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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

”本物”について

2008-01-25 17:53:18 | Weblog
 本物か偽物かという話題と言えば、TV番組では「お宝なんでも鑑定団」
 欲の無い人が思わぬ鑑定額に驚いたり・・・これはこれで出場者を祝福したい気持ちですが、反対の「相当に思い入れがあったり」「過度の期待を込めている」人が「本物では無い」という鑑定にがっかりするところが楽しい。
前者は昔話の正直ジイサンで後者は欲張りジイサンみたいに見てしまうのだから、出場者には失礼な話です・・・マア私の場合は持って行って鑑定をして戴く様なお宝が無いという僻みが入っています。
 性格が悪いのですね。
 特に自信たっぷりで出品した人が逆の結果だったりするとなんだか胸がすっきりするのだから・・・別に高額鑑定で私が損をするわけでも無いし、その逆で私が儲かるわけでもないのに・・・
 マア家にお宝らしいものが無いので気楽にはTVを見られるという特権?はある、、、貧乏人には失うものが無いという強み
  特に掛け軸の世界は凄いですね・・・トラック1杯分の掛け軸で本物は1本あるかないかなんて言います。(多少オーバーでしょうが)
 それなのに、「これは応挙です、鑑定宜しくお願いします」とか「雪舟」だの「崋山」「契沖」狩野○徳」だとか・・・素人がブラウン管を通じて一寸見ただけでも「一寸・・・」と思うのだけれど。
 でも戦前辺りまでは、きっと普通に家に飾られていたのでしょうね
  今では掛け軸をかけられるような床の間を持つ家は珍しいから・・・
 そういう意味で、多少怪しい品でも昔の家の形から言ってきっと「掛け軸需要」があったのでしょうね、そうでなければ、品物の絶対数が多すぎる。
 需要に応えるべく大家のものに似せて作ったり・・・それを手に入れた人が都合の良いように勘違いしたり・・・
 「○○もどき」「ナンチャって○○」が時代を経て、一人歩きを始めたかも
 勿論勘違いを誘導したり、騙して儲けようとする人がいるので厄介ですが
 
 さて鑑定する先生が時々口にする
 「こちらから(離れた場所で)拝見してもイケマセンね」はともかく
 「昔のものと紙が違う」「絵の具が違う」「構図が・・・」「広がりが・・・」「立体感が・・・」「筆の勢いが・・・」「落款が・・・」「署名が・・・」
 絵自体の巧い下手以前にいろんなチェック項目がある
  専門家は一瞬にして分かってしまうようです・・・時としてルーペで見ていますが、あれはおそらく間違いを犯さないように確認しているのいでしょうね。
 この様な鑑定はどうしたら出来るようになるのか?
  やはり本物を一杯見ることなんでしょうね。
 宝石の鑑定家の修行は本物を見続けることだそうですし
  宝石の鑑定に限らず「本物を見る」と言うことは大切でしょうね。
 何と言っても本物を見なければ「本物の何たるか」は分からないのですから
  例えばオリンピックの金メダリストの得意のポーズ・金メダルを噛む
 江戸時代なら小判を噛む・西部劇なら金顔を噛むというポーズでしょう
 噛んだ結果金の硬さ・軟らかさを確認して、表面が金メッキで無いことが分かって・・・と言う知識から来ているポーズで・・・勿論金メダルは24金では無いけれど・・・
 昔の人は手に入れた金貨を本物と確認するために経験的に噛んでテストをしたのでしょうね

 さて囲碁の場合
 仮に囲碁の専門家を目指すとした場合、両親とか身近に専門家がいるとしたら相当有利のはずですね。
 囲碁の知識を教わるなどの以前の問題として、常に本物を見て暮らしているわけだし・・・その割には少なく無いだろうか?
 小林泉さんみたいな囲碁の申し子みたいな人はいるし、張栩さんとの間に生まれた子供がやがてチャンピオンになれば「生まれる前から約束されていた・・・」みたいな伝説になりそうですね
 しかし江戸時代の本因坊家などでは実力で後継者を決めていったらしいのですが
 実際に血の繋がった継承はどのくらいあったのでしょうね?
  DNA・とか本物を見られる環境・修行・勉強の環境などなど絶対有利なのに不思議です。
 マア誰の子供であろうが本人の意志が最も重要なわけで、私のは雀のたわごとに過ぎない。

 ところでプロ棋士がわが子に教える場面を1度だけ目撃したことがあります。 
 まだ小学校1,2年くらいの女の子で母親はプロ棋士
 子供大会の昼休に午前中に打った碁を並べ直して、問題の箇所を指摘していました。
 私はこの先生に2,30局打ってもらっていますが、やはり雰囲気からして素人に教える教え方とイメージが違います。
 アマに教える場合は相手を見ながら、マア悪く言うとおだてながら教えるのですがそういう雰囲気は全く無い。
 勿論スパルタ見たいな体罰とか、叱責とかがあるわけでは無いのですが、母娘の向かい合った碁盤の辺りになにやら緊張感が漂っている。
 この緊張感はやはり独特です。
 ある手を指摘して「これを打つときにどういう変化を見ていたのか」みたいな形で質問が飛びます・・・「それで、相手がこう打ってきたらどうしますか?」
 きっとプロ棋士が、プロ棋士として問題点を指摘している相手がたまたま娘だったというイメージに思えました。
 ベースには娘も出来ることなら自分と同じ道を歩ませたいと言う思いがあるはず
  さて娘さんは今後どうするのでしょう?
 素人雀としては是非母親と同じ道を目指して欲しいのですが、こればっかりは本人の意志と恵まれた資質が・・・さてどうなる。
 ジイサマとしては長生きをしないといけないですね。