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Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

いつも思う、なんとなく思う、無意識に思うことが、10キロ1時間に凝縮されて現れること

2015-08-24 17:48:59 | 日記

Photograph Lonely Runner by Mario Galiana on 500px



どんなスポーツでもある時点で記録が頭打ちになる。
ろくにコーチングされていない初心者に、その頭打ちは意外と早くやってくる。

そのいい例はランニングだ。

自分はランニングを始めて半年過ぎたところで20キロのハーフマラソンにチャレンジしてみた。
それは月例湘南マラソンという記録会で、公式にはレースではないとしているが、
順位、タイムが出るので実質的にはレースである。
このとき1キロを平均5分10秒で走った。
この距離をレースで走るというのは全くの未知の領域で、
ペース配分も体力温存もとにかく何もわからない状態で、ただガムシャラ走った結果だ。
これで160人中85位。 ほぼ真ん中だ。
1キロ5分10秒っていまだに速いペースだと思ってるが、
このペースで20キロ走って、真ん中の順位。みんなとても速い。

その2か月後に10キロのレースに出てみた。
平均は1キロ4分45秒。
いつも走っている距離なので、なんとなく全体がイメージできた。
しかも、恥ずかしながらこのときは二日酔状態だったので、
万全の体調ならもっとタイムは良かったはず。
110人中21位。
ちなみに10キロの自己ベストは1キロ4分37秒。

10キロ所要タイムは46分10秒ということである。

世界陸上となると10キロ27分。
ほとんど倍の速さである。
世界トップの選手たちは、文字通りBorn to Run な人たちです。

そのレースのときのタイムは、
今はもっと良くなっているかというと決してそんなことはない。
今思うにはそのタイムが今までの精一杯。
レースじゃない普段の日に精一杯は走れない。
練習している限り、少しは良くなるはずと信じたい。
しかしながら、疲れ方や足の痛さや呼吸の苦しさや腕の重さや、
そういうものが何重苦にもなると、限界を自ら決めてしまう。
きっと、このタイムが精一杯なんだろうと。
それに、自分は若くない。
このタイムをこれから先キープすることが大切なのではと思う。

いや、違うな。
まだまだ伸びる。自分には伸びシロがある。

その思いは行ったり来たり、進んだり戻ったりだ。
自分の実力はわからない。


個人的に走っていてもなかなかタイムは伸びないんだと思う。
陸上部にいたことはないし、走り方を習ったわけでもない。
だいたい走りの基盤ができていない。
だから苦しくなると、甘えや、諦め、要はやめる理由を探してしまうのだ。
でもレースになると、ささやかな馬鹿力が出る。
ちょっと寝ていた少しばかりの才能が目を覚ます。

もちろんレース中でも甘えや諦めの気持ちが目を出すが、
個人練習のときに比べれば、それほど出てこない。
なんでレースになると速くなるのだろう?
なんで自分に鞭打つことができるのだろう?

そのレースの時だけは、自分は紛れもないランナーで、
走っていることだけが存在意義であって、
ゴールを目指すことだけが全てだからだ。
52歳のビギナーランナーでもこう思うのだ。
そのときそう思うことは、少し誇れる。

レースそのものは他人との競争とはいえども、
結局は自分が設定した基準を超えられるかどうかだけの作業の場に過ぎない。

ウインドサーフィンはスラロームレースを除き、そしてサーフィンも然り、
タイムで競うのではなく、あくまで技。
タイムという冷酷な基準はそこにはない。

ということで、ランニングのようにタイムが基準というスポーツは今、この歳で始めて経験したわけである。

ウインドサーフィンは、なんとなく誤魔化しながら、風のせいにし、波のせいにし、道具のせいしている。
自分を責める要因をいくらでも減らせるのだ。自分以外のせいにできる。
もちろん、その要因をはっきりさせ自覚して切磋琢磨する者だけがビッグウエーバーになれるのだろうけど。

一方、ランニングは、タイムが遅い理由は、シューズ以外に、自分の中以外にはない。
それは自分に対し冷ややかな現実を突きつけられるわけである。
走ることに価値を覚え、邁進していても、なかなか速くならない、遠くへ走れないという事実である。

本当に重要なことというのは、なかなか順調にはいかないんだよ。ということだ。

そういうことを考えるとレース参加は大切だ。
自分が発揮できる力を客観視できるからね。



少しずつ距離を伸ばし、少しずつ速くなってきたという友達と話す。
とても嬉しそうに話してくれる。
自分の経験上、初めてサーフボードの上に立てた、
ジャイブが成功した、ウオータースタートができたということより、
距離が伸びた、速くなったという方が笑顔度が大きいような気がする。

たぶん、走るというのは、人間が備えている基本機能だからだ。
人間の基本機能は高性能でなくてはいけない、と皆思っているからだ。
距離が伸びたり速くなると本当に嬉しいのだ。
自分は健康で、基本機能が充実していて、Human natureが備わっていると自覚できるのは、
単純な繰り返し運動をこなせたときなのだ。
そのとき、動物としての歓び、喜び、悦びを実感できる。

だからこそ、ここで頭打ちになると真剣に対応しようとする。
シューズを変える、フォームを研究する、筋力トレーニングする、体重管理をする、などなど。
自分には残念ながら、専属のコーチもトレーナーもいない。
ただただ走り込む、走り込む、走り込む。
結局のところ、その方法しかない。
継続が重要なのは、真剣に捉えているかの指標にもなりうるからだ。

走るとことを決めて、続ける。
走ることは、より良いウインドサーフをするための、生活のオプション的な存在であったが、
(少し大袈裟だけど) 走ること自体が、=生きる と今では思えてくる。
あまりに苦しく切なく、それでいて心地よく、いろんな思いが裏表の姿を見せては脳裏から消え去る。
いつも思う、なんとなく思う、無意識に思うことが、10キロ1時間に凝縮されて現れるからだ。

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1 コメント

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気持ちいいこと (まっちゃん)
2015-08-24 22:32:07
いいね~
なんか楽しそうで羨ましい!!

こんな気持ちに戻りたい。
日々の老化との戦いは、苦悩…
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