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ブロークバック・マウンティン (劇場)

2006-03-25 12:55:28 | アメリカ映画 (40)

Brokebackmountain

監督:アン・リー
原作: アニー・ブルー
出演:ヒース・レジャー(イニス) ジェイク・ギレンホール(ジャック)
    ミシェル・ウィリアムズ(アルマ) アン・ハサウェイ(ラリーン)
2005年、アメリカ

20年にもおよぶ、セクシュアリティを越えた愛憎劇

◆1963年、ワイオミング州ブロークバック・マウンテン。
農場に季節労働者として雇われたイニスとジャックはともに20歳の青年。対照的な性格だったが、キャンプをしながらの羊の放牧管理という過酷な労働の中、いつしか精神的にも肉体的にも強い絆で結ばれていく。やがて山を下りたふたりは、何の約束もないまま別れを迎える。

アン・リー監督作、しかもアカデミー賞、監督賞を獲ったということで、
内容はいささか衝撃的という噂のなか、おっかなびっくり、シネリーブル神戸で見た。

青年二人の出会い。
貧しい彼らは出稼ぎにやってきた。
美しいワイオミングの大自然のなか、台詞はほとんどなく、二人の息遣いまで聞こえそうだ。
不幸せな生い立ちの寡黙なイニスには婚約者がいた。
自由奔放で魅力的なジャック。

カウボーイと聞くと、ついあの牛を追う男たちを連想するが、羊飼いも彼らの仕事なのか。

若い二人は美しい。
大自然は時に人に過酷で、仕事はきつく、鬱憤と若さゆえの荒々しいまでのエネルギーはついに友情の一線を越えてしまう。

すまなかった。
いいんだよ。

若気の過ち、私はそうとらえたが、二人の想いはそれだけでは留まらなかった。
会えないことは想いを深くし、禁じられた果実は甘いのだろうか。
あの輝くような時間は二人にとって忘れられない青春の1ページとして刻印されてしまったのか。

ジャックに会わなければ、イニスは婚約者、アルマと結婚し一生あくせくと働き、それでも、人並みに幸せに暮らせただろうに。
4年後の再会の時に、イニスのジャックを荒々しく求める姿は意外だった。
どちらかと言うと、ジャックのほうが情熱的に見えたから。

二人が裸で湖に飛び込む場面はエデンの園を思わせる。
至上の幸せ。
もし、神がこの世に男性しか作られなかったならば、二人はなんの責められることがあろうか。
私はクリスチャンの信仰は知らないが、静謐な映画の場面のそこかしこに何か厳かなものを感じたような気がする。

女性たちは彼らたちの”現実”として描かれているのは皮肉だ。
私がアルマならどうするだろう。
悲しい。
けれど、彼らがそんなに想い合っているのなら許してしまうかもしれない。
イニスは必ず愛する娘たちのところに帰ってくるだろうから。
彼は愛の形は違っても妻、アルマをも愛していたのだと思う。

彼らが愛を交わす場面よりも、アルマとの行為のほうがリアルで衝撃的だったのが不思議だ。
そして、どうしても、イニスがジャックの提案を受け入れられなかった本当の理由。
これはほんとうに衝撃的だった。

たった40年前にはこういう私刑が行われたことに戦慄する。
西部・・そう言えばリンチがつきものかなとは思うけど、にわかには信じられない。

この重い事実は米国人でない、アン・リーだからこそ映画にできたのかなとも思う。

ここから結末に触れています。
********************************************

耐えるんだ。これからもずっと。
俺をこんな負け犬にして!

愛に憎しみが混じった時、この世での二人の幸せはないなと想像はついた。

イニスがあれほど恐れたことは皮肉にもジャックの身に起こった。
彼らは死んで償わなければならないことは何もしていない。

何もかも失い寂しい中年となっったイニスが訪れたジャックの家の粗末さに胸が詰る。
クロゼットに大切にしまわれた品。
奔放にも見えたジャックの隠された真実の想いがそこにはあった。

いつもいつも、行けない会えないと、言い訳が口癖になっていたイニスも娘の結婚式に出席すると言う。
彼は気づく。もう言い訳する必要などないのだ。

◆これからはずっと一緒だ。◆
もう一つの皮肉は一人の死をもってしか二人は一緒になれなかったこと。

残されたイニスのこれからの独りぼっちの人生の長さをふと思った。
見ていて涙は出ない。
涙を流す甘さや余裕を持つことなく、それはしこりのように心の底に沈む。

彼は一番の友達だ。
だけど、道端で死んだ。。

TB送信:万歳!映画パラダイス~京都ほろ酔い日記、  キマグレなヒトリゴト、  ミチの雑記帳


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ニューシネマでも、アメリカ人が撮った作品は、『... (まっき~)
2006-03-26 01:10:37
ニューシネマでも、アメリカ人が撮った作品は、『明日に向かって~』も『イージーライダー』でさえ、ほんのり優しさが漂っていたもんね。その優しささえなく、容赦ない視線でアメリカを捉えたのは、イギリス人が描いた『真夜中のカーボーイ』だったと思うの。あの映画も、カウボーイスタイルがそのまま買春の道具と化すという、皮肉な小道具の使い方だったけれども。
それでもニューシネマと違い、このこと自体を批判的に描いていないのが現代かなぁとも思います。
アン・リー、オスカーおめでとう。
個人的には、『クラッシュ』でばんざ~い、だったのだけれども。。。。。
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『真夜中のカーボーイ』はただただ、ラッツォが可... (あいり)
2006-03-27 09:16:15
『真夜中のカーボーイ』はただただ、ラッツォが可哀相でした;
そう言えば、救いのないラストで。
あれはイギリス製の映画だったのね。
>>現代かなぁとも
そうなのかあ。納得です。

『クラッシュ』は見ていないので分からないけど。笑
コメントをありがとう。
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あいりさん、こんばんは。 (Hitomi)
2006-04-05 21:32:00
あいりさん、こんばんは。
同性愛ではありますが、2人の純愛に心が震える思いでした。
特に分かれた後一人になって号泣するイニスや再会して激しくキスするシーン。
あのジャックが密かにイニスのシャツと自分のシャツを重ねてかけていたのは感動しました。
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>>Hitomiさん (あいり)
2006-04-05 22:06:33
>>Hitomiさん

う~ん、この映画はかなりシリアスでしたよね。
女性の立場になっても辛いしね。
どちらもゲイじゃないと言い切ってましたけど、ジャックは怪しい。。笑
ヒースって『ロック・ユー』の人なんだあ。
ハンサムだと思った!^^
私は主演の二人に馴染みがあまりなくて、余計にリアルな感じがしました。
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こんにちは♪ (ミチ)
2006-04-07 10:54:55
こんにちは♪
TBありがとうございました!
見ている間も切なかったけど、見終わった後の方が二人が結ばれる前のひそやかな眼差しの交換などを思い出してしみじみとしてしまいました。
私も自分がアルマだったら・・・と考えましたが、やはり許してしまうと思います。ただ、一緒に暮らすことはできません。相手が男性だったら適わないもの。アルマの釣竿のエピソードはとても悲しかったです。
そしてなんといってもシャツの重ね方を変えたのはステキなエピでしたね~。
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>>ミチさん (あいり)
2006-04-07 19:10:38
>>ミチさん
トラバ返しをありがとうございます。
>>相手が男性だったら適わないもの
あはは、適わない!適わない!
でも、ここ、微妙~ですよね。
相手が男性だったら、もういっそ諦めて3人一緒に暮らすとか?
切ないと言いながら、そんなバカなことも考えてみたい私でした。
結末が切なすぎるんですもん。笑
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