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Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

目指せサブ3.5!ど素人オヤジランナーの奮闘記@東京マラソン2016

2016-03-01 21:50:34 | 日記

(ここから始まる42.195キロ!)

人生2回目のフルマラソン、スタートとなる西新宿は都庁前に着く。
2016年2月28日午前7時半。
快晴、ほぼ無風。気温は7、8度。
スタートエリアへ入るためのゲートは1から6まであって入場パニックを防いでいる。
セキュリティーでは入念なバゲージチェック。
テロ対策のためペットボトルさえ持ち込めないほどの厳しさ。
初めての参加だけど、全く不安はない。外国人にも然り。
親切な道案内と誘導。国際都市TOKYOのオモテナシ。

オモテナシのハートフルな大会だけど、なごやかな雰囲気はない。
誰しもが真剣で、顔は笑っているけど目つきは険しい。
アスリートの大会なのだ。そんな雰囲気で鼓動は徐々にたかまる。

数時間後には身体がとてつもないダメージを受けることを想像するといささか憂鬱にもなる。
もちろんゴールの達成感は計り知れないほど大きいことは確信できる。
だからやはりプラス感の方が勝っていて、何とも言えない緊張感に自ら包まれる。
幸運なことに全く寒くないのだ。

とにかく、自分なりに十分かそれ以上走り込んできた。
仕事も適当に、サーフィン日和であってもランを優先させた。
人生あまり努力した記憶がないけど、ランは努力する価値があると思った。
努力に比例して速くなって距離も伸びた。
お腹のでっぱりが少なくなり、体脂肪率が一桁になった。
安心してビールをたらふく飲むようになったけど。
競技者ではなく市民ランナーらしく、ほどほどにがんばった。

だから心配はない。完走できる。できる。できる。できる!

スキー部だった高校生の頃、1年練習してわずか1分ちょいのレースにすべてをかける。
スタートですっ転ぶ。1年が水の泡になる。むなしかった。
でもランニングは3時間とか4時間とか5時間とか、とにかく終わりたくても終わらない。
努力が水の泡になることはほぼない。
オレがマラソンというレースに惹かれる理由の一つだ。

サーフィンのように波回りの運に左右されない。
アスファルトは固定なのだ。

スタート位置で待つこと30分。
セレモニーが行われ、9時5分に車椅子の部がスタート。
まるで矢のようにF1のように飛んでいく車椅子の集団がモニターに映し出される。

9時10分 フルマラソンスタート。
「位置について」
車も通らない。3万7千人が息を潜める。
完全な静寂が訪れる。
もしそこで咳払いをすると、3キロ先の人に聞こえそうなほど。全く音が無いんだ。

それは2,3秒だけだったろうけど、とても心地よい長さだった。
その時間、世界で一番静かだったろう。
そしてスタート号砲が西新宿に鳴り響く。
紙吹雪と歓声とランナーの駆ける地響。静から一気にボルテージが上がり全てが動き始める。

ダムがいきなり決壊したように、3万7千トンの水が流れ出る。
オレはそのうちの一粒の水の分子。
3万7千通りのドラマが始まる。
西新宿の高層ビルはどこまでも蒼い空に向かって伸び続けているようだったし、
朝日がビルの窓ガラスに反射して、これから湘南の海沿いでは体験できない素晴らしい風景で期待に胸が膨らんだ。
スタートからしてドラマチックだったよ。
こんなんだとフィニッシュは更にドラマチックになるはずだ。なるはずに決まっている。
途中でくじけそうになったり、苦しくなったり、そんなことまで脳裏に浮かんできた。
でもそれはそれで楽しみだった。苦しくなければ楽しくない。
人間の本性はマゾで、快楽からは真の楽しさは得られない。
レースを楽しむということは多分そういうことを許容できるということなのだ。
例えれば、レースを楽しむということはレース映画に出ている自分を無責任に客観視することなのだ。
無責任から少しづつ同情し、最後は感情移入して、いやーいい映画だったよね、と言って家に帰りビールを飲むことなのだ。
そう、帰ってビールを飲むまでがマラソン。
そんなこと思ってたらどんどん楽しくなってきた。
ウキウキ感が足をどんどん前に出そうとする。


・・・前日まで。
右膝の痛みが執拗に続き、歩行さえも少々難があった。
都庁のスタートエリアに着く1時間半前まで痛かった。
そのせいでイライラし、かなり憂鬱になった。怒りっぽくもなった。
実は途中棄権は数日前から覚悟していたんだ。
テーピングをしっかり貼り、マッサージとストレッチをスタートギリギリまで入念にした。
とにかくスタートだけは切ろう。

しかし都庁をスタートして痛かったという記憶はなかった。
痛みはすっかり忘れていた。
痛みがなくなった原因は今はこう思う。アドレナリンだ。
オレの生み出す脳内モルヒネは想像を絶するほど強力なのだ。
あの痛みすらもオレの気持ちには勝てない。

痛みがない。なんと晴れ晴れしいことか。

都庁からの下りコースは飯田橋までの5キロ。
歌舞伎町も下りだったんだよ。そんなの知らなかった。
ここで飛ばしてはいけない。
ここで飛ばすと後半走れなくなる。
どのインターネットサイトもそういうアドバイスがあった。
おさえたよ。
まだまだこの先長い。
でも今思えばもっと飛ばせばよかった。
そのときペース5分ちょい。4分40くらいでも良かったな。

この日、GPSウオッチがいつも通りに機能しなかった。
前日にPCにつないだときにソフトウエア更新を勝手にしたらしく、
その際、表示方法がリセットされてしまったのだ。
自動スクロールが速く、しかも文字が小さく、ペースを確認できない。(老眼なんで)
だから自分の感覚スピードで走るしかなかった。
しょうがない。あきらめる。ウオッチはもうあてにできない。
(記録はちゃんと残っていたよ)

皇居の前を通り品川で折り返す。
ウオッチがなければ時間に拘束されない。そうだ、自由に走ろう、と気持ちを切り替えた。
相当気持ちがいい。とにかく楽しくてしょうがない。
いつもウオッチに束縛されてたんだ。
ゴールは1万光年先に思えたけど、走ること自体は楽しい。
レースではない。カケッコなんだよ。所詮カケッコ。


沿道の応援は背中を押してくれるし、体調も良かった。
体調がいいか悪いかは10キロ超えるとなんとなくわかる。
10キロ超えると心肺や筋肉がやっと安定してくる。
脳が身体の隅々と対話してその日の最適ペースが弾き出される。
ウオッチが使えなかったのでわからないが4分40~50でずっと走ってたようだ。


銀座に入る。
銀座のど真ん中を走る。
華やかなビルに囲まれてものすごい数の応援を受けて走しる。

30年前、田舎から出て来た少年は、ここ銀座4丁目からバスに乗って月島に行く。
毎日通勤で歩いていたんだ。その銀座をフルマラソンで走るなどと少年は微塵も思わなかった。
誰しもこの先、何かのきっかけで走り始めるかもしれないよ。
今はとんでもない、走るわけないじゃん、と思っていてもね。
でもそういう意外性の繰り返しで人生は楽しくなるし、楽しくなる可能性は受け身では絶対にやって来ない。
やらなければ、パチンッ! ゼロだね。


(まだまだ元気@日本橋) 


さて、ここらへんでオシッコがしたくなってきた。これは意外ではなく必然だった。
スタートまえにオニギリを食べるのにペットボトルのお茶を飲んだんだね。
これがまずかった。利尿作用がとてもある。
身体を温めようとして冷たいスポーツドリンクより温かいお茶がいいと思ったんだ。

結局、日本橋、浅草の手前と2回もトイレに行った。
4~5分はロスしてる。
これ上位選手なら垂れ流すだろうな。
そこまでの勇気はなかったよ。
今回の猛省はこれでした。
やっぱり所詮ド初心者っす。

コースは銀座から中央通りを通り台東区に入る。
東京マラソンのハイライトは浅草である。
浅草寺を右折していきなり目の前にドッカーンと出てくるスカイツリー。
思わず立ち止まりそうになったくらいだ。
うおおおおおお!と自然に声が上がっちゃったよ。
前後左右のランナーもうおおおおお!って言ってたよ。
そこは確か25キロ地点だったかな。
25キロ走らないと見えない風景なんだ。
電車や車で来て見る風景とは違うんだ。
圧倒的な近代建物の風景を原始の力で手に入れる。
スカイツリー自体で感動するわけではない。
感動を与える過程がある。
点と点が線でつながり、スカイツリーのてっぺんまでその線が届いた。
マラソンって究極の旅なのかも。

感動の余韻を残し、ここからはまた銀座に戻り、次は歌舞伎座を左に見て東京湾を目指す。
常に沿道には人がいるし、寂しくなる風景は無い。
ただ銀座を超えてからは賑やかさはひと段落といった感じだった。
なんとなく気持ちが落ち着き、あとはフィニッシュへ向けてひたすらだな、と思わせる。
きっとランナーがみんなそう思う。

マラソンコースはうまくできている。
それは精巧に仕組まれたトラップだった。

突如目の前に壁が迫りくる。

佃大橋の上りだ。ああ~、これっっすか。。。一気に気持ちが重くなる。
足もつられて重くなる。まだ上ってないのに。。
橋を道に沿って真っすぐ見ると、傾斜があるため完璧な壁にみえる。
完璧な壁。
容赦なく確実に当然のように存在する壁、これを完璧という。


30キロ超えて、ランナーの疲労と精神が極限状態に近づく。
歩き始めるランナーが増える距離だ。
そこへ無情にも襲い掛かる壁。


多くのランナーが失速している。
こういう上りの経験はオレにはない。
湘南の平坦な海沿いしか走ったことないから。

あえて失速させて無駄な体力を使わないほうが良いのか、
それとも一気に駆け上がったほうが良いのか。
そんなのわからん。だいたいもう頭が回る距離ではない。
30キロ超えると身体も頭もいうことを聞かなくなる。

。。。無心で勢いに任せて一気に駆け上がった。
あっという間に足がバンバンになる。
大腿部に血じゃなくて乳酸を送り込みやがったな、心臓め!
というくらい足が悲鳴を上げた。
でも上りがあれば下りがある。
下りに入り、走りながら足を休息させる。
宙にいる時間を長く取れば足は休息できる。
少々速度を落とせば休息できるのだ。

でもね、また来たよ、アップが。
東京マラソンの終盤はそれが繰り返される。
またアップ、そしてダウン、またアップ。
なんか頭がスーッとしてくる。なんなんだ、この感じ?
酸素がいってないんだ。
首を絞められて血が巡ってない感じ。指先が冷たい。
やばくね? あれ? おかしいぞ!どうでもいい感じにさえなってきた。

これは危険信号なのか、ランナーズハイなのかわからない。
身体は動いたしスピードは落ちなかったと思う。

このヘンチクリンナ状態がずっと続いた。

38キロからなかなか39キロの看板が出てこない。
1キロ、1キロずつますます看板が出てこない。
41キロと42キロの間は10キロくらいあったんではないか????
最後の上りを終え、下りに入った。
その下りはすぐにフィニッシュへ向かう。

そこでオレは奇声を発し、猛烈な勢いで走り始めた。
なぜかわからないけど、物凄いパワーが漲ってきたんだよ。
ペース3分30秒。
100人くらい抜いたんじゃないかな?(笑)
鳥肌が立ち、髪の毛が逆立った(ような気がした)。
あと10キロも走れる気がした。

今、18歳だったらな。
箱根駅伝の選手に絶対なっていたかも。

フィニッシュを切った。
脳に普通に血がまわり始めた。
我に戻った。

初めて経験したよ。
これがランニングハイだ。
ほとんどドラッグだ。
ケミカルではない、自然な感じでマリファナより強力。
ふざけて言ってるのではなく、本来こういう物質は人間は自ら生成できるのだ。

とにかくフィニッシュした。
大会も選手もボランティアも全てが素晴らしい。
フィニッシュを切ると込み上げてくるものがある。
37000人、みんなそれぞれ込み上げる。
フィニッシュには笑顔しかない。

トップの選手は悔し涙を流すだろうが、市民ランナーは嬉し涙を流す。

もはや足の感覚、特に足裏は感覚が無くなっていた。
脚はすでに棒になり歩けない。
完走メダルを中学生くらいの女の子にかけてもらう。
大勢のボランティアの皆さんが拍手で迎えてくれる。
FINISHERと書かれたバスタオルをかけてくれる。
フィニッシャーが自慢げに肩にかけてゴールを背に後にする。
なんと素敵な光景だったことか。

マラソンは実に奥深い。
自分の精神力だけではなく、とっても次元の高い運動能力が求められる。
でもやはり気持ち次第。努力の占める割合が最も大きい種目と言われる所以である。
そもそも気持ちも自分だけではコントロールできない。
応援でどれだけ力をもらったろうか計り知れない。
応援される嬉しさ、応援する楽しさ。

The Day we unite.
今回の大会のタイトルは「東京が一つになる日」
ひとつになったと思ったよ。
みんな走れば幸せになる。


(正式記録! 3時間31分 自分への約束を果たした!)

ド素人のフルマラソン挑戦記

2015-12-09 19:38:39 | 日記


オレが何を思ったのか走り始めたのは2014年9月。

実はその2年前にも走ろうと思いナイキのシューズを買った。
純粋に健康維持のためという理由で、2~3キロを10回くらい走った。
そして絵に描いたような三日坊主で終わった。
健康には悪い気さえした。相当苦しいんだよ。

それから2年して、ある日の夜、突然走り始めた。
しかも小雨の降る肌寒い日。
ウインドブレーカーを着た記憶がある。
何故走り始めたのか、その理由は全く覚えていない。

「強いウインドサーフィンのために。疲れないウインドサーフィンのために。」
と後から貼り付けたような理由で友人には説明したが、
実のところ何故走ろうとしたのか覚えていない。

敢えて言うなら、走るべくして走ったのだろう。
外に向けて発散したいものがあったかもしれない。
走るって極めて能動的なことだからだ。

その初回ランは5キロを25分、ペースでいうと1キロ5分で走っている。
ほとんど全速力だ。
だから翌日は階段の上り下りができなかったことを覚えている。
全速力で走るべく理由は身体がそうしたかったからだ、って感じだ。

そのときの力任せに走った反省からペース6分~6分30秒でその後走り続けている。
そのタイムがそのときは適正だったんだろうな。

走ってる間、ずっと苦しいのでは?と思われるだろうがそれは違う。
苦しいのは最初の数キロだけで、その後は苦しさが無くなる。
循環機能が温まってくると全く苦しくなくなる。
それがわかったので走る前の億劫さがなくなった。

走り終えてからシャワーを浴びてビールを飲む。
単純にこのルーチンが楽しくて、
ビールの一口目を想像しただけでウキウキする。
ウインドサーフィンの後のビールは神の水だ。
ランニングの後のビールは魂の水なんだよ。

そんなささやかな楽しみのおかげで、
走る習慣はとても自然に身体に脳に浸透していった。

風の無い波の無い土日は昼前後に必ず走った。
家を出る。ストレッチする。GPSの信号をウオッチが拾う。ウオッチのスタートボタンを押して一歩を踏み出す。
R134の歩道橋を富士山を眺めながら海を見渡しながら、海辺のサイクリングロードへ出る。
視界が一気に広がり、気持ちが解放される。
ウインドや波乗りは風や波を堪能するけど、ランニングは空と大地を堪能できる。
ウインドや波乗りは自分を自然の一部と自覚するけど、ランニングは自分が宇宙になる。
多くのスポーツはギアに頼るところが大きいが、ランニングは己の足こそ最高級のギアだと知る。
実に多くの発見がある。

何人かの友人が共に走り始めてくれた。
少しは影響されたのだろうか嬉しいことだ。
いつものコースでは決まって顔を合わせるランナーもいて意識したりした。
モチベーションアップや維持には欠かせないことだ。

あの過酷な夏も走った。
ペットボトルを片手に、頭にタオルを巻き、上半身裸で走った。
汗をかいているうちは走り続けた。
汗が出なくなり、全身に塩が浮いてきたらアウトだ。
30度を軽く超す日も20キロ以上走った。
夏に走ると強くなる。そう思って走った。たぶん少しは強くなった。

膝が痛くなり大腿部に違和感が出て休息期間もあったけど、続けた。
なぜ続けてるのか? に答えるとしたら止める理由がないから、と答える。
ただそれだけのことだ。

少しづつ少しづつ身体に変化が出て来た。
軽く走るために無駄なものがドンドン取れていった。
食事はおいしく、当然ビールの量は増えていった。

走ることは完全に生活の一部になっていった。
自分はウインドサーファーでありサーファーであり、しかもランナーである、
ということが海でも自信に繋がった。
体重が減って不利な部分も多いが、キレは増したような気がする。

この継続は一旦昇華させねばならない。
春にフルマラソンに出ることを決意して、照準を湘南国際マラソンに合わせた。
その日がやってきた。
その日だけはこちらから動かなくても向こうからやってくる。
正直、あまり来てほしくなかった感もある。
30キロは走ってみたけど、42.195は全くの未体験ゾーンだ。
30超えて足が動かなくなり未知の世界に突入する、
そんなことを聞いていたから恐怖もあった。

それでもその日はやってくる。
大学受験でも入社試験でもない。マラソンは人生の義務的イベントではない。
それなのに参加する。しかもオレみたいな怠惰な人間がだ。不思議だ。

レースは参加選手全員が強豪に見える。
でもまるでお祭り騒ぎで、その雰囲気から高揚している自分がわかった。

後ろスタートのためスタートを切るのに20分近くかかる。
コスプレランナーも真剣なランナーにもあらゆるランナーに公平な耐久レースが始まった。
いつものR134は果てしなく江の島に続いている。
辿り着けないと思うくらい果てしなく前に見えている。

このために1年以上準備してきたんだと思うと走りながら込み上げてくるものがあった。
足取りはとても軽かった。
仕事がうまくいかなかったり、親の介護があったり、実は毎日食事を作ってオフクロに食べさせていたんだ。
とてもとても大変だったけど人を助けたり人に助けられたり、
でもだ。前に進むのは自分の足しかない。
きっとマラトンもそういうことがあって42.195キロ走った。で走り終えて死んだ。
それほど過酷なのだ。
その道を走る二本の足に感謝しながら前に進んだ。

給水所、沿道で多くの応援に背中を押される。
大会も多くの人の努力で成り立っている。
そういう思いもピンピン伝わる。

茅ヶ崎に入る。いつもの道だけど埋め尽くすランナーのせいでまた新鮮に映った。
海水浴場で応援の友人をみつけハイタッチをする。
茅ヶ崎駅入り口にもいた。
浜須賀にもいてくれた。
応援は本当に励みになる。励みというかほぼ感動である。

マラソンは孤独だけど、決して一人で走ってるわけではない。そう思える。
足はますます軽くなって速度が上がる。

30キロを超すと、座り込む人、歩く人、嗚咽してる人までいる。
最初のお祭り感はなくなり、耐え忍びのまさに修行走ゾーン突入。

オレは結局最後までほとんどペースダウンすることなくFINISHを目前にすることができた。
完走メダルを小学生にかけてもらう。
こんな安堵感を得たことはあったろうか。
不覚にも泪がぼろぼろと落ちる。
まあ、泪は心の汗だからな。

ネットタイム3’45”
ラン初心者の初フルマラソンではまあまあかな。

そうそう。
ゴールしたとき、自分は何故走ってるのか、
本当の意味がわかるかと思っていたけどやっぱりわからなかったな。
だからもっと走ろうと思う。

ランデータを視認化して思う事

2015-10-05 14:51:02 | 日記


1年前からNIKE+っていうアプリにランニングデータを貯め続けてきたんで、
エクセルからグラフ化してみた。
データは時系列では凹凸ギャップがあるんだけど、
近似値の直線を引いてみると、全体像がよーくわかる。
なんと1年で1キロあたり平均ペースが60秒短縮されていた。

数字だけだと景色が見えないモノである。

暑い日も寒い日も、ちょっと速めに走ってみたり、脚が動かなくなってみたり、
楽しく走ったり、怒りながら走ったり、それはそれはいろいろあったと思いだし、実に感慨深い。
長距離や数キロの短距離、調子いい日悪い日。
たくさんのランで、おそらく一回でも無駄になってることはないと思った。
これには救われる。ムダなどなかったのだ。
何故かと言うと総じてタイムが良くなってきたから。
結果おーらい。

オイラは選手じゃないので反省することはない。その必要はない。
その代り、負になってしまったことを、無理やり正に転ずることができる。
素人の特権だ。

負は決してマイナススパイラルになるわけではない。
無視してもいいし、忘れてしまえばいい。
そのためにはやはり全体像を見ればいい。
実は負の部分が悪影響を及ぼしていることはあまり無い。

きっとランニングだけではなく、人生において負の部分、
つまり、本当に大変なことというのは殆どない。
総じて言えばだ。
何事も大きく見ればいい。
あらゆることはシンプルで、しかもあらゆることが持つ意味は後から付ければいい。

たかが走っているだけでそう思う。

継続することはそんなに辛いことではない。
負になる部分を意識的にずるがしこく削除してあげれば継続しやすくなる。

ちょっとしたコツがある。
絶対、負の部分を言葉に出さないことだ。
精神的な負の部分を言葉に出すと、現実になってしまうからだ。

ピッチとストライド

2015-10-02 15:30:05 | 日記

ピッチ走法とストライド走法、走り方の名である。
ピッチ走法は歩幅を小さめによりたくさん歩数を稼ぐ走り方。
ストライド走法は歩数を少なめによりたくさん歩幅を稼ぐ走り方。

ストライドの方が脚力が必要なんで、日本人にはピッチが合うと言われている。
ただし、歩幅は必要ないけど、歩数が多いだけに心肺能力、持久力が必要。

この歩幅や歩数はGPSウオッチの加速度センサーにより計測される。
友人とデータ共有することで比較ができる。

ちなみに友人のO君(177㎝くらいか?)と比較してみた。

O君     歩幅 1.05m 歩数168  ペース5分32秒/km
オイラ    歩幅 1.07m   歩数169  ペース5分32秒/km

速さは歩幅×歩数なんで二人とも全く同じである。
これはゆっくり目に快適な速さ。

さて、ここでスピードを上げてレースモードに入ったとする。
O君は歩幅そのままで歩数が多くなる。
反対にオイラは歩幅が1.3mに広がり、歩数はそのまま。

2人の身長には10センチの差がありオイラが小さい。

オイラはどうやらストライド走法のようである。
身長が低く、つまり脚が短いのに歩幅を稼ごうとしている。
これではいくらがんばっても距離がもたない。バテバテギブアップである。
これではいけない。 フル42キロ完走できない。
ピッチ走法を意識しないと!
本番の湘南国際まで2か月。
今更フォーム改造っすかああああ????
しかもド素人のフォーム改造。。。。

ということで、昨夜はゆっくり、じっくり、フォームを確認しながら走ってみた。
距離をたくさん走るだけがトレーニングではない。
調整も立派な重要なトレーニングでやんす。

歩数を増やそうとトライする。
つまり脚が後ろに流れないように、着地した瞬間に大腿部を仮想の壁に当てるようにしてみた。
膝を前に出すのではなく、モモを立てて膝から下を牽引するイメージ。
すると骨盤が前に出て、丹田に力が入る。ケツの穴が締まる。
脚を上体の真下に置いて、上体から大きく離れないようにだ。
まるで背骨にしたに伸びる脚を支配してる気がした。
これあくまでイメージで、人によってはモモを上げる。膝を前に出す。つま先から着地する。などなど。
自分の場合は体軸をしっかり保てるようにモモ壁当て当て作戦が有効なのだ。(たぶん)
効果はとにかく走りが軽く、全く疲れない。
自分でもびっくりするくらい。

そして、いつも通りに走ってみた。

何も意識しないと骨盤がちょっと前傾する感じだ。
すると丹田に力が入らず、「自分」の真下に脚が無い。
脚が身体の支配下になっていない。
全く快適ではないのだよ。
心拍数がバンバン上がる。


結論
闇雲に走っても全くタメにならない。
あらゆるスポーツは必ずと言っていいほど、4つの要因から成る。

体力、技術、道具、精神力。

若者に適わないモノは体力だけ。
あとは年齢は関係ない。
むしろ技術力は経験年数と知恵で上がる。

やっぱ考えてやらないとダメだなあ~

ハートセンサー内臓のGPSウオッチ GARMIN 225J

2015-09-26 14:15:19 | 日記

(いきなりだけど驚異の心拍数。高橋尚子並み!40切りっす)


NIKE+ GPS ウオッチを愛用していた。
NIKEシューズに内蔵のフットポッドがGPSを補足するし、
PC経由で、iPhoneアプリとも同期できていたので、
まさにNIKE好きにはとても良くコーディネートされたランニングITツールである。

しかし、そのウオッチがぶっ壊れた。
どういう風に壊れたかと言うと、原因は汗。
汗でベルトのヒンジピンが腐食してしまったのだ。
ベルト内にはUSBコネクト用の配線が通っているため交換は不可能だろう。
そのヒンジピンはどう見ても鉄。
汗でなくても水道水だって腐食するよ。
普通はステンレス使うと思うんだけど????
たぶん仕様はステンレスだろうね。
現地工場の調達係がズルした可能性がある。
これはクレームだね。


ってな訳で、兼ねてから興味のあったガーミンのGPSウオッチを購入。

まず決め手はハートセンサー。
本体の裏にセンサーが組み込まれていて、手首の脈拍を測ってくれる。
ワークアウト中の心拍数を監視していて過不足を視認できる。

それとモバイルとBluetoothで繋がるので、ワイヤレスでデータをアップロードできる。
Gセンサーも内蔵されていてピッチ数やストライド幅も計測できる。

最も優れているのがフィット感。
NIKEのは硬かったんだ。
ガーミンは柔らかく手首に巻き付いてくれる。

さらにライフログ機能といって、普段の生活の活動量計として
万歩計として、カロリー計として、で、なんと睡眠時間まで計測してくれる。

これらのデータはガーミンコネクトというwebサイトで一括管理出来て、
もちろんモバイル用のアプリもある。

今までのNIKE+サイトとガーミンはリンクがされていて、
ウオッチに記録されたデータは自動的にモバイルに転送されてNIKEと同期される。

とにかく、断然NIKEより勝手がいいですな。

どんな道具も多く売れているのはそれなりの理由がある。
アシックスとガーミン。
まるでニールとJPの組み合わせみたい(>_<)