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Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

目指せサブ3.5!ど素人オヤジランナーの奮闘記@東京マラソン2016

2016-03-01 21:50:34 | 日記

(ここから始まる42.195キロ!)

人生2回目のフルマラソン、スタートとなる西新宿は都庁前に着く。
2016年2月28日午前7時半。
快晴、ほぼ無風。気温は7、8度。
スタートエリアへ入るためのゲートは1から6まであって入場パニックを防いでいる。
セキュリティーでは入念なバゲージチェック。
テロ対策のためペットボトルさえ持ち込めないほどの厳しさ。
初めての参加だけど、全く不安はない。外国人にも然り。
親切な道案内と誘導。国際都市TOKYOのオモテナシ。

オモテナシのハートフルな大会だけど、なごやかな雰囲気はない。
誰しもが真剣で、顔は笑っているけど目つきは険しい。
アスリートの大会なのだ。そんな雰囲気で鼓動は徐々にたかまる。

数時間後には身体がとてつもないダメージを受けることを想像するといささか憂鬱にもなる。
もちろんゴールの達成感は計り知れないほど大きいことは確信できる。
だからやはりプラス感の方が勝っていて、何とも言えない緊張感に自ら包まれる。
幸運なことに全く寒くないのだ。

とにかく、自分なりに十分かそれ以上走り込んできた。
仕事も適当に、サーフィン日和であってもランを優先させた。
人生あまり努力した記憶がないけど、ランは努力する価値があると思った。
努力に比例して速くなって距離も伸びた。
お腹のでっぱりが少なくなり、体脂肪率が一桁になった。
安心してビールをたらふく飲むようになったけど。
競技者ではなく市民ランナーらしく、ほどほどにがんばった。

だから心配はない。完走できる。できる。できる。できる!

スキー部だった高校生の頃、1年練習してわずか1分ちょいのレースにすべてをかける。
スタートですっ転ぶ。1年が水の泡になる。むなしかった。
でもランニングは3時間とか4時間とか5時間とか、とにかく終わりたくても終わらない。
努力が水の泡になることはほぼない。
オレがマラソンというレースに惹かれる理由の一つだ。

サーフィンのように波回りの運に左右されない。
アスファルトは固定なのだ。

スタート位置で待つこと30分。
セレモニーが行われ、9時5分に車椅子の部がスタート。
まるで矢のようにF1のように飛んでいく車椅子の集団がモニターに映し出される。

9時10分 フルマラソンスタート。
「位置について」
車も通らない。3万7千人が息を潜める。
完全な静寂が訪れる。
もしそこで咳払いをすると、3キロ先の人に聞こえそうなほど。全く音が無いんだ。

それは2,3秒だけだったろうけど、とても心地よい長さだった。
その時間、世界で一番静かだったろう。
そしてスタート号砲が西新宿に鳴り響く。
紙吹雪と歓声とランナーの駆ける地響。静から一気にボルテージが上がり全てが動き始める。

ダムがいきなり決壊したように、3万7千トンの水が流れ出る。
オレはそのうちの一粒の水の分子。
3万7千通りのドラマが始まる。
西新宿の高層ビルはどこまでも蒼い空に向かって伸び続けているようだったし、
朝日がビルの窓ガラスに反射して、これから湘南の海沿いでは体験できない素晴らしい風景で期待に胸が膨らんだ。
スタートからしてドラマチックだったよ。
こんなんだとフィニッシュは更にドラマチックになるはずだ。なるはずに決まっている。
途中でくじけそうになったり、苦しくなったり、そんなことまで脳裏に浮かんできた。
でもそれはそれで楽しみだった。苦しくなければ楽しくない。
人間の本性はマゾで、快楽からは真の楽しさは得られない。
レースを楽しむということは多分そういうことを許容できるということなのだ。
例えれば、レースを楽しむということはレース映画に出ている自分を無責任に客観視することなのだ。
無責任から少しづつ同情し、最後は感情移入して、いやーいい映画だったよね、と言って家に帰りビールを飲むことなのだ。
そう、帰ってビールを飲むまでがマラソン。
そんなこと思ってたらどんどん楽しくなってきた。
ウキウキ感が足をどんどん前に出そうとする。


・・・前日まで。
右膝の痛みが執拗に続き、歩行さえも少々難があった。
都庁のスタートエリアに着く1時間半前まで痛かった。
そのせいでイライラし、かなり憂鬱になった。怒りっぽくもなった。
実は途中棄権は数日前から覚悟していたんだ。
テーピングをしっかり貼り、マッサージとストレッチをスタートギリギリまで入念にした。
とにかくスタートだけは切ろう。

しかし都庁をスタートして痛かったという記憶はなかった。
痛みはすっかり忘れていた。
痛みがなくなった原因は今はこう思う。アドレナリンだ。
オレの生み出す脳内モルヒネは想像を絶するほど強力なのだ。
あの痛みすらもオレの気持ちには勝てない。

痛みがない。なんと晴れ晴れしいことか。

都庁からの下りコースは飯田橋までの5キロ。
歌舞伎町も下りだったんだよ。そんなの知らなかった。
ここで飛ばしてはいけない。
ここで飛ばすと後半走れなくなる。
どのインターネットサイトもそういうアドバイスがあった。
おさえたよ。
まだまだこの先長い。
でも今思えばもっと飛ばせばよかった。
そのときペース5分ちょい。4分40くらいでも良かったな。

この日、GPSウオッチがいつも通りに機能しなかった。
前日にPCにつないだときにソフトウエア更新を勝手にしたらしく、
その際、表示方法がリセットされてしまったのだ。
自動スクロールが速く、しかも文字が小さく、ペースを確認できない。(老眼なんで)
だから自分の感覚スピードで走るしかなかった。
しょうがない。あきらめる。ウオッチはもうあてにできない。
(記録はちゃんと残っていたよ)

皇居の前を通り品川で折り返す。
ウオッチがなければ時間に拘束されない。そうだ、自由に走ろう、と気持ちを切り替えた。
相当気持ちがいい。とにかく楽しくてしょうがない。
いつもウオッチに束縛されてたんだ。
ゴールは1万光年先に思えたけど、走ること自体は楽しい。
レースではない。カケッコなんだよ。所詮カケッコ。


沿道の応援は背中を押してくれるし、体調も良かった。
体調がいいか悪いかは10キロ超えるとなんとなくわかる。
10キロ超えると心肺や筋肉がやっと安定してくる。
脳が身体の隅々と対話してその日の最適ペースが弾き出される。
ウオッチが使えなかったのでわからないが4分40~50でずっと走ってたようだ。


銀座に入る。
銀座のど真ん中を走る。
華やかなビルに囲まれてものすごい数の応援を受けて走しる。

30年前、田舎から出て来た少年は、ここ銀座4丁目からバスに乗って月島に行く。
毎日通勤で歩いていたんだ。その銀座をフルマラソンで走るなどと少年は微塵も思わなかった。
誰しもこの先、何かのきっかけで走り始めるかもしれないよ。
今はとんでもない、走るわけないじゃん、と思っていてもね。
でもそういう意外性の繰り返しで人生は楽しくなるし、楽しくなる可能性は受け身では絶対にやって来ない。
やらなければ、パチンッ! ゼロだね。


(まだまだ元気@日本橋) 


さて、ここらへんでオシッコがしたくなってきた。これは意外ではなく必然だった。
スタートまえにオニギリを食べるのにペットボトルのお茶を飲んだんだね。
これがまずかった。利尿作用がとてもある。
身体を温めようとして冷たいスポーツドリンクより温かいお茶がいいと思ったんだ。

結局、日本橋、浅草の手前と2回もトイレに行った。
4~5分はロスしてる。
これ上位選手なら垂れ流すだろうな。
そこまでの勇気はなかったよ。
今回の猛省はこれでした。
やっぱり所詮ド初心者っす。

コースは銀座から中央通りを通り台東区に入る。
東京マラソンのハイライトは浅草である。
浅草寺を右折していきなり目の前にドッカーンと出てくるスカイツリー。
思わず立ち止まりそうになったくらいだ。
うおおおおおお!と自然に声が上がっちゃったよ。
前後左右のランナーもうおおおおお!って言ってたよ。
そこは確か25キロ地点だったかな。
25キロ走らないと見えない風景なんだ。
電車や車で来て見る風景とは違うんだ。
圧倒的な近代建物の風景を原始の力で手に入れる。
スカイツリー自体で感動するわけではない。
感動を与える過程がある。
点と点が線でつながり、スカイツリーのてっぺんまでその線が届いた。
マラソンって究極の旅なのかも。

感動の余韻を残し、ここからはまた銀座に戻り、次は歌舞伎座を左に見て東京湾を目指す。
常に沿道には人がいるし、寂しくなる風景は無い。
ただ銀座を超えてからは賑やかさはひと段落といった感じだった。
なんとなく気持ちが落ち着き、あとはフィニッシュへ向けてひたすらだな、と思わせる。
きっとランナーがみんなそう思う。

マラソンコースはうまくできている。
それは精巧に仕組まれたトラップだった。

突如目の前に壁が迫りくる。

佃大橋の上りだ。ああ~、これっっすか。。。一気に気持ちが重くなる。
足もつられて重くなる。まだ上ってないのに。。
橋を道に沿って真っすぐ見ると、傾斜があるため完璧な壁にみえる。
完璧な壁。
容赦なく確実に当然のように存在する壁、これを完璧という。


30キロ超えて、ランナーの疲労と精神が極限状態に近づく。
歩き始めるランナーが増える距離だ。
そこへ無情にも襲い掛かる壁。


多くのランナーが失速している。
こういう上りの経験はオレにはない。
湘南の平坦な海沿いしか走ったことないから。

あえて失速させて無駄な体力を使わないほうが良いのか、
それとも一気に駆け上がったほうが良いのか。
そんなのわからん。だいたいもう頭が回る距離ではない。
30キロ超えると身体も頭もいうことを聞かなくなる。

。。。無心で勢いに任せて一気に駆け上がった。
あっという間に足がバンバンになる。
大腿部に血じゃなくて乳酸を送り込みやがったな、心臓め!
というくらい足が悲鳴を上げた。
でも上りがあれば下りがある。
下りに入り、走りながら足を休息させる。
宙にいる時間を長く取れば足は休息できる。
少々速度を落とせば休息できるのだ。

でもね、また来たよ、アップが。
東京マラソンの終盤はそれが繰り返される。
またアップ、そしてダウン、またアップ。
なんか頭がスーッとしてくる。なんなんだ、この感じ?
酸素がいってないんだ。
首を絞められて血が巡ってない感じ。指先が冷たい。
やばくね? あれ? おかしいぞ!どうでもいい感じにさえなってきた。

これは危険信号なのか、ランナーズハイなのかわからない。
身体は動いたしスピードは落ちなかったと思う。

このヘンチクリンナ状態がずっと続いた。

38キロからなかなか39キロの看板が出てこない。
1キロ、1キロずつますます看板が出てこない。
41キロと42キロの間は10キロくらいあったんではないか????
最後の上りを終え、下りに入った。
その下りはすぐにフィニッシュへ向かう。

そこでオレは奇声を発し、猛烈な勢いで走り始めた。
なぜかわからないけど、物凄いパワーが漲ってきたんだよ。
ペース3分30秒。
100人くらい抜いたんじゃないかな?(笑)
鳥肌が立ち、髪の毛が逆立った(ような気がした)。
あと10キロも走れる気がした。

今、18歳だったらな。
箱根駅伝の選手に絶対なっていたかも。

フィニッシュを切った。
脳に普通に血がまわり始めた。
我に戻った。

初めて経験したよ。
これがランニングハイだ。
ほとんどドラッグだ。
ケミカルではない、自然な感じでマリファナより強力。
ふざけて言ってるのではなく、本来こういう物質は人間は自ら生成できるのだ。

とにかくフィニッシュした。
大会も選手もボランティアも全てが素晴らしい。
フィニッシュを切ると込み上げてくるものがある。
37000人、みんなそれぞれ込み上げる。
フィニッシュには笑顔しかない。

トップの選手は悔し涙を流すだろうが、市民ランナーは嬉し涙を流す。

もはや足の感覚、特に足裏は感覚が無くなっていた。
脚はすでに棒になり歩けない。
完走メダルを中学生くらいの女の子にかけてもらう。
大勢のボランティアの皆さんが拍手で迎えてくれる。
FINISHERと書かれたバスタオルをかけてくれる。
フィニッシャーが自慢げに肩にかけてゴールを背に後にする。
なんと素敵な光景だったことか。

マラソンは実に奥深い。
自分の精神力だけではなく、とっても次元の高い運動能力が求められる。
でもやはり気持ち次第。努力の占める割合が最も大きい種目と言われる所以である。
そもそも気持ちも自分だけではコントロールできない。
応援でどれだけ力をもらったろうか計り知れない。
応援される嬉しさ、応援する楽しさ。

The Day we unite.
今回の大会のタイトルは「東京が一つになる日」
ひとつになったと思ったよ。
みんな走れば幸せになる。


(正式記録! 3時間31分 自分への約束を果たした!)