言葉についてと言うよりも、話をする態度を含め「話し方」話し方全般についてですね。
先日戴いたコメントにお返事を書いていて「論争術」という言葉を使いましたが、あれにも本来はきちんとしたルールがあるのですね。
例えば「根拠の無い話をしてはいけない」とか「特殊な例と一般論をすり替えてはいけない」とか・・・何より「双方が問題の核心を捕らえていないと議論にならない」など。
「正しい立論の仕方」、「土俵作り」など論争術の基礎にあることを考えると、私の受け取り方に偏見が混じっているようです。
対立する二つの立場で議論をする練習で、勝てば良いみたいに・・・Aの立場でもBに変わっても勝ってしまうみたいな
昔世間を騒がせた新興宗教の宣伝の仕方とか・・・
白を黒と言いくるめる術とか・・・
問題は言葉で「勝つ」事ではなくて、何をどう伝えるかと言うところですから「相手が受け入れるような話し方」と言うか「お互いに耳を傾ける」と言う点が問題ですよね。
この辺りのことについて、若い頃の思い出があります
若い頃と言うと「学園闘争」とか「70年安保」などの時代でもありましたから、学生が政治向きの主張をする時代でも有りました。
「今と比べると」という意味です。
「親に食わせてもらっている学生は政治に口を出すな」と言う風潮はあるものの、「自由な立場の学生が発言し行動するのは義務」みたいな気持ちも有りましたね。
今の学生さんには「ノンポリ」などと言っても「ないそれ」でしょうが、自分の主張を持っていないと批難されかねない時代・・・時代がそうだったかもしれませんし、自分の周囲が特別そうだったとも思いません
しかし主張が食い違えば「相手を言い負かす」ために「相手の意見を聞かない」「大きな声で話す」「相手には喋らせない」など一種の暴力的な感じになる。
そういうことは一部の世界でしか通用しないことでもある
変な例えですが、TVで国会中継を見ていて発言者の言葉をかき消すように怒号やヤジが飛び交うのを見る時「学生時代」を思い出します。
相手を言い負かすための議論?・・・いや、違いますね「間違っていたことに気がついたとき、主張を変える用意がある」分けではなく、何時間議論をしても絶対に主張を変える気など無い両者の議論ですから不毛な印象です。(マア第三者=国民?に聞かせるための議論・パフォーマンスでしょうか)
その学生時代に、環境の問題とか地域問題で所謂住民と話をしたり一緒に活動することが増えまして、言葉はもとより話をする態度を変え、お互いの立場を考慮しないと会話が成立しないと言うことを体験したような気がします。
それは「相手によって話し方を変える」と言う事では有りますが、「結論を相手に合わせる」のではなく「自分の主張を話すのに、相手との議論をかみ合わせる」ようなことでもあったかと思います。
相手が「地域住民」とは言っても学生を相手であっても話をするですから、一般的な住民とはいえないかも知れませんが。
少なくともこの時点で「大声で主張する」「まくし立てる」ような事は無くなったでしょう。
社会に出て直ぐに就いた職場では、経験豊富な職人さんやパートのおばさんたちのリーダー的な仕事・・・20台半ばで会社・社長の意を受けて社会的経験豊富な人たち相手ですから結構荷が重いです。
特に職人さんたちから「若僧」扱いされてはいけないし、かといって「虎の威を借りる狐」になってもいけないし、自分の父親くらいの人たちに説教調など出来ないし・・・
この時代に良い経験をさせて頂きました
良い経験と言えば、仕事の先輩に言われた事が今でも忘れられません
「パートのおばさんたちも、ここではただのおばさんだけど家に帰れば皆一家の主婦であり子供を育てている。そういう自信とプライドを持っているはずだから」と言うような話だったと思う。
仕事上の役割と年令がアンバランスだったとは思いますが、それ以外に言葉や態度に危ういものがあったのかもしれない・・・
具体的に何処をどうしろと言ったことではなかったけれど、きっと私に何かが欠けていて、足りない点が多かったのでしょうね。
若者にありがちな生意気な感じはあったでしょうし、社内的には強い立場ではあったでしょうし・・・しかしそういった論理だけでは動いていないということを教えてくれたのでしょう。
その年代でどれだけのことが出来たかはともかく・・・話し方は意識しました
大まかに言うと「穏やかに話す」「ゆっくり話す」「相手の話をよく聞く」
「なーんだそんなこと当たり前では無いか」ですが・・・これが学生時代とは180度近く違うのです。
大声で主張し相手をねじ伏せる・・・まくし立て相手には喋らせない
それが「相手を下に見て”ため”にする」のではなく「人との人会話」を意識したのですから自分としては革命的だったかも知れません。
学生仲間だけの場所から所謂社会に出て行ったのですから当然といえば当然ですが、視野が広がって来たともいえるでしょうか。
社長の印籠をかざし、錦の御旗を振り回せば簡単なことも有ったでしょうが、それでは学生時代に主張し行動していたことの説明がつかなくなりますね・・・
ともかく私にとって「学生時代」「世の中に出たて」という時間的な横軸とどういう人たちと接触・ふれあいが有ったかという縦軸みたいなもので変わっていたように思います。
囲碁について言うと学生時代は5,6人のヘボ仲間でお山の大将(5級くらいでしょうか)、社会に出てからは暫くは囲碁を打つ人もいなかったし気持ちにも余裕がなかったので数年は御無沙汰でした。
なんとなく空虚な感じだったのでしょうか「競馬場通い」の時代?・・・いや馬は好きでしたけれど。
ともかく町の囲碁道場に通うようになりました。
道場では一番若くて師匠初め皆さんに教わったり面倒をおかけする立場ですから、私個人の収支みたいなバランスが取れて、リラックスできたかも知れません。
「言葉」というキーワードで・・・思い出すことが多いのは年を取った証拠ですね。
先日戴いたコメントにお返事を書いていて「論争術」という言葉を使いましたが、あれにも本来はきちんとしたルールがあるのですね。
例えば「根拠の無い話をしてはいけない」とか「特殊な例と一般論をすり替えてはいけない」とか・・・何より「双方が問題の核心を捕らえていないと議論にならない」など。
「正しい立論の仕方」、「土俵作り」など論争術の基礎にあることを考えると、私の受け取り方に偏見が混じっているようです。
対立する二つの立場で議論をする練習で、勝てば良いみたいに・・・Aの立場でもBに変わっても勝ってしまうみたいな
昔世間を騒がせた新興宗教の宣伝の仕方とか・・・
白を黒と言いくるめる術とか・・・
問題は言葉で「勝つ」事ではなくて、何をどう伝えるかと言うところですから「相手が受け入れるような話し方」と言うか「お互いに耳を傾ける」と言う点が問題ですよね。
この辺りのことについて、若い頃の思い出があります
若い頃と言うと「学園闘争」とか「70年安保」などの時代でもありましたから、学生が政治向きの主張をする時代でも有りました。
「今と比べると」という意味です。
「親に食わせてもらっている学生は政治に口を出すな」と言う風潮はあるものの、「自由な立場の学生が発言し行動するのは義務」みたいな気持ちも有りましたね。
今の学生さんには「ノンポリ」などと言っても「ないそれ」でしょうが、自分の主張を持っていないと批難されかねない時代・・・時代がそうだったかもしれませんし、自分の周囲が特別そうだったとも思いません
しかし主張が食い違えば「相手を言い負かす」ために「相手の意見を聞かない」「大きな声で話す」「相手には喋らせない」など一種の暴力的な感じになる。
そういうことは一部の世界でしか通用しないことでもある
変な例えですが、TVで国会中継を見ていて発言者の言葉をかき消すように怒号やヤジが飛び交うのを見る時「学生時代」を思い出します。
相手を言い負かすための議論?・・・いや、違いますね「間違っていたことに気がついたとき、主張を変える用意がある」分けではなく、何時間議論をしても絶対に主張を変える気など無い両者の議論ですから不毛な印象です。(マア第三者=国民?に聞かせるための議論・パフォーマンスでしょうか)
その学生時代に、環境の問題とか地域問題で所謂住民と話をしたり一緒に活動することが増えまして、言葉はもとより話をする態度を変え、お互いの立場を考慮しないと会話が成立しないと言うことを体験したような気がします。
それは「相手によって話し方を変える」と言う事では有りますが、「結論を相手に合わせる」のではなく「自分の主張を話すのに、相手との議論をかみ合わせる」ようなことでもあったかと思います。
相手が「地域住民」とは言っても学生を相手であっても話をするですから、一般的な住民とはいえないかも知れませんが。
少なくともこの時点で「大声で主張する」「まくし立てる」ような事は無くなったでしょう。
社会に出て直ぐに就いた職場では、経験豊富な職人さんやパートのおばさんたちのリーダー的な仕事・・・20台半ばで会社・社長の意を受けて社会的経験豊富な人たち相手ですから結構荷が重いです。
特に職人さんたちから「若僧」扱いされてはいけないし、かといって「虎の威を借りる狐」になってもいけないし、自分の父親くらいの人たちに説教調など出来ないし・・・
この時代に良い経験をさせて頂きました
良い経験と言えば、仕事の先輩に言われた事が今でも忘れられません
「パートのおばさんたちも、ここではただのおばさんだけど家に帰れば皆一家の主婦であり子供を育てている。そういう自信とプライドを持っているはずだから」と言うような話だったと思う。
仕事上の役割と年令がアンバランスだったとは思いますが、それ以外に言葉や態度に危ういものがあったのかもしれない・・・
具体的に何処をどうしろと言ったことではなかったけれど、きっと私に何かが欠けていて、足りない点が多かったのでしょうね。
若者にありがちな生意気な感じはあったでしょうし、社内的には強い立場ではあったでしょうし・・・しかしそういった論理だけでは動いていないということを教えてくれたのでしょう。
その年代でどれだけのことが出来たかはともかく・・・話し方は意識しました
大まかに言うと「穏やかに話す」「ゆっくり話す」「相手の話をよく聞く」
「なーんだそんなこと当たり前では無いか」ですが・・・これが学生時代とは180度近く違うのです。
大声で主張し相手をねじ伏せる・・・まくし立て相手には喋らせない
それが「相手を下に見て”ため”にする」のではなく「人との人会話」を意識したのですから自分としては革命的だったかも知れません。
学生仲間だけの場所から所謂社会に出て行ったのですから当然といえば当然ですが、視野が広がって来たともいえるでしょうか。
社長の印籠をかざし、錦の御旗を振り回せば簡単なことも有ったでしょうが、それでは学生時代に主張し行動していたことの説明がつかなくなりますね・・・
ともかく私にとって「学生時代」「世の中に出たて」という時間的な横軸とどういう人たちと接触・ふれあいが有ったかという縦軸みたいなもので変わっていたように思います。
囲碁について言うと学生時代は5,6人のヘボ仲間でお山の大将(5級くらいでしょうか)、社会に出てからは暫くは囲碁を打つ人もいなかったし気持ちにも余裕がなかったので数年は御無沙汰でした。
なんとなく空虚な感じだったのでしょうか「競馬場通い」の時代?・・・いや馬は好きでしたけれど。
ともかく町の囲碁道場に通うようになりました。
道場では一番若くて師匠初め皆さんに教わったり面倒をおかけする立場ですから、私個人の収支みたいなバランスが取れて、リラックスできたかも知れません。
「言葉」というキーワードで・・・思い出すことが多いのは年を取った証拠ですね。

