あいりのCinema cafe

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「69」村上龍ば読む

2005-03-27 10:45:41 | 本と雑誌
映画はひたすら面白かったのに比べて原作はやはり少し違う。
主人公ケン(村上さん自身)は権力、力でねじ伏せようとするものに対して抗う。
17歳の自分たちを家畜として選別される前のものと呼ぶ。
36歳になったケンと高校時代の友人たちの現実はほろ苦い。

ケンの印象に残る言葉。
「なあ、アダマ、文化って、ちょっと恐ろしかて思わんか?」
「なして?」
「岩瀬なんかさ、こんだけ外国文化の入ってこんやったら、ツェッペリンもヴェルレーヌもトマトジュースもなあんも知らんで糸屋のオヤジで一生過ごすとに、なんか、残酷か気のせんか?」

この言葉には引っかかるものがありました。
知ってしまうことの不幸かあ。そうかも知れないなあと思う。

ケンは憧れの天使、松井和子とデイトするも、その知ったかぶりからトルーマン・カポーティ原作の映画「冷血」を見る。(私は見たことはないけど)
画面はモノクロだったし、絞殺のシーンは不必要なほどリアルで、これ以上ないという犯罪ドキメントで、「冷血」は、天使、松井和子を疲れさせてしまった。

松井和子は言う。
なんでわざわざ映画になんかするとやろか?うちなんか知っとるとに」
「世の中には残酷かことのあるて、うちなんか知っとるやろ?
ベトナム戦争とか、ほら昔のユダヤ人の収容所とか、でも、うちは、わざわざ、そがん映画、作らんでもよかて思う。
なぜ、映画にせんばいけんとやろか?」

「どうして、醜いものとか汚いものとか、わざわざ見なくてはいけないの?」

松井和子は、優しくて、きれいで、頭がよく、愛情に恵まれて育っている。
「冷血」で描かれた世界は案外そのすぐ傍にあるのだとしても、それを直視し続けることは必要なのだとしても、やはり大切なのは、最後に天使が言った「うち、ブライアン・ジョーンズの、チェンバロの音のごたる感じで、生きていきたかとよ」ということなのだ。

私もこの松井和子の意見に共感しました。
現実を直視し続けることは必要だけれど、やはり美しく暖かい映画を見たかあって思うんですよね。^^;

☆この私の記事にシナリオライターでジャーナリストの我が師 ^^;まっき~さんが掲示板BBS(左サイド)に、とても興味深いにコメントをくださいました。
よって、ここに掲載させて頂きます。
ありがとうございます。

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「それこそ、大きなテーマです 」

よく突っ込まれますね自分も。
どうしてそんなに残酷な話ばかり書くのかって。

同志とよく語るのが、でも1番残酷なのはディズニーなんじゃないかって。
この世には夢のような世界が広がっているって散々言って、外に出たら放っておく。

いつの時代も、暖かいものを観たい人と現実を直視したい人が居るものだと思いますです。
時々、現実直視型の映画が流行するけれども、基本的には暖かい系がメインだよね。

このバランスでいいんじゃないかな。
自分は、現実直視型を延々と書いているし、支持しているけれども、それは、暖かい系がメインで走ってくれるから。
『踊る~』に唾を吐きつつ、感謝しているのよ~。
彼らが健全であり続けることによって、こっちは好き勝手出来る。

商業って視点が抜け落ちているのが、現実直視型。
村上龍さんは器用な方で、そちら側に居ながらにして、商業に結びつける力を持つ。
羨ましくもありますね。                 まっき~