昨日今日と棋聖戦の第一局の中継をみました。
放送の二日目は実戦の中継ではなくて一日目の両対局者の退室場面と立会いの小林光一九段が封じ手を封筒にしまう場面とレドモンド九段の解説でしたが。
前夜祭はサンバで踊って盛り上がっていましたが、相変わらず趙治勳九段のコメントは楽しいですね。
昨秋千葉でのJFE趙治勳杯での指導碁の様子と変わらない様子
いつもリラックスしていると言うか、回りを楽しませると言うか
概ね「山下さんは北海道の出身で寒さに強いですが(ブラジルは今真夏なので対局室にはエアコンが入っている)、私は暑さには強いのでクーラーは入れずに出来るだけ暑くして下さい」みたいな”決意表明”ならぬお願い・・・
趙治勳さんは冗談ばかり言っているみたいですが、時間の使い方が変わってきているところをなど、やはり昔とは違う
以前は挑戦・防衛の二日制の碁の申し子みたいな事を言われていましたが・・・
以前は思い入れの強さを感じたものですが、今は気持ちにゆとりが出てきているみたい、、、時間も昔は序盤から惜しげもなくつぎ込んでいく・頭をかきむしる・頭をポカポカ叩くから、平均的に時間を使うみたいに。
尤も、終盤戦の険しい戦いになったら本人の意識外の癖が出るでしょうから、分かりませんね。
ブラジルは日系人が多いので囲碁を打てる人がおおぜいいても不思議ではないのですが、アルゼンチンなどにも熱心な囲碁ファンがいるようですね(去年の世界アマの予選決勝の解説をする羽根九段と熱心な質問をする現地ファンの様子がビデオで紹介されました・・・岩本薫九段の尽力が偲ばれます)
さて一局目第一日の終了局面は、レドモンド九段の解説でなんとなく状況は分かったような感じです。
もっともレドモンド九段のコメントにもあったように手の広い場面で打ち掛けとなったので、二日目以降の進行は封じ手を開かないと(素人には)予想できません。
マア、プロの先生方にはアノ手かコノ手などせいぜい3択くらいかも知れませんが・・・
大まかに言って白の山下棋聖が下辺黒陣に打ち込むか、白の右辺を盛り上げるような地点に打つかのどちらからしい。
但し左上の白には黒からコウで仕掛ける強手があるので両者それを意識した展開になると言う解説です。
さてこうなると、この続きを見たくなるのは碁キチの心理
続きの放送は明日の午前3時から5時BS
これは現地では午後4時頃ですから戦いの酣の時間帯ですから、火花が散るような場面が見られそうですね
観客の私としては全く問題無い
深夜に目を醒ましたら、そのまま起きていれば良いだけのこと
月曜日は祭日で何の予定も無いのだから・・・本当に今回のスケジュールは嬉しいですね。
問題は深夜に目を醒ますことだけ、、、まあ何とかなるでしょう。
ところで今回一つ「ヘェー」と思いながら見ていたこと・・・対局の本質とは関係ないのですが黒1小目。
今回の対局は黒右上小目、白2左上小目、白3左下小目と喧嘩小目で小目が3続きました。
それはともかく黒1の小目の位置・右上隅の右側の盤端から3線目の小目ですね。
当然と言えば当然でしょうか?、、、黒1が小目ならこの位置と言うことで
江戸時代の棋譜を入力し始めて、まだ10数局程度で言うのはおこがましいのですが、黒1小目の位置は全てこの場所ですね。
多分不文律みたいにそういう暗黙の教えがあるのでしょうね。
黒1が星の場合も場所は右上隅・・・但しこの場合はコノ方面の星は一箇所です
小目の場合は星脇に2箇所あるわけです
但し黒が1手目を打つ時はどちらの小目も座標は違いますが囲碁の意味に置いては同価値な分けです。
白が2手目を打つ時は意味の違いは生じますが1手目については同じ
そこで同じ小目にしても、先程話した位置になるのは、白に対する敬意を表する態度でも有るのでしょうね?・・・そう感じます
単に今回の対局者の問題ではなく、囲碁分化みたいな話です
多分これは「右利き文化」みたいなものも関係あるかも知れませんが、もし白がこの小目にかかるとしたら、利き手側を広く開けておくみたいな教えのような気がします。
もし違う側の小目ですと白は黒1の小目に遠い側からかかる形に成るわけです
勿論打ち進めていけばいずれは右も左も上も下も関係なくなるわけですが、最初の1手目だけはそういう配慮だったのかなと思いました。
それと今回は両者背広での対局ですが、もしも将棋のタイトル戦みたいに和服での対局だったとしたら、袖の存在は無視できないでしょう
ですから古来の作法みたいなものには利き手とか衣服から来るものがあったのかな・・・想像ですが
リアルでもネットでもあることですが、もし白番の時に黒1が自分から見て左下以外のところに打たれると、少々驚きます
マア何処打とうとルールでの規定は無いし、何処でも黒1に関しては意味が同じなわけでゲームに関しては問題な無いのですが、『この人は若い人?』『外国の人?』『碁は教わったかも知れ無いけれど、こういうことは教わっていない?』などと感じます。
感じるだけで、あまり意味の無いことかも知れませんが
でも若い人でなくても、誰にも教わっていなければ気にもならないわけです
同じようなことに置き碁での置き石の置き方も有ります。
順番としてはタスキに右上→左下、左上→右下、右、左、上、下、中央という順番が基礎みたいですね。
ところが案外強い人でも気にしていない人は気にしないもので、中には3子置くのに両手で自分側の星において3つめに右上に置いたりします。
勿論ルール違反でもなんでもないし、打つ前に「お願いします」と挨拶するのだから相手を軽んじているわけでもない。
コミュでは5子置くのに、両手で同時に石を持って2子ずつ置いて最後に天元に置く人がいました。
確かに作業効率を考えての置き方なんでしょうが・・・
さてこういう時、お茶・お花の先生みたいに、あるいは書道の先生みたいにやり直しを命ずべきか?
いやそういう立場ででは無いから、せいぜい「普通は・・・」とはなすべきか?
後者でも受け手によっては随分嫌味に聞こえるかも知れないし、「偉そうに・・・」と思うかも知れない。
to say or not to say といったところですね
こういうことを知らなくても充分囲碁を楽しむことはできるはずだし
但し、こういう細かなこと・伝統文化みたいなことを知って少し碁の間口・奥行が広がるかも知れないから、多少嫌味でも知らせる方が良いかもしれないし
黒1でいろいろ考えている暇なジイサマです
放送の二日目は実戦の中継ではなくて一日目の両対局者の退室場面と立会いの小林光一九段が封じ手を封筒にしまう場面とレドモンド九段の解説でしたが。
前夜祭はサンバで踊って盛り上がっていましたが、相変わらず趙治勳九段のコメントは楽しいですね。
昨秋千葉でのJFE趙治勳杯での指導碁の様子と変わらない様子
いつもリラックスしていると言うか、回りを楽しませると言うか
概ね「山下さんは北海道の出身で寒さに強いですが(ブラジルは今真夏なので対局室にはエアコンが入っている)、私は暑さには強いのでクーラーは入れずに出来るだけ暑くして下さい」みたいな”決意表明”ならぬお願い・・・
趙治勳さんは冗談ばかり言っているみたいですが、時間の使い方が変わってきているところをなど、やはり昔とは違う
以前は挑戦・防衛の二日制の碁の申し子みたいな事を言われていましたが・・・
以前は思い入れの強さを感じたものですが、今は気持ちにゆとりが出てきているみたい、、、時間も昔は序盤から惜しげもなくつぎ込んでいく・頭をかきむしる・頭をポカポカ叩くから、平均的に時間を使うみたいに。
尤も、終盤戦の険しい戦いになったら本人の意識外の癖が出るでしょうから、分かりませんね。
ブラジルは日系人が多いので囲碁を打てる人がおおぜいいても不思議ではないのですが、アルゼンチンなどにも熱心な囲碁ファンがいるようですね(去年の世界アマの予選決勝の解説をする羽根九段と熱心な質問をする現地ファンの様子がビデオで紹介されました・・・岩本薫九段の尽力が偲ばれます)
さて一局目第一日の終了局面は、レドモンド九段の解説でなんとなく状況は分かったような感じです。
もっともレドモンド九段のコメントにもあったように手の広い場面で打ち掛けとなったので、二日目以降の進行は封じ手を開かないと(素人には)予想できません。
マア、プロの先生方にはアノ手かコノ手などせいぜい3択くらいかも知れませんが・・・
大まかに言って白の山下棋聖が下辺黒陣に打ち込むか、白の右辺を盛り上げるような地点に打つかのどちらからしい。
但し左上の白には黒からコウで仕掛ける強手があるので両者それを意識した展開になると言う解説です。
さてこうなると、この続きを見たくなるのは碁キチの心理
続きの放送は明日の午前3時から5時BS
これは現地では午後4時頃ですから戦いの酣の時間帯ですから、火花が散るような場面が見られそうですね
観客の私としては全く問題無い
深夜に目を醒ましたら、そのまま起きていれば良いだけのこと
月曜日は祭日で何の予定も無いのだから・・・本当に今回のスケジュールは嬉しいですね。
問題は深夜に目を醒ますことだけ、、、まあ何とかなるでしょう。
ところで今回一つ「ヘェー」と思いながら見ていたこと・・・対局の本質とは関係ないのですが黒1小目。
今回の対局は黒右上小目、白2左上小目、白3左下小目と喧嘩小目で小目が3続きました。
それはともかく黒1の小目の位置・右上隅の右側の盤端から3線目の小目ですね。
当然と言えば当然でしょうか?、、、黒1が小目ならこの位置と言うことで
江戸時代の棋譜を入力し始めて、まだ10数局程度で言うのはおこがましいのですが、黒1小目の位置は全てこの場所ですね。
多分不文律みたいにそういう暗黙の教えがあるのでしょうね。
黒1が星の場合も場所は右上隅・・・但しこの場合はコノ方面の星は一箇所です
小目の場合は星脇に2箇所あるわけです
但し黒が1手目を打つ時はどちらの小目も座標は違いますが囲碁の意味に置いては同価値な分けです。
白が2手目を打つ時は意味の違いは生じますが1手目については同じ
そこで同じ小目にしても、先程話した位置になるのは、白に対する敬意を表する態度でも有るのでしょうね?・・・そう感じます
単に今回の対局者の問題ではなく、囲碁分化みたいな話です
多分これは「右利き文化」みたいなものも関係あるかも知れませんが、もし白がこの小目にかかるとしたら、利き手側を広く開けておくみたいな教えのような気がします。
もし違う側の小目ですと白は黒1の小目に遠い側からかかる形に成るわけです
勿論打ち進めていけばいずれは右も左も上も下も関係なくなるわけですが、最初の1手目だけはそういう配慮だったのかなと思いました。
それと今回は両者背広での対局ですが、もしも将棋のタイトル戦みたいに和服での対局だったとしたら、袖の存在は無視できないでしょう
ですから古来の作法みたいなものには利き手とか衣服から来るものがあったのかな・・・想像ですが
リアルでもネットでもあることですが、もし白番の時に黒1が自分から見て左下以外のところに打たれると、少々驚きます
マア何処打とうとルールでの規定は無いし、何処でも黒1に関しては意味が同じなわけでゲームに関しては問題な無いのですが、『この人は若い人?』『外国の人?』『碁は教わったかも知れ無いけれど、こういうことは教わっていない?』などと感じます。
感じるだけで、あまり意味の無いことかも知れませんが
でも若い人でなくても、誰にも教わっていなければ気にもならないわけです
同じようなことに置き碁での置き石の置き方も有ります。
順番としてはタスキに右上→左下、左上→右下、右、左、上、下、中央という順番が基礎みたいですね。
ところが案外強い人でも気にしていない人は気にしないもので、中には3子置くのに両手で自分側の星において3つめに右上に置いたりします。
勿論ルール違反でもなんでもないし、打つ前に「お願いします」と挨拶するのだから相手を軽んじているわけでもない。
コミュでは5子置くのに、両手で同時に石を持って2子ずつ置いて最後に天元に置く人がいました。
確かに作業効率を考えての置き方なんでしょうが・・・
さてこういう時、お茶・お花の先生みたいに、あるいは書道の先生みたいにやり直しを命ずべきか?
いやそういう立場ででは無いから、せいぜい「普通は・・・」とはなすべきか?
後者でも受け手によっては随分嫌味に聞こえるかも知れないし、「偉そうに・・・」と思うかも知れない。
to say or not to say といったところですね
こういうことを知らなくても充分囲碁を楽しむことはできるはずだし
但し、こういう細かなこと・伝統文化みたいなことを知って少し碁の間口・奥行が広がるかも知れないから、多少嫌味でも知らせる方が良いかもしれないし
黒1でいろいろ考えている暇なジイサマです