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ド素人のフルマラソン挑戦記

2015-12-09 19:38:39 | 日記


オレが何を思ったのか走り始めたのは2014年9月。

実はその2年前にも走ろうと思いナイキのシューズを買った。
純粋に健康維持のためという理由で、2~3キロを10回くらい走った。
そして絵に描いたような三日坊主で終わった。
健康には悪い気さえした。相当苦しいんだよ。

それから2年して、ある日の夜、突然走り始めた。
しかも小雨の降る肌寒い日。
ウインドブレーカーを着た記憶がある。
何故走り始めたのか、その理由は全く覚えていない。

「強いウインドサーフィンのために。疲れないウインドサーフィンのために。」
と後から貼り付けたような理由で友人には説明したが、
実のところ何故走ろうとしたのか覚えていない。

敢えて言うなら、走るべくして走ったのだろう。
外に向けて発散したいものがあったかもしれない。
走るって極めて能動的なことだからだ。

その初回ランは5キロを25分、ペースでいうと1キロ5分で走っている。
ほとんど全速力だ。
だから翌日は階段の上り下りができなかったことを覚えている。
全速力で走るべく理由は身体がそうしたかったからだ、って感じだ。

そのときの力任せに走った反省からペース6分~6分30秒でその後走り続けている。
そのタイムがそのときは適正だったんだろうな。

走ってる間、ずっと苦しいのでは?と思われるだろうがそれは違う。
苦しいのは最初の数キロだけで、その後は苦しさが無くなる。
循環機能が温まってくると全く苦しくなくなる。
それがわかったので走る前の億劫さがなくなった。

走り終えてからシャワーを浴びてビールを飲む。
単純にこのルーチンが楽しくて、
ビールの一口目を想像しただけでウキウキする。
ウインドサーフィンの後のビールは神の水だ。
ランニングの後のビールは魂の水なんだよ。

そんなささやかな楽しみのおかげで、
走る習慣はとても自然に身体に脳に浸透していった。

風の無い波の無い土日は昼前後に必ず走った。
家を出る。ストレッチする。GPSの信号をウオッチが拾う。ウオッチのスタートボタンを押して一歩を踏み出す。
R134の歩道橋を富士山を眺めながら海を見渡しながら、海辺のサイクリングロードへ出る。
視界が一気に広がり、気持ちが解放される。
ウインドや波乗りは風や波を堪能するけど、ランニングは空と大地を堪能できる。
ウインドや波乗りは自分を自然の一部と自覚するけど、ランニングは自分が宇宙になる。
多くのスポーツはギアに頼るところが大きいが、ランニングは己の足こそ最高級のギアだと知る。
実に多くの発見がある。

何人かの友人が共に走り始めてくれた。
少しは影響されたのだろうか嬉しいことだ。
いつものコースでは決まって顔を合わせるランナーもいて意識したりした。
モチベーションアップや維持には欠かせないことだ。

あの過酷な夏も走った。
ペットボトルを片手に、頭にタオルを巻き、上半身裸で走った。
汗をかいているうちは走り続けた。
汗が出なくなり、全身に塩が浮いてきたらアウトだ。
30度を軽く超す日も20キロ以上走った。
夏に走ると強くなる。そう思って走った。たぶん少しは強くなった。

膝が痛くなり大腿部に違和感が出て休息期間もあったけど、続けた。
なぜ続けてるのか? に答えるとしたら止める理由がないから、と答える。
ただそれだけのことだ。

少しづつ少しづつ身体に変化が出て来た。
軽く走るために無駄なものがドンドン取れていった。
食事はおいしく、当然ビールの量は増えていった。

走ることは完全に生活の一部になっていった。
自分はウインドサーファーでありサーファーであり、しかもランナーである、
ということが海でも自信に繋がった。
体重が減って不利な部分も多いが、キレは増したような気がする。

この継続は一旦昇華させねばならない。
春にフルマラソンに出ることを決意して、照準を湘南国際マラソンに合わせた。
その日がやってきた。
その日だけはこちらから動かなくても向こうからやってくる。
正直、あまり来てほしくなかった感もある。
30キロは走ってみたけど、42.195は全くの未体験ゾーンだ。
30超えて足が動かなくなり未知の世界に突入する、
そんなことを聞いていたから恐怖もあった。

それでもその日はやってくる。
大学受験でも入社試験でもない。マラソンは人生の義務的イベントではない。
それなのに参加する。しかもオレみたいな怠惰な人間がだ。不思議だ。

レースは参加選手全員が強豪に見える。
でもまるでお祭り騒ぎで、その雰囲気から高揚している自分がわかった。

後ろスタートのためスタートを切るのに20分近くかかる。
コスプレランナーも真剣なランナーにもあらゆるランナーに公平な耐久レースが始まった。
いつものR134は果てしなく江の島に続いている。
辿り着けないと思うくらい果てしなく前に見えている。

このために1年以上準備してきたんだと思うと走りながら込み上げてくるものがあった。
足取りはとても軽かった。
仕事がうまくいかなかったり、親の介護があったり、実は毎日食事を作ってオフクロに食べさせていたんだ。
とてもとても大変だったけど人を助けたり人に助けられたり、
でもだ。前に進むのは自分の足しかない。
きっとマラトンもそういうことがあって42.195キロ走った。で走り終えて死んだ。
それほど過酷なのだ。
その道を走る二本の足に感謝しながら前に進んだ。

給水所、沿道で多くの応援に背中を押される。
大会も多くの人の努力で成り立っている。
そういう思いもピンピン伝わる。

茅ヶ崎に入る。いつもの道だけど埋め尽くすランナーのせいでまた新鮮に映った。
海水浴場で応援の友人をみつけハイタッチをする。
茅ヶ崎駅入り口にもいた。
浜須賀にもいてくれた。
応援は本当に励みになる。励みというかほぼ感動である。

マラソンは孤独だけど、決して一人で走ってるわけではない。そう思える。
足はますます軽くなって速度が上がる。

30キロを超すと、座り込む人、歩く人、嗚咽してる人までいる。
最初のお祭り感はなくなり、耐え忍びのまさに修行走ゾーン突入。

オレは結局最後までほとんどペースダウンすることなくFINISHを目前にすることができた。
完走メダルを小学生にかけてもらう。
こんな安堵感を得たことはあったろうか。
不覚にも泪がぼろぼろと落ちる。
まあ、泪は心の汗だからな。

ネットタイム3’45”
ラン初心者の初フルマラソンではまあまあかな。

そうそう。
ゴールしたとき、自分は何故走ってるのか、
本当の意味がわかるかと思っていたけどやっぱりわからなかったな。
だからもっと走ろうと思う。

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