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Book Baton   [本]

2005-07-20 18:40:56 | 本と雑誌
にこさんからBook Batonを貰いました。ありがとうございます。
さてさて、お若い方には古めかしい本と作家が並びますが。

■Book reading right now (今読んでいる本)
ダビンチ・コード ダン・ブラウン
ダビンチの暗号と訳すのかしら。最後の晩餐、モナリザの謎、仏教徒の日本人には驚きの内容です。

■The last book I bought (最後に買った本)
壬生義士伝 浅田次郎 
本が絞れるほど泣かされました。

■Five novelists(or writers) I read a lot, or that mean a lot to me
(よく読む、または特別な思い入れのある5人の作家、または小説家)

1.夏目漱石
軽妙な内容と深遠な内容の本、共に私の人間形成に多少影響したかな。(笑)

2.志賀直哉 暗夜航路、
多感な時期に心打たれ、彼が暗夜航路を執筆した尾道の家を見て来ました。

3.遠藤周作 女の一生・キクの場合 沈黙
神とは?存在するのか?深いテーマとロマンチシズムと人間を見る暖かい目。

4.ヘルマン・ヘッセ 知と愛 春の嵐
華麗な文体が精神世界へと導いてくれ、魅力的です。

5.司馬遼太郎 竜馬が行く 燃えよ剣
  
おまけ トマス・ハーデイ テス 塔上の二人

■Five books  I read a lot, or that mean a lot to me
  (よく読む、または特別な思い入れのある5冊の本)

1.誰も知らない小さな国 佐藤さとる 
コロボックル伝説、小学校の図書館で夢中になって読みました。

2.我輩は猫である 夏目漱石
しいたけを齧って前歯の折れる寒月君が愉快。

3.若草物語 ルイザ・メイ・オルコット
小学生の時、気がつくと自分はジョーになったつもりで読んでいました。

4.風と共に去りぬ マーガレット・ミッチェル
壮大な歴史ロマン。

5.竜馬が行く 司馬遼太郎
竜馬に会いたかったと思える本でした。

おまけ Yの悲劇 エラリー・クイーン ミステリー中のミステリー
     窯変源氏物語 橋本治 男性の目で見た源氏物語
     三国志 吉川英治

皆さんにはBook Batonはもう回っているかもですが、ど~れと思われる方はどうぞ受け取って下さいませ。
ブログでもホームページでもよいと思います。


女の一生 1部 キクの場合

2005-04-21 19:36:00 | 本と雑誌
罰当たりなことに、私はこれと言った信仰を持たない。
遠藤周作さんの「女の一生 1部 キクの場合」を何年ぶりかで読んだ。
遠藤さんはクリスチャンでした。

幕末の長崎。
物語はキクという農家の娘と隠れ切支丹のお百姓の若者、清吉との運命的な出会いで始まる。
キクは活発で一途な情熱的な娘であった。
幕府はまだ信仰の自由を認めず、長崎の隠れ切支丹を弾圧しようと流刑に処した。

過酷な改宗を迫る拷問が清吉たちを待っていた。
キクは独りで清吉の苦しみを少しでも軽くして貰おうと、流刑地の役人、伊藤の言うままに身を任せ、苦界に落ちる。
金を作るために体を売り、身を汚してまでも清吉の身を案じた。

どんなに凄惨な拷問に合おうと屈しなかった人たちの信仰って何なのだろう。
私なら改宗すると言うだろう。
そして、密かにクリスチャンであればいいではないか。
神が存在するとしたら、それをお許しになるのではないのか。

役人たちのどんな説得にも耳を貸さない強情な男がいた。
「責め苦を受けて体を痛めて帰れば、母のない子供たちも嘆き苦しむであろう。そのことを考えてみるがよい」
役人の言葉に男は返事をする。
「御言葉、有難うござります。ばってん、たとえ生身の痛めつけられましょうとも、心ば失うとに比べれたら、何でもございませぬ。そげん思うております」
役人は男のその言葉に言いようのない感動さえ覚えた。匹夫もその志を捨てぬのが彼の心を動かしたのだった。

信仰というのは人間をそこまで強くするのかしら。

キクの一途な清吉への愛もまた、神の愛に近いのではないかしら。
全てを投げ打って真っ直ぐに自分の愛しい人のために生きるキクの姿はまるで聖母マリアのようです。

清吉がまだ、長崎の牢に囚われていた時、キクは代筆してもらった手紙を送る。
「難儀でありなさる。お前さまの顔ば見とうて牢の近くまで参じましたけど、このことがかないませぬ。
今、大浦の南蛮寺におります。お前さまのため願ばかけております。」

その手紙を見た時、火箭(ひや)のように清吉の頭から足の先に一人の娘の情熱が貫いた。

この表現の美しいこと。
ここだけは何年も前に読んだ本なのに、鮮明に記憶に残っていました。

キクは貧農の娘で、切支丹の教えなど知りもしないが、小さな教会のマリアの像に愚痴を言い、罵り、恨み、願った。
それが祈りであることも知らずに。

流刑された人々を取り締まる小者役人の伊藤がいる。
人間の中には善と悪、獣性が潜んでいる。
そう、人間は弱い者なのだ。

以下、結末に触れています。
***********************************************

時代は明治と変わり、清吉は解放されたが。。
何年も後、清吉は忘れもしない自分たちを責め苛んだ伊藤に会う。

伊藤はキクが短い一生をどう終えたか、涙ながらに清吉に許しを請う。
「もうよか。伊藤さん。おキクさんはあんたに苦しめられたばってん、あんたば別のところに連れていったとたい。
そいだけでもあん人の一生は、無駄じゃなかった・・・・無駄じゃなかった」

本:女の一生 1部 キクの場合



「69」村上龍ば読む

2005-03-27 10:45:41 | 本と雑誌
映画はひたすら面白かったのに比べて原作はやはり少し違う。
主人公ケン(村上さん自身)は権力、力でねじ伏せようとするものに対して抗う。
17歳の自分たちを家畜として選別される前のものと呼ぶ。
36歳になったケンと高校時代の友人たちの現実はほろ苦い。

ケンの印象に残る言葉。
「なあ、アダマ、文化って、ちょっと恐ろしかて思わんか?」
「なして?」
「岩瀬なんかさ、こんだけ外国文化の入ってこんやったら、ツェッペリンもヴェルレーヌもトマトジュースもなあんも知らんで糸屋のオヤジで一生過ごすとに、なんか、残酷か気のせんか?」

この言葉には引っかかるものがありました。
知ってしまうことの不幸かあ。そうかも知れないなあと思う。

ケンは憧れの天使、松井和子とデイトするも、その知ったかぶりからトルーマン・カポーティ原作の映画「冷血」を見る。(私は見たことはないけど)
画面はモノクロだったし、絞殺のシーンは不必要なほどリアルで、これ以上ないという犯罪ドキメントで、「冷血」は、天使、松井和子を疲れさせてしまった。

松井和子は言う。
なんでわざわざ映画になんかするとやろか?うちなんか知っとるとに」
「世の中には残酷かことのあるて、うちなんか知っとるやろ?
ベトナム戦争とか、ほら昔のユダヤ人の収容所とか、でも、うちは、わざわざ、そがん映画、作らんでもよかて思う。
なぜ、映画にせんばいけんとやろか?」

「どうして、醜いものとか汚いものとか、わざわざ見なくてはいけないの?」

松井和子は、優しくて、きれいで、頭がよく、愛情に恵まれて育っている。
「冷血」で描かれた世界は案外そのすぐ傍にあるのだとしても、それを直視し続けることは必要なのだとしても、やはり大切なのは、最後に天使が言った「うち、ブライアン・ジョーンズの、チェンバロの音のごたる感じで、生きていきたかとよ」ということなのだ。

私もこの松井和子の意見に共感しました。
現実を直視し続けることは必要だけれど、やはり美しく暖かい映画を見たかあって思うんですよね。^^;

☆この私の記事にシナリオライターでジャーナリストの我が師 ^^;まっき~さんが掲示板BBS(左サイド)に、とても興味深いにコメントをくださいました。
よって、ここに掲載させて頂きます。
ありがとうございます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それこそ、大きなテーマです 」

よく突っ込まれますね自分も。
どうしてそんなに残酷な話ばかり書くのかって。

同志とよく語るのが、でも1番残酷なのはディズニーなんじゃないかって。
この世には夢のような世界が広がっているって散々言って、外に出たら放っておく。

いつの時代も、暖かいものを観たい人と現実を直視したい人が居るものだと思いますです。
時々、現実直視型の映画が流行するけれども、基本的には暖かい系がメインだよね。

このバランスでいいんじゃないかな。
自分は、現実直視型を延々と書いているし、支持しているけれども、それは、暖かい系がメインで走ってくれるから。
『踊る~』に唾を吐きつつ、感謝しているのよ~。
彼らが健全であり続けることによって、こっちは好き勝手出来る。

商業って視点が抜け落ちているのが、現実直視型。
村上龍さんは器用な方で、そちら側に居ながらにして、商業に結びつける力を持つ。
羨ましくもありますね。                 まっき~



壬生義士伝を読む

2005-01-20 11:32:06 | 本と雑誌
mibu

泣くことは心を浄化するとかしないとか聞いたことがあるけれど。
どうも私にはそれが必要らしい。
心のお掃除かもね。

映画(ビデオ)も見たけど浅田次郎さんの「壬生義士伝」を読んだ。
やはり、原作は幕末の時代と、その時代を駆け抜けた人々を丁寧に描いている。
主人公は吉村貫一郎、会津の足軽であった。
この時代は南部盛岡は酷い飢饉で、侍、それも下級武士の暮らしは貧しさと飢えとの闘いだった。

そんな中で、この貫一郎はただひとり自分の宿命に屈しなかった。
苦悩に抗い、神に挑み続けたのだ。
妻子を養うために主家を捨てる。しかし恩と衿りは決して忘れない。

彼を知る人々の回想で貫一郎がどういう人物であったか少しずつ語られていくところはこれでもかという程に切ない。
新選組の隊士たちは貫一郎だけは死なせたくなかった。
彼は自分の暮らしは切り詰め、守銭奴と蔑まれようと、心を鬼にして人を切った銭こを国の妻子に送りし続ける。
「ひもじさには慣れておりますゆえ」と仲間に握り飯を与える貫一郎は自分たちの良心だったから。

あの男を殺すな、吉村、お前は生きろ!

けれど、彼は言う。
脱藩という主家を捨てるという忘恩の罪を犯した。
新選組にあってろくを受けた身は義に生き死なねばならぬ。

「南部武士は曲げてはならぬ義の道をば知っており申す。ならばわしは南部の魁として死に申す。」
「申すわげながんす、おもさげながんす。」
何となれば、武士のつとめとは民草の暮らしを案ずることなのす。まずもって養うべき民草とはおのれの妻と子だと思うのす。」
妻子を命がけで養うのは男の務めか。。
貧乏武士の物語だけではなく、これは現代人への励ましとも思える。

遥か昔に想いを馳せる。
自分の耳を疑うような事件の多い昨今だけれど、こういう維新の若者たちの闘いの上に今の時代がある。
少なくとも、私は今日食べるお米がないという経験をしたことはない。

当たり前のことが当たり前でない時代があったのだ。
それを忘れないでおこう、そんたなことを思ったのでした。




本を読む『いま、会いにゆきます』

2004-12-11 15:54:06 | 本と雑誌
ima
「いま、会いに行きます」を読みました。
大抵の場合、映画より原作のほうがいいです。
文字の中だと想像力は無限に広がって自分のイメージができあがるから。

私がずっと気になってたこと。
この作者の市川拓司さんも巧と同じ”病気”だと聞いたのですが、本の中でも映画以上には語られていません。
ある訳があって私はこれに似た症状を知っています。
たぶん、私が想像してるのと同じ病でしょう。病には語弊があるかな、症状ですね。

それは置いといて。
原作は巧の一人称で淡々と、巧の目を通して語られています。
お話は映画とは大きな違いはなく、静かな感動が込み上げます。
映画には劇的な効果がいくつか添えられたようです。
ある意味では映画は原作を超えてると思います。
脚本家と監督の腕でしょうか。

映画をまだ見ていない方はこの先を読まないことをお薦めします。(笑)

澪の気持ちは巧への手紙としてある人に預けられました。
これを読むと澪が8年後に”跳んだ”意味が分かるような気がします。
巧が別れようと言った理由を知りたかった彼女を気の毒に思った「誰かさん」の計らいだと。
澪はそう思っています。
以下は原作の抜粋です。

私は知ってしまった。
あなたたちと出会ってしまった。
その思い出を胸に抱いたまま、別の人生を生きることはできない。

あなたと結婚して、佑司を産もう。
あなたと私のぼうやをこの世界に迎えよう。

そして手紙には澪が意を決して巧に会う日に書いたであろう日記を切り取ったページが入れてありました。

もういかなくちゃ。
湖の駅で、きっとあのひとは私を待っています。
私の素敵な未来を携えて。
待ってて下さいね。私の【ぼうやたち】。

いま、会いにゆきます。
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