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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

星打ちが無い

2008-01-20 15:55:53 | Weblog
 江戸時代全ての話ではありませんが、今入力している道的、因碩、道知の辺り、時代で言うと富士山が最後に噴火した宝永年間くらい・江戸時代になってから100年くらいでしょうか、棋譜を見ていて星打ちが有りません。
 勿論この時代の全ての棋譜があったとしたなら膨大な量になるでしょうし、本に収録された棋譜だけで判断するのは木を見て森を論じるようなものですから断定は出来ない。
 それでもこの時代を代表する打ち手の棋譜に現れないと言うことは、無かったのかもしれませんね。
 家元制度みたいな形で囲碁の打ち方が継承されていくようなところがあって、或る家元では”小目にかかられたら,挟みは2間”みたいな定型があったりします。
 ですから、もし何処かの流儀で研究され、お師匠さんから”これは良い”などと認められれば必ず棋譜に現れると思うのです。
 一門挙げての研究されるはずだし、逆に「非常識」なるものは問題外で視野の外
 研究成果は剣術の免許皆伝とか奥義みたいに研究結果は門外不出的な感じです。
 私としては囲碁を憶えたては「打ち出しはヘボとは言えど小目なり」みたいなもので、自分の小目に打った石の方向の組み合わせを考えるのがせいぜいでしたが、あるときから「星打ちのほうが簡単」と言うか「単純?」な感じがして、星打ち派に転向した。
 これは碁の理屈が分かっているわけではなくて、どちらかと言うと「星打ちの方が序盤の省エネ」みたいな感じがしただけです。
 実際に一時期相手の布石と関係なく「二連星」ばかり打って来ましたが、そういう「二連星居士」と言うか硬直化したことではダメなので多少は工夫らしきことはするようになりました。

 ともかく今の所星打ちが出てこないので、逆に言うと小目関係の勉強にはなっているはず・・・なんですがマア、ミリ・ミクロ単位の進歩でしょう
 圧倒的に多いのが小目、次いで意外と目ハズシが多くて、高目もけっこう出てきます。
 つまり星だけが無いという感じです
  「囲碁大系4」の大平九段の解説にもあったようにこの時代の布石は辺の意識が強いそうです・・・そういう意味でも目ハズシや高目が出てくる頻度が高いのでしょう。
 星のほうは甘さだけが目立っていたんでしょうね。
  小目に小ケイマかかり、安井家流の2間挟み、あるいは本因坊家の3間挟み
  小目に小ケイマかかり、かかりっぱなし、あるいはかかられっぱなし
  小目に小ケイマかかり、コスミ受け・・・相手が手抜きの場合後にカケ・・・一間とび受けもしくは2本ハイ
  このような展開がたくさん出てきます。
 かかりっぱなし、とかかかられたままでの手抜きの呼吸がイマイチ理解できないので、分からない部分が多い・・・と言うことは勉強しているのかなと・・・
 たくさん棋譜に接していけばなんとなく呼吸が分かるようになることを期待しています。
 もっともこういうところは素人なので、「相手が定石どおりに打ってくれないので困ってしまう」とか「相手がちゃんと打たないからこっちが間違ってしまった」などと・・・冗談みたいな未来が今から予測出来ます。
 囲碁・落語が好きで囲碁も落語的な落ちに向かって進んでいるかも。