと言うのが「ドンドン並べる棋譜」と言う感じですね。
 「普通」と言う感覚に慣れておくというか・・・
  そういう意味では、本来なら解説は大事でしょうね
 棋譜欄に変化図・解説が添えられている
  
 初めて選んだ道的の棋譜はこの点が微妙です
 冒頭の棋譜は、「出来として悪い」とか
 二局目の道策との2子局は「辺に偏る傾向があって、立体感として問題」などの説明がある
  総じて「構想」と言う概念が希薄・・・しかし読みの裏付けはかなりという解説もある
  棋譜を追うと、小目に小ケイマかかり、大ケイマ受けあるいは2間挟みが多いですね・・・
 今のネット碁(ザルクラス?)には殆ど出て来ない形ですが、マア乗りかかった船、スタートは古風な棋譜です。 

三日坊主の一日目?

2008-01-05 16:42:23 | Weblog
 今年は一念発起をしまして・・・(自分で一瞬凍って)だんだんトーンが下がりそうです
 小学生の頃から、新年に当たり何時だって一年発起をしなかった年はなかったのですから。
 たいていは「今年は日記をつける」だったのですが、これは毎年新しい日記帳を買ってきて1月1日から始めるわけです。
なぜか小学校の先生は生徒に日記をつけることを勧めていましたね
 ノートと鉛筆があれば始められるし、当時の日本ではお勧めだったのでしょう
 一番楽しいのは旧年中に日記帳を選んで買うことで、次に楽しいのは初めの1日目に何かを書くこと・・・三番目は無い!
 そして、今年も「三日坊主」であること、綺麗な日記帳をまた無駄にしてしまった自責の念を少し味わい、、、やがて忘れてまた翌年繰り返す・・・
 まさに三日坊主であるわけで、、、そういうことの積み重ねと言う貴重な?経験があるから「1年の抱負」は考えないことにする習慣が身についてしまったのです
 なまじ一年の計を立てると、それに縛られる一年になるか、あるいは”また今年もダメ人間”を味わうかのどちらかで、どっちに転んでもあまり良いことは無さそうなイメージです。
 ところが今年はものの弾みで「コミで3目」とい目標を考えてしまったのだから弾みは恐ろしいものです。
 弾みとはいえ思いついたからには何かやらなくては思いついただけで終わるから「弾み」に義理が立たないので何かやらなくてはいけない。
  「コミで3目」を実現できるかどうかは私本人の努力と能力と言う絶望に近い現実はあるにせよ、目標ですからチャレンジしなくてはいけない1年が始まってしまった。
 そういうことで、思いついたのが棋譜のコピー
  私の家には現在碁石が無いので並べるわけには行かないのです。
 子供たちが幼い頃に彼らの遊び道具になって散逸して以来おそらく碁石は白黒各100個ずつも無いでしょうね
 ですから五目並べなら出来るけれど、あるいは9路盤ならできる程度というところです
 家ではパソコンで何でも用が足りてしまうのでそのままでした
  最近碁石でもって棋譜を並べようと考えていますが、自分の部屋の生活が畳からフローリングになってしまっていて、ベッドに腰をかけてキャスターつきのテーブルにノートパソコンを置いている形ですから、それにあったものを探している所です。
 そんなことで今はパソコンで棋譜を並べるのが主流です。
  それで今年の目標にそった日課として「棋譜のパソコンへの記録」と言うことにしました。
 どれだけの効果があるかは定かでは無いのですが、「ひたすら並べる棋譜集」とか「手で覚える囲碁」みたいな棋譜集を作ってみたい・・・
 本当に出来るとは思っていませんが、まあそういう遊びと言うことで始めた。
  ともかく、棋譜を持ってきてパソコンに入力して行って、その後どうなるかは後で考えることにする。
 私の場合初めからキッチリ予定を立てると結果が良くないですから、”遊んでいたら出来ちゃった”くらいが向いています。
  それで、まず初めに図書館で棋譜を選んだのですが、ここは意外と種類が少ないのに改めて驚いた
  それはともかく選んだのは
 「日本囲碁体系 4」 道的・名人因碩  解説 大平修三 昭和51年 
 選んだ理由というほどのものはないのですが、今まで並べたことが無いというのが最大の理由らしきもの
 江戸時代の棋譜ですから、現代碁とはだいぶ違うところがありそうですが、強い人たちの碁には違いないのですから拘らない
  ともかく目標は1日1局パソコンに入力してリムーバブルディスクに記録
 解説は読んでもいいし読まなくてもいい(ついつい読んでしまいますが)
  ひたすら打ち込むことを目指して、それが何かの役に立てば二次的な・オマケみたいなものです
  あなた任せ的な・・・やはりトレーニングではなくて「遊び」です
 とりあえず、1局目は20分程度で終わったから、これなら平日でも夕食前に出来そうです
 ところで道的の1局目の棋譜のタイトルは「生涯の一局」とある
  何だかいいことがありそうというか、御利益がありそうではありませんか
 しかし、しかし入力し終わって少しがっかり・・・
  生涯の一局と言うのは「お城碁」デビュー戦のいみだったらしい
  解説によると「碁の出来は良くなかったけれど・・・云々」
 ともかく三日坊主の一日目は目標達成(威張れません)
  さてさて1年続くものやら
 ところで日記を三日以上続けられなかった私が、このブログが2005年の11月以来続いているのだから、案外「いけるかも」:一日目の感想! 

抱負の次は戒めを

2008-01-04 18:10:46 | Weblog
 年の初めにみなさんから見たら極ささやかな抱負がありまして、それは既に書きましたが、抱負も三日坊主にならないように何度も繰り返す方がいいかもしれないのでもう一度書くと「今年は、コミで3目程度アップしたい」ということです。
 マア、抱負と目標の区別は定かではありませんが、一年間こんなことを考えながら打ちたいと思ったわけです。
「嘘も100回唱えれば本当になる」みたいなお呪いです。
 抱負と言うか願望としては毎年毎年棋力アップが第一ですが、それがどの程度できたのか、あるいは後退したのか結果を確かめる具体的な形がありません。
 自分で一年を振り返って見たときに「なんとなく自信がついた」とか「余裕を持って碁盤が見られる」とかの感想を持てることを持って棋力のアップとしても良さそうですが、それではいかにも自分に都合よく解釈できそうです。
 そんなことで今年はコミで3目くらい
  どういう尺度かと言うと、ネット碁で上下する点数の変化の中心線みたいな点数で3点と言うことです。
 模式的に点数はサイン曲線みたいに上下するとしてその変化の中心線です
  多少の心配が無いでも無い、、、すぐ他人のことを考える悪い癖ですが、
 ネットの全体のレベルの変化・これは所属している人のレベルアップと言う、所謂ネットの底上げみたいな部分、あるいは新しいメンバーが入った時(新しい人が増えないと困りますが)に生じる変化。
 そういうものを考慮したら初めの目標自体が成り立たないので、ともかくコミ=点数で3点!
  多くの人は「なーんだ!」と思うでしょうが、概ね段位にしたら4分の1に当たる階段の高さです・・・この年なら充分躓くくらいのハードルです
 1年にコミ1目だって10年余り続けば1段に相当するのですから、この年令では楽とは言えないかも知れません。
  年の初めの目標はそういうことで、そのために何をするか・・・
   そこが問題です、サテどうなることやら

 目標の次ぎは,一年間注意すること・・・
  ここのところ数年はいつも年の初めに注意しなければいけないと思うことがあります。
 それ程たいしたことではありません
  「思う」「考える」「・・・だ」をキチンと使うこと
  話をすること、他の方のブログにお邪魔する時に
 「なーんだレベル低ゥー」と思われるでしょうが・・・事実そうなんですが
  以前他のブログを書いていまして、「愛染町物語」というチベットとかヒマラヤの山奥みたいに寂しいところでして・・・
 ある書き込みを戴きました・・・「書き込み」は嬉しいですよ、本当に珍しいお客さまですからね。
 しかしショックでしたね
 その前に「愛染町」の説明をしますと、私が生まれて直ぐに引っ越してきて中1まで約13年間暮らしたところです。
 今の私の原点みたいな場所ですで、つい最近まで本籍地をそこに置いたままにしていました。 
 ブログの名前のaizomechouもそれにちなんでいます、もっとも自分では「愛染」「藍染」「逢染」を兼ねているつもりですが。
 その中で当時一部の区間国道1号を走っていた路面電車に乗って保育園に通った話を書きましたところ・・・先程のコメントと戴きました
 「新清水ー新静岡間に静岡鉄道は走っていますが、国道1号には路面電車は有りません。よく調べてください」とある。
 御丁寧に鉄道のパンフレットまで添付されているから親切ではある、しかし
 軽いショックを受けました。
 私の体験に基づいて書いたことを否定されてしまった事もさることながら、ご自分の書いていることには何の疑問点も感じていないらしい・・・
  マアきっと若い鉄道マニアみたいな人が親切に教えてくれたんでしょう
 事実清水が台風で大きな被害を受けたときに廃線になっていますから、その時以後は路面電車はないわけですから
  通園もそうですが、子供時代に映画を見に行くにも、港に行くのもこの電車でしたから、思い出までも否定されかねないような感じでした。
 それはともかくそんな経験からも「・・・だ」「・・・です」と言い切るときは余程注意が必要だと再認識したものです。
 
 勿論他の方からコメントを戴くのは嬉しいです、閲覧数ではなくて「読んでくれている」という喜びを感じます。
 他の方の楽しいブログにはコメントを送りたくなります・・・その時が先程の注意ですね。

 こういうのって、ブログのコメントとは少し違いますが「囲碁の感想」にも有りませんか?
  だいぶ違うかも知れませんが
 他の人の着手に「良い」「悪い」をはっきりコメントできる人・・・
 「良い」はともかく「悪い」は余程自信が無いと言えませんね
   プロ棋士くらいの実力があるわけで無し・・・
 「・・・と思う」「・・・と感じる」>それは自信の無さの裏返しでもある
 「詰め碁」の生き死に・急所なら言える時もありますが
 「このあたりで打ちにくくしたかも知れませんね」・・・くらい

 戒めは自分に対してです、コメントをいただけると嬉しいです。
 

好調と不調の間で

2008-01-03 17:12:54 | Weblog
 長いことザルをやっていれば当然「調子が好い」と感じることもあれば「どうもやることなすことが巧くいかない・不調」だと感じることもある。
 必ずしも勝てるから調子が好い・反対に負けるから調子が悪いと言うものではないけれど、運良く勝っているうちに調子が良いと感じるようになることもある。
  当然その反対の負のスパイラルもある
 時としては、それが冠に「絶」をつけたくなる時だって無いわけではない。
  「絶好調」の方はほとんど無くて、「不調」の方がいつ「絶不調」に転化しないかハラハラすることはよくあることなんですが・・・
 それで、そういった好・不調は本人自身、あるいは周りの私をよく知る人が感じる「感じ」なのですが、もし指標みたいなもので表すとしたら、外見で判断するとしたら一応点数でしか無いでしょうね。
 本当は結果としての点数の上下と碁の内容は、密接な関係はあったとしても”直結”では無い・・・点数は温度計、湿度湿度計とか車のスピードメーターでは無いので、絶対性があると言えない面もある・・・
 点数は属している団体・グループ内での指標で
  仮に私自身が調子が良くても、回りの皆が好調ならば相対的に距離は変わらないし、逆の場合も有りうる。
  仮に誰かが進化しても皆のレベルがアップしていれば、進歩は点数の上には現れにくい・・・それでも一局ごとに勝敗が決まって点数は変動する
 ということは、点数と言う数値は一見温度見たいに絶対的な数字に見えるけれど、相対的な気圧差で風が流れるみたいなところがありますね
  でもまあ、碁会所レベルですと50人とか100人の範囲ですが、ネットともなると参加人数の桁が変わってくるから、相対的な部分は減っては来るかも知れませんから、そこのところはあまり考えないことにして
  私自身の点数の上限を過去MAXとして、下限を過去2年くらいの中での最低点とするとその差は約20点あります。
 実際には変動幅6,7点の中で動いているようですから、案外幅が狭いといえるかも知れないですね。
 私の知り合いのAさんBさんのマッチ戦では三つ置かせる碁から、二つ置く碁までの幅があります
 仮にこの幅を5段分とすると、各々が2段ぐらい棋力が上下してすれ違ったことに成りそうです
 私の場合MIN.の自分はMAX.の自分に二つおくことになる。
  通常の変動幅の中では点数としては「常先」くらいの差が有ることになりますが、案外幅が狭いと言えるか、こんなものなのかどっちでしょうね。

 一つ不思議なことがあります・・・不思議に感じることですが
 先程A・Bの両人のハンデの激変について話しました。
  この場合両者はどんな手合いでも「あり得る手合い割り」として打てるのでしょうね。
 そこのところが不思議ですね
  私は点数変動によるハンデの変更に別の感情を持ってしまいます・・・というか、この点について私としては「固定観念」が強いらしい
 例えばCと言う人と対局して「この人とは同じくらいのランクの仲間として、打ち易い(勝てるかどうかは別ですが)」と思うこともあれば、一方Dさんには「現在の点数と自力は少し違うのではないか」と感じることもある。
 例えば、いつもは10点くらい上の人が、どういうわけか下がってきて自分と同じくらいの点数になってきているとします。
 現在が同じ点数なのだから、変動しがちなアマとしては今同じレベルと言いきれるかどうか?
  どうも今の点数は仮の姿で、私との対局で気持ちよく勝って、本来の点数に戻っていくきっかけに・・・などと先回りした被害者意識に似た感情を抱いてしまう
  自分の弱気な性格をさらけ出しています
 
 ある人の棋力と言うことを考える時、点数制などで表される、その時の好不調を含めた表示とは別に,「○段グループ」みたいに表せるものがあるように思える
  点数というハンデを決定するための便利な表示とは少し違う形で、基礎体力というか棋力を表す○段とか△級みたいなものがあるような気がする・・・
 まあ、しかし今年は1年の初めに、「点数」というわかりやすいものを目標にするとして
  現在の上下半石の変動幅を上げていくことが今年の課題
   どのくらいかと言えば半分か四分の一・・・つまり点数で言うと3点から7点くらい・・・ささやかな目標に見えますか?
  これでもまだ無謀な、野望かもしれないと思っています
 1年後の来年のお正月が楽しみなような怖いような・・・「来年のことを言うと鬼が哂いますね」
  

夢物語

2008-01-02 17:56:20 | Weblog
 夢物語とは言っても、世界的な有名人になるような大きな夢では有りません。
  とは言いながら、子供時代には「将来なりたいものには何にでもなれる」と漠然と信じていた時代がありました。
 とんでもない勘違いではあり、ズーズーしいと言うべではありますがその年代ではそういうものだと思っていたのですね。
 つまり「なりたいものに成れない」のではなくて同時にたくさんのものには成れないのだから、「自分が最終的に選択をしないから」に過ぎないみたいに・・・
 マアそのうち、成りたくてもなれないこともあるということが分かって来る・・・飛行機のパイロットはともかく目が良くないと成れないらしい、国際客船の一等航海士はたまにしか家に帰れないから少し寂しい
 そのうち成れるもののほうが寧ろ少ないことも解ってきて・・・最後には何にもなれなくても生活が出来る方法を探す・・・選択肢のキイを持っていないことに気がつく
 寂しい話ですが、夢と現実が渾然一体となっている時代から、夢は夢として、あるいは実現可能なものはこの程度などと要領よく纏めていく・・・これを「成長」というのかもしれませんが

 ネットで日本平のピッチから見たスタンドの写真を見ていて・・・『この方向に港、駿河湾、この角に富士山が見えるはず。スタンドの後ろが日本平の頂上方向、、、すると竜爪山はこの方向に』
 今年は何回ここに来れるだろうか、、、それもまた今年の夢でもある
 さて1月1日の夜見る夢が今年の初夢ということですが、初夢の縁起の良い定番?「1富士、2鷹、3茄子」
 あれは徳川家康が駿府に隠居する時に、嫌がる大奥に向かって駿河は良いところだと説得するために言った言葉が始まりだとか・・・定かではありませんが
 富士山の眺めが良い、鷹狩が出来る、茄子が美味しい(地元で育ったのに茄子は知りませんでしたが、当時清水区三保の茄子は献上品だったといいます)
  初夢のイメージとなれば富士山で、私も冬の富士山の眺めは嫌いでは無い
   イヤ、寧ろかなり好きなのです
  高校時代には、たいてい一晩中起きていたのですが、満月の晴れた夜は二階の廊下の窓を開けて富士山を眺めたものです。
 相当寒かったのでそう長い時間は無理ですが・・・
  冬の雪を被った富士山が月の光を浴びて夜空に浮かび上がるのです
  ちょっぴり神秘的でもあり、この深夜に自分しかこれを見ていない筈だから・マイ富士山みたいな気分になったものです。

 これとは別に、別の富士山の思いでもあります。
  おかしな表現をしましたが静岡の南アルプス方向に真富士山と言う山があります。
 真富士だからこれが本当の富士山と言う意味なのか、間富士山の字が変わったものなのかは知りません。
 ともかく高校時代から登ってみたいと思いつつ果たせないでいる山なのです。
  高校時代は山岳部にも入っていて、山に登る以外にも本屋さんに行っては5万分の1の地図を買って眺めるのが趣味でもありました。
  大きな本屋さんで地図名を書いたラベルを貼った平たい引き出しがたくさん並んでいるコーナー・・・そこにはお客も店員さんもあまり来なかった
 周辺の山が載っているところの地図はたいてい買ってあって、それを夜中に眺めては「今度はこのルートで登ってみよう」とか空想的計画を立てるのです
 そこでこの真富士山
  住んでいた町の裏にそびえる(1000mですが)竜爪山(文殊岳、薬師岳)
 車で行く時も新幹線の時も海が見えて山が見えると『帰ってきた』という気がするので、故郷のシンボルの一つですね
 家は海抜せいぜい5,6mのところですが、そこから徒歩でミカン山・TV塔のある山に登って竜爪山、そこから北方向に尾根を縦走すれば、真富士、十枚山、月夜の段などを経て安倍峠に抜けて南アルプスを一望できる八紘嶺に至る・・・
  当時の計画は頭のどこかにしまいこまれたまま、、、40年以上も経ってしまってもう行きたくても体力も健康状態も許してくれなくなってしまいました。
  ですから、初夢=富士山を発想すると、こちらに真富士山が思い出されてちょっと苦い思い出。
  
 この時代の体力、気力、エネルギーが蘇ることは無いでしょう、、、しかし何で実行しなかったのか?
 暇と僅かな費用ならあったはずだから、パートナーがいなかったのも理由の一つでしょうが、決定打は実行力でしょうね。
 それで、この先更に実現できること、実際にやれることの選択肢が狭まっていくでしょうから、今できることは何でも今やっておかないといけませんね。
 どこかに行くとかだけではなくて、碁の勉強も含めて思い立ったことはやらないと後悔ばかりが残りそうです。
 成れなかったもの、やらなかったものの方が圧倒的に多いですから、後悔・慙愧の念に埋もれている・・・そんなことではいい初夢は見られそうも無いなァ。